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第二章

マシャンの破仏 その7

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 ポタ……ポタ……
 灯りの届かない部屋の片隅から、水の垂れる音が響いている。誰がいるのか、マシャンには見なくともわかっていた。
 夜の闇が部屋に満ちると現れる者。なにも出来ない無力な者。
 犯した罪の報いである見苦しい死にざまを見せつけるように、全身をびっしょりと濡らして床にうずくまっているドンツァプは、恨みがましいまなざしをマシャンに投げかけながら、ときどきブツブツとつぶやいたり、耳障りな笑い声を立てたりていた。
 昼には太陽の明るさを遮る木立の間や塀の陰から、こちらをうかがっている者たちがいる。マシャンは顔も知らない、身分低い者ども。彼らもこちらに手出しはしない。出来ないのだ。
 やくたいもない。
 みな、自身が死に追いやった人間たちだが、マシャンの心中に畏怖の気持ちがわいてくることはなかった。ただ、少し疎ましい。
 仏教では、死んだ者の魂は中有という審判のときを経て、その功罪に応じたなにものかに生まれ変わり、再びこの世に戻ってくると教えるという。
 バカバカしい。ならば、なぜあの者たちは消えないのだ。
 輪廻転生など、死を恐れる者のための、子ども騙しのまやかしだ。そんな空言を唱える者の教えを、国の基とするわけにはいかない。

 トン……トン……
 ふいに窓の外をなにかがたたく音がした。
 何度も、何度も、あのときのように。入れてくれ、話を聞いてくれ、と哀願するように。
 あやつのはずがない。
 それを確認しようと、マシャンは窓辺に近づき、扉を開け放つ。
 漆黒の闇のなかから身を切るような冷たい風が吹きこんで来て、思わず顔をそむけた。音は続いている。暗がりに目を細めてみると、風にあおられた木の枝が窓枠をたたいていた。
 枝を折り捨てて扉を閉める。
 もう、音が聞こえることはなくなった。
 まだ忘れることが出来ないのか。もう20年も前のことなのに。
 苦笑いを浮かべ、なにげなく右手の人差し指にはめた紅玉髄の指輪に目を落とす。
 そこには、恨めしい目つきでこちらを見つめる顔があった。濡れたように艶めく紅玉髄のなかにいるその者の、口が動いた。
「ようやく、入れてくださいましたね」
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