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第十三話

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可愛げがない、とよく言われた。
可愛げというのは、男性の言うことにいちいち賛同して、自分の意見をきちんと言えないそういう女性なのかと思ったら、可愛げがなくてもいいと思えるようになった。
その点、妹の香純は愛嬌があり可愛らしい、と親戚の集まりで名前も定かじゃないおじさんたちにもてはやされていた。香純は処世術に長けていた。おじさんたちの面白くもない四方山話に相槌をうち、褒めちぎる。そうすればおじさんたちも悪い気はしないし、気分も上がるからお小遣いなんかも貰えたりする。もちろん、それは香純の本心から出るものではなかったし、貰ってきたお小遣いの一部を私は受け取りながら、香純からでれでれと相好を崩したおじさんたちの悪口なんかを盛大に聞かされるのである。
「お姉ちゃんも、なあなあで躱せばいいんだよ、何事も。生真面目に考えすぎだし、気負いすぎなんだよ」
そうなんだろうか。
「そうだよ。男たちなんてみんなバカなんだし、豚もおだてりゃなんとかな奴らばっかりなんだから、自分の都合のいいように扱って、邪魔になったら捨てればいいんだよ」
何とも強かな妹である。性格は違えども、こういった竹を割ったような性格な妹だったので私は随分助けられてきた。
だが、そんな妹が何度か躓くことがあった。付き合う男性問題である。
男の性分を分かり切っているような発言をよくしていたが、当の本人が現を抜かしてしまう相手の性分はどうも見定めるのが難しいようだった。
私が高校生になると、中学生の香純はパーマ、ロングスカート、濃い目のメイク、つまりはスケバンの様相に変わり、不良少年たちとつるむようになると夜な夜な遊び歩いてあまり家に帰ることがなくなってしまった。私はそういった文化に染まることもなく、中学から剣道に明け暮れておりスポーツ一本という感じで学生時代を過ごしていた。父は銀行員で帰りは大半が午前様で、母は専業主婦だったので何度も家の電話に警察から補導されたと連絡が入るたび、夜の街へ飛び出していった。
家族のことなのに。他人事だった。
それに、香純は幼い頃から達観していた発言を繰り返していたので、父や母に面倒を掛けることも、彼女なりの何か意味があっての行動なのだろうと思い込んでいた。
剣道部で汗を流す一方で、私は同じクラスの新妻早苗さんとよく弁当を食べていた。彼女はおっとりとした性格でしゃべり方もゆっくりでずっと笑顔でこちらの話を聞いてくれていた。
「ふふっ眞純ちゃんの家族って楽しそうだね」
「そうかなぁ……別に妹は妹の好きにすればいいんだと思うんだけど、母のあたりが私に来るから困るんだよね」
「眞純ちゃんは、短大に行きたいんだよね?」
「うん、出来れば看護師になって、医療関係の職業に就きたい」
「いいなぁ、多分、私は高校を卒業したらお祖母ちゃんに勝手にお見合いをさせられて、よく分からない人とよく分からないまま夫婦になって一生を終えるんだろうなぁって思うの。自分の意思なんて関係なしに」
「そんな……早苗のこうなりたいってちゃんと話した方がいいよ」
早苗はふるふるっと首を振った。
「実権はお祖母ちゃんが握ってるから、何も言えない。だけど、もし、私も眞純ちゃんもおばちゃんになった時に、もし二人とも独り身になってたら一緒にやりたいことがあるの。年を取って旦那さんに先立たれたり、ずっと独身を貫いている女性たちが大手を振って一緒に暮らせる場所を作りたい。眞純ちゃんが良ければ、手伝ってくれるかな?」
「―――もちろん!」
早苗の嬉しそうで寂しそうな笑顔を、終生忘れないだろうと思った。

私は、幼い頃から気づいていたけれど、ずっと同性が好きだった。恋愛対象として。
だから、早苗のことも好きだった。でも、想いを告げることはこの先もないだろう。そして、私はこの先も結婚をするつもりがないので、ずっと独り身のままでいると思う。独り身のまま年老いて、その後に早苗と一緒に余生を過ごすのだ。
