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【8.離縁の儀】

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 イベリナ妃がジャスミンが身籠みごもったことを聞いてからひと月ほどたち、ついに今日はイベリナ妃の『離縁の儀』が執り行われることになった。
 王宮に併設した王家専用の神殿にそれ用の準備がなされている。

 この小さな神殿で、一部の高位貴族の見守りの中『離縁の儀』が済めば、国民に国王の離婚が発表される、ということになっていた。

「陛下。離縁と言っても手続きがございますからね。神官様が軽く法律を読み上げられますから、そうしたら次は陛下が呼ばれます。神官様は陛下に神の御言葉を伝えますから、その後、書類の神官様の指し示した場所に署名してくださいませね。略称ではダメですよ」
 相変わらずイベリナ妃は小声で国王の手順にいちいち説明を加える。

 すると国王は、イベリナ妃の助言を聞いていたのかいなかったのか、
「おまえのその口うるさいのも今日が最後か」
とぽつんと言った。

「ええ、そうですよ。すっきりするでしょう? ――で、手続きのことは分かりましたか!?」
 イベリナ妃は『そんなことはどうでもいい』とばかりに国王に念を押して聞く。

「おまえは良き王妃だった……」

 まだ国王があさってなことを言っているので、イベリナ妃はイライラした。
「そんなのは私が一番よく知っております。努力しましたもの。――だから、手続きのことは分かりましたか?」

「ジャスミンでは少し不安だな……」

「で・す・か・ら、手続きのことは――」
 イベリナ妃は言葉に思わず力がこもってしまった。

 すると国王が憤然ふんぜんとしてイベリナ妃を見返した。
「うるさいな。そんなに離縁の手続きを失敗してほしくないのか?」

「ええ、女神ズワンとの約束なんでね」

「女神ズワン?」
 国王は眉をひそめた。

「陛下にお子ができるようお願いいたしました。私の王妃の地位と引き換えに。ですから、今更いまさら離縁しないなどというわけにはまいりませんの」
 イベリナ妃は国王の目を見てはっきりと言った。

 国王は驚いた。
「なんだと!? ジャスミンの子と引き換えに王妃の座を?」

 イベリナ妃は大きくうなずいて見せた。
「私は王妃でしたが、跡継ぎだけは私では用意できませんでしたのでね」

「ジャスミンの子とおまえの王妃の地位……」
 国王は何やら考え込んだ。

「何をぶつぶつ言っていらっしゃるの」

 すると、しばらくの沈黙の後、国王が不意ふいに顔を上げた。
「ジャスミンの腹の子が流れたらおまえは王妃をめずにむのか?」

 イベリナ妃はポカンとした。
 それから胸にふつふつと怒りがいてくるのを感じた。
「何を言っていらっしゃるの!? 私が王妃でいることと跡継ぎを得ること、どちらが大事か簡単にわかる事でしょう!?」

 すると国王の方も声を荒げた。
「分かっているよ、私だってバカじゃない。おまえが王妃であることが重要なのだ! おまえとおまえのハーシャター家がちゃんとしていたから国がれずにんでいるのだ。私が好き勝手やっていられたのはおまえのおかげなのだ!」

「は?」
 思ってもみなかったまさかの国王の選択に、イベリナ妃は完全にあきれ返ってしまった。
 しかし、国王も強い意志でイベリナ妃を見返してくるので、思わず声が裏返りながらも、
「よ、ようくご存じで。でも、大丈夫です、ジャスミンさんにはコーネル家がついてます。コーネル家がちゃんとやります」
と言い返すので精いっぱいだった。

 しかし国王は納得していない。
「ジャスミンとコーネル家で本当に大丈夫と思えなくてな」

「あなたがそれを言うんですか? はっきり言います。誰がやっても大差ありません、大丈夫です!」
 イベリナ妃は強い口調で断じたが、国王はまだ、
「しかし――」
と不満そうな顔をしている。

 また国王とこのみ合わない会話を延々えんえんとするのか?
 イベリナ妃は首を横に振った。
「本当に優柔不断ゆうじゅうふだんな陛下! でも迷う余地よちはありません。もうジャスミンさんにはお子がいて、女神ズワンは約束を守った。だから私も約束を守らねばなりません。離縁いたします!」

「だからジャスミンの子が流れたら――」
 まだしも国王は食い下がった。

「子どもの命を何とお考えなの!? ジャスミンさんのお子が可哀かわいそう!」

 イベリナ妃が怒っているので、国王はイベリナ妃をなだめるように優しく手を差し伸べて提案した。
「跡継ぎのことを心配してくれていたのはよく分かった。確かに跡継ぎは必要だ。私にもおまえを抱くことくらいできよう。ジャスミンの子はいったん流し……」

「ばかっ!」
 あんまり国王が自分勝手なので、イベリナ妃はついついひどいワードを口に出してしまった。

「ばかとはなんだ、だいたい女神ズワンとは何者だ!」
 バカと言われて国王はさすがにカチンと来たようだ。

 イベリナ妃はとっくに応戦体勢に入っている。
「隣国の女神だそうですよ」
 国王をにらみつけながら答えた。

「異国の女神!? なんでそんな不確かなものに祈っているのだ! まともに取り合うな。おまえはこの国の人間だろう、そんな女神とはえんが繋がるわけがないのだ。ジャスミンの妊娠は偶然だ、おまえが離縁する必要はない!」

「そのような発言はつつしまれなさいませ! 異国の女神とはいえ大勢おおぜいに信仰されているれっきとした女神です。私は彼女の御前ごぜんにひれ伏す許可をもらったのですから!」

