天空の国

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
34 / 51
第三章

謁見

しおりを挟む

「ようこそいらっしゃいました。ちょうど閣議が終わって帰ったところです。陛下にお知らせしましたので、拝謁のお許しが出るまでこちらでお休みください」
 ティサンは前回と同様、穏やかな笑みを浮かべながら早口で迎えた。
 天幕のなかは広々として、天井も高い。机や椅子といった調度品もそろっていて、都の屋敷の部屋とほとんど変わらないように見える。勧められるまま、呂日将が椅子に腰かけると、ティサンは間髪を入れず話し出した。
「予想通り、ルコンどのは和睦が国益に叶うとなかなか強硬に主張されています。しかし……」
 ティサンの瞳に鋭い光が走った。
「和睦がうまくとは思えません。むしろ、和睦派を納得させるためには、一度唐側に和睦を申し入れて破談となったほうがいいかもしれませんね。これは賭けになりますが」
 穏やかに笑むと、先ほどの眼光は気のせいだったのかと思わせる、いかにも人の好さそうな雰囲気を纏ったティサンに戻る。
「すぐに陛下へのお目通りはかなうでしょう。今晩はサンシどのとともにこちらにお泊りください。しかし、あまり長居はされず、明日には都にお帰りになられたほうがいい。ここにいる尚論のなかには、日将どのに好意を抱かぬ者もおるかもしれません。ニャムサンどのはどうされますか」
「わたしもここに泊まる」
「ナナムの方々に、ご挨拶しなくてよいのですか」
「ラナンはいいけど、他の奴らには会いたくない」
 ニャムサンが、ナナム一族の中で浮いた存在であることはサンシから聞いていたが、ラナンに対してだけは敵意はないらしい。ティサンは苦笑いを浮かべた。
「相変わらずですね。まあ、ラナンどのとは陛下のお部屋でお会い出来るでしょう」
 拝謁の許しを告げる使者がやって来たので、ティサンを加えた一行は、さっそく離宮に向かった。

 玉座に座る賛普に呂日将が拝跪しようとすると、賛普は歯切れのよい唐語で声をかけた。
「お顔をあげてください。ここにいるのはみな気心の知れた者だけ。大げさな礼儀はいりません」
 呂日将はまともに目を合わせぬよう注意しながらそっと顔をあげた。二十二歳の賛普は興味深げに瞳を輝かせて、呂日将を見つめている。実際の年齢よりもあどけなく見える面差しは、従兄弟のニャムサンに似ている。賛普の背後に立つ賛普とニャムサンの叔父にあたるラナンは、深くうつむいていて、よく顔が見えなかった。
 賛普は呂日将の経歴についてあれこれ質問を投げかける。呂日将はすべての質問に正直に答えていった。気まずい思いをさせまいという気遣いか、去年のいくさについては触れることなく、質問は終わった。
「僕固将軍のご要望はレン・ティサンより聞いています。わたしは、いま唐と和睦をしても無駄だと思っている。というのも、唐には何度も裏切られているからです。馬嵬駅で楊国忠が遭難したとき、使節が皆殺しにされたのをご存知ですか。あれはわたしが即位して、はじめて派遣した使節団です。その正式な謝罪はいまだにない。内乱のときであったのだから仕方がないと、それに目をつぶって昨年はじめに講和の会盟を結びましたが、その約も反故にされた」
 言葉の強さに、矜持を傷つけられた賛普の怒りがにじんでいるようで、身が縮んだ。
 馬嵬の変にこの国の使節が巻き込まれたとことは、呂日将も知っていた。
 安禄山に長安を追われた玄宗一行が馬嵬駅に到着したとき、吐蕃の使節と出くわした。それに宰相の楊国忠が対応しているのを見て謀反を企んでいると疑った兵士たちが、楊国忠と吐蕃の使節たちを斬り捨ててしまったのだ。
 しかしそれが、この賛普の即位後はじめての使節団だったとは知らなかった。
 賛普の声は急に穏やかになる。
「なので、なんとしても僕固将軍との同盟を実現したいと思っています。決して将軍のご期待を裏切るような結果にはならないでしょう」
 礼を言い、深々と頭を下げる呂日将に、賛普は言葉を継いだ。
「ところで、わが国に来てからお困りのことはありませんか」
「いいえ、レン・サンシが大変よくしてくださいますので、なんの不満もございません」
「でも、退屈されているでしょう」
 いたずらっぽい賛普の声色に、呂日将も笑みを誘われる。
「実は、いささか」
「シャン・ゲルシクのところに行っていただいてはどうだろう」
 賛普の提案に、ティサンは狼狽したような声をあげた。
「しかし、それは……」
「かまわないではないか。呂将軍は騎馬がお得意なのでしょう。わが軍にご教示いただけるのなら、悪いことはないと思う。将軍さえお嫌でなければ」
 ティサンは頭を下げた。
「御意にございます」
 期待に、心の臓が激しく脈打つのを感じた。
「どうでしょう、呂将軍。無理強いはいたしませんが……行ってくださいませんか」
「はい、お許しいただけますなら喜んで」
 声が上ずっているのがわかって、顔が熱くなる。
「シャン・ゲルシクの陣所までの案内はサンシには厳しいだろう。ニャムサンが一緒に行くといい」
 その言葉が、賛普との会見のしめくくりだった。呂日将は、夢見心地で賛普の御前を辞した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【読み切り版】婚約破棄された先で助けたお爺さんが、実はエルフの国の王子様で死ぬほど溺愛される

