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第十六話

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「レインボーフェスティバル、ですか?」

月に一度の商店街連合会の集まりで、ブティック・サワタリの沢渡会長が鼻息荒く豪語した。

「そう!8月に納涼祭はやるんだけど、6月は梅雨時で足元悪いとなかなか集客難しいじゃない?雨のレインとレインボー商店街をかけてレインボーフェスティバルやっちゃわない!と思ってさー」

一瞬、おやじギャグに反応すべきなのか互いに顔を見合わせたが、皆一様に微妙な表情ではははと乾いた笑みを浮かべた。

「あ、それと、最近はキャッシュレス決済のお客様も増えてきたのでキャッシュレス決済で500円以上お買い物していただいたお客様に一枚100円のお買物券を配布しようと思います。ただし、先着1500枚限定です500円で2割引きってことですね」

涼やかな顔立ちに銀縁の眼鏡を掛けた太田書房の太田さんが青いチケットを見せながらそう説明すると、おおーとあちことで歓喜の声が上がった。

「いやー凄いね。でも8月にも納涼祭があって準備に駆り出されるのに、あと1か月もしない内に色々と準備するのって時間ないんじゃないですか?」

隣に座る野澤精肉店の一登さんがそう口にすると、高まっていた士気が一瞬にしてしぼんだ音を立てた。

「あ、いや、もちろん俺もこのレインボー商店街を盛り上げたい気持ちはありますよ。だけど、日々の業務以外にもレインボーフェスティバルに合わせた集客できる限定メニューみたいなものを作らないといけないし、今ちょっと、うちにそんな余裕はあまりないっていうか……」

「そうだよな、かずくんとこの瞳さん、今入院してるんだったよな」

フレンチレストランを経営している千石さんがそう呟くのを聞き、僕は思わず「え!?」と叫んでしまった。

一登さんは申し訳なさそうにこちらを見ている。

「良知くん、知らなかったのか?でもま、大事なお得意様に身内の大変な話、することないしなぁ」

「待て待て、だったら皆でかずくんのサポートをしていけばいいじゃねぇか」

鶴の一声、とばかりに重低音が響き渡った。僕は思わず肩をすくめてしまった。

声の方向を見ると、海賊か山賊かとばかりに太い腕を組んで、閻魔さまと見まごうばかりの威厳ある悪役顔の男―――ミスミ青果店の主人、大吾さんが座っている。

もちろん、この大吾さんの娘が玲ちゃんだ。因みに奥さんの麗実さんは似ても似つかないくらいに細身で柔和なお母さんだ。

「三角さん、そうは言っても自分たちの店をまわすのに我々は手いっぱいだよ」

「ケチケチいうなよ、千石のみっちゃんよー持ちつ持たれつで俺たちはずっとレインボー商店街をやってきたんじゃねぇか。大変な時に互いに助け合わないでどうすんだよ!」

「大吾さん……」

「一登よ、おまえもまわりを頼れ。瞳さんがいないんだったら、三人の子供たちの面倒をおまえがひとりでやってるんだろ?一番上の尊人(たけと)ももう十分手伝える年だけどよ、メンタルの部分はおまえがみてやんなきゃ尊人も壊れちまう。一人で全部抱えちまったら一登だって倒れちまう。両親とも入院なんてことになったら、もっと大変だろう?」

大吾さんの言葉に、一登さんは唇をぐっと噛みしめた。

「互いに助け合っていけば、そのレインレインボーだかなんだかもきっと開催出来るさ!な?」

大吾さんの言葉に僕は大きく頷いた。周りの千石さん、太田さん、沢渡会長もうんうんと大きく頷いている。

「あーでも三角さん、一個訂正するとレインレインボーじゃなくて……ん?いや、レインボーフェスティバルよりレインレインボーフェスの方がいいかもしれないな!なぁ、太田くん!?」