そのためには、父や母が先立ってしまった後も、一人で食べていけるように専門的な仕事に就いていたい。
私は自分の部屋で勉強をしていると、がしゃーんっという大きな音が下から聞こえてきた。また香純がリビングで暴れているのかもしれない。最近、あまりの素行の悪さに父が香純を大いに説教した。それに口答えをした香純を父が殴り、そこから父と娘の応酬が日常茶飯事になってきている。母は香純のいないところで役立たず、など父に罵られ、トイレなどでしくしくと声を抑えて泣いていることが多くなった。最近、「積木くずし」というドラマが人気で、あんな感じで父と娘の抗争が我が家でも繰り広げられている始末だ。別にあらためて再現する必要はないのだけど。
「っざけんなよじじい!死ね!」
そう叫びながら二階に上ってきた香純は私の部屋のドアを開けた。
「姉ちゃん、久しぶり。私、この家を出て彼氏の家に行くわ。こんなろくでもない家に私の居場所はないからね。姉ちゃんも、早くこんな家出た方がいいよ」
「―――香純」
「姉ちゃん、昔、男はバカだからなぁなぁで躱せって言ってたけど、バカなのはこの世界そのものだよ。このバカな世界を、私たちが変えなければずっと苦しいまんまで生きていかなきゃならない。姉ちゃんも、自分を隠さないで思うように生きていかないと、苦しいばっかりだよ。じゃあね」
香純は自分の部屋に移動し、何かを担ぐとそのまま階段を下りていってしまった。玄関で父と言いあう声がしたが、そのまま外へ出ていってしまったらしい。母の泣き声が響き渡っている。私はぐっと両耳を塞いだ。

高校を卒業すると、しばらくして早苗から結婚の報告の封書が届いた。白無垢を着て何かをじっとこらえるように座っている彼女の写真も同封されていた。隣に映る旦那さんがどんな感じの人かわからないが、早苗を泣かせたり苦しめたりしたら速攻家に押しかけて、彼女を連れて帰ってやると住所を脳裏に焼き付けた。
21歳になった私は、無事看護師となった。毎日覚えることが山積みで大変だったが、やりがいのある仕事だった。少しずつお金を貯めて早く一人暮らしのための資金を貯めたかった。家の中は火が消えたように静まり返っていた。母は香純を失った悲しみで鬱を引き起こし、家事もままならなくなってしまった。私は仕事でくたくたで家に帰ると、まずは散らかった家の中の片づけを行った。いつの間にか、仕事が忙しいと父もほとんど帰らなくなっていた。
そうなると、私はこの母を残して一人暮らしなど出来ないのではないか。そう思い始めるようになった。
極めつけは、私が23歳の時に起こったバブル崩壊だ。
バブル崩壊の直撃を受け、不良債権の処理に追われ、多くの金融機関が破綻した。父の銀行も地方銀行だったためそのあおりを受けた。
私は、あらためて看護師という安定した職業に就いていて良かった、と思った。だが、居場所がなくなった父は家に戻り、父のやり場のない怒りの矛先は私に向いてくるようになってしまう。
「自分だけ仕事をしているっていい気になっているだろがな、おまえは結婚もしていないし子供も産んでいない欠陥品なんだよ。母さんは22歳ですでにおまえを産んでいた!女は結婚してから一人前なんだよ!」
父も苦しんでいる、それはよく分かっていた。その当時、日本中が苦しんでいた。苦しみながら抗いながら皆一生懸命に生きていた。それは私も同じことなのに、この人は何故応援しないで罵倒することしか出来ないのだろうか。
ある日の夜、家に帰ると私の部屋がすっきりと綺麗に片付けられていた。
「……これ、どういうこと?」
「あなたの結婚が決まったのよ。父さんが決めてきてくれたから」
後ろから笑顔の仮面を貼りつかせた母が立っていた。
「―――は?どういうこと?結婚って、そんなの私は了承していない!」
「こんなご時世だもの、眞純も仕事ばかりしていないで結婚して家庭を築いた方が幸せだと思うの。ほら、駅の向こうのレインボー商店街のお惣菜屋さんの一人息子さん、なかなかお嫁さんが来てくれないからって飲み仲間の父さんに相談していたらしいの。それで、とんとんと結婚の話がまとまってね―――」
「母さん!私の目を見て、私の話を聞いてちょうだい!」
私は母の両手を握りながらそう訴えた。
「私は、結婚なんかしたくないの。ずっと、この仕事をしていたいの」
「結婚なんか、って何よ」
母は目をぎらっとさせて、私を睨みつけていた。
「ほら、そうやってあなたはずっと小さい頃から母さんをバカにしていた。働きもせず、香純も家を出ていってしまい、父さんも仕事と言って違う女の家に転がり込んでしまう、どうしようもないダメな母親って思ってる」
「……そんな、そんなこと、思っていない」
「あなたがいつまでたっても結婚しないから、母さんが結婚させてあげるんでしょう!ありがとう、母さんはどうしたのよ!言えないっていうの!?」
人が変わったような母の様子に、私はそれ以上声を上げることが出来なかった。

私の居場所はなくなり、大きな鞄を二つ持たされて、ゆっくりとレインボー商店街を歩いた。勤務していた病院にもいつの間にか母が退職の連絡を入れており、私は何の肩書もなくなった。虚ろな目をして歩いていると、丁度店じまいなのか、一人の男性が店の前で何やら作業をしていた。看板を見ると、「惣菜の金剛」と書かれている。
「あの……金剛孝文さん、ですか?」
名前を呼ばれて、男性が振り返った。眉は太く、髪も刈りあげられている。額には汗の粒が光っていた。
「私、妹尾眞純です。父に言われて、こちらに来ました」
事情を察したのか、男性はこくっと無言で頷くと、店内へ促してくれた。
「父は先に休んでいます。ここには私しかいないので、どうぞ―――」
私は鞄を置かせてもらうと、そのまま椅子に座らせてもらった。
「眞純さん、初めまして。父から大体の話は聞きました。酒の席の話とばかり思っていたので、本当に来てくださるとは思っていなくて……」
「―――私は、私は、結婚したくないんです。結婚するために今まで学業も仕事も頑張ってきたわけじゃないんです。すべて、自分のためでした」
いつの間にか滂沱の涙がだらだらと頬を伝っていた。だが、金剛さんは黙って話を聞いてくれていた。
「なのに、父からも母からも私の頑張る姿は、自分たちに対する当てつけだと言われました。そんなつもりはないのに。女というだけで、何でこんな酷い仕打ちを受けなければならないんですか!」
涙が止まらなかった。そう、私は頑張ってきた。最大限、頑張ってきた。
時代がいけないのか、私自身がいけないのか、もう何が問題だったのか分からなかった。
「……眞純さん、あなたは頑張ってきた。あなたは何も悪くない。この混沌とした時代が悪いわけでもない。何が原因か分からないこともあると思います」
ゆっくりと顔を上げると、金剛さんは少し寂し気に笑った。
「生きる上で、何が悪かったのか問題だったのかと突き詰めると、負の感情しか生まれてきません。これからどうしていこう、こうしていこうと先のことを私と考えていきませんか?それだけで、あなたの気持ちが少しでも上向きになってくれると、思うんです」
こんな風に言ってくれる人ははじめてだった。
私は、傍らの箱ティッシュから二三枚取り出すと、盛大に鼻をかんだ。
「……金剛さん、ふつつかな私ですけど、どうぞ、よろしくお願いいたします」
頭を下げると、「いやいやよしてください」と慌てたような声がした。
「父が勝手に持ってきた縁談の話でしたが、父に感謝ですね。眞純さんのような素晴らしい女性に出会うことが出来た」
顔を上げると、金剛さんは顔を真っ赤して後頭部を掻いていた。
私は思わず吹き出してしまった。
この人となら、世間でいうきちんとした結婚生活を送れるか分からないけれど、共に有意義な日常を送れるのかもしれない。一生のパートナーとしていい人に出会えた、そう思えた。
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