廃スペックブラザー

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本編

雨の日

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 元エリート会社員。成瀬幸平、22歳。医者や弁護士などにならなかったのが不思議なくらいハイスペックな俺の兄貴。そして美形。涼しげで爽やかな風貌。誠実真面目な印象を与え、かつ人当たりもいい。そんな兄貴が何をどう間違ったのか、今はネトゲにはまって廃人スペックなネカマになっている。
 そして俺、成瀬和彰。19歳。少しオタッ気のあるリア充大学生。非童貞。適当に付き合っていた彼女と高校卒業を機に別れたばかり。キャンパスライフを楽しむも、兄貴を現実へ復帰させるべく奮闘中。
 とはいえ、ネトゲ三昧で引きこもっている兄貴とは違い、きちんと大学生している。

「和彰、今日お前の家、久々に遊びに行ってもいいか?」

 なので、高校から一緒な友人にこんな話をもちかけられたりもする。

「いや、今日うち、兄貴が家にいるから」

 今日ってか、ずっとだけど。

「おー、あのお兄様か。じゃあちょっとなあ」
「何? こいつの兄貴怖いの?」
「なんかもう、クールで美形で、世界が違う人って感じかな。近寄りがたいっていうか」

 周りに身内の話をされるのはなんだかくすぐったい。
 そしてその兄貴は今や本当に世界が違う人になってしまわれたワケだが……。

「あれ、でも今日って平日じゃん? お兄さん、会社休みなん?」
「ああ……。まあ、そんなトコ」

 お兄さんは長い日曜日中です。

「じゃあカラオケでも行くか。和彰も行くだろ?」
「俺は行かなきゃならんトコがあるから」
「えー、どこどこ?」
「貴方の知らない世界へ」
「なんだそりゃ」

 場がどっとわく。まあ、教えるわけにも連れていくわけにもいかねーわ。
 こいつらと一緒に同じネトゲで遊ぶって選択肢は、目的が目的だから厳しいしな。
 しばらくはこんな感じで、付き合いが悪くなりそうだ。

 兄貴とゲームしてるほうが楽しいしとか。早くログインしてえなあとか。思ってる時点で、結構やばいかもしれない。
 ……俺は廃プレイヤーにはならないぞ、絶対に。




 友人とサヨナラして家路を急ぐ。ついてもすぐにログインするワケにはいかない。タイミングをずらさなきゃならんからだ。たまにネカフェから接続するなどの小技も使うべき。今は兄貴がゲームに夢中だからそこまで気にする必要はないかもしれんが、少しでも気にされた時にボロが出まくるのはお粗末すぎる。

「げ、雨?」

 最寄り駅から少し歩いたところで、雨が降ってきやがった。梅雨ドキの天気予報を信じてはいけない。
 目と鼻の先にコンビニ。俺は急いで自動ドアへ駆け寄った。

「いらっしゃいませー」

 明るい店員の声。他の商品には目もくれず傘のコーナーを目指すと、俺と同じように雨に降られた客が、先に傘を物色していた。コンビニの外では携帯電話をかけているヤツもいる。

 兄貴に電話したら、きてくれたりしねえかな。なんて、ふとそんなことを考えた。

 ちなみに俺が兄貴に雨の日のお迎えをお願いしたことは今までに一度もない。お互いに出かけてばかりだったし、そういうことを頼めるほど気安い関係でもなかった。
 しかし今は兄貴が確実に家にいる。引きこもりだから。そしてネトゲをやってるだけで、忙しいってこともない。大学へ行っていた弟が可哀相なことに雨に降られて泣いていたら、心を動かされて来てくれるんじゃなかろうか。俺も助かるし、兄貴も引きこもりを脱出できる初めの一歩だとしたら、これ以上にナイスなことはない。
 俺は少し浮ついた気分で店内を軽くうろついてから外へ出た。雨は、まだ降っている。

