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第二章
奇矯な貴公子
しおりを挟む草原に、男の声が響いた。
曹健福が一行に停止するように言う。警戒するような彼の眼差しの先に呂日将も視線を移す。
前方から、若いふたりの男がこちらに向かって来るのが見えた。
曹健福は表情を固くして、その青年たちを見つめている。
先に立っているスラリと背の高い青年は、豪奢な毛皮ときらびやかな錦の袍を身に纏っている。金銀の耳飾りと玉石の頭飾りや首飾りが、動くたびにジャラジャラと音を立てた。
なによりも呂日将の目を釘付けにしたのはその美貌だった。
優美に弧を描くクッキリとした眉。長いまつ毛に囲まれた生き生きと輝く大きな瞳。真直ぐに筋の通った小ぶりで高い鼻とふっくらとした上品な唇。やや色黒のきらいはあるが、長安でもこれほどの美男子にはなかなかお目にかかれない。後ろを歩く家来と思われる小柄な若者も、地味ながら上等の絹の着物と帽を身につけている。
これまで見てきた農の民や牧畜の民とは身分の違う者と一目でわかった。
突如現れた場違いな貴公子に、呂日将は背筋が冷やりとするのを感じた。
もしかしたら、この先にあるというシャン・ゲルシクの駐屯地に関係する者かもしれない。
青年はズカズカと曹健福の真ん前にやってくると、なにかを言った。曹健福はしきりに恐縮したようすで頭を下げている。
「この先で軍事演習をしているから近づいてはダメだ。兵にみつかったら鞭打ちになるぞ、と言っています」
いつものように曹可華が通訳をすると、青年は不審そうにこちらに目を向け、つたない唐語で話しかけてきた。
「おまえ、唐人か?」
曹健福が、慌ててなにかを言い募る。おそらく、示し合わていたとおり「ソグド人ではあるが、吐蕃は初めてなので言葉がわからないのだ」と言い訳をしているのだろう。
「本当か? 漢人のような顔してる。唐の間者、違うか?」
青年は惹き込まれるような明るい笑顔になった。冗談で言ったのだろう。
呂日将はこの青年に身分を明かそうと決めた。他にひとの姿は見えないから、危険があるようだったらふたりを斬ってしまえばいい。
曹健福にうなずくと、呂日将は前に出た。
「お疑いのとおり、わたしは商人ではありません。僕固懐恩将軍からの使者としてこの国に参りました。あなたはレン・タクラ将軍かシャン・ゲルシク将軍をご存知ではありませんか」
青年は眉をひそめた。思わず、腰に差す短剣の柄に手をかけそうになる。が、彼はすぐに笑顔になって、背後の丘を指差した。
「知ってる、知ってる。ふたりとも、あっち、いる。わたしはシャン・ゲルニェンという」
それを聞くと、一行は地に這いつくばるように平伏した。なぜかそれを見たシャン・ゲルニェンが嫌な顔をしたので、呂日将は深々と拝礼するのに留めた。
「おまえは? 僕固……という名前、か?」
「いいえ、僕固懐恩からの使者です。わたしの名は呂日将と申します。レン・タクラ将軍にお取次ぎいただければおわかり……」
「ウェェェェェェ!」
荒野に響く奇声に、ギョッとして顔をあげると、大きな眼をさらに丸くして呂日将の顔を覗き込むシャン・ゲルニェンの顔がすぐ目の前にあってドキリとする。
「おまえが呂日将? ケンシの河で夜襲した将軍か?」
ケンシとは京師のことだろう。自分のことを知っているらしい。
「はい。間違えございません」
シャン・ゲルニェンは弾かれるように笑い出した。
「おまえ、なにをしていた。レン・タクラとシャン・ゲルシクは心配とてもしている。ギャジェが愚か者とは本当か?」
ギャジェとはなにか。曹可華に聞こうと思ったが、見当たらない。這いつくばって顔だけあげていた曹健福を見ると、青い顔をしてブルブルと首を振った。
「待って。ここで、待ってて。レン・タクラとシャン・ゲルシク、連れてくる。おまえに」
切れ切れに言うと、シャン・ゲルニェンはヒャラヒャラと笑いながらもと来た道を駆け出した。家来が慌ててそのあとを追う。ふたりの姿はドンドン小さくなり、丘を登って、その向こう側へ消えて行った。
「なんだ、あれは」
ようやく呂日将がつぶやくと、ふうっと息を吐いた曹健福は立ちあがりながら言った。
「奇矯なお方ですな。しかしこんなところでシャンのお方にお会い出来るとは。将軍はご運がよろしい」
「ギャジェとはどういう意味ですか」
「……ギャは中華、ジェは主。つまり、恐れ多いことにございますが、唐の帝のことにございます」
曹健福の後ろで腰が抜けたように座りこんでいる曹可華が、カクカクとうなずいているのが見えた。
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