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第一章
ツェンポの暗殺 その2
しおりを挟むニャムサンは鏡をのぞき込んで、丹念に左の頬を調べた。
腫れはすっかりなくなっている。うっすらとアザが残っているが、もともと色黒の肌をしているおかげで間近で見なければわからない。鏡に向かって微笑みかけると、われながらほれぼれするような優美な笑顔が現れた。
偽物の微笑みだ。だって、自分は全然楽しいと思っていない。
それでも、こんな面の皮一枚の嘘の表情で、女たちは一喜一憂する。
「バカみたい」
真顔に戻ったニャムサンは、ポツリとこぼして窓の外の青空を見あげた。
あれから5日が経っていた。ルコンに対するうしろめたさが湧いて来そうになって、イラ立つ。
「助けてくれなんて頼んでないじゃないか。迷惑だよ」
音を立てて乱暴に鏡を伏せると部屋を出た。
「お出かけですか? またケンカなんかなさらないでくださいね」
乳兄弟で従者のタクがまとわりついて来た。胸の中のモヤモヤをぶつけるようにタクの頭をはたく。
「ついてくんなよ」
「こっちは心配してるんですよ」
頭を抱えて恨めしい目つきでにらむタクをおいて、屋敷の外に出た。
ムシャクシャするときは、幼馴染のナツォクとサンシの住む王宮に足が向く。ふたりにだけは、本音をぶつけることが出来た。サンシは唐に使いに行っていて不在だが、太子であるナツォクはいるに決まっている。
その道中も、ルコンのことばかりが頭に浮かんだ。
放っておいてくれればいいんだ。マシャンや、他の叔父たちみたいに。赤の他人のくせに、誰よりもうるさく説教しやがって。
「あ、ニャムサンさま、お待ちください」
声をかけられて、我に返った。いつの間にか、王宮の入り口までやって来ていたのだ。顔をあげると、門を守る衛兵の愛想笑いが目飛びこんでくる。そのあざとい笑顔を張り飛ばしてやりたい欲求をグッと抑えて微笑みを返してやる。
「どうしたんだ?」
「今日は高位の尚論方がお集まりになって、初夏の競馬の練習をされています。御用のない方は立ち入り禁止ですよ」
「立ち入り禁止? なんで?」
「さあ……」
兵士は首をひねる。なんで競馬の訓練に人払いをするのか。訓練にはツェンポ(王)とナツォクも参加しているだろう。ただ待たされるはつまらないが、極秘の訓練と聞くと俄然興味が湧いて来た。
兵士の肩を抱いて耳に唇を寄せ、ささやく。
「女に会いに行くんだ。訓練は中庭だろ? そこには行かないって約束するよ。見逃してくれよ」
上目使いでニコリとすれば、この世に『ニャムサンの約束』ほどあてにならないものはないことを知っているはずの兵士も鼻の下を伸ばして言うことをきく。
案の定、兵士は下卑た笑みを目元に浮かべた。
「いやぁ、いつもお盛んで羨ましいですねぇ」
「そういうことだから、いいよな」
兵士の肩をたたくとサッサと門をくぐったが、それ以上兵士が引き留めることはなかった。
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