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第三話 驚愕

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いつもと変わらない日常。だけど、前とは違う心強さが内包していた。
相変わらず、井脇くるみを筆頭に嫌がらせは続いていたけれど、ガラスの破片がいくつも突き刺さり悶え苦しんでいた彼女を思い出すたびに、流花は自分と変わらない人間なんだよなぁと非情と思いつつ、どこか淡々とした気持ちで受け取ることが出来た。
むしろ、あんな非日常が確かに起きていたことを、いとも簡単に忘却の彼方に放り込んでしまった井脇くるみたちをどこか白けた気持ちで見つめていた。記憶にないので、仕方のないことだけど。
あまりに軽んじられた反応を返すからか、井脇くるみの取り巻きたちはつまらなそうに流花に絡むのを止めた。井脇くるみだけは、それを良しとせず一人で果敢に色々と話しかけてくるが、流花の動じない姿勢に忸怩たる思いを嚙みしめているようだ。
そもそも、井脇くるみとは小学校が同じだった。
三年生頃から同じクラスになり、よく一緒に遊んでいたりしていた。だけど、高学年になるとくるみはおしゃれや芸能人、好きな男の子などの話をするようになり、あまりには会話が成り立たない流花とは早々に離れるようになった。流花はクラスで話せる友達は数人いたし、くるみと一緒にいなくても問題なかった。
だけど、六年生になった時に流花はあるクラスメイトの男子から告白されたことがあった。流花は特にその男子のことは興味がなかったし、付き合うにしても何をしたらいいのか分からなかったのでこれからも友達でいて欲しいと返事をしたと思う。
その次の日から、流花は誰からも話しかけられず、遠巻きにされた。特に、くるみには終始凄い目つきで睨まれ、くるみとくるみと仲のいい女子たちから嫌がらせを受けるようになった。
隣のクラスの同じクラブの子に訊いてみると、どうやら流花に告白してくれた男子はくるみが好きだった男子らしい。流花に告白をし、かつ振られたという話を聞いたくるみは怒り狂い、クラスLINEで樋浦流花とは一切話さないこと、という決めごとを流したようだった。
小学生の頃からくるみは女子の間でも、男子の間でもヒエラルキーのてっぺんに位置する生徒で、誰一人異論を唱える子はいなかった。流花に振られたことで自尊心を傷つけられたという男子は後にくるみに告白されて付き合ったらしいが、すぐに別れたらしい。
その頃から燻っている流花に対しての苛立ちや劣等感が、中学生になっても流花に発散されるころによって保っているようだった。一年生の時はクラスが分かれたが、二年生になって一緒になってしまい、くるみは流花が何も口答えしないことをいいことにやりたい放題で繰り返している。
一年生の時に出来た友人たちも自然とくるみの圧力で離れていってしまい、流花は基本的に一人で過ごしている。広岡先生に話しても、普段から授業態度や成績が良いくるみをあらためて糾弾することはないだろう。
時が過ぎるのを待つしかない、今はそう思って過ごすようにしている。
だけど、先日のニーナとの戦いを覚えている分、流花は何だか日々を生きるのが楽しみになってきている。環境が変わることはないものの、あの時のことを自分の体が覚えている。
ニーナさんと杖に乗って空を飛び、ニーナさんを後ろから抱きしめた感触だって、まだ残っている。現実は、校舎はすっかり元通りになっているし、校庭の真ん中に空いた黒い穴だって残っていない。あれは、すべて夢だったんじゃないだろうかと思うこともある。だけど、ニーナさんにはまたどこかで会えるんじゃないかという根拠のない希望も微かに残されているのだ。

家に帰ると、まずは洗濯物を取り込んで畳む。二人分の洗濯物しかないので、二日か三日に一度洗濯機を回せばいいと思うが、穂乃果さんは汚れ物がずっと籠に入りっぱなしであることが嫌らしい。なので、夜に干していくようだ。
リビングでテレビを見ながらゆっくりと畳んでいると、夕方のニュースで若手のタレントさんらしき人がマイクを片手に何かの取材をしているようだった。
どこかで見たことのある風貌に、流花は思わず手を止めてテレビを注視した。
『はーい、ここは地元でも有名なパン屋さんcocoaさんです。カレーパンが特に人気で午前中には完売してしまうほどだそうです。僕も一つ頂こうかと思います!』
ハニーフェイスの少年は楽しそうに大口を開けてカレーパンに齧りついた。淀みなく繰り出されるトークに、ワイプに映り込むキャスターたちも皆楽しそうに笑っている。
『志苑くん、ありがとうございましたー』
マイクを片手に笑顔で手を振る少年の下の方に【久我志苑】というテロップが映し出された。
「志苑……やっぱり」
