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1章
リゼル、街へ行く
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リゼルと暮らし始めて一ヶ月。僕らはゆっくり家族になった。
心配していた服事情は、村の人から子どもが着られなくなったものをたくさんもらい、絹も譲ってもらったので下着を縫った。
とはいえ……さすがに、一ヶ月も経つと色々と入り用になってきた。
薬草も売りに行きたいし、リゼルにお下がりではない新しい服も買ってあげたい。
他には、おもちゃとか、干し肉とか。
「明後日は街に行こうか、リゼル」
「マチ……」
顔を引きつらせて固まっている。喜ぶかと思ったのに……。
リゼルはとにかく好奇心旺盛で、色んなところに行きたがった。子どもたちと遊ぶことも好きだったし、手加減をするのも上手かった。子どものフリをすることも。
「いや?」
「……ちょっと、コワイ」
「あ、そ、そうか」
人がたくさんいれば逆にバレにくいと思ったけど、リゼルにとってはそういうことじゃないよね。
村よりも、ずっと多くの人間に囲まれるんだ……。
「でもシアンが手をにぎっててくれたら、大丈夫」
「リゼル……」
置いていくのも不安だし、連れて行くのも不安。
この一ヶ月でリゼルはとても成長した。外見ではなく、中身が。
だから街くらい平気だろうって、僕は自分の視点で考えてしまった。
「それに何かあった時は、オレがシアンを守らないといけないし……」
「ちょっと前までは、守ってほしいって言ってたのに」
「ココロか、カラダかの違い」
見た目は3歳くらいなのに、マセたこともサラリと言う。
いくら成長には個人差があると言っても、やっぱり人とは違うのだなと思わずにはいられない。
そのうち、外見にも差が出てくるのかな。5年やそこらで僕より大きくなって、僕の助けなんか必要なくなって、お嫁さん見つけて出ていったりとか。
少しそんな想像をしただけで、涙が出そうになる。
コイズが、娘ちゃんが嫁に行くときのことを考えるともう今から泣けてくるとか言ってて何年先だよって笑い飛ばしていたけど、こういう気持ちだったのか。
「……シアン、オレに守られるの、イヤ?」
表情に出ていたらしく、リゼルにも泣きそうな顔をさせてしまった。
「ううん! そんなことない! リゼルは強いから頼りになるよ」
そう答えると、今度は満足そうに笑った。可愛い。
実際、リゼルは僕なんかより全然強いんだけど。
……だけど。
もし何かあったら、僕はきっと命にかえても君を守るよ。
平和で忘れてしまいそうになるけれど、僕らは薄氷の上を歩いているようなもの。
そうだね。街へ出るのも、気を引き締めないと。
でも、せっかくだから楽しんでほしいとも思うし。難しいものだな。
基本街へ出るときは、何人か集まって馬車を動かす。僕らはそれについていく形になる。今日はコイズも一緒だ。
魔法が使えない弱い僕と、端から見れば幼い子どもであるリゼルが二人だけで街へ行くなんて、危険極まりない行為だ。
……実際、僕は危険な目にあったことが何度かある。でもその度に色んな人に助けてもらって、未だ無事。
「バシャ……」
初めて乗り物に乗るリゼルは、流れる景色を興味津々に眺めている。
「すごく、はやい。おウマさん、重くない?」
「リゼルは馬車初めてなんだなー。楽しいかー?」
コイズが、ニコニコしながらリゼルに尋ねる。
リゼルも笑って、ンッと返事をした。
家ではすっかりペラペラ喋るリゼルなんだけど、外ではわざとたどたどしい感じにしている。それがもどかしい時は僕の服をギュッと握る。今も、握ってる。何か訊きたいことがあるんだろう。
……馬がオレより速いの、どうして? とかかな?
