上 下
4 / 14

4.残念令嬢ですけど頑張らされています

しおりを挟む
 メリーウェザーが勉強をすると決めたので、リカルドは秘書官の一人に言いつけてメリーウェザーの勉強の面倒を見てやるように指示を出していた。

 その秘書官はたいへん真面目な男で、分かりやすい本や参考資料、適切な家庭教師などを用意してくれた。

 その若い秘書官は──ウォルトンと言ったが──始めは、急にリカルド殿下付きの通常任務を外され、訳の分からない娘の相手を言いつけられたのが不満だったように見えた。

 特にその後2週間はリカルドが近隣国へ外交に出る予定だったから、ウォルトン秘書官としては同行して外交上の評価が欲しかったのだろう。

 ウォルトン秘書官は相当ピリピリしていた。
 他の大事な仕事を取り上げられてメリーウェザーの面倒を見ることになったのだ。だからウォルトン秘書官は、自分の犠牲に釣り合うくらいメリーウェザーは真面目に勉強をするべきだと強く思っていた。

 メリーウェザーの方もウォルトン秘書官のがっかりっぷり、八つ当たりっぷり(※メリーウェザーの主観)を肌で感じていた。
 だからメリーウェザーはだいぶ気を遣った。ウォルトン秘書官に向かって、おずおずと、
「2週間お休みをもらったと思ってゆっくりなさってくださいね。どうぞ私のことなど気にしないで。放っておいてくださったらいいですから。自分できちんと勉強を進めますわ……」
と言った。

 しかしウォルトン秘書官の方はため息をつくばかりだ。
 目の前の大きな仕事を逃しておいて、「ゆっくりしてね」の言葉に「はい分かりました」と言うとでも思ったのか?
 メリーウェザー嬢は、私がどれだけリカルド殿下に同行したかったか、まるで分かっていない!

 かくなるうえはしっかりと勉強してもらう。
 リカルド殿下は私にこの任務を与えたのだ。
 そして『きちんと勉強を進めます』の言葉は一般的にほとんど信用に値しないものだということだってよく知っている(※サボるヤツはサボる)。
 ウォルトン秘書官はキッとなってメリーウェザーの勉強につきっきりで構うこととなった。
「とりあえず、2週間でこの一冊は理解してもらいます」

 メリーウェザーの方だって、勉強すると言い出したのは自分だし、そのせいで若く有能な秘書官の時間を奪ってしまっていることに責任は感じていた。
 今後の身の振り方を考えても、勉強しなければ未来がろくなことにならないという焦りもあった。身一つで世間の荒波に放り出されたとき、やはり何かしらの職を得る必要があるからだ。

 だから、一応、やる気はあった。実際に本を開いてすみやかに勉強を始めた。
 しかし、ウォルトン秘書官はメリーウェザーが思っている以上の努力を要求する。

「うーん、分からないな。後で考えよう」なんてメリーウェザーが思っている箇所も、どう嗅ぎつけるのかウォルトン秘書官はすぐさま「難解ですか? お手伝いしましょう」と、険しい顔でメリーウェザーのページをめくる手を止める。「後回しなんて許さないぞ。後回しにしたらどうせ忘れるんだろ」といった圧を感じる。

 念を押すが、メリーウェザーはヒトの国では高位の令嬢で容姿・礼儀作法などは洗練されているが、頭の中身などに関しては有能なところのないごく平凡な令嬢である。

「なんか鬼気迫るものを感じますわ……」
 メリーウェザーはウォルトン秘書官のスパルタにゼイゼイあえぎながら、それでも逃げられずに、机にかじりついて勉強した。

 やがてメリーウェザーは、勉強こそウォルトン秘書官の不満を取り除く唯一の方法だと気づいた。
 そしてメリーウェザーは、半分は女一人で手に職持って生きていくために、そしてもう半分はウォルトン秘書官にがっかりされないために、高いモチベーションで勉強を続けることができたのである!