卯月 三日
恋愛
公爵家に生まれたアンフェリカは、政略結婚で王太子との婚約者となる。しかし、アンフェリカの持っているスキルは、「種(たね)の保護」という訳の分からないものだった。 それに不満を持っていた王太子は、彼女に婚約破棄を告げる。 王太子に捨てられた主人公は、辺境に飛ばされ、傷心のまま一人街をさまよっていた。そこで出会ったのは、一人の老人。 老人を励ました主人公だったが、実はその老人は人間の世界にやってきたエルフの国の王子だった。彼は、彼女の心の美しさに感動し恋に落ちる。 そして、エルフの国に二人で向かったのだが、彼女の持つスキルの真の力に気付き、エルフの国が救われることになる物語。 読み切り作品です。 いくつかあげている中から、反応のよかったものを連載します! どうか、感想、評価をよろしくお願いします!

夫が離縁に応じてくれません

cyaru
恋愛
玉突き式で婚約をすることになったアーシャ(妻)とオランド(夫) 玉突き式と言うのは1人の令嬢に多くの子息が傾倒した挙句、婚約破棄となる組が続出。貴族の結婚なんて恋愛感情は後からついてくるものだからいいだろうと瑕疵のない側の子息や令嬢に家格の見合うものを当てがった結果である。 アーシャとオランドの結婚もその中の1組に過ぎなかった。 結婚式の時からずっと仏頂面でにこりともしないオランド。 誓いのキスすらヴェールをあげてキスをした風でアーシャに触れようともしない。 15年以上婚約をしていた元婚約者を愛してるんだろうな~と慮るアーシャ。 初夜オランドは言った。「君を妻とすることに気持ちが全然整理できていない」 気持ちが落ち着くのは何時になるか判らないが、それまで書面上の夫婦として振舞って欲しいと図々しいお願いをするオランドにアーシャは切り出した。 この結婚は不可避だったが離縁してはいけないとは言われていない。 「オランド様、離縁してください」 「無理だ。今日は初夜なんだ。出来るはずがない」 アーシャはあの手この手でオランドに離縁をしてもらおうとするのだが何故かオランドは離縁に応じてくれない。 離縁したいアーシャ。応じないオランドの攻防戦が始まった。 ★↑例の如く恐ろしく省略してますがコメディのようなものです。 ★読んでいる方は解っているけれど、キャラは知らない事実があります。 ★9月21日投稿開始、完結は9月23日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

真紅羽 ー薄紅色の翼の少女コーラルの物語ー

きのと
ファンタジー
ここは地図には載らない国、空中国家クリムゾンヘブン。赤い翼をもつ翼人の一族が暮らしている。 閉ざされていた世界で生きてきた少女コーラルが偶然見つけた地上の国への扉。それは新しい出会いをもたらしてくれた。 クリムゾンヘブンの危機を救うために入学した魔法学校で、仲間たちと過ごす日々が少女を成長させていく。 ※地味なファンタジーですが、読んでいただけたら嬉しいです

「異世界で始める乙女の魔法革命」

 (笑)
恋愛
高校生の桜子(さくらこ)は、ある日、不思議な古書に触れたことで、魔法が存在する異世界エルフィア王国に召喚される。そこで彼女は美しい王子レオンと出会い、元の世界に戻る方法を探すために彼と行動を共にすることになる。 魔法学院に入学した桜子は、個性豊かな仲間たちと友情を育みながら、魔法の世界での生活に奮闘する。やがて彼女は、自分の中に秘められた特別な力の存在に気づき始める。しかし、その力を狙う闇の勢力が動き出し、桜子は自分の運命と向き合わざるを得なくなる。 仲間たちとの絆やレオンとの関係を深めながら、桜子は困難に立ち向かっていく。異世界での冒険と成長を通じて、彼女が選ぶ未来とは――。

離婚のきっかけ

黒神真司
恋愛
わたしはこれで別れました…

日向坂において

猫子公式
青春
幼馴染の小説

地味すぎる私は妹に婚約者を取られましたが、穏やかに過ごせるのでむしろ好都合でした

茜カナコ
恋愛
地味な令嬢が婚約破棄されたけれど、自分に合う男性と恋に落ちて幸せになる話。

幼馴染が悪魔に憑依され

リヴァイヴ
ライト文芸
なるべく更新できるよう頑張りたいと思います

処理中です...