「風の魔力が込められた石を使ってね、荷台を少し浮かしてるんだよ。馬の脚にもついてるから、疲れもほとんどなく本来より速く走れる」
「ホントだ、浮いてる……」
「あまり乗り出すと危ないから。あっ……」
帽子が落ちて後方へ流れていった。リゼルが馬車から飛び出そうとするのを必死で抱きとめる。
もう狼耳はすっかり消せるけど、村に来た日以来ずっとかぶってきた帽子だ。リゼルは目に見えて落ち込んで、大粒の涙をこぼした。
「し、シアンに……もら、もらった……のに」
「気にしないで。もうボロボロで、今日新しいのを買ったら処分するつもりでいたし」
「でも、あれ……シアンの、匂い、した……」
「匂い……」
僕らのやりとりを見ていたコイズが、隣でハハハッと笑った。
「シアンの匂いがする帽子じゃ、そりゃ貴重だよな。新しく買ったのも、しばらくシアンがかぶっててやったらどうだ?」
「え、ええー……」
凄い期待の眼差しで見られてる。嫌とは言えない雰囲気だ。
「じゃ、一日だけ……僕がかぶるよ。それでいい?」
リゼルが泣き止んで、頷いた。すぐに笑顔を見せるのが可愛くて、イイコイイコと頭を撫でる。
「でもアレだな。今日は確かにいつもより、馬の脚が速い気がする。シアンのおかげもあるだろうけど、子どもにイイトコ見せようって思ってんのかもな。リゼルが泣いたら更にスピードアップしてたし」
それはもしかして、リゼルが銀の魔物だと本能でわかって怯えているのでは……。
リゼルは景色を見るのをやめ、肉を見る目つきで馬をジーッと見ている。
お馬さん、ごめんね。あとで馬は食べないように言っておくから許してねと、心の中で謝らずにはいられなかった。
馬車はその日、かつてない速さで街へ到着したという。
街へつくと、リゼルはとてもはしゃいでいた。怖がっていた姿はどこへやら、だ。
幸い僕の手を離すことはしないので、迷子の心配はない。
この街は治安がよく、人も多い。いつでもお祭りのように出店が並んでいて、リゼルは肉串の前で物欲しそうに立ち止まった。
こういうところのは、高いんだけど……。でも、リゼルのおかげで稀少な薬草をいくつか採取できたから、奮発しようかな。
欲しいとも言わず、手も伸ばさず、おとなしくしてる姿がいじらしいし。でも、よだれダラダラだし。こんなの、買わずにいられるかと。
「それ、ひとつください」
「はーい。おや、美人なお父さんだねえ。オマケしておくよ」
リゼルがいいの? って顔で僕を見て、震える手で屋台のオジサンから肉串を受け取った。
少し焼けが甘い気がするけど、リゼルには逆にそれがいいんだろう。
とりあえず、先によだれを拭いてあげた。食べる姿は中々に行儀がいい。僕があまりがっつかないように教えたのもあるし、リゼルは肉を食べるとき、本当に噛みしめるように食べるから。
……僕をジッと見つめながらね。
リゼルは肉を食べる時だけ、僕をジッと見る。
食べている……気に、なれるんだそうだ。どんな肉でも美味しく感じられると言われて、複雑な気分だけど、やめてとは言えなかった。
本当は人の肉を食べたくて。……僕を食べたくて。でも、我慢してくれてるんだろうから。
僕の肉を噛んでるって想像しながら食べてるんだなあと思うと、身体がムズムズしてしかたない。
「シアン。肉、買ってくれて、ありがとう」
それもこの可愛さで、全部帳消しだ。
僕だって、食べてしまいたいほどリゼルが愛しいと思うことは度々ある。犬の姿で腹を出してベッドへ転がってる時とか。思わず顔を埋めてしまうし。
だから、リゼルのこれも、そういうものなんだな……と思うことにしてる。
「今度は口の周りが油でベタベタになってる」
くすりと笑って指先で口元を拭うと、リゼルは美味しそうに指まで舐めた。
味見されているような気がする……。
でも、噛むことはしなかった。
「ゴチソウサマ!」
「あとでご飯はちゃんと食べるから、今はこれだけだよ」
「……ウン」
物色するように屋台を見始めたリゼルに釘を刺し、手を引いてその場を離れる。
次は薬屋だ。採取した薬草を売りに行く。これが僕の主な収入源になる。
リゼルが強いからいつもは入り込めない場所まで採りに行けるし、稀少な薬草を雑草の中から見分けるのも上手かった。
今回はかなりいい金額になると思う。
「苦いのがイッパイあるのか……」
「苦くないのもあるよ」
「この前シアン、そう言って苦いの出した。ダマサレタ」
「別に騙したわけじゃ……」
味覚が鋭いからか、薬草も野菜も苦虫を噛み潰したような顔で食べている。
僕が甘いよと言うのも、苦いと言う。肉に関しては大雑把なのに、草に関してはこだわりがあるみたい。
気の進まなさそうなリゼルを引きずって、薬屋へ向かった。
今は薬草が不足しているとかで、想像以上に高く買い取ってもらえた。
ご褒美だよと、お昼ご飯を奮発すると、薬屋に入ってからずっと機嫌の悪かったリゼルもニコニコ顔に戻った。
何がそんなに嫌だったのか訊いてみたら、店内がクサくてしかたなかったとぼやいていた。なるほど。可哀相なことをしてしまった。
「次は、どこ行くんだ?」
「リゼルの新しい服と、あと、ボールを買おうかなって」
「ボール……!」
リゼルは目を輝かせた。
他の子が遊んでるの、凄く羨ましそうに見てたもんな。
「家で遊べる用に、小さいのも買っちゃう」
「すごい……!」
「他にも何か欲しいのあったら、値段によるけど……いいよ」
言葉にならないくらい喜んでる。可愛い。
これはたくさん遊んであげないと。
「ゴハンも肉たくさんでオイシイし、シアン、優しいし、オレ、幸せ!」
うん、僕も。
絶対に今、君よりも幸せな気分でいるよ。
久々の外食は美味しかったし、薬草は高く売れたし、リゼルは可愛い。いい気分で食事処を出る。
出たところで……ガラの悪い男に、声をかけられた。
「そこのお兄さん、羽振り良さそうだねぇ。オレにもちょっと奢ってよ。いい店があるんだ」
治安がいい街とはいえ、他の街から来た人間までそうとは限らないのが難しいところで。
僕一人ならともかく、子連れに絡んでくる神経が信じられない。
リゼルの手をギュッと強く握る。僕に何かあって、リゼルがこの男に危害を加えてしまうほうが怖い。
いや……それによって、リゼルが銀色の魔物だとバレることが、怖かった。
「息子と一緒なので……」
「へえー。可愛い息子さんだね。……いい店に行くだけだからさ。ねっ。君も行きたいだろ?」
リゼルは首を横に振った。男は僕の腕を掴んで、グイグイと連れて行こうとする。
「やだ。シアンに触ったら、やだ!」
「さ、騒ぐな! 平気だって。本当に、悪いようにはしないから」
「ヤダーー!!」
人の視線が集まる。目立ちたくないのは、僕も一緒だった。
「リゼル。大丈夫だから、ついて行こう」
リゼルはいざとなったら噛み殺してやるくらいの目をしている。元々悪い目つきが凶悪になってて、僕は宥めるように頭を撫でた。
人を殺しかねないような目つきをする3歳児に、男が少し怯えたような顔をしたのが面白かった。
そして……。僕らはその男に連れられ……安くて品揃えがいいという服屋に案内してもらい、その隣の花屋で花を買ってもらい、握手だけして別れた。
リゼルは何がなんだかわからないという表情で、ポカンと口を開けている。
「アイツ、なんかイヤなキブンがしたのに……」
「ね。大丈夫だっただろ?」
「ウン……。でも。今度はオレが、モヤモヤする。シアンはこうなるって、わかってた?」
「そうだね。単に慣れというか……」
相手の悪意が削げてきていたのが感じられたから、リゼルに騒がれるほうが危険だと判断した。
僕の前ではよほどの悪人でもない限り、大体が善人になってしまう。
だから交渉も得意だし、薬草だって足元を見られて買い叩かれたりもしない。むしろ色をつけてもらえる。
「まあ、こういう体質なんだよ。リゼルがおとなしくしててくれて、よかった。イイコだね」
「ウソ。イイコじゃない。オレ、叫んだ……」
「僕のこと、心配してくれたんだよね? 嬉しかったよ。それに、大丈夫って言葉は信じてくれた」
「それは……シアン、目立ちたくなさそうに、してたし……」
「やっぱり、イイコだ」
あの状況で、僕の顔色もきちんと見てくれる。
きっと目立ちたくない理由もわかっているのだろう。
「モヤモヤする」
「家に帰って新しい帽子をかぶったら、忘れるよ」
「シアン、一日、かぶってて……」
「はいはい」
少しだけ時間をとられてしまったけど、予定通り雑貨屋へ行って、ボールやリゼルが噛む用のオモチャとか、鳴いて逃げる鳥の人形とか……こう、明らかに人間用ではない感じのものばかり、購入した。
どれでも好きなの選んでいいよと言ったら、死んだ魚のような目をしていたリゼルもすっかり生気を取り戻した。
魔物でも子どもはオモチャには弱いんだなあと思うと、微笑ましかった。
帰りは街の入り口で、コイズと待ち合わせをしている。
「そろそろ、帰る時間だよ」
「ウン」
リゼルは帰りたくないとダダをこねることなく、おとなしく僕に手を繋がれて歩いている。
本当にイイコで助かるけど、父親がわりとしてはダダをこねてる姿も見てみたかったりして、ちょっと複雑。
待ち合わせ場所へつくと、コイズ以外はまだ誰も来ていなかった。
「おっ。凄い荷物だなー。いっぱい買ってもらえたか? リゼル!」
「ウン!」
「ん? シアン、その花はどうしたんだ? また男に声をかけられたのか?」
その話題、地雷だから!