 そのうち、メリーウェザーは勉強も楽しくなってきた。
 始めは時間がかかっていた本も、基礎が分かり始めるとすらすら読めるようになってきた。
 するとウォルトン秘書官の目が少し優しくなる。
 メリーウェザーはそのウォルトン秘書官の目に強い期待(という名の脅し)を感じて、また次の本に手を伸ばす。

 ウォルトン秘書官の目を気にしてのびくびくしながらの勉強であるが、通常の人が学ぶ量を半分の時間でマスターしたメリーウェザーは、今度はウォルトン秘書官がつれてきた家庭教師に褒められた。
「通常であればもっと時間がかかりますな。あなたはすじが良いのではないか」

 メリーウェザーは表面上こそ笑顔を貼り付けているが、心の中では「ウォルトン秘書官のおかげ以外の何物でもないわ」と毒づいた。
 まあ、もともと数字は苦手ではなかったから、それは少し人より有利だったのかもしれないけれど。

 そしてメリーウェザーは、横で「逃がしませんよ」といつもぴったり張り付いているウォルトン秘書官もこの家庭教師の言葉を聞いているかしらと思った。
 メリーウェザーは聞こえよがしに
「先生ったら、すっごく褒めてくださるのね。そんなに出来がよかったですかあ?」
と少々大袈裟おおげさに言ってみた。

 が、ウォルトン秘書官は「当然です」と言った顔をしてノッてきてくれない。

 メリーウェザーはむむうと思った。
 もう、一筋縄ではいかないやつ。

 そんな感じで当人のモチベーション以上に環境によって流されているメリーウェザーの勉強であったが、知識が身に付くにつれ、わずかに自分にも可能性を感じ、少し自己肯定感があがった。
 勉強というものは自分の自己肯定感を引き上げてくれる、手っ取り早い方法らしい。

 ついこの間までは、婚約破棄されて殺されかけて、自分には職になるような技術が何もないことに気付き──なんとも肩身の狭い、恥ずかしい思いをしたものだったけれども。

 勉強嫌いだった幼い頃の自分に教えてあげたい(※今も別に好きではないが)。
 なんだか自分がつまらないと思ったら、とりあえず何でもいいから少しでも勉強するべし、と。
 まあ、勉強してたからといって婚約破棄が回避できたとは思わないけれどね。

 しかし、メリーウェザーが確かに知識が身につけてきていると分かると、ウォルトン秘書官の態度はやや軟化するようになった。
 メリーウェザーは「ふふん、どうよ見た?」と満足げに思った。そのうちウォルトン秘書官を驚かせるのが密かな楽しみとなった。

 そうするとメリーウェザーの笑顔もどんどん張りが出てきて、明るくなってきた。
 ウォルトン秘書官の方もメリーウェザーがほがらかにしているのを目を細めて見るようになった。

 ついにウォルトン秘書官は
「いい傾向ですね」
とぼそっと言った。
「学びをサポートする甲斐かいがあるってものです」

 えっ! 認められた!?
 メリーウェザーはぱああっと顔を輝かせた。

 メリーウェザーの無邪気な笑顔に、ウォルトン秘書官は照れたようにコホンと咳払いをして、
「最初はどんなつまらない仕事を押し付けられたかと思いましたけどね。リカルド殿下がメリーウェザー様を大事に思われる理由が分かるような気がします」
と言った。

「え、リカルド殿下が私を大事に!?」
 メリーウェザーは急に胸がドキドキする。

 メリーウェザーの顔が少し赤らんだのをウォルトン秘書官は見逃さなかった。
 ふふっと笑って
「ええ。頑張り屋さんでしょう? 頑張っている人のことは応援したくなりますよね」
と優しく言った。

「なに、あなた笑えるの!? 本当にウォルトン秘書官!?」
 メリーウェザーは、ずっとしかめっ面だったウォルトン秘書官のほぐれた表情に思わず突っ込んだ。

 そうこうしているうちに、リカルドが外交から帰ってきた。
 リカルドが帰ってくる前からバタバタと屋敷内が騒がしくなって、そうしてその日の夕方ごろ、疲れた表情のリカルドが帰ってきた。

