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第三章
ニャムサンの受難 その2
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訳経所となっている洞窟の前で、サンシの護衛を務めているニマは双子の弟ダワを相手に賽を振っていた。
双子にも関わらず、ふたりはまったく似たところがない。兄のニマはやせっぽちの長身、弟のダワはずんぐりむっくりのチビだ。ニマは気が短く声が高い、ダワは常にのんびり構えていて声が低い。双子だといっても、誰もはじめは信じてくれない。それでもふたりは仲がよく、互いの欠点を互いの長所で補い合っていた。
「なんだか、今日は遅くないか?」
ニマが早口で言うと、ダワはのんびり返す。
「なにが?」
「ニャムサンさまだよ」
「そうかな。いつも陽がてっぺんに来るころだろ?」
ニマは空を振り仰いだ。太陽はふたりの真上で輝いている。
「だから、遅いじゃないか。いつもならもういらっしゃる時間なんだから」
「気ぜわしい兄者じゃあるまいし、時間ぴったりとは限らんさ。まえにも出発しようとしたらゲルシクさまからの使者が来たって、遅れていらしたことがあるじゃないか。あのときも兄者は心配したが、なんでもなかっただろ」
そうなのだが、ニマは胸騒ぎがしてならない。ダワは片手を目の上にかざして伸びあがって見て、言った。
「ほれ、ほれ、お見えになったぞ。遅刻したからお急ぎのごようすだ」
確かに、彼方に土煙を上げて駆けてくる馬が見えた。だが、馬の毛色がわかるほどまで近づくと、彼がニャムサンの護衛を命じられているふたりの兵のひとりだとわかった。
「どうしたのかな」
さすがのダワも、固い声をあげた。
「なにかあったのか?」
兵士が馬から降りるのを待たずに、ニマが話しかけると、兵士は馬から飛び降りて姿勢を正した。
「大変です。シャン・ゲルニェンが攫われました」
「攫われた?」
双子の高音と低音がきれいな和音を作った。
「どこで、誰に?」
「大街道で、下手人は浮浪民のような男です。不覚にも声をあげてしまったので逃げられました。申し訳ございません」
「相棒が追っているのか?」
「はい。しかし相手はニャムサンさまの駿馬に乗っていますので、追いつけるかどうか」
背後から声がした。
「なにかあったのですか?」
振り向くと、不安げな表情を浮かべたサンシの白い顔があった。ニマが兵士から聞いたことを伝えると、サンシは「すぐに行きましょう」とためらうことなく自分の馬を引き出して飛び乗る。ニマとダワも慌てて馬に乗ると、兵士を案内に立て走り出した。
ケラムの洞窟へ伸びる道と、ヤルルン方面と都方面に向かう3本の道が交差するところで、もうひとりの兵士が待っていた。ニャムサンを攫った男は、ヤルルンの方向に走って行ったという。
「申し訳ございません。見失ってしまいました。おそらくそう遠くない洞窟にでも隠れたのだと思いますが」
近くには村落などはなく、道は山と川に挟まれていて抜け道はない。
「たまたま通りがかった裕福そうなニャムサンが目をつけられたのか、はじめからニャムサンを狙って待ち構えていたのか」
サンシは眉間に深いしわを寄せて考え込んだ。ニマは言った。
「生きたまま捕らえたからには、犯人が戻ってくる可能性が高いのではないでしょうか」
サンシはうなずく。
「誰だかわからないが金になりそうだから攫ったのだとしたら、身代金を要求するためにナナム氏に繋ぎを取ろうとする。ニャムサンと知っていてその場で殺さなかったのなら、ニャムサンに近い人間、おそらく陛下か摂政を脅す材料とするためかもしれない。いずれにしても、都に向かうでしょう。動き回って探すより、ここで下手人が現れるのを待ちましょう。ただ、すぐに捕らえても素直にニャムサンの居場所を吐くかどうかはわかりません。しばらく後をつけて、ようすをみてから判断します」
5人は三叉路が見通せる大岩の影で待った。
ときどき旅人がとおり過ぎたが、単身の、それも襤褸を纏った男が通ることはなかった。
暴漢が都に向かうという目論見は外れたのか。
4、5刻ほど経って、焦りを感じたとき、兵士が小声で言った。
「シャン・ゲルニェンの馬ではありませんか?」
さりげなく視線を向けると、ニマにも見覚えのある馬が貧しい身なりの男を乗せてこちらに向かってくる。
ダワがつぶやいた。
「あいつは知っているヤツだぞ」
そう言われれば、はじめた見た顔ではない気がする。
「う……ん……確かに。でも、同僚にあんなヤツがいたかな」
ニマが記憶を探っていると、ダワがアッと声をあげた。
「あれはバル・ティゴルです。遠目で何度か見たことがあります」
「バル・ティゴルですって?」
サンシが動揺した声をあげた。
「ニャムサンは大丈夫でしょうか。まさか……」
ダワが落ち着いた声で言った。
「あいつはドンツァプの失脚にニャムサンさまが関わっていることを知らないはずです。きっとニャムサンさまはご無事ですよ。信じましょう」
5人はティゴルをやり過ごし、そのあとに続いた。
ティゴルは背後をまったく気にすることなく都への道を進んでいった。都の入り口に着くと、降りた馬を放して都に入って行く。5人も馬を降りた。サンシはニマとダワに命じた。
「何をしに来たのかは分かりませんが、捕まってしまってはニャムサンの行方がわからなくなってしまうかもしれない。ふたりはあやつを守り、信用させて、ニャムサンの居場所を探ってください」