リゼルがまた、死んだ魚のような目になってく……。
「シアン、さっき……ヘンな……、シンセツなオトコ? に声、かけられてた……」
「ああ、なるほど。よくあるんだよ」
「よくある……?」
「そ、その話はいいだろ!」
止めようとしたけど、コイズは止まらなかった。
「エメラルドのような髪、濃いサファイアの瞳。整っていてかつ、人に騙されやすそうな優しげな顔。まあ、寄せつけるよなー」
「シアン、オレの……なのに」
もしかしてリゼルの言うモヤモヤって、親を取られそうな子どものヤキモチ?
僕の足をギュッとするリゼルの姿が可愛くて可愛くて、悪いとは思いながらもにやけてしまう。そんな新米親子の姿をコイズもまた、にやけた顔で見てくるのだった。
でも今日一日、何事もなく終わって良かった。あとはみんなが来るのを待ってから、馬車に揺られて村まで帰るだけ。
案外、リゼルの他にも人に化けて暮らしている魔物はたくさんいるのかもしれないな。
この日に買ったオモチャはリゼルの宝物になったのだけど、鳴いて逃げる鳥の人形に関してはサクラが怒ってリゼルの頭をつっついたため、置物として飾られることになった。
心配していた服事情は、村の人から子どもが着られなくなったものをたくさんもらい、絹も譲ってもらったので下着を縫った。
とはいえ……さすがに、一ヶ月も経つと色々と入り用になってきた。
薬草も売りに行きたいし、リゼルにお下がりではない新しい服も買ってあげたい。
他には、おもちゃとか、干し肉とか。
「明後日は街に行こうか、リゼル」
「マチ……」
顔を引きつらせて固まっている。喜ぶかと思ったのに……。
リゼルはとにかく好奇心旺盛で、色んなところに行きたがった。子どもたちと遊ぶことも好きだったし、手加減をするのも上手かった。子どものフリをすることも。
「いや?」
「……ちょっと、コワイ」
「あ、そ、そうか」
人がたくさんいれば逆にバレにくいと思ったけど、リゼルにとってはそういうことじゃないよね。
村よりも、ずっと多くの人間に囲まれるんだ……。
「でもシアンが手をにぎっててくれたら、大丈夫」
「リゼル……」
置いていくのも不安だし、連れて行くのも不安。
この一ヶ月でリゼルはとても成長した。外見ではなく、中身が。
だから街くらい平気だろうって、僕は自分の視点で考えてしまった。
「それに何かあった時は、オレがシアンを守らないといけないし……」
「ちょっと前までは、守ってほしいって言ってたのに」
「ココロか、カラダかの違い」
見た目は3歳くらいなのに、マセたこともサラリと言う。
いくら成長には個人差があると言っても、やっぱり人とは違うのだなと思わずにはいられない。
そのうち、外見にも差が出てくるのかな。5年やそこらで僕より大きくなって、僕の助けなんか必要なくなって、お嫁さん見つけて出ていったりとか。
少しそんな想像をしただけで、涙が出そうになる。
コイズが、娘ちゃんが嫁に行くときのことを考えるともう今から泣けてくるとか言ってて何年先だよって笑い飛ばしていたけど、こういう気持ちだったのか。
「……シアン、オレに守られるの、イヤ?」
表情に出ていたらしく、リゼルにも泣きそうな顔をさせてしまった。
「ううん! そんなことない! リゼルは強いから頼りになるよ」
そう答えると、今度は満足そうに笑った。可愛い。
実際、リゼルは僕なんかより全然強いんだけど。
……だけど。
もし何かあったら、僕はきっと命にかえても君を守るよ。
平和で忘れてしまいそうになるけれど、僕らは薄氷の上を歩いているようなもの。
そうだね。街へ出るのも、気を引き締めないと。
でも、せっかくだから楽しんでほしいとも思うし。難しいものだな。
基本街へ出るときは、何人か集まって馬車を動かす。僕らはそれについていく形になる。今日はコイズも一緒だ。
