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第二章
京師長安 その2
しおりを挟む「あの爺さん、高暉どのがなにを言っても寝たふりをして一言も口を利きませんでした。やはり無理やり輿に押し込んで、つれてきたほうがよかったのでは?」
京師に入ってから四日目。ナナム・ティ・スムジェは苦笑いを浮かべながら言った。
「いや、病身でらっしゃることはわかっていたから、はじめから期待はしていないよ。まあ、表敬訪問のようなものだ。わざわざすまなかった」
即位儀礼の準備に追われるルコンは、そっけなく言った。
李承宏の即位は明日の予定だった。真似事でかまわない。とにかく、京師で新しい皇帝を立て、年号を定め、朝廷を開いた、という既成事実を作ればよいのだ。自分から売り込みに来る官僚も多くいたから、人事に困ることはない。それでも左相、太子太傅、侍中と要職を歴任している苗晋卿が長安に残っていると聞いたからには、無視をするわけにはいかなかった。
ルコンはスムジェと高暉を苗晋卿の屋敷に送った。ふたりは、病のため臥せっていると必死で止める家来を押しのけて寝所に入り、新たな帝に仕えるよう迫ったが、苗晋卿は応じなかったという。あらかじめ「乱暴なことはしないように」と釘を刺していたので、ふたりは手ぶらで帰ってきた。
その結果に安堵する。
やすやすと侵略者に頭を下げる者どもの多さに、ルコンは幻滅していた。苗晋卿までもが軽々しく新政権に飛びついてきたらすっかり意欲を失ってしまったかもしれない。
若い者たちに言いつけていた捕虜の選別は、順調にいきそうだ。こちらは即位儀礼が終わったら、二、三日中に出発させるつもりだった。驚いたことに、年長のふたりを差し置いて、ラナンが仕事を取り仕切っているらしい。なにかと怠けたがるトンツェンの尻をたたくのがうまい、と途中経過を報告に来たツェンワが笑っていた。
『ひとに対する恐怖心を克服すれば』というゴーの言葉を思い出して、ラナンと年齢が近く人懐こいトンツェンとツェンワと共に仕事をまかせたのだが、期待以上の成果があったようだ。
スムジェをはじめとする一族や家臣の助けがあったとはいえ、後援部隊の働きも見事なものだった。戦闘の指揮をさせてみなくてはわからないが、鍛えればトンツェンとツェンワに肩を並べるだけの将軍になるという感触をルコンは得ていた。
即位の儀は予定通り無事に終わった。
冊書も璽綬も、遠目に見ればそれらしく見える、間に合わせのまがい物だ。儀礼もだいぶ省略させた。それでも袞冕を着用して、百官の拝賀を受けた李承宏は上機嫌で大明宮に入った。
官職を授けようという李承宏の申し出を、ルコンとゲルシクは固辞した。
「わたしたちは自らの栄達のために、ことを起こしたのではありません。ツェンポ・ティソン・デツェンの、末永くおじ舅である唐の帝と友好を結びたい、という希望をかなえるために参ったのでございます」
「ふーん。遠路はるばるやってきて、なにもいらぬと申すか」
李承宏は疑わしげな顔をした。欲深い者は、他人の無欲が信じられないのか。ルコンの言葉を文字通り受けとることができないようすだった。
「いいえ。両国の友好のために、主上にお願いがございます」
「なんだ。言うてみよ」
「はい。昨年の初めに、われらは鴻臚寺にて郭子儀どのと会盟を開催し、毎年絹五万匹と地図を頂戴するとのお約束をいたしました。しかし先の帝はそれを一方的に破棄されたのです。このお約束を守っていただきたい」
絹五万匹とは莫大な量だ。眉をひそめた李承宏に、ルコンは続けた。
「この世界で最も偉大な帝国のすべてが主上のものにございます。たかが五万匹の絹などいかほどのものにございましょう」
愁眉を開いた李承宏はうなずいた。
「よし。朕は約束する。本当にそれだけでよいのか」
ルコンとゲルシクは拝跪した。
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