 はあ……。なんだ、この緊張感。スマホを持つ手が震えるぜ。実の兄貴に電話すんのに、彼女にかける時より緊張するってそれどうよ。
 でも、かけることなんて今までそうなかったし。
 俺はアドレスを呼び出して、どこか祈るような気持ちでコールした。

 ……。
 …………。
 ………………。

 出ねえし! まあ、そんな予感はしてましたけど!?
 仕方ねえな。普通に傘買って帰るか。
 もし兄貴が電話に出てたら……久々の会話になったろうし、声が裏返ったかもしれないし、どこかでホッとしてる自分がいる。
 でも、声はちょっと聞きたかったかな。なんて。兄貴に対して何考えてんだか。聞こえてくるのはサチが出しそうな可愛らしい声なんかじゃなく、男の野太い声だけだぞ。
 あー。いかんなー。アバターっていかんわ。兄貴の顔も人となりもよく知ってるハズなのに、そこにもう一人いるような気がしてくる。
 きっと、最近兄貴の姿を見てないからだな。本当、早く出てこいよ。俺が顔を忘れる前にさ。




「ただいまー」

 鍵を開けて中に入る。兄貴の姿は……ないか。
 飯を食った形跡はあって、きちんと食器も洗ってある。まったく、几帳面な引きこもりですこと。
 もしかすると俺からの電話は、飯を食ってて気づかなかったのかも、うん。でも、折り返してこないし、部屋から出てきてなんの用事だったんだって訊いてくる様子もないもんなあ。
 アズキの姿でなら、何か話してくれんのかな?
 俺からの電話を無視したことをどう思ってるのか。気になる。
 早くログインしたいとこだが、さすがに俺の帰宅と同時にアズキがログインってのもどうかと思うし、飯食って友達にメールして、テレビでも見てからにすっかな。

 ……ここで「さっきの電話なんだけど」って兄貴の部屋をノックしない時点で、俺も少しびびっちまってるんだろう。引きこもってる側の兄貴なら、尚更だよな。責める気持ちはないが、やっぱなんか少し、寂しいな。




 ゆっくり風呂にも浸かり、部屋で雑誌を読んだあと、俺はゲームの世界にログインした。

【こんばんにゃー!】

 フレンドチャットが飛んできた。
 はやっ! てか、今日はすでに目の前かよ!
 早速パーティ申請があったので、ハイを選ぶ。チャットがパーティチャットに切り替わった。

『サッちゃん、こんばんは! どうしてここに?』
『昨日アズちゃんココで落ちたし、このくらいの時間にログインしたから……。覗いてみたらちょうど現れたんにゃ』

 マジか。まさかずっと待ち伏せしてたんじゃないだろうな……。いや、廃人な兄貴ならそれはないか。ガッツリ狩りに行ってるよな。

『そうなんだ。グッドタイミングだね!』

 ふふん……。さて、ちと揺さぶってみるか。

『私は今、雨に降られちゃってシャワー浴びてきたとこー。電話したのに、母さんったら出ないんだもん』

 これでどうだ! ついでに今さっき帰ってきたばかりですよアピールもしておく。

『雨……。弟も、だから電話してきたのかにゃ……』

 ハイ、俺の話題出たー! って、マジマジ? マジかよ、やべえ。なんかめっちゃドキドキしてきた!