魔法が使えない弱い僕と、端から見れば幼い子どもであるリゼルが二人だけで街へ行くなんて、危険極まりない行為だ。
……実際、僕は危険な目にあったことが何度かある。でもその度に色んな人に助けてもらって、未だ無事。
「バシャ……」
初めて乗り物に乗るリゼルは、流れる景色を興味津々に眺めている。
「すごく、はやい。おウマさん、重くない?」
「リゼルは馬車初めてなんだなー。楽しいかー?」
コイズが、ニコニコしながらリゼルに尋ねる。
リゼルも笑って、ンッと返事をした。
家ではすっかりペラペラ喋るリゼルなんだけど、外ではわざとたどたどしい感じにしている。それがもどかしい時は僕の服をギュッと握る。今も、握ってる。何か訊きたいことがあるんだろう。
……馬がオレより速いの、どうして? とかかな?
「風の魔力が込められた石を使ってね、荷台を少し浮かしてるんだよ。馬の脚にもついてるから、疲れもほとんどなく本来より速く走れる」
「ホントだ、浮いてる……」
「あまり乗り出すと危ないから。あっ……」
帽子が落ちて後方へ流れていった。リゼルが馬車から飛び出そうとするのを必死で抱きとめる。
もう狼耳はすっかり消せるけど、村に来た日以来ずっとかぶってきた帽子だ。リゼルは目に見えて落ち込んで、大粒の涙をこぼした。
「し、シアンに……もら、もらった……のに」
「気にしないで。もうボロボロで、今日新しいのを買ったら処分するつもりでいたし」
「でも、あれ……シアンの、匂い、した……」
「匂い……」
僕らのやりとりを見ていたコイズが、隣でハハハッと笑った。
「シアンの匂いがする帽子じゃ、そりゃ貴重だよな。新しく買ったのも、しばらくシアンがかぶっててやったらどうだ?」
「え、ええー……」
凄い期待の眼差しで見られてる。嫌とは言えない雰囲気だ。
「じゃ、一日だけ……僕がかぶるよ。それでいい?」
リゼルが泣き止んで、頷いた。すぐに笑顔を見せるのが可愛くて、イイコイイコと頭を撫でる。
「でもアレだな。今日は確かにいつもより、馬の脚が速い気がする。シアンのおかげもあるだろうけど、子どもにイイトコ見せようって思ってんのかもな。リゼルが泣いたら更にスピードアップしてたし」
それはもしかして、リゼルが銀の魔物だと本能でわかって怯えているのでは……。
リゼルは景色を見るのをやめ、肉を見る目つきで馬をジーッと見ている。
お馬さん、ごめんね。あとで馬は食べないように言っておくから許してねと、心の中で謝らずにはいられなかった。
馬車はその日、かつてない速さで街へ到着したという。
街へつくと、リゼルはとてもはしゃいでいた。怖がっていた姿はどこへやら、だ。
幸い僕の手を離すことはしないので、迷子の心配はない。
この街は治安がよく、人も多い。いつでもお祭りのように出店が並んでいて、リゼルは肉串の前で物欲しそうに立ち止まった。
こういうところのは、高いんだけど……。でも、リゼルのおかげで稀少な薬草をいくつか採取できたから、奮発しようかな。
欲しいとも言わず、手も伸ばさず、おとなしくしてる姿がいじらしいし。でも、よだれダラダラだし。こんなの、買わずにいられるかと。
「それ、ひとつください」
「はーい。おや、美人なお父さんだねえ。オマケしておくよ」
リゼルがいいの? って顔で僕を見て、震える手で屋台のオジサンから肉串を受け取った。
少し焼けが甘い気がするけど、リゼルには逆にそれがいいんだろう。
とりあえず、先によだれを拭いてあげた。食べる姿は中々に行儀がいい。僕があまりがっつかないように教えたのもあるし、リゼルは肉を食べるとき、本当に噛みしめるように食べるから。
……僕をジッと見つめながらね。
リゼルは肉を食べる時だけ、僕をジッと見る。
食べている……気に、なれるんだそうだ。どんな肉でも美味しく感じられると言われて、複雑な気分だけど、やめてとは言えなかった。
