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蠱毒のテンシ

青い蝶

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 リーベは二度目のせいか、体を硬らせて目もぎゅーっと強くつぶる。もうとっくに霧の空間を飛び越えているのに気づかない。リーラに肩をトントンと叩かれ、はっとしたように目を開けた。
 三日寝ていたと聞いてからずっと実感が無かったが、確かに客室を見るのが少し久しぶりな気がした。
 表の鍵を開けようと店に出たリーラに続いて、リーベは店の中に顔を覗かせる。まだ天井の照明は消されていて薄暗く、ハッキリと商品が見えない。うかつに入ったら、薄らと見えるマネキンにつまずいて壊してしまいそうだ。
 リーラは店の鍵を開け、ノブに掛かった看板をcloseから Openにひっくり返す。店内に戻り、手探りで照明のスイッチを押した。明るくなり、見知らぬ暗さから解放され、リーベはようやく店の中へ入った。しかし商品があるケースやマネキンには白いシーツが掛かっていて、中が見えない。

「これからシーツを取るんだ。手伝ってくれるかな?」
「うん!」

 手伝いができるという喜びから、勢いよく頷いたはいい。だが宝石店と聞くと、緊張して少し慎重になった。そっと、傷付けないようシーツの端を引っ張る。ほんの少しの力でも、重力に従ってスルスルとガラスの上を布が滑っていった。
 その様子がなんだか綺麗で、リーベの緑の瞳は夢中で見つめていた。それは数秒にも満たない時間だ。あっという間にシーツは完全に床に落ち、目の前に薄く自分の顔が映る。突然の事に驚いたが、すぐにまた別の煌めきが彼を虜にした。
 繊細な銀細工の中に収まった、色とりどりの宝石たち。店内の照明は控えめで、それが石自身に輝きを促しているように思えた。だが、彼を夢中にさせたのはただ美しいだけじゃない。
 人形のように丸い黄色の瞳が見つめるのは、ガラスのように磨かれた石の中。美しい色が、風に揺られるように絶え間なく動いている。これはただの宝石ではなく、第二の人生を歩み出した命の源。それは普通の人間には見えない。大天使だからこそ分かる命の名残。
 視界の端にモヤが映る。煙をたどると、石と同じように美しい紫の目と合った。リーラは口にしていた葉巻を外すと、リーベの胸へ指をさすように赤い先端を向けた。

「オマエの中にも、ソレがあるんだ」
「リーラにも?」
「ワタシはテンシじゃなくて悪魔だから、普通の心臓さ」

 リーベは再び核だった石に振り返り、誘われるように自分の胸へ手を添える。確かに鼓動が聞こえる。だがリーラの胸元から聞こえるような、リズムのあるものではない。まるで水の中を泳ぐような音。その明らかな違いは、少しだけ寂しさを感じさせる。

「そうだ、リーベにも一つプレゼントしよう」
「これを?」
「ああ。大天使にやつらの影響はないと思うが、念のためにね。それに、コレはギフト。力関係なしに、オマエに幸運を与えてくれる」
「どれでも選んでいいのかっ?」
「好きなのをどうぞ。あぁ、ケースは汚れやすいから、あまり触らないでくれたまえよ」

 リーベは触っていた手を慌ててショーケースから離し、そこを裾で擦る。リーラはその手を握って止めると、ハンカチで拭い、汚れた裾を手で払った。

 店に飾られているのは、どれも目を惹く者たちばかり。しかし一通り見て回ったが、リーベが手を取る事はなかった。ため息が出るほど美しいのはたしかだ。しかしそのどれも、自分が身に付けている絵がイメージできない。これらは全て、他人が着けてこそ輝くのだと感じるのだ。
 見ては首をかしげる悩ましそうな背中を、リーラは葉巻を吸いながら見守る。通常の店であれば、着飾る相手にどんな色がいいだとかアドバイスをするだろう。だがリーラはそれをしなかった。あくまでこれはお守りとなるギフト。魂から繋がる物を手に取れるのは本人だけだ。もちろん、どんなデザインがいいかあらかじめ聞いて、複数用意したりなんかはするが。
 リーラは思い立ったように立ち上がり、カウンターに入る。リーベは音に気を取られて集中が切れたのか、彼女の行動を不思議そうに目で追った。

