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【10.終幕】

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 結局、国王はみずから退位した。
 イベリナ妃にあれこれ暴露され有責ゆうせきで退位させられるより、みずから退位した方がダメージが少ないと判断したからだった。

 退位しさえすればということで、そこについてはイベリナもハーシャター公爵もコーネル公爵も文句は言わなかった。国王に強い対決姿勢を取ると、国王も必要以上に反発するし貴族の中でも対立が生まれ、王宮内が無駄に混乱してしまうだろうという判断からだった。政治の混乱は望ましくなかった。

 王位は元国王の従弟いとこが継いだ。
 イベリナも国王退位にあわせ晴れて離縁してもらった。
 ついでに、ジャスミンも国王退位にあわせて側妃の地位をかれ、コーネル家との養子縁組もその必要が無くなったので解消された。

 今までの人生は何だったのだろうとイベリナは思う。
 王妃の地位を追われたことに何の感懐かんかいもない。これまであんなに一生懸命王妃の務めを果たそうと頑張っていたのに。

 むしろれとしていた。
 父ハーシャター公爵も良くない縁談だったと反省し、娘の意向を無視して縁談を進めた自分の強引さを今更いまさらながらに恥じていた。

 さて、そんな折、イベリナのところにジェイデン・カフマン侯爵が訪ねてきていた。先日の国王断罪劇の見舞いである。

 イベリナはみっともなくジェイデンの胸に顔を埋めて泣いてしまったことを思い出して恥ずかしく、少し強張こわばった態度でジェイデンをエントランスまで迎えに出た。

 ジェイデンは髪もひげも整え、きちっとした服装をしていた。
 ほんの少しだけ落ち着かない様子だったが、国王断罪劇のときの頼もしさは健在けんざいだった。

 イベリナはまぶしそうにジェイデンを見た。
「お見舞いありがとう、ジェイデン。でも、うちに来るのにそんなかしこまらなくてもいいのに。無精ぶしょうひげがないと私が落ち着かないわ」

 ジェイデンは少し憤慨して言った。
「おまえを嫁にもらいに来るのに、部屋着に無精髭ぶしょうひげってわけにはいかないだろう」

「えっ」
 イベリナはいきなりの言葉に驚いたが、急に顔が熱くなってくるのを感じた。

 イベリナが真っ赤になって目を見開き、口もきけない様子でてジェイデンを見つめているので、ジェイデンは苦笑した。
「イベリナ。おまえは私のところへ来い」

 それからジェイデンは周りを軽く見回して、「こんなエントランスで言うことじゃないがな」と自分でぼそっと突っ込んだ。

 が、言われた方のイベリナは唐突な内容に驚き、嬉しさで言葉が出てこない。ただ目がうるんできた。
「ジェイデン……」

「もう痛ましくて見ていられん。国王のお子だとかそんなものに縛られて苦労したな。これからおまえは幸せになったらいい。うちで、カフマン家の奥方としてびしばしやってくれ」

 イベリナは目を見開きながら、ちょっと首をかしげた。
「確認するけど、それって結婚の申し込み?」

「そうだが?」
 ジェイデンは分かり切ったことを確認されてムッとした。

「だって私のことは嫁にしないって言ってたじゃない」
 イベリナはムッとされたことには無頓着むとんちゃくに、ジェイデンの心変わりの理由を確かめようとする。

 ジェイデンは面倒めんどうくさそうに頭をいた。
「そりゃ言うだろうが、王妃だったんだから!」

「あ、そうだった、私は元王妃だったんだわ……。まあ、私はもう王妃じゃなくなったんだけど、だからって、あなたが私を嫁にもらってくれる必要はないじゃない」

「今まで苦労したんだ、おまえだって幸せになってもよかろう。おまえはずっと俺のことが好きだったんだろう? 俺と一緒にいることで幸せになれるんなら、一緒になってもいいと思ったんだよ」
 ジェイデンも照れているのかいつもより口調がぶっきらぼうだった。

「一緒に……。私に同情してくれるのね。でも、あなたは? それはあなたにとっても幸せなの? あなたはカフマン家の跡継ぎが必要で……」
 イベリナがジェイデンに感謝しながらも、ジェイデン自身はそれで納得しているのか心配して聞くと、ジェイデンはふんと鼻で笑った。
「俺はおまえを幸せにしてやるからおまえは俺を幸せにしろ。だが、間違いなく言えるのは、跡継ぎは必要だ。ちゃんと俺を誘惑しろよ」

 イベリナは『誘惑』と聞いて狼狽うろたえた。
「で、できないわよ、私よ?」

「できそうなこと言ってなかったか、こないだ」
 ジェイデンが意地悪そうに言うと、イベリナはほおを赤らめた。
「あれは、売り言葉に買い言葉で」

 すると不意ふいに楽しそうな悪戯いたずらっぽい声がした。
「イベリナ。そこは頑張るところじゃないの?」

「誰? あ、ヴォルカー! 何であなたがここに?」
 イベリナは振り返って驚いた。

 ヴォルカーの背後には、屋敷の外門からこのエントランスまでヴォルカーを案内しただろう執事が、気まずそうに小さくお辞儀じぎをしてくるりと向きを変え場を離れていくのが見えた。