『次はS市のレインボー商店街に伺いたいと思います』
キャスターの言葉に、流花は思わず片膝で立った。S市のレインボー商店街、駅の向こう側にある商店街に間違いない。
そして、ニーナさんと共にいた少年、確か志苑と呼ばれていた、その少年に間違いなかった。まさか芸能人だったとは思わず、流花は呆然としていた。ただ、アッシュグレージュの髪に色が変わっている箇所がなかった。ニーナさんと一緒にいた時の彼は、前髪の一部が白くなっていた。
(別人……?しゃべり方もあんなフランクな感じじゃなかったような……でも、芸能人ならいくらでもしゃべり方は変えられるはずだし)
髪色だって、今は自分でもすぐに変えられるので別人とは考えにくい。それに、もしニーナさんのことを訊くにしても、一介の民間人である流花が気軽に話しかけるのは難しいだろう。あの志苑という人の方だって、もし知り合いだったとしても簡単に流花を信用するとは考えにくい。
どっちみち、関わりがたい人種と思われることは間違いない。
洗濯物を片付け終わり、穂乃果さんが帰ってくる前に宿題を済ませ、すぐに夕飯づくりに取り掛かる。今日はかきたま汁に昨日の残りご飯もあるのでチャーハンにしよう。最近、ミネラル不足で肌の調子が悪いと穂乃果さんが話していたので、海藻サラダもつけよう。夜七時になっても穂乃果さんが帰ってくる気配がなかったので、流花は先に夕飯を食べ始めた。
テレビを付けると、夕方のニュースにも出ていた久我志苑がバラエティ番組で笑顔になっていた。何が面白いのか分からないが、まわりのタレントたちは大仰なくらいに笑い声を上げている。これが素なのか、前みたいに感情のない表情でニーナさんが苦しみ姿を睥睨している姿が本当なのか、分からなかった。
(でも、この人に会って、ニーナさんのことを訊いて、私は何をしたいんだろう)
ニーナさんももう一度会いたい。それは確かだ。だけど、ニーナさんの戦いの邪魔でしかない私を、多分ニーナさんは知らない振りをするだろう。受け入れてはくれないだろう。
だけど、お片付けタイムに記憶を消されなかったという真実に、何か彼女のために出来ることがあるんじゃないだろうかと根拠なき使命をどこかで感じている。
お風呂から上がると、玄関の方から音がした。タオルで髪を拭きながら向かうと、げっそりと疲れ切った穂乃果さんが三和土に座り込んでいた。
「穂乃果さん、おかえり。チャーハンとかきたま汁、あと海藻サラダがあるよ」
「本当?食べたいー」
「お汁、温めておくから着替えてきなよ」
「うー」
ふらふらになりながら穂乃果さんは部屋に入っていった。
リビングのテーブルにチャーハンとサラダを並べ、かきたま汁を温めなおしている時、穂乃果さんが水色のジャージを着て姿を現した。左胸には樋浦と明記してある。何でも高校時代のジャージが一番体になじむらしい。
「はー帰ってきてすぐに温かいご飯が食べられるなんて……」
穂乃果さんは恍惚の表情を浮かべながら、かきたま汁をすすった。
「チャーハン、たくさん作ったからおかわりもあるよ」
「うん、ありがとう」
少し、沈黙を続くと、流花は「あのさ」と口火を切った。
「穂乃果さん、久我志苑って知ってる?」
「久我志苑……?ああ、最近よくテレビに出ている子だよね。バラエティにドラマに忙しそうよね。何?流花が芸能人に興味を持つなんて珍しいね」
「うーん、そういうわけじゃないんだけど。何かね、再来週あたりに駅の向こうのレインボー商店街にレポーターか何かで来るみたいだよ」
「へぇーレインボー商店街にねーあそこにあるゴリララーメンっていう中華屋さんが美味しいんだよね」
「そうなんだ」
「え、流花、見に行ってくるの?」
「何かミーハーみたいで嫌だけど、ちょっと覗いてこようかなぁって」
「うん、たまにはいいんじゃない。学校から帰ってきてずっと家のことやっているのも気疲れしちゃうでしょ。食べたいもの、買い食いしたっていいんだし」
流花は穂乃果さんが嬉しそうに笑っていたので、ずっと放課後の過ごし方を気にしていたのだと思った。部活には入らず、友人と遊ぶわけでもなく、家と学校だけの往復を続ける流花の行動を心配に思っていたのだろう。自分と流花の生活のために残業も請け負って頑張っている穂乃果さんに負担を掛けていたのだと思うと申し訳なくなる。
「久我志苑って子役出身じゃなかった?そうそう、流花が小さい頃に大好きだった番組……」
「魔法少女デストロイヤー★マジカルのこと?」
「あ、そうそう。あそこに確か出演していなかったっけ?」
「―――え?」
フランチェスカにしか目が行っていなかったので、全く気付いていなかった。思わぬ真実に流花はしばらく呆然と穂乃果さんの横で立ち尽くしていた。
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