 メリーウェザーはウォルトン秘書官と共に出迎える。
「メリーウェザー。出迎えてくれたのか。ありがとう」
 リカルドは嬉しそうに笑った。
「私が留守の間は大丈夫だったか? 勉強ははかどったか?」

 メリーウェザーはちらりとウォルトン秘書官に目をやる。

 ウォルトン秘書官は表情一つ変えずに、
「ええ。大層呑み込みが早いですよ。彼女ならどこかの貴族でも商店でも奉公に出れると思います」
と淡々と答えた。

 リカルドは思わず吹き出しそうになる。

 メリーウェザーはそんなリカルドの様子を見て「?」と思った。
 なんでここでリカルド殿下が笑うの?

 が、その理由はすぐに分かった。
 リカルドがウォルトン秘書官を下がらせると、
「大変だっただろう」
とリカルドはメリーウェザーに悪戯いたずらっぽくウインクした。

「へ?」
 メリーウェザーが思わず聞き返すと、リカルドは
「ウォルトンは真面目で少し融通が利かないところがあるが」
とヒントを出した。

 メリーウェザーはああと思って、
「おかげさまで、大層効率的に勉強がはかどりましたわ。まったく的確な人選でございましたね」
と厭味たっぷりに答えた。

 リカルドはぷっと笑った。
「そうか、メリーウェザーもやっぱりウォルトンには苦労したか。私も子供の頃はこってり絞られたよ。歳はそういくつも離れていないんだがね」

「え、リカルド殿下も!?」
 メリーウェザーは仏頂面ぶっちょうづらのウォルトン秘書官に背後に立たれ、逃げられずに机に向かうリカルド殿下を想像して面白くなった。

 リカルドも苦笑する。
「まあ、それも、いい面もあるのだ。勉強ははかどったからな」

「それはその通りですね」
 メリーウェザーは大きく相槌あいづちを打った。

「でも頑張ったんだね。ウォルトンについていけるというのはたいしたものだよ」
 リカルドはまるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。

 メリーウェザーも嬉しくなる。
 頑張ったことを褒めてくれた。
 何もスキルを持たない残念令嬢だったけど、頑張れば誰かがちゃんと見てくれるんだ。
 嬉しかった。

 メリーウェザーはじっとリカルドを見つめた。
 しばらく会えなくて寂しかった。
 勉強がたいへんであっという間だったと言えばあっという間だったけれども。
 そうか、そういう意味でもウォルトン秘書官には感謝しなければね。結果的に、不必要な心細さを感じないようにしてくれたんだ。

 リカルドはメリーウェザーの視線に気づいた。
「メリーウェザー。来月あたり、港へ漁獲量を見に視察に行くんだ。メリーウェザーも来るかい?」

「え、いいんですか?」

「いいよ。君にこの国を少し紹介したい気分でもあるんだよ。せっかく滞在しているのだから」
 リカルドは微笑んだ。

「はいっ!」
 メリーウェザーは嬉しそうな顔をした。

 リカルドはハッとして、バッと顔をそむけた。メリーウェザーを可愛いと思ってしまったのだ。

 リカルドは心を落ち着かせる。
 いけない。このままこの笑顔に見惚れていたら。メリーウェザー嬢はふらふらと自分の心に忍び込んでくる。
 好きになっては絶対にいけないのだ。

 自分だけではない。メリーウェザーにとっても良くない。
 メリーウェザーは婚約者に殺されかけたばかりで傷ついているのだ。男性不信に陥っている可能性だってある。
 冷静になれ、とリカルドは自分自身を叱りつけた。

「どうかしましたか」
とメリーウェザーが心配そうに声をかける。

「あ、いや。何でもない」
とリカルドは精一杯答えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【第一章完結】相手を間違えたと言われても困りますわ。返品・交換不可とさせて頂きます