「サヨナラ言いに寄らせてもらいました、この国離れるからさ。俺は自由な旅人なので」
 ヴォルカーはそう言って少しだけ寂しそうな顔でウインクした。

 するとイベリナは目を見開いた。
「え、さよなら? そんな! もう少しいたら? あなたにはめちゃくちゃ感謝してるのよ、ジャスミンさんの妊娠が無かったら、きっと今こんな風にれと自分の人生を生きることはなかったかなって」

「それは俺じゃなくて、女神ズワンのおかげですよ。女神ズワンとの契約は成ったんだ、あなたが自由になるという契約も」

「私が自由に……って何?」
 ヴォルカーが突然知らないことを言ったので、イベリナは思わず聞き返した。

「はは、元国王がかたくなに離婚を拒否してたんで。もっとスムーズにあなたを自由にしてあげられないかなって」
 ヴォルカーは得意気とくいげににっこりした。

 その笑顔にイベリナは悪い予感がした。
「ヴォルカー、あなた、もしかして……国王陛下の退位を女神ズワンに祈った?」

「祈ったかな? さあ、どうだろ」
 ヴォルカーが作り笑いを浮かべ、すっとぼけて見せたので、イベリナは確信した。
「祈ったのね! ってことは、あなた何か見返りを? あなたは対価に何を差し出したの? まさか大事なものではないでしょうね?」

 ヴォルカーはほんの少し黙ったが、イベリナが強い視線を投げかけるので、正直に言うしかないとちからなく笑った。
「あなたにお別れを言うことですかね、イベリナ。あこがれを断ち切ること……。あなたみたいな女性が俺は好きでしたよ。でも、もう会いません」

「え?」
 思ってもみなかった言葉にイベリナは驚いた。それって――?

 それまで黙って聞いていたジェイデンは、顔をしかめ立ちふさがるようにヴォルカーに向かって一歩足を踏み出した。

 ジェイデンの警戒した様子を感じ取ったヴォルカーは苦笑して、「そんなつもりはない」とかぶりを振った。
「気にしなくていいですよ、お別れだって言ってるじゃないですか。俺はイベリナを泣かせた国王――ええと、元国王か――がちょっと嫌だっただけです。クズ国王なのにあなたがかばってたのもなんか嫌だったし。でも俺が女神ズワンに祈ったのも、条件付きだったんで大丈夫です。『国王がこの国に必要がなければ』って。ちょっとソフトになるでしょ? だから大した対価は求められちゃいません。ほんと、俺がこの国を立ち去って、それでおしまいです。それだけ」

「気持ちは嬉しいわ、ヴォルカー。私、何と言ったらいいか」
 イベリナは申し訳なさそうな顔をした。

 その顔を見てヴォルカーは慌てた。
「いや、だから気にしないで! あなたはカフマン侯爵ジェイデンとうまいこといってくれたらいいんだから! それが俺の願いなので!」

 イベリナは感謝を込めてうなずいた。そして、もう一つ大事なことにお礼を言った。
あの人元国王を退位させてくれて、ありがとう。私が意を決して願った跡継ぎをあっさりと殺すような真似まねをされ、私は踏みにじられた気分で、本当にあの人元国王が許せなかったの。あなたと女神ズワンに感謝します」

「うん」
 ヴォルカーは短くうなずいた。
「俺は女神ズワンのいとし子だからね、願いを聞き届けてもらえやすいんだ。でも、イベリナ、もうそれはあんまり言わない方がいいんじゃない? 国王とか王妃の地位とか跡継ぎとか側妃とか、もう全部終わった話でしょ。なかったことにして、人生やり直しなよ、そこの人ジェイデンと――」

 そして、ヴォルカーはわざとうやうやしくジェイデンにお辞儀じぎして見せた。

 ジェイデンは揶揄からかわれていると感じ苦々にがにがしそうに舌打したうちしたが、ヴォルカーが色々とイベリナに協力していたことには感謝していたので、
「言われなくてもイベリナは幸せにしてやるさ。おまえの分も」
と表面上はだいぶ穏やかに答えた。

「カフマン侯爵、信じます。でも、もし幸せにしないようなら、俺、女神ズワンにイベリナの夫を取り換えるよう頼んじゃいますからね」
とヴォルカーが笑いながらおどすように言うと、ジェイデンは真面目な顔ですっとイベリナの横に立ち、ぎゅっと肩を抱いて見せた。

「え、あ……」
 イベリナが照れながら戸惑とまどったが、ジェイデンは気にしない様子で、
「今後イベリナに会えないのなら、適当に俺を訪ねて来い。たまに酒くらい付き合え。女神の武勇伝は楽しそうだ」
とよく分からないことを言った。

「じゃあ、そうするとしましょう」
 ヴォルカーは笑って片手をげ、名残惜なごりおしいのを振り払うように、
「では。イベリナ、さよなら!」とあっさり言うと、するっとエントランスからそのまま出て行った。

 呆気あっけない別れに、イベリナは「あ!」と思ったが、ヴォルカーと女神ズワンへの感謝を込めて、ヴォルカーの去った方をじっと見つめていたのだった。


(終わり)

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