「そうですね!レインレインボーフェス、いいですね会長。流石三角さんだ!」

「―――あ?俺?」

沢渡会長と太田さんが女子高生のようにきゃっきゃっしながらハイタッチしている姿は何とも言えなかったが、三角さんの訳が分からないとばかりに首をかしげている姿を見るのも新鮮だった。



会合が終わり、僕が靴を履いて外に出ると、何とも言えない表情で一登さんが立っていた。

「一登さん……」

「近くだし、一緒に帰ろうか」

外はもうどっぷりと暗くなっていて、薄曇りだった所為もあるのか朧月夜がぼんやりと見えるだけだった。街灯も申し訳程度にしか建っておらず、横を歩く一登さんが今どんな表情をしているのか窺うことが出来なかった。

「……何か、ごめんね。良知くんに内緒にしていたわけじゃないんだけど、言ったら絶対に大吾さんよりも大袈裟に心配して自分の店を疎かにしてうちに来るようになっちゃうかなぁって、変な心配してて。でも、そんなことなかったね。もう良知くんはずっとあの頃より大人だし、今は立派に孝文さんの後を継いでお店をやりくりさせている」

「いえ、僕なんて、まだまだで……広見や、駒さんの力を借りないと本当にお店をまわせないし」

「そこ、良知くんの悪いところ。自分に自信なさすぎ。お店の手伝いを小さい頃からしていただろうけど、それはあくまで手伝いの領域を出ないし、いきなりお店を任せられたらあたふたしてうまくまわせるわけないよ。だけど、もう孝文さんが亡くなって、眞純さんがいなくなって数カ月が経っただろう?凄いよ。俺だったら、そんなにうまくいかない。それに、瞳に色々頼りっぱなしだったんだなって、この一週間痛感してるよ」

一登さんははあっと小さくため息をついた。

「急性膵炎らしいんだ。過労やストレスが原因だって。ずっと下腹部が痛い気がするって言ってたんだけど、俺も少し横になってたらって言ってただけであまり気にかけてあげてなかった。段々顔に生気がなくなって、ある時倒れたんだ。軽症だったみたいだけど、もっと早く病院に連れていくべきだった」

言葉尻に力なく、か細い声で一登さんは呟いた。

僕は何か声を掛けるべきか悩んだが、そのまま黙って一登さんと並んで歩いていた。「大変でしたね」なんて声を掛けても家庭を持っていない自分の言葉は薄っぺらいもので、むしろ軽薄な印象を持たれるかもしれないと危惧したからだ。

「……尊人はもう5年生で、店のことも助けてくれるし、弟たちの世話もしてくれる。だけど、学校の担任から連絡があったんだよ。尊人が授業中によく寝ているって。給食も、いつもはおかわりまでするのに、最近は「食欲がないから」ってしないらしいんだ。毎日ぼーっとしていることも多くて、休み時間とかに机に突っ伏しているって。尊人に、何もかも頼って甘えすぎていたんだと思う。瞳が倒れたのも俺が全部頼っていた所為で、尊人も元気そうだと安心していたんだ。でも、尊人は辛い表情をおくびに出さないだけで、疲弊していた。俺は夫で父親で、どちらもちゃんと守っていかなきゃいけないのに―――」

「一登さん、僕が言えた筋ではないかもしれませんが、大吾さんも言っていたじゃないですか、一人で全部抱えたら一登さんも倒れちゃうって。尊人くんも、それが分かっているんですよ。父親が一人で何もかもやろうとしたら瞳さんみたいに入院しちゃうかもしれない、だから自分が助けたいって。家族って、やっぱり助け合いが大事だと思うんです。僕も、一人で店を切りしなきゃならないって思った時、多聞には断られたし、広見も勉学で忙しいし、頼れないなぁって諦めてたんです。だけど、玲ちゃんに背中を押してもらって。広見が誘われるのを待ってるから誘ってみなよって。実際お願いしてみたら広見が満面の笑みで、その言葉を待っていたみたいな感じになって、頼っていいんだって思えたんです」

