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本編
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マシェリが人さらいに遭ったのは、十歳の時だった。
別荘近くの湖で泳ぎ、両親のもとへ戻ろうとしたところを捕まったのだ。「珍しい髪色の女の子は、カイヤニ公国の花街で高く売れる」そう言って男たちは笑った。粗末な馬車の中には、マシェリと同じ年頃の女の子たちが既に数人乗せられていて、皆、縄で縛り上げられていた。
当時から男勝りな令嬢で、おままごとより戦闘ごっこが得意だったマシェリは暴れ、そしてーー男に薬を嗅がされてしまう。
地面に倒れ朦朧とする意識の中、閉じかけた目でマシェリが見たのは、自分を庇うように立つひとりの男性の後ろ姿だった。
むせかえるような薔薇の香りと、男たちの悲鳴。
その記憶を最後にマシェリの意識は途切れ、気付いた時には療養所のベッドの上にいた。人さらいは全員捕縛され、女の子たちは皆無事に救出されたと、母が小言まじりに教えてくれた。
今でも時折夢に見る。どこからともなく颯爽と現れ、マシェリたちを救ってくれた、見知らぬ男性の後ろ姿を。
(……でも、いくらなんでも失礼よね。こんな女性らしい体つきの方に向かって、男と似ている、だなんて)
自分の盾になってくれた頼もしい背中を見て、脳が何かの錯覚を起こしたに違いない。
半ば強引に納得したマシェリは、ユーリィの肩をぽんと叩いた。
「ありがとうございます、ユーリィ様。……でも、わたくしは平気ですわ」
「マシェリ様」
「あら、意外と聞き分けがいいのね。ほんの少し待たせたくらいで、殿下の執務室に踏み込むくらいだもの。私なんか、蹴っ飛ばされると思ってたのに」
鉄仮面の笑顔でフローラが言い放つ。
なるほど、これが嫁姑戦争というやつか。実家で犬と猿みたいにいがみ合う母と祖母を思い浮かべ、マシェリはため息をついた。
「マシェリ様に絡むのはおやめ下さい、フローラ様。ーーそれより、さっき陛下に呼び出されたそうですが、果物の件はどうなりました?」
「どうもこうもないわ。ルシンキ公国の使者が、荷馬車いっぱいの果物を持って来たのよ。明日のパーティーにお使いくださいと言ってね」
「ルシンキ公国の? ……それって、まさか」
「間違いなく賄賂でしょう。殿下の妃候補の件、まだ諦めていないのよ。あそこの大公、本当にしつこいんだから」
いらいらした様子で腕組みをすると、フローラは突然キッ、とマシェリを見据えた。
「マシェリ様。貴女は、殿下の婚約者としての自覚をもう少ししっかりとお持ちくださいませ」
「はっ、はい」
「あの殿下が、初めて妻にとお望みになられたのです。私には理解し難いですが、貴女にもきっと探せば良いところがあるのでしょう」
「……」
「ならば私は、お二人がしあわせになるためのお手伝いに徹するまで。ーーさあ、ドレスの試着に参りましょうマシェリ様。皇都で一番腕のいいの職人に、徹夜で仕立てさせた逸品が待ってますわよ」
手を取り、鉄仮面がにたりと笑う。
マシェリは冷や汗をかいた。その笑顔と、職人が夜鍋して作ったドレスが重すぎる。
(また喉が渇いてきちゃったわ……)
ため息まじりに呟きながら、マシェリはフローラとともに奥の部屋へと入って行った。
別荘近くの湖で泳ぎ、両親のもとへ戻ろうとしたところを捕まったのだ。「珍しい髪色の女の子は、カイヤニ公国の花街で高く売れる」そう言って男たちは笑った。粗末な馬車の中には、マシェリと同じ年頃の女の子たちが既に数人乗せられていて、皆、縄で縛り上げられていた。
当時から男勝りな令嬢で、おままごとより戦闘ごっこが得意だったマシェリは暴れ、そしてーー男に薬を嗅がされてしまう。
地面に倒れ朦朧とする意識の中、閉じかけた目でマシェリが見たのは、自分を庇うように立つひとりの男性の後ろ姿だった。
むせかえるような薔薇の香りと、男たちの悲鳴。
その記憶を最後にマシェリの意識は途切れ、気付いた時には療養所のベッドの上にいた。人さらいは全員捕縛され、女の子たちは皆無事に救出されたと、母が小言まじりに教えてくれた。
今でも時折夢に見る。どこからともなく颯爽と現れ、マシェリたちを救ってくれた、見知らぬ男性の後ろ姿を。
(……でも、いくらなんでも失礼よね。こんな女性らしい体つきの方に向かって、男と似ている、だなんて)
自分の盾になってくれた頼もしい背中を見て、脳が何かの錯覚を起こしたに違いない。
半ば強引に納得したマシェリは、ユーリィの肩をぽんと叩いた。
「ありがとうございます、ユーリィ様。……でも、わたくしは平気ですわ」
「マシェリ様」
「あら、意外と聞き分けがいいのね。ほんの少し待たせたくらいで、殿下の執務室に踏み込むくらいだもの。私なんか、蹴っ飛ばされると思ってたのに」
鉄仮面の笑顔でフローラが言い放つ。
なるほど、これが嫁姑戦争というやつか。実家で犬と猿みたいにいがみ合う母と祖母を思い浮かべ、マシェリはため息をついた。
「マシェリ様に絡むのはおやめ下さい、フローラ様。ーーそれより、さっき陛下に呼び出されたそうですが、果物の件はどうなりました?」
「どうもこうもないわ。ルシンキ公国の使者が、荷馬車いっぱいの果物を持って来たのよ。明日のパーティーにお使いくださいと言ってね」
「ルシンキ公国の? ……それって、まさか」
「間違いなく賄賂でしょう。殿下の妃候補の件、まだ諦めていないのよ。あそこの大公、本当にしつこいんだから」
いらいらした様子で腕組みをすると、フローラは突然キッ、とマシェリを見据えた。
「マシェリ様。貴女は、殿下の婚約者としての自覚をもう少ししっかりとお持ちくださいませ」
「はっ、はい」
「あの殿下が、初めて妻にとお望みになられたのです。私には理解し難いですが、貴女にもきっと探せば良いところがあるのでしょう」
「……」
「ならば私は、お二人がしあわせになるためのお手伝いに徹するまで。ーーさあ、ドレスの試着に参りましょうマシェリ様。皇都で一番腕のいいの職人に、徹夜で仕立てさせた逸品が待ってますわよ」
手を取り、鉄仮面がにたりと笑う。
マシェリは冷や汗をかいた。その笑顔と、職人が夜鍋して作ったドレスが重すぎる。
(また喉が渇いてきちゃったわ……)
ため息まじりに呟きながら、マシェリはフローラとともに奥の部屋へと入って行った。
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