上 下
23 / 49
第二章

進軍 その1

しおりを挟む
 九月、二十万の大軍は動き出した。
 少なくとも関内に入るまでは本格的な戦闘はない。ルコンのその予測は当たりそうだ。これまでにない大軍に震え上がった鄯州と蘭州は反撃する将もなく、らくらくと落ちた。そこで兵を半分に分け、ゲルシクは大震関から鳳翔、盩厔へと続く南方を進み、ルコンは涇州から咸陽に出る北方の道を行く。
 十万の兵は、隊列を整えゆうゆうと唐の領土を進んでいる。ゲルシクは手応えのなさに退屈しているにちがいない。降伏した将に訊くと、郭子儀とともに内乱鎮圧に大功のあった名将李光弼は宦官の讒言を恐れ、唐主に呼ばれても徐州から出てこないという。朔方を守る僕固懐恩も動く様子がない。いずれも今回の対戦は望めないだろう。がっかりしているゲルシクの顔が思い浮かんだ。
 功績があっても宦官から警戒され、讒言によって官職や兵権を剥奪されたり、死を賜った者が多くいる。それを恐れて働くことを拒否している将軍は他にも沢山いるだろう。ルコンが思っていたよりもはるかに簡単に、長安は手に入るかもしれない。
 ありがたいが、つまらぬいくさだ。
 雑兵にだっていのちがある。それを無駄にしなくてよければ、それに越したことはないのだ。だから、ゲルシクにも戦闘は避けるよう命じていた。
 それでも、出来れば久しぶりの戦場で思い切り暴れてみたいという気持ちが湧いてくる。
 まだそんな気概が残っていたのか。
 北原にいた頃は、死んでもいいとすら思っていたのに。
 ルコンは自分で驚いていた。
 青空のもとにはためく旗を振り仰ぐ。そこにあるのはゲンラム家の紋章ではない。
 鮮やかな真紅の旗には白く『馬重英』と染め抜いてある。
 いまはまだ官職を持たぬルコンは「レン」を名乗るわけにはいかなかった。ならばとツェンポの許しを得て、若き日に先代のツェンポの命で唐に遊学していたときに名乗っていた偽名を旗印とすることにしたのだ。
 かつての自分を知っている人間が、この名を記憶しているかもしれない。
 多くの人間は鬼籍に入っているだろう。だが、生きていることが確実にわかっているひとりの男の顔を思い出して、ルコンは莞爾と笑った。
 彼が京師にいることはわかっている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

商い幼女と猫侍

和紗かをる
歴史・時代
黒船来航から少しの時代。動物狂いでお家断絶になった侍、渡会正嗣と伊勢屋の次女ふたみはあるきっかけから協力して犬、猫、鶏と一緒になって世を守る。世直しドタバタ活劇。綺羅星の様な偉人ひしめく幕末の日本で、二人がひっそりと織り成す物語です。

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

浮雲の譜

神尾 宥人
歴史・時代
時は天正。織田の侵攻によって落城した高遠城にて、武田家家臣・飯島善十郎は蔦と名乗る透波の手によって九死に一生を得る。主家を失って流浪の身となったふたりは、流れ着くように訪れた富山の城下で、ひょんなことから長瀬小太郎という若侍、そして尾上備前守氏綱という男と出会う。そして善十郎は氏綱の誘いにより、かの者の主家である飛州帰雲城主・内ヶ島兵庫頭氏理のもとに仕官することとする。 峻厳な山々に守られ、四代百二十年の歴史を築いてきた内ヶ島家。その元で善十郎は、若武者たちに槍を指南しながら、穏やかな日々を過ごす。しかしそんな辺境の小国にも、乱世の荒波はひたひたと忍び寄ってきていた……

最後の風林火山

本広 昌
歴史・時代
武田軍天才軍師山本勘助の死後、息子の菅助が父の意思を継いで軍師になりたいと奔走する戦国合戦絵巻。 武田信玄と武田勝頼の下で、三方ヶ原合戦、高天神城攻略戦、長篠・設楽原合戦など、天下を揺さぶる大いくさで、徳川家康と織田信長と戦う。 しかし、そんな大敵の前に立ちはだかるのは、武田最強軍団のすべてを知る無双の副将、内藤昌秀だった。 どんな仇敵よりも存在感が大きいこの味方武将に対し、2代目山本菅助の、父親ゆずりの知略は発揮されるのか!? 歴史物語の正統(自称)でありながら、パロディと風刺が盛り込まれた作品です。

処理中です...