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本編
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外はまだ明るく、シャンデリアは点けられていない。何となくホッとしながら、丸テーブルの席に着く。
昨日は気づかなかったが、ここは護衛のための控え室に隣接しており、普段は近衛や騎士たちが休憩に利用しているらしい。
そのため、時間をずらせば誰とも顔を合わせずに済む。加えて皇太子や皇帝が来ることもほとんどないため、内緒話にはもってこいなのだとか。
なるほど、と感心しつつ、休憩室には不似合いなチェストについ目がいってしまう。
「どうぞ」
ルドルフが慣れた手つきで紅茶をテーブルに置く。
カップを傾けると、ふわりと湯気から柑橘の香りがした。口に含むとお茶の味しかしないのに……ちょっと不思議な紅茶である。
「褒賞金の方は滞りなく手続きが完了しました。先にご説明していた通り、数日後には小切手がテラナ公国のクロフォード