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第三章

ニャムサンの受難 その8

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 ニマはすっかり明るくなった王宮の中庭を横切って、閣議の開かれる高楼に向かっていた。
 こんな時間になってしまうとは、予想外だった。
 捕らえたティゴルを連れて都に帰ったニマはティサンから、ゴーにティゴルを引き渡して詫びるよう命じられた。そこでティゴルを連れて王宮衛兵隊の詰め所を訪ねたが、ゴーは不在だった。衛兵たちは、ティゴルが捕らえられたことに驚きながら地下牢へ連れて行った。意外なことに、彼らは摂政の暗殺未遂について知らなかった。夜もだいぶ更けていたので仕方なく、ゴーが帰ってきたら起こしてくれとだけ頼んで寝てしまった。ゴーが帰ってこなかったから、夜に詰めていた衛兵たちは誰もニマに声をかけることなく帰ってしまった。
 冷たい奴らだ。と思ったが、わざとではなく本当に忘れられてしまっていたのだろう。普段から衛兵隊とは交流はないのだから仕方がない。
 もう閣議が始まる時間だ。指示を仰ごうにも、何事も早め早めに行動するティサンはとっくに議場に入ってしまったに決まっている。
「困ったな。報告せずにサンシさまのもとに帰っていいものかどうか」
 高楼の入り口で途方に暮れていると、ルコンがやって来た。
 ルコンはマシャンの側近だから、ティサンのことを快く思っていないだろう。面倒なことにならないよう気づかぬふりをして立ち去ろうと思ったとき、ルコンがこちらに顔を向けたので目が合ってしまった。慌てて頭を下げる。
「おまえは、ティサンどののご家来ではないか」
 声をかけられて、仕方なくニマは顔をあげて答えた。
「はい」
「兄弟でサンシどのの護衛をしているそうだな」
 なぜ、そんなことを言うのか。ニマは「はい」とのみ答えた。
「ティゴルはどうした。そなたたち兄弟がゴーから逃したと聞いたが」
「昨夜、衛兵に引き渡しました」
「そうか。逃がしたのには、深いわけがあったのだろう。話してくれぬか」
 ルコンは、衛兵も知らなかった事件のことを、詳しく知っているらしい。ティゴルを逃がしたことを咎め立てせず、その動機を慮ろうというルコンの口調に、ニマはゴーに話すつもりだった事件のいきさつを告白することにした。
「ニャムサンさまをお救いするためです」

 眉根を寄せ、深刻な表情で話しを聞いていたルコンが、ニャムサンを助けたことまで話すとホッとした表情を浮かべた。
「いのちに別状はないのだな」
「はい。あちらこちら打撲されていましたが、骨は折れていないようでした。わたしはティゴルを都に送るためにそこでお別れしましたが、今日にも都にお戻りになられるでしょう」
「では、ゴーも知っているのだな」
「それは、まだです」
 ルコンは驚いたように眉をあげる。
「なぜだ。衛兵隊にティゴルを引き渡したのだろう」
「それが隊長はご不在で、朝になっても戻っていらっしゃいませんでした。なので、わが主に報告してから改めて出直そうと思ったのですが……」
 寝過ごしてしまった、と言いにくく、口ごもる。が、ルコンはもうニマの話を聞いていなかった。深刻な表情に戻ってなにか思案をしている。そこではじめてルコンが目の周りを赤く腫らしているのに気がついた。まるで一晩泣き明かしたような。
「ゴーは、確かにまだ帰っていないのだな」
「はい」
「早く、マシャンどのにお伝えせねばならぬ。閣議から帰って来るのを待って直接話そう。それまでに、ニャムサンが自宅に帰っているか確認して来てくれ」
「承知いたしました」
 ニマはサンシの部屋に向かって走った。ニャムサンを送って都に戻っているなら、ダワはそこにいるはずだ。
 ルコンが自分の話を信じてくれたこと、ニャムサンのことをこころから心配しているようすに安堵した。が、なにか、危惧していることがあるらしい。もしかしたら自分が寝過ごしたことで取り返しのつかない事態が起きてしまったのではないか。胸が騒いだ。
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