との
恋愛
「結婚おめでとう」 婚約者と義妹に、笑顔で手を振るリディア。 (さて、さっさと逃げ出すわよ) 公爵夫人になりたかったらしい義妹が、代わりに結婚してくれたのはリディアにとっては嬉しい誤算だった。 リディアは自分が立ち上げた商会ごと逃げ出し、新しい商売を立ち上げようと張り切ります。 どこへ行っても何かしらやらかしてしまうリディアのお陰で、秘書のセオ達と侍女のマーサはハラハラしまくり。 結婚を申し込まれても・・ 「困った事になったわね。在地剰余の話、しにくくなっちゃった」 「「はあ? そこ?」」 ーーーーーー 設定かなりゆるゆる? 第一章完結

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

目が覚めたら醜女の悪役令嬢だったので、とりあえず自己改造から始めますね

下菊みこと
恋愛
ミレイは平凡な孤児の少女。ある日馬車に轢かれそうになった猫を助ける代わりに自らの命を落としてしまう。…が、目を覚ますと何故かその馬車で運ばれていた公爵令嬢、ミレイユ・モニク・マルセルに憑依していて…。本当のミレイユ様は?これからどうすればいいの?とりあえずまずは自己改造から始めますね! ざまぁの本番は27話と28話辺りです。結構キツいお仕置きになります。 小説家になろう様でも投稿しています。

私は本当の意味で愛していないらしい。

ぽんぽこ狸
恋愛
 第二王子アレクシスの婚約者であるエレノアは、結婚を間近に控えて同棲生活を送っていた。  しかしある日、アレクシスに呼び出され、彼の元へと向かい話を聞くと、エレノアはアレクシスに”本当の意味での愛情”を向けていないと言われてしまう。  その言葉の意味はまったく分からなかったが、一生懸命考えてある結末に思い至った。つまり、本当の意味での愛情とは肉体関係から生まれる性愛の事ではないか。  そうとなればやることは一つ。エレノアは、もっときちんと言ってくれればいいのにと思いながらアレクシスに迫ったが、まったく違うと言われてしまって、エレノアの”本当の意味での愛情”を探す生活が始まるのだった。  五万文字ぐらいのお話です。よろしくどうぞ。

婚約者の心の声が聞こえるようになったが手遅れだった

神々廻
恋愛
《めんどー、何その嫌そうな顔。うっざ》 「殿下、ご機嫌麗しゅうございます」 婚約者の声が聞こえるようになったら.........婚約者に罵倒されてた.....怖い。 全3話完結

婚約破棄の話し合いの帰り道、傷ついた獣人を拾いました。~その獣人を傷つけていたのは意外な人で……!?~

四季
恋愛
婚約破棄の話し合いの帰り道、傷ついた獣人を拾いました。 そして後に判明するのだが。 その獣人を傷つけていたのは意外な人で……!?

公爵令嬢は,婚約を破棄され,国に裏切られ,死刑が迫られています

sleepingangel02
恋愛
豊かな国であるアステリアは,隣国の武力国家カーンの脅威にさらされていた。 アステリア国の公爵令嬢であるシスティは,第一王子であるカントナとの結婚を控え,王子を支え,国のためにできることしようと決意していた。 ところが,王子は突然婚約を破棄し,ライバルである伯爵令嬢サステナとの結婚を宣言し,それを王や王妃はすぐに承認してしまう。 システィは,混乱した中,謀反をおかしたといいう理由で,公爵家は,断罪され,血族ということで死刑を宣言されてしまった。

幼馴染ばかり優先していたら婚約者に捨てられた男…の、話を聞いて自分を顧みても遅かったお話と、その婚約者のその後のお話

下菊みこと
恋愛
バカな男が自滅して、その元婚約者が幸せになれる相手と巡り合うだけ。 一応ざまぁだと思います。いっつ様式美! 元婚約者の女性のその後は、獣人、運命の番、そんなお話。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...