21 / 60
出胎
その17
しおりを挟む年が明けると、唐から和睦を求める使者がやって来た。それに応じるよう進言したのは、ティサンだ。はなから唐との和睦に反対していた彼が意見を変えたのは意外だったが、ゲルシクがなにも言わないところを見ると、裏がありそうに思えた。
居室で、ラナンとふたりきりになると、王はその意図を教えてくれた。
「和睦はならない。唐で和睦を求めているのは、唐主の周りにいるほんの一部の宦官どもだけだ。郭子儀などの武官はもちろん、文官のなかにも強硬に反対している者が多くいる」
薪を舐める炎に照らされた王の顔が微笑んだ。唐にいる間者からの報告なのだろう。
「会盟の約束は反故にされるに違いない。こちらはそれを待つだけだ。和睦派も、そうなれば文句は言えない」
王は、隴右の地の支配を確実にするためには唐との和睦よりもいくさのほうがよいと考えてる。ティサンはその意を受けて、和睦を諒として見せたのだ。
「破談となったら、出兵ですか」
「そう。レン・タクラとシャン・ゲルシクには、夏の終わりには出兵出来るよう準備させる」
「しかし、ルコンどのは出兵に反対なのでは?」
「どうかな。あのひとはなにを考えているか読めないから。もしかしたら、かなり前からこうなることを見越して和睦を唱えていたのかもしれない」
王の微笑みは苦笑いに変わる。
「彼の忠誠心を疑ってはいないけれど、ときどき煙たく感じることがあるよ。とにかく、なんとしても今年中に出兵する。ラナンもそのつもりで、調練しておいてほしい」
「かしこまりました」
ルコンとゲルシクの和解ののち、ラナンは本格的に騎馬隊の調練に参加するようになっていた。またあの兵たちと過ごすことが出来る。そう思うと、夏が待ち遠しくてならなかった。
王の言ったとおり、開催直前になって会盟は中止された。和睦反対派に押し切られた唐主が、手のひらを返したのだ。
王は激怒した。もちろん、演技だ。王の思惑どおり、その剣幕に和睦派は黙らされた。
こうして僕固懐恩に援軍を出すことが決定した。ゲルシクとルコンの率いる十万の大軍が唐に派遣される。
トンツェンとツェンワとは、すっかり親友となっていた。
いつの間にか人見知りはなくなり、多くの兵士たちとともに過ごすことも苦にならなくなっている。どうやら自分は軍の生活が肌に合っているようだ。
特に騎馬隊の指揮でラナンは目覚ましい上達を見せた。騎馬のみの模擬演習では、トンツェンもツェンワもラナンに勝つことが出来ない。
「実際のいくさはこんなもんじゃねぇぞ」
負け惜しみを言いながらも、トンツェンとツェンワはラナンの成長を喜んでくれた。ルコンは、ラナンに自分の作った精鋭騎馬隊を任せることを決め、王も承認した。
決断を迫られたとき、母やスムジェがどう思うか、と考えることはなくなっている。本心はどうか知らないが、スムジェもラナンから相談しないかぎり余計な口出しはせず、ラナンの指示に従った。
いくさの顛末は散々だった。長安を目前とした邠州で、僕固懐恩とその援軍の迴紇軍を待ったが、どちらもいっこうに姿を見せない。長雨の中、唐軍と小競り合いをくり返しながら、一か月も待ち続けた末に、ようやくやって来た迴紇軍によって、肝心の僕固懐恩が病死していたことが知らされた。そのうえ、唐の総大将郭子儀が迴紇の本陣を直接訪れて味方に引き入れ、寝返った迴紇はこちらを攻撃して来た。
ゲルシクは怒り狂って、一気に長安を攻めようと主張したが、「当初の目的がなくなってしまったからには長居は無用」というルコンの説得に渋々従うことになった。無駄に兵が失われただけで、この国はなにも得ることなく、しかし大きく失うこともなく、唐から引き上げた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜
佐倉 蘭
歴史・時代
★第9回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
「近頃、吉原にて次々と遊女の美髪を根元より切りたる『髪切り』現れり。狐か……はたまた、物の怪〈もののけ〉或いは、妖〈あやかし〉の仕業か——」
江戸の人々が行き交う天下の往来で、声高らかに触れ回る讀賣(瓦版)を、平生は鳶の火消しでありながら岡っ引きだった亡き祖父に憧れて、奉行所の「手先」の修行もしている与太は、我慢ならぬ顔で見ていた。
「是っ非とも、おいらがそいつの正体暴いてよ——お縄にしてやるぜ」
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」に関連したお話でネタバレを含みます。
風の歌よ、大地の慈しみよ
神能 秀臣
歴史・時代
舞台は17世紀初頭のアメリカ。ポカホンタスはインディアンのポウハタン族の娘。旺盛な好奇心と豊かな知性に恵まれ、自然を愛し森の木々や妖精とも会話の出来る彼女は、豊かな大自然の中を自由に駆け回って暮らしていた。
ある日、彼女の前にイギリスから新大陸開拓の為に海を越えて来た男、ジョン・スミスが現れる。通じる筈のない言葉を心で理解し、互いの名を告げ、運命の出逢いに一瞬にして恋に落ちた。
しかし、二人の前には幾多の試練が待ち受ける……。異なる人種の壁に阻まれながらも抗い続けるポカホンタスとスミスの行く末は!?
大自然の中で紡がれる伝説の物語、ここに開幕!
ポカホンタス(Pocahontas、1595年頃~1617年)は、ネイティブアメリカン・ポウハタン族の女性。英名「レベッカ・ロルフ」。本名はマトアカまたはマトワで、ポカホンタスとは、実際は彼女の戯れ好きな性格から来た「お転婆」、「甘えん坊」を意味する幼少時のあだ名だった(Wikipediaより引用)。
ジョン・スミス(John‐Smith、1580年~1631年6月21日)はイギリスの軍人、植民請負人、船乗り及び著作家である。ポウハタン族インディアンとの諍いの間に、酋長の娘であるポカホンタスと短期間だが交流があったことでも知られている(Wikipediaより引用)。
※本作では、実在の人物とは異なる設定(性格、年齢等)で物語が展開します。
あやかし娘とはぐれ龍
五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。
一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。
浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
腑抜けは要らない ~異国の美女と恋に落ち、腑抜けた皇子との縁を断ち切ることに成功した媛は、別の皇子と幸せを掴む~
夏笆(なつは)
歴史・時代
|今皇《いますめらぎ》の皇子である若竹と婚姻の約束をしていた|白朝《しろあさ》は、難破船に乗っていた異国の美女、|美鈴《みれい》に心奪われた挙句、白朝の父が白朝の為に建てた|花館《はなやかた》を勝手に美鈴に授けた若竹に見切りを付けるべく、父への直談判に臨む。
思いがけず、父だけでなく国の主要人物が揃う場で訴えることになり、青くなるも、白朝は無事、若竹との破談を勝ち取った。
しかしそこで言い渡されたのは、もうひとりの皇子である|石工《いしく》との婚姻。
石工に余り好かれていない自覚のある白朝は、その嫌がる顔を想像して慄くも、意外や意外、石工は白朝との縁談をすんなりと受け入れる。
その後も順調に石工との仲を育む白朝だが、若竹や美鈴に絡まれ、窃盗されと迷惑を被りながらも幸せになって行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる