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第九話

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俺はジークエンドのメンバーの一人、比呂から結婚報告を受けた。

比呂の繁忙期を避けて、バイトが入っていない金曜の夜に居酒屋で会うことになった。

「いやーついに比呂も結婚かぁ。波木先輩もだけど、結論が早くて結構結構!」

「結構結構、じゃねぇよ。多聞の方は近頃はどうなんだよ?」

「俺は、とりあえずそんな大層な夢を描けるような安定した職に就いてないし、当分ないと思うわ。あ、だけど比呂は披露宴とかやんの?」

「いや、奥さんもそんなこっ恥ずかしいことしたくないっていうからさ、多分ウェディングフォトとかで終わりにすると思う。奥さんの仕事も忙しいしな」

「奥さんって、大学の時にバイトしてたカフェの先輩だったっけ?」

「そうそう、3つ上。そして、今は刑事課の女刑事」

「すっげーな」

「奥さん、リビングに毛が落ちていると拾って目の前に突き付けて『容疑者、確保!』とか言うんだぜ。もう、一気に背筋がぴんっとしちゃうよね」

「……それ、ただの神経質なんじゃねぇの?」

酒を酌み交わしながら互いの近況を話し合うこの時間帯は、最近何となく気持ち的に燻っていた自分に大きな活力を与えてくれた。

「いやぁ、酒がうまいね。一人で飲む酒より断然うまいわ」

「多聞、見た目チャラいけどイケメンだし、いい奴なんだからちょっと合コンでも行けばすぐに見つかるじゃねぇの?」

「んー前までは自分で言うのもなんだけど、合コン行かなくても女が切れたことがなかったけどさ、なんってーか、無常感っていうの?」

「ちょ……おまっ24でなんか悟ってるのヤバいって。早いって」

「最後に付き合ってた珠里もさ、俺の後に付き合いだした男と結婚だってさ。やっぱなー付き合うとしても、結婚までは考えられないってことだよな」

「もちろん、結婚がすべてとは思わねぇよ。友喜だって、昭乃と長いけど結婚してないじゃん。あ、昭乃で思い出したけど、多聞、最近昭乃と会ってる?」

「いや、会ってないけど」

比呂は耳元に顔を寄せ、小声でつぶやいた。

「この前、駅前ででっかいバック持ってうろうろしてる昭乃見かけたんだよ。大分やつれてたけど、あれは昭乃だと思う」

「え?何、旅行?」

「あんなブラック企業じゃ旅行休暇なんか取れねぇだろ。何か、漫喫入ってるビルに行ったっぽいんだよね。友喜と喧嘩でもしたんかな?」

『昭乃?うん、元気だよ。でも忙しすぎてあまり家に帰ってこないな。たまに帰ってきてもずっと部屋で寝たりしてるから、互いに顔を合わせていないことの方が多いかも』

友喜は以前、そんなことを言っていた。

すれ違いで顔を合わせていないのではなく、すでに昭乃を家を出ていたということだろうか。

「あーあとさ、多聞、今後のバンドの話なんだけどさ……」

比呂は後頭部を搔きながら言いにくそうに口にした。

「俺も結婚するし、これまでみたいに土日のどちらかに顔を出して練習するのもちょっと難しいかもしれない。地元のちょっとしたイベントくらいは参加できるとは思うけど、奥さんも土日完全に休みってわけじゃないからさ、なるべくなら夫婦の時間を優先させたいんだ。波木先輩のところも2人目が近々産まれるらしいし、上の子の世話もあるし、これまでみたいに頻繁には出来ないと思うんだ。本当、悪いな」

「謝るなって。むしろ、今まで俺のわがままに付き合ってくれてありがとうって言いたいくらいだよ」

そう、自分には家族といった抱えるものも支えるものもない、身軽なものだ。

「あ、だけど多聞、ジークエンドは辞めるなよ。俺も波木先輩もバンドの解散を促してるわけじゃないから。今は目の前の生活に追われているけど、バンドは俺たちにとっても一種の潤滑油なんだよ。だから、辞めないでほしい」

比呂の懇願に、俺はふっと笑みがこぼれた。

「大丈夫だって、バンドは休止状態にしとくだけで、曲は俺の方で作り続けるから。友喜もいるからさ。曲が出来たら送るから、聴くだけ聴いてみてよ」

俺の言葉に比呂はほっとしたようだった。嬉しそうに目の前のビールを一気飲みしている。

『だってさ、いつもはこの世の不条理を謳うものとか多かったじゃん』

この世の不条理、か。むしろ、友喜や比呂や波木先輩は周りから見れば至極真っ当で順風満帆な人生を送れている。

不条理に落とし込んでいるのは、俺自身なのかもしれない。



比呂と別れ、日も変わりかけている街中を歩く。勤務先のコンビニは煌々と電灯の光で溢れているが、人通りも車が行き交うのも圧倒的に昼間よりも少ない。

街の人たちは大体この時間帯は明日の学校や仕事に向けて寝る用意をしているのだろう。だけど、夜勤をメインにしている自分からしたら、これからが仕事が始まる時間帯であり、体を休める時ではない。現に、日が変わってからもぽつぽつとではあるがご飯やつまみや雑誌などを買う客はいる。夜中だからの需要があるからこそ、コンビニは24時間居場所を示すように光を放ち続けるのだろう。

闇に押しつぶされないよう、ここにいるよと、大手を振って待っていてくれているのかもしれない。

家まで300メートルを切ったぐらいのあたりに公園がある。ここはそれなりに広いが、遊具もブランコや滑り台、あとはいくつかのベンチぐらいしかない。昔は公衆電話が設置されていたそうだが、今は時代の流れかすっかりなくなってしまっている。何だか無性に温かいコーンスープが飲みたくなり、公園内の自販機を探そうと中に入った。自販機に近づくと、ベンチに誰かが横たわっている。最近、ベンチ付近に浮浪者らしき男がうろうろしているという話を近所の井戸端話好きなおばちゃんたちが話しているのを聞いたので、それかなぁと思いながらあまり触れないようにしようと無言で財布から100円玉を探した。

「うぅ……」

ベンチの住民が苦しそうに声を上げて身をよじった。自販機のなけなしの光がその横顔を照らす。

「……恵太?」

俺の声にベンチの主がゆっくりと目を開けた。声の方向に視線を向け、俺と分かると勢いよく飛び起きてそのままベンチの脇に転がった。

額をぶつけたのか、押さえながらうずくまっているので、俺はそのままベンチに座り買ったコーンスープ缶をぐびっと一口飲んだ。

「恵太、コーンスープ飲むか?」

「い、いらねぇよ!」

一丁前に涙を浮かべながら虚勢を張る恵太に俺は若いねぇなんて思いながらまた一口飲んだ。

「こんなところに寝ていたら風邪ひくぞ。あと、浮浪者に間違えられて近所のおばちゃんたちに通報されるから気をつけろよ」

「……通報したきゃ、通報すればいいさ」

ふてくれたように呟く恵太に俺は無言で見つめた。

「中学は、まだ毎日サボってんの?」

「学校なんて、行かなくたっていいんだよ。学校行かなくたって、立派な大人になっている人だってたくさんいるじゃないか。それなのに、親は学習塾営んでいる自分たちの息子が不登校だなんて体裁悪いって、自分たちのことばっかりだよ。最初はフリースクールとか行かせようとしていたけど、俺が頑なだから、今は塾の時間帯は二階の奥の部屋に引っ込んで静かにしていなさいで終わり。もう、出来の悪い息子はいなかったことにしたいみたい。こうして毎日のように夜中に外をうろついていたって、何とも思わないだろうし」

「そうだよなー無関心って辛いよなー俺もそうだった」

恵太はゆっくりとこちらを見やった。

「俺の家はさ、惣菜屋やってたんだよ。今は一番上の兄が継いでるけど、小さい頃は惣菜屋の息子っていう立場が本当に嫌だった。親は俺たちを食べさせるのに必死だったんだろうけどさ、毎日学校でどんなことを学んでどんな友達とこんなことして遊んで、こんなことにムカついてこんな悲しいことがあったってことを話しても誰も聞いてくれないんだよ。パートさんぐらいだったかな、相手にしてくれたの。進路だって、この高校に行くよーあーそうなのーって感じだったし。少しぐらい、自分たちに興味持ってくれないのかよって思ってた。高校卒業したら、もうあとはバイトとバンドで好きなことだけして暮らそうって決意した」

「え?バンドやってんの?すげぇ」

「介護施設の慰問とか、地域のイベントの盛り上げ役で出たりとかそんなんしかやってないけどな」

ははっと乾いた声が出た。

「最近、父ちゃんが死んでさ、母ちゃんも好きなことやるからってお店ほっぽり出してさ、一番上の兄と高校生の弟が今は店をまわしていると思う。兄弟不孝だとは思うけどさ、兄弟仲が良かったわけじゃないし、どちらかというと相手がどんな奴なのか分からなくて反目しあってたところはあるかもな。そんな奴らが協力して店をやれって、まじで無理な話だよ。だから、俺は一抜けさせてもらった」

「じゃあさ、今は大人で好きなことやって自由で多聞は楽しい?」

楽しい―――?

恵太の問いを、舌の上で転がしてみる。

「俺、早く多聞みたいな大人になりたい。親の庇護なんてなくても生きていけるようになって、こんなに立派になったんだよって見返してやりたい」

恵太は怒りと希望を目に溜めて意気込んだ。

それは、いつも憮然とし、それでいて毅然とした怒りを滲ませ日々を過ごしていた自分を想起させた。いつか、ここから逃げ出して一人前の大人になってやる。やりたいことも我慢して、無理やり惣菜屋をやらされた父ちゃんみたいになりたくない。

その言葉はいつも柔和な笑みを浮かべていた父を、明らかに悲しませた。

「恵太、立派って何だろうな。お金をたくさん稼いで、美人な奥さん貰って、子供もめちゃくちゃ優秀で、まわりの人間が口をそろえて立派な人生を送ってこられたんですね、って言われることか?」

俺の言葉に、恵太は口をつぐんだ。明らかに俺の早口の問いに萎縮している。

「俺は、一人前の大人になってやるって豪語して、実際大人になってもふらふらしてて、世間一般ではちゃんとしていない大人になっちまったよ。立派な大人にならなくてもいいんだよ。超有名大学に通ったのに、大企業に就職できなくてアルバイト生活みたいな奴もいる。ただ、身近な人や自分の置かれた環境を憎みながら大人になるのは止めた方がいい。大事な人が、あっという間にいなくなっちゃうことだってあるんだ。それは、肝に銘じといてくれな」

恵太は目に涙をためながら、ゆっくりと頷いた。

「大丈夫だって。恵太は小学校の頃、サッカー得意だったろ?学校の皆の前で見せつけてやればいいんだよ。自分が好きなもの、得意なものにきっと反応して一緒になってやってくれる奴はいるよ。その得意なものを伸ばしていけばいいんだよ」



恵太を家まで送り、俺はゆっくりとアパートの階段を上った。

比呂と楽しく飲んだ後に、中学生に講釈たれてしまった。ちょっと疲れた。

階段を上った先に、ドアの前に誰かが座り込んでいるのが目の端に入ってきた。

また面倒事かぁ、と辟易しつつ近づくと、体育座りで寝ているのか顔を突っ伏していた。横には黒の大きなバックが置かれている。

(もしかして……)

「―――昭乃?」

声を掛けると、もぞっと体が動いた。

ゆっくりと顔を上げると、泣きはらしたのか目の周りが赤くはれていた。

「……多聞くん」

「やっぱり昭乃じゃんか。どうしたんだよ、こんな時間に」

「ごめんね、急に来て。行くところがどこにもなくて」

「とりあえず、中に入ろう」

俺はポケットから鍵を取り出し、鍵を開けた。

中は大分散らかっていたが、空いてる場所を探して100均で買っておいた座布団を置いた。

「お茶で良いか?」

「うん、ごめんね……」

ティファールでお湯を沸かしている間、後ろを見るとうつろな表情の昭乃は微動だにせずに座っていた。ティーパックの緑茶をテーブルに置くと、昭乃は「ありがとう」と小さく呟いた。

「今まで比呂と飲んでいたんだけど、昭乃らしき人を駅前で見たって話してたんだよ。友喜と喧嘩でもしたのか?」

友喜、の名前に昭乃はあからさまにびくっと体を震わせた。そして、だらだらと両目から滂沱の涙が噴出した。

「ちょ、ちょちょちょ昭乃―――」

「多聞くん、私、友喜と別れるかもしれない」

昭乃のその言葉に合わせるように、ざあっと夜風が音を鳴らした。
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