本当は人の肉を食べたくて。……僕を食べたくて。でも、我慢してくれてるんだろうから。
僕の肉を噛んでるって想像しながら食べてるんだなあと思うと、身体がムズムズしてしかたない。
「シアン。肉、買ってくれて、ありがとう」
それもこの可愛さで、全部帳消しだ。
僕だって、食べてしまいたいほどリゼルが愛しいと思うことは度々ある。犬の姿で腹を出してベッドへ転がってる時とか。思わず顔を埋めてしまうし。
だから、リゼルのこれも、そういうものなんだな……と思うことにしてる。
「今度は口の周りが油でベタベタになってる」
くすりと笑って指先で口元を拭うと、リゼルは美味しそうに指まで舐めた。
味見されているような気がする……。
でも、噛むことはしなかった。
「ゴチソウサマ!」
「あとでご飯はちゃんと食べるから、今はこれだけだよ」
「……ウン」
物色するように屋台を見始めたリゼルに釘を刺し、手を引いてその場を離れる。
次は薬屋だ。採取した薬草を売りに行く。これが僕の主な収入源になる。
リゼルが強いからいつもは入り込めない場所まで採りに行けるし、稀少な薬草を雑草の中から見分けるのも上手かった。
今回はかなりいい金額になると思う。
「苦いのがイッパイあるのか……」
「苦くないのもあるよ」
「この前シアン、そう言って苦いの出した。ダマサレタ」
「別に騙したわけじゃ……」
味覚が鋭いからか、薬草も野菜も苦虫を噛み潰したような顔で食べている。
僕が甘いよと言うのも、苦いと言う。肉に関しては大雑把なのに、草に関してはこだわりがあるみたい。
気の進まなさそうなリゼルを引きずって、薬屋へ向かった。
今は薬草が不足しているとかで、想像以上に高く買い取ってもらえた。
ご褒美だよと、お昼ご飯を奮発すると、薬屋に入ってからずっと機嫌の悪かったリゼルもニコニコ顔に戻った。
何がそんなに嫌だったのか訊いてみたら、店内がクサくてしかたなかったとぼやいていた。なるほど。可哀相なことをしてしまった。
「次は、どこ行くんだ?」
「リゼルの新しい服と、あと、ボールを買おうかなって」
「ボール……!」
リゼルは目を輝かせた。
他の子が遊んでるの、凄く羨ましそうに見てたもんな。
「家で遊べる用に、小さいのも買っちゃう」
「すごい……!」
「他にも何か欲しいのあったら、値段によるけど……いいよ」
言葉にならないくらい喜んでる。可愛い。
これはたくさん遊んであげないと。
「ゴハンも肉たくさんでオイシイし、シアン、優しいし、オレ、幸せ!」
うん、僕も。
絶対に今、君よりも幸せな気分でいるよ。
久々の外食は美味しかったし、薬草は高く売れたし、リゼルは可愛い。いい気分で食事処を出る。
出たところで……ガラの悪い男に、声をかけられた。
「そこのお兄さん、羽振り良さそうだねぇ。オレにもちょっと奢ってよ。いい店があるんだ」
治安がいい街とはいえ、他の街から来た人間までそうとは限らないのが難しいところで。
僕一人ならともかく、子連れに絡んでくる神経が信じられない。
リゼルの手をギュッと強く握る。僕に何かあって、リゼルがこの男に危害を加えてしまうほうが怖い。
いや……それによって、リゼルが銀色の魔物だとバレることが、怖かった。
「息子と一緒なので……」
「へえー。可愛い息子さんだね。……いい店に行くだけだからさ。ねっ。君も行きたいだろ?」
リゼルは首を横に振った。男は僕の腕を掴んで、グイグイと連れて行こうとする。
「やだ。シアンに触ったら、やだ!」
「さ、騒ぐな! 平気だって。本当に、悪いようにはしないから」
「ヤダーー!!」
人の視線が集まる。目立ちたくないのは、僕も一緒だった。
「リゼル。大丈夫だから、ついて行こう」
リゼルはいざとなったら噛み殺してやるくらいの目をしている。元々悪い目つきが凶悪になってて、僕は宥めるように頭を撫でた。