「承知しました」
ニマとダワは一礼して、ティゴルに続いて都に入った。
双子にも関わらず、ふたりはまったく似たところがない。兄のニマはやせっぽちの長身、弟のダワはずんぐりむっくりのチビだ。ニマは気が短く声が高い、ダワは常にのんびり構えていて声が低い。双子だといっても、誰もはじめは信じてくれない。それでもふたりは仲がよく、互いの欠点を互いの長所で補い合っていた。
「なんだか、今日は遅くないか?」
ニマが早口で言うと、ダワはのんびり返す。
「なにが?」
「ニャムサンさまだよ」
「そうかな。いつも陽がてっぺんに来るころだろ?」
ニマは空を振り仰いだ。太陽はふたりの真上で輝いている。
「だから、遅いじゃないか。いつもならもういらっしゃる時間なんだから」
「気ぜわしい兄者じゃあるまいし、時間ぴったりとは限らんさ。まえにも出発しようとしたらゲルシクさまからの使者が来たって、遅れていらしたことがあるじゃないか。あのときも兄者は心配したが、なんでもなかっただろ」
そうなのだが、ニマは胸騒ぎがしてならない。ダワは片手を目の上にかざして伸びあがって見て、言った。
「ほれ、ほれ、お見えになったぞ。遅刻したからお急ぎのごようすだ」
確かに、彼方に土煙を上げて駆けてくる馬が見えた。だが、馬の毛色がわかるほどまで近づくと、彼がニャムサンの護衛を命じられているふたりの兵のひとりだとわかった。
「どうしたのかな」
さすがのダワも、固い声をあげた。
「なにかあったのか?」
兵士が馬から降りるのを待たずに、ニマが話しかけると、兵士は馬から飛び降りて姿勢を正した。
「大変です。シャン・ゲルニェンが攫われました」
「攫われた?」
双子の高音と低音がきれいな和音を作った。
「どこで、誰に?」
「大街道で、下手人は浮浪民のような男です。不覚にも声をあげてしまったので逃げられました。申し訳ございません」
「相棒が追っているのか?」
「はい。しかし相手はニャムサンさまの駿馬に乗っていますので、追いつけるかどうか」
背後から声がした。
「なにかあったのですか?」
振り向くと、不安げな表情を浮かべたサンシの白い顔があった。ニマが兵士から聞いたことを伝えると、サンシは「すぐに行きましょう」とためらうことなく自分の馬を引き出して飛び乗る。ニマとダワも慌てて馬に乗ると、兵士を案内に立て走り出した。
ケラムの洞窟へ伸びる道と、ヤルルン方面と都方面に向かう3本の道が交差するところで、もうひとりの兵士が待っていた。ニャムサンを攫った男は、ヤルルンの方向に走って行ったという。
「申し訳ございません。見失ってしまいました。おそらくそう遠くない洞窟にでも隠れたのだと思いますが」
近くには村落などはなく、道は山と川に挟まれていて抜け道はない。
「たまたま通りがかった裕福そうなニャムサンが目をつけられたのか、はじめからニャムサンを狙って待ち構えていたのか」
サンシは眉間に深いしわを寄せて考え込んだ。ニマは言った。
「生きたまま捕らえたからには、犯人が戻ってくる可能性が高いのではないでしょうか」
サンシはうなずく。
「誰だかわからないが金になりそうだから攫ったのだとしたら、身代金を要求するためにナナム氏に繋ぎを取ろうとする。ニャムサンと知っていてその場で殺さなかったのなら、ニャムサンに近い人間、おそらく陛下か摂政を脅す材料とするためかもしれない。いずれにしても、都に向かうでしょう。動き回って探すより、ここで下手人が現れるのを待ちましょう。ただ、すぐに捕らえても素直にニャムサンの居場所を吐くかどうかはわかりません。しばらく後をつけて、ようすをみてから判断します」
5人は三叉路が見通せる大岩の影で待った。
ときどき旅人がとおり過ぎたが、単身の、それも襤褸を纏った男が通ることはなかった。
暴漢が都に向かうという目論見は外れたのか。
4、5刻ほど経って、焦りを感じたとき、兵士が小声で言った。
「シャン・ゲルニェンの馬ではありませんか?」
さりげなく視線を向けると、ニマにも見覚えのある馬が貧しい身なりの男を乗せてこちらに向かってくる。
ダワがつぶやいた。
「あいつは知っているヤツだぞ」
そう言われれば、はじめた見た顔ではない気がする。
「う……ん……確かに。でも、同僚にあんなヤツがいたかな」
ニマが記憶を探っていると、ダワがアッと声をあげた。
「あれはバル・ティゴルです。遠目で何度か見たことがあります」
「バル・ティゴルですって?」
サンシが動揺した声をあげた。
「ニャムサンは大丈夫でしょうか。まさか……」
ダワが落ち着いた声で言った。
「あいつはドンツァプの失脚にニャムサンさまが関わっていることを知らないはずです。きっとニャムサンさまはご無事ですよ。信じましょう」
5人はティゴルをやり過ごし、そのあとに続いた。
ティゴルは背後をまったく気にすることなく都への道を進んでいった。都の入り口に着くと、降りた馬を放して都に入って行く。5人も馬を降りた。サンシはニマとダワに命じた。
「何をしに来たのかは分かりませんが、捕まってしまってはニャムサンの行方がわからなくなってしまうかもしれない。ふたりはあやつを守り、信用させて、ニャムサンの居場所を探ってください」
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