「ひれ伏した!? 異国の女神に? 恥を知れ!」
 国王は叫んだ。

 イベリナ妃もきっぱりとした態度で言い返した。
「恥じには思いません。彼女は私の願いを聞き届けてくださいました。王妃の地位など、今となってはもう本当にどうでもよい。一瞬でも迷った自分が情けない。私は女神の約束の前に王妃の地位をきっちりお返しする!」

「認めぬ! 離縁はせぬ!」
 国王は顔から蒸気を出して怒っている。

 そのとき、急にガッと音がしたかと思うと、国王のすぐ目の前に、ガシャッガチャンッと神殿のシャンデリアが落ちてきた。

「――!」
 イベリナ妃は心底しんそこ驚いて後退あとずさった。

 護衛騎士のヘンリックが大慌てで駆け寄って来る。そして、イベリナ妃を抱きかかえるようにその身をかばうと、
「イベリナ妃、大丈夫ですか!? お怪我は――?」
と抑制のきかない大声で尋ねた。

 イベリナ妃はしばらく口がきけなかったが、ようやく一呼吸つくと、
「ジャンデリア……。ジャスミンさんでしょうか?」
とかすれた声でヘンリックに聞いた。

「すぐに調べましょう」
とヘンリックが怒りの顔ですっくと立ちあがった。

 そのとき、聞き覚えのある声がした。
「ジャスミンさんじゃないですよ」

 イベリナ妃は声の方を振り返って、驚いた。
「え? ヴォルカー?」

「ちゃんと女神様との約束は守っていただけたかなと思って来てみたんですけどね、何やらめてるご様子」
 ヴォルカーは腰に手を当てて、不満げな様子で立っていた。

 約束と聞いてイベリナ妃は途端とたんに申し訳なくなって、
「あ、大丈夫よ、約束は守ります! 国王陛下を酔い潰してもサインさせるから!」
とヴォルカーに宣言した。

 ヴォルカーは怒ったまま、それでもイベリナ妃のセリフが可笑おかしかったので少しだけ笑った。
「ははは、そっちにはいやしい手段も使うんだ。ところで国王陛下、ずいぶんとうちの女神様をバカにしてくれましたね。次はシャンデリアじゃすみませんよ」

「次はってことは、これやったのはヴォルカーなの!?」
 イベリナ妃は悲鳴のような声を上げた。

「すみません、ちょっとあんまり国王陛下が分からずやなんでね」
とヴォルカーが頭をくと、
「だからって! こないだ式典用の神殿のシャンデリアも落ちたばっかりで、注文してもまだ作ってる最中だというのに! この神殿のシャンデリアも落しちゃうだなんて!」
とイベリナ妃は文句を言った。

「いや、そういう問題じゃないだろ! そいつは私の命を狙ったのだ! 極刑きょっけいしょす!」
 国王が憤慨ふんがいして叫んだ。

 しかし、ヴォルカーとイベリナ妃は同時に叫んだ。
「国王陛下の命なんて狙ってませんよ」
「ヴォルカーが陛下の命を狙うわけないじゃない!」
 確かに、落ちたシャンデリアは国王の足元だったとはいえ少し離れており、国王の動線上どうせんじょうにはなかった。

「じゃあ、なんだ!」
 国王が二人から同時に否定されムッとして聞き返すと、
「あなたの目を覚まさせてやらなくちゃと思ったんですよ!」
とヴォルカーは答えた。

「目を覚ます? 私はしっかり起きている!」

「いいや、寝ているようなもんでしょ。イベリナ妃の覚悟を何だと思っているんです?」

 すると、それを聞いて国王がハッとして聞いた。
「もしかして、おまえがイベリナをたぶらかしたのか? 異国の女神とやらを紹介した?」

「ええ、まあ、なんとなく、乗りかかった船でね」
とヴォルカーがつんとして答えると、
余計よけいなことをしてくれた!」
と国王はわめいた。

「そうですか? 結構いい仕事をしたかと」

「ジャスミンに子ができなくてもよかったのだ! 跡継ぎのことを考えなかったのは確かに私が悪いが、跡継ぎが欲しくなれば適当に側妃を入れる気でいた。その話はこないだイベリナとも少し話した! ジャスミンとはただの遊びと思ってくれて構わない!」
 国王は腕組みをしてふんぞり返り、ヴォルカーを睨みつけながらきっぱりと言った。

 途端とたんに、ヴォルカーは気の毒そうな顔になった。
「ええと、国王陛下……。子が流れればとか、遊びだとか好き放題ほうだい言ってますけど、居るんですよ、あそこに、ジャスミンさんが……」

「!」
 国王はぎょっとした。そして、さすがにまずいと思ったらしい。はじかれるように周囲をきょろきょろと見回した。

 ヴォルカーはため息をついた。
「ショックで口もきけないようだけど。ありゃー、放心状態ほうしんじょうたいで泣く余裕もなさそうだ」

「ジャスミン……聞いていたのか」
 国王はようやくジャスミンの姿を認め、気まずそうに顔を歪めた。そして気休めにでもなだめるため駆け寄った。

 ヴォルカーは、もう自分の声は国王には聞こえていないだろうなと思いつつ、
「それに、女神ズワンが異国の女神だって? 女神ズワンはこの国にも信仰があったはずだ。はしに追いやったのはおまえらだろうが……」
つぶやいた。

 結局、国王はジャスミンの健康を優先し、またシャンデリアが落ちたという警備上の理由から、『離縁の儀』は取りやめとなった。(※ヴォルカーのせい)
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