「……そっか」

「あ、何か僕自身の話をべらべらと話してごめんなさい。えっと、僕が言いたいのは尊人くんは何の苦でもないんじゃないかな?ってことです。もちろん、寝不足や疲れみたいなものはあるとは思うんですけど、一登さんの手伝いをして、幸人(ゆきと)くんと莉衣奈(りいな)ちゃんのお世話をして、充足感に溢れているんじゃないかなぁって。僕の勝手な想像なんですけど。広見も最近、僕とお店を切り盛りできて毎日楽しいって言ってくれて、大変だけど嬉しいって……」

きちんと話をまとめられない自分が不甲斐ない。言葉を探しながら歩いていると、

「良知くん、ありがとう。大吾さんの言葉も、凄く身に染みた。あと一週間ぐらいで瞳も退院するけど、生活スタイルを皆で見直してみるよ。そんで、どうしてもやっていけなくなったら大吾さんのところに相談してみる。野澤家だけが家族じゃないしな。商店街の皆が、もう一つの家族だ」

と、どこか吹っ切れたように一登さんが口にした。

「そうですよ!僕も、あやとりとかかるたくらいだったら、幸人くんと莉衣奈ちゃんと遊べると思うし」

僕の言葉に、一登さんは一瞬言葉を止めて、

「良知くんの遊びは昭和で止まってる感じだね」

笑いながらそう言った。



店に戻ると、広見がリビングでぼーっとテレビを観ていた。というより、眺めていた。一登さんには話さなかったが、ここ最近の広見は何だか元気がない。

数日前、6時過ぎに帰ってきたときから何だか表情が暗かった。様子を訊いてみても、「何でもないよ」と用意してあった常套句のように吐き出すだけだった。

こんな覇気のない様子は、数年前にも一度会った。広見が中学3年生の頃だ。あの時も気になって訊いてみたが、同じようにはぐらかされた。いつの間にかいつもの広見に戻っていたが、あの頃のような陰鬱とした広見を見るのはやはり心苦しい。

「ただいま、広見、お風呂は入った?」

「……あ、良知兄さん、おかえり。もう入ったよ」

何の感情もない、平坦な受け答え。だけど、僕はさっき一登さんに講釈垂れたばかりだ。家族は、助け合いが大事と。見て見ぬふりは出来ない。

「広見、ちょっと話があるんだけど。最近何か元気がないよね。何か学校で悩むようなことでもあったの?」

僕の言葉に、広見はゆっくりとこちらを振り返った。僕はぎくりとした。広見の顔があるはずなのに、何だかのっぺらぼうのように見える。何の表情も窺えない。

「―――大丈夫だよ、良知兄さん。僕はいつも通りだよ」

「……そ、っか、それならいいんだ」

心して掛かった言葉も、あっという間に霧散した。僕は無力だ。ならば、

「あのさ広見、今日の会合でレインボー商店街のお祭りをやることになったんだ。納涼祭より早い時期の、6月に。その名も、レインレインボーフェスティバル!その日は日曜日だし、広見も手伝ってくれないかな?」

思い切って誘ってみた。もともと手伝ってもらおうとは思っていたが、少しでも広見の表情に変化があればと願った。

「―――良知兄さん、ごめん。最近日曜はなるべく図書館とかで勉強をしたくて。ほら、平日はあまり本腰入れられないし。ごめんね、駒さんもいるよね?あとは、多聞兄さんも誘ってみたらどうかな?」

さらっと断られてしまった。

「じゃあ、良知兄さん、先に寝るね」

広見はろくにこちらを見ずに階段を上って行ってしまった。

「……うん、おやすみ」

誰もいない空間に僕のか細い声が響く。

踏み込みたくても踏み込めない。それは友人でも家族でも同じなのかもしれない。

最近は広見といい関係を築けてきていて、光明が見えたと思ったが、僕の勘違いだったのかもしれない。

はぁ、と僕は大きくため息をついた。家族って、どこまで踏み込んでいいものなのだろうか。本当に難しい。
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