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第三章
尚論殺し その4
しおりを挟むケサン・ゲルコンが殺されてから4年。その間、6人の尚論が襲われた。そのすべてがツァンポ川流域の街道だ。凶器はケサン・ゲルコンのときと同じ、手製の毒矢。下手人は矢を放つと同時に逃げ出すので、そのボロを纏った後ろ姿しか見た者はいなかった。
3人が軽傷を負い、3人は無傷だった。傷を負った3人はかすった鏃の毒に当たって高熱を発したが、たいしたことなく数日で回復した。
命中した鏃が深く身体に入って死んだゲルコンは運が悪かったのだ。
これまで多くの単独で浮浪している者を捕らえて詮議してきた。犯行時に変装をしている可能性も考え、商人や農民にも捜査の網を広げさせた。が、犯人を捕らえることは出来なかった。
ヤルルンやその付近の離宮に夏の宮廷が移るときには、尚論たちは大街道を通行しなくてはいけない。それ以外にもヤルルンにある王墓に通う尚論は多かった。ケサン・ゲルコンのように王命で王墓を詣でる者だけではない。王墓にいる墓守たちは、罪に問われるほどではない失政を犯して引退を迫られた高い位の尚論たちだ。その一族は定期的に王墓にかよい、彼らの生活の資を届けていた。
犯人はまったくの素人だ。
疑わしいのは改革派だが、ティサンやゲルシクなら部下にいくらでも武芸達者がいる。そんな拙い刺客を雇うとは思えなかった。
だから、マシャンはニャムサンを疑っている。
街で知り合ったゴロツキを金で雇っているのではないか、と。
そんなことはあり得ないと信じているルコンだったが、マシャンを説得するだけの証拠はなかった。
とにかく、下手人を捕らえることだ。
ルコンは我が身をおとりにして尚論殺しを捕らえるつもりで、この町で施しを行うと宣伝したのだった。
「バル・ティゴルだ。逃がすな!」
叫んで、ルコンは飛んでくる矢に備えて身構えた。と、ティゴルの姿が見えなくなった。大柄な男の背中が、視界を塞いだのだ。
貧民のなかには襤褸の下に毒矢に備えた甲冑を着用させた兵を潜ませていた。そのなかのひとりか。ルコンは剣を抜くと、あっけにとられる町の長官をしり目に駆け出した。
家来たちが人混みをかき分けて、ルコンの前に道を開く。ティゴルともみ合っていたらしい大柄の男の姿が消えた。その先に、ティゴルが背中を向けて駆け去るのが見える。
「逃がすな、捕らえよ!」
周りの家来が口々に叫ぶと、そこかしこから貧民を装っていた兵士たちがティゴルに向かって殺到する。
横倒しになっている男が仕込みの兵士ではないのは、すぐにわかった。左足がない。ルコンは男の傍らに跪いた。肩に手をかけ引き起こそうとしたとき、胸に突き刺さった矢が見えた。男が身じろぎをする。
「動くな」
鏃には毒が塗ってあるだろう。動けば毒が回る。
いや、もう手遅れか。
至近距離で射られたため、矢の半分ほどが男の胸のうちにめり込み、突き立っている。無理に抜くことは出来なかった。ゆっくりと仰向けにして、肩を抱くと、男は薄目を開けてルコンを見つめた。
「貴公のおかげで命拾いをした。礼を申す」
ルコンの言葉に、男は荒い息を吐きながら微笑んだ。
「ありがたい。あなたにご恩返しが出来たようです」
「恩返しだと?」
「いま、こうして生きているのは、あなたがお助けくださったおかげです。一言でも礼を、せめて遠くからお顔を拝しながら言えたら、と思ってここまで参りました。こんな近くで、直接申しあげることが出来るとは思いもよりませんでした」
「わたしの配下だったのか」
「はい。北方の戦で、怪我を負い、使い物にならなくなった兵卒も、あなたは見捨てることなく帰れるようご尽力くださいました。おかげさまで、こんな身体になったわたしも無事故郷に戻り、最後まで老父母の世話をすることが出来ました。わたしと同じような者は、何百といることでしょう」
男の顔に見覚えはない。にもかかわらず、この男は命がけで刺客の前に身を投げ出してくれたのだ。ルコンが刺客をあぶりだそうなどとしなければ、この男が巻き込まれることはなかった。
男の息が、一層荒くなる。ルコンは男の耳に届くよう、はっきりと言った。
「もうお話されるな。貴公のおこころは存分に伝わりましたぞ」
それでも男は熱に浮かされたような口調で、言葉を吐き出した。
「あの男は、やり直したいと。それに嘘があるとは思えませんでした。若気の至りで道を踏み誤った者に、どうか御慈悲を……」
ツェンポの暗殺に関わったティゴルに、やり直しなどきかぬ。だが、ルコンはうなずいてみせた。男は小さく礼をつぶやき、目を閉じた。
戻って来た家来が言う。
「もうしわけございません。恐慌をきたした者どもが広場の入り口に殺到して、兵も抑えきれず見失いました」
男を医術師のもとに運ぶよう命じて立ちあがる。
「仕方がない。これほどのひとが集まるとは、見込みが甘かった」
ルコンは唇をかんで、貧者たちが逃げ惑う広場を見渡した。
これもマシャンの政治が生み出した者たちなのか。肥沃な土地を持つヤルルンでさえこれなら、気候の厳しい地方にはもっと多くの貧民がいるに違いない。
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