人を殺しかねないような目つきをする3歳児に、男が少し怯えたような顔をしたのが面白かった。
そして……。僕らはその男に連れられ……安くて品揃えがいいという服屋に案内してもらい、その隣の花屋で花を買ってもらい、握手だけして別れた。
リゼルは何がなんだかわからないという表情で、ポカンと口を開けている。
「アイツ、なんかイヤなキブンがしたのに……」
「ね。大丈夫だっただろ?」
「ウン……。でも。今度はオレが、モヤモヤする。シアンはこうなるって、わかってた?」
「そうだね。単に慣れというか……」
相手の悪意が削げてきていたのが感じられたから、リゼルに騒がれるほうが危険だと判断した。
僕の前ではよほどの悪人でもない限り、大体が善人になってしまう。
だから交渉も得意だし、薬草だって足元を見られて買い叩かれたりもしない。むしろ色をつけてもらえる。
「まあ、こういう体質なんだよ。リゼルがおとなしくしててくれて、よかった。イイコだね」
「ウソ。イイコじゃない。オレ、叫んだ……」
「僕のこと、心配してくれたんだよね? 嬉しかったよ。それに、大丈夫って言葉は信じてくれた」
「それは……シアン、目立ちたくなさそうに、してたし……」
「やっぱり、イイコだ」
あの状況で、僕の顔色もきちんと見てくれる。
きっと目立ちたくない理由もわかっているのだろう。
「モヤモヤする」
「家に帰って新しい帽子をかぶったら、忘れるよ」
「シアン、一日、かぶってて……」
「はいはい」
少しだけ時間をとられてしまったけど、予定通り雑貨屋へ行って、ボールやリゼルが噛む用のオモチャとか、鳴いて逃げる鳥の人形とか……こう、明らかに人間用ではない感じのものばかり、購入した。
どれでも好きなの選んでいいよと言ったら、死んだ魚のような目をしていたリゼルもすっかり生気を取り戻した。
魔物でも子どもはオモチャには弱いんだなあと思うと、微笑ましかった。
帰りは街の入り口で、コイズと待ち合わせをしている。
「そろそろ、帰る時間だよ」
「ウン」
リゼルは帰りたくないとダダをこねることなく、おとなしく僕に手を繋がれて歩いている。
本当にイイコで助かるけど、父親がわりとしてはダダをこねてる姿も見てみたかったりして、ちょっと複雑。
待ち合わせ場所へつくと、コイズ以外はまだ誰も来ていなかった。
「おっ。凄い荷物だなー。いっぱい買ってもらえたか? リゼル!」
「ウン!」
「ん? シアン、その花はどうしたんだ? また男に声をかけられたのか?」
その話題、地雷だから!
リゼルがまた、死んだ魚のような目になってく……。
「シアン、さっき……ヘンな……、シンセツなオトコ? に声、かけられてた……」
「ああ、なるほど。よくあるんだよ」
「よくある……?」
「そ、その話はいいだろ!」
止めようとしたけど、コイズは止まらなかった。
「エメラルドのような髪、濃いサファイアの瞳。整っていてかつ、人に騙されやすそうな優しげな顔。まあ、寄せつけるよなー」
「シアン、オレの……なのに」
もしかしてリゼルの言うモヤモヤって、親を取られそうな子どものヤキモチ?
僕の足をギュッとするリゼルの姿が可愛くて可愛くて、悪いとは思いながらもにやけてしまう。そんな新米親子の姿をコイズもまた、にやけた顔で見てくるのだった。
でも今日一日、何事もなく終わって良かった。あとはみんなが来るのを待ってから、馬車に揺られて村まで帰るだけ。
案外、リゼルの他にも人に化けて暮らしている魔物はたくさんいるのかもしれないな。
この日に買ったオモチャはリゼルの宝物になったのだけど、鳴いて逃げる鳥の人形に関してはサクラが怒ってリゼルの頭をつっついたため、置物として飾られることになった。
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