「まだ商品として出していないのがコレだが、どうだね?」

 互いに見えるようにショーケースの上に置かれたのは、皮製の小さなアクセサリーケース。中には、店に並ぶ物と同じで磨かれた核が眠っていた。
 それは可愛らしい花を象った指輪。花の中央にある灰色をした核の中は、まるで光が差し込むように透明に色が変わっている。

「これ……! これがいい!」
「ん? もっと吟味しなくていいのかね?」
「うん、わたしはこれを着けるべきなんだ」

 まだ出会ったばかりなのに、それはハッキリと感じていた。ただ可愛らしい見た目だからではなく、心がその指輪を求めている。
 リーラはそんな精神的で曖昧な言葉に呆れず、むしろ納得するように頷いた。そう感じるのなら、これも同時に彼を求めているのだろう。物と人との関係性はそういうものだ。彼女は指輪を支えるクッションから抜いて差し出した。

「どっちの手がいい?」

 リーベは左右の手を見比べ、勢いよく右手を突き出す。利き手の方が、よく視界に入るからという単純な理由だった。真っ白な手に黒い手が添えられ、親指から順番に指輪が通っていく。
 リーベの体は、元の持ち主であった玻璃はりの面影を強く引き継いでいる。栄養不足だったせいで、身長も160まで届いていない。その影響で若干骨張っていた手はいくらかふっくらとしたが、それでも少女のような細さがあった。リーラが強く握ればきっとあっけなく折れるだろう。
 この指輪は女性用で、比較的小さめに作ってもらってある。それでも、親指と人差し指はするすると抜けた。だが中指に通した時、それまでの二本にはない程よい引っ掛かりを覚える。

「キツくないかね?」
「うん」

 腕を振ってみても、落ちる気配はない。もし今後キツくなっても、簡単に直せる。小さくすることは手間がかかるが、大きくするのはその場でできる道具もあった。
 リーベは指先で光る指輪を天井にかざして見惚れている。そうすると、真ん中の透明な部分が光を吸収してより眩しく美しい。

「もう少しお店を見てていいか?」
「もちろん。走っちゃいけないよ? ワタシは少し客室に用があるから、何かあったらおいで」

 リーラはいくつかのファイルと、ギフトとなる核を入れた小箱を手にし、客室へ入って行った。まるで影のように、紫色の煙が残る。
 リーベは彼女の背中へ、大きく両手を振って送った。その手にはまる指輪に視線が向くと、ついつい唇が緩む。
 この店内に並ぶ彼らギフトも、いずれこんなふうに誰かと出会う。だがそれは嬉しくも、もう間近で見られない寂しさもあった。だからリーベは、全てのギフトを忘れないようじっくり見たかった。

 ゆっくり、一周二周と店を回り終える。彼の体には少し負担だったのか、足取りが若干重そうに見えた。やがて店内の隅に置かれているソファに腰を落とす。
 静かな空間で落ち着けば、眠くなるのに時間がかからない。大きくあくびをしたあとの瞳は、今にも眠りに落ちそうにとろんとしている。だが目蓋が完全に落ちる事はなかった。目の前を青い蝶が通ったのだ。
 小さな蝶は、リーベの頭上で遊びに誘うように飛ぶ。その通った道には、キラキラした鱗粉が降っていた。再び緑色の目が、夢の中にいるようにとろんと溶ける。蝶はドアの隙間から飛んでいった。リーベはゆっくり立ち上がると、まるで引き寄せられるように店を出て行った。
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