『サッちゃん、弟いるんだ』
『うん。電話、無視しちゃったんにゃ……』
『えー! じゃあ今頃怒ってるかもよ。謝っておいたほうがいいんじゃない?』
『いや、いいんにゃ。最近話してないから、気まずいにゃ』

 どうやらかけてはくれないらしい。少し身構えたけど拍子抜けだったな。

『それにきっと、弟はサチのことなんか気にしてないにゃ』
『そんなこと、ないと思うけどな』

 こうしてオンラインゲームまで追いかけてきてるくらいだぞ。親父もお袋も心配してる。
 そう言ってやりたいのをグッと堪えて、俺は言葉を選んでいく。

『気にしてなきゃ、電話なんてしてこないと思うよ』
『そうかにゃ』
『うんうん』
『じゃ、明日ちょっと、話してみる……にゃ。電話はなんか気恥ずかしいにゃ』

 マジで!? なんという急展開。
 兄貴が部屋から出てきて俺と話すって……。前までなら当たり前のことだったのに、不思議とこう、現実味がない。仮想世界に足を踏み入れてるせいだろうか。

『気恥ずかしかったから、きた電話には出なかったんだ? サッちゃん可愛い!』
『にゃっ!? ち、違うにゃ違うにゃ。ただ、ちょっと……』
『ちょっと?』
『……ちょうどボスの出現時間だったから』

 ………………。
 まあ、そんなことだろうとは、思ってましたけどね!
 しかし別に素直に言わんでもいいのに。変なところで生真面目っつーか。

『にゃっ。せっかくログインしたのに、おかしな話題でごめんにゃ。今日こそ、生産クエストを請けに行くにゃ。料理と鍛冶と調合があるにゃよ』

 俺としてはもう少しリアルの話もしたいが、順序は大切だ。この辺りにしておいたほうが、ボロも出にくいだろうし。
 それにゲームはゲームで楽しむべきだ。

『オススメは料理だっけ?』
『うん。MP回復アイテムが作れるから便利にゃ。調合スキルは一定時間魔力アップなどの、いわゆるドーピングアイテムを作れるにゃよ。鍛冶なら武器や防具にエンチャントがつけられるにゃ。他には……』

 丁寧に全部説明してくれた。どれも面白そうだったが、今の兄貴の役に立つのは料理か調合が良さそうだなと思えた。

『じゃあ料理にする。たくさん作れたら、サッちゃんにもあげるね』

 兄貴の今の装備を見る限りじゃ俺が作れるモノなんざ本当にカスみたいなアイテムだろうが、こういうのはやっぱオンラインゲームの醍醐味だろう。
 それに、本当にしてもらってばっかだから、なんかしら返してやりたい気持ちももちろんある。

『う、嬉しいにゃあー! アズちゃんは本当にイイコだにゃあ! 貰いっぱなしが当たり前のこの世界で……』

 そんなことないと思うぞ。単に兄貴がマナーの悪い冒険者に当たりまくっただけだろうな。晒されてたしな……。
 このニャンニャン言ってるあからさまなネカマロールプレイを見る限りじゃ無理もないかもしれんが。
 みんなは現実での兄貴が、ゲーム内なんかクソになるほどのハイスペックだなんて思いもよらねーだろーなー。

『サチはこのゲームにきて初めて世間の厳しさを知ったにゃ』

 そこまで!?
 ……いや、兄貴の場合、単に現実がイージーモードすぎるだけか。案外その厳しさがクセになって、どっぷりハマってるんだったりして。

『サッちゃんは大袈裟だなー。でも、喜んでもらえて私も嬉しい!』
『にゃ……。フフ。なんでかにゃ。アズちゃんといるとサチ、なんだか懐かしい気分になるんにゃ』

 ドキリ、と鼓動が跳ねた。
 鋭い……。やっぱログイン時間に気を遣ってたの、正解だったな。クソ、勘までいいのかよ。このハイスペック男め。

 でも俺も、こうして同じゲームで遊んでると、確かにどこか懐かしい気分になるんだ。兄貴はゲームなんか馬鹿にしてたから、一緒に遊んだことなんてないのにな。それニャンニャン言ってるし、猫耳のドットグラフィックだってのに。
 これが兄弟の絆ってヤツなんだろうか。

 柄にもなくそんなことを考えたりしながら、今夜はいつもより少し長く、サチと遊んでいた。ゲーム画面内の俺達はとても楽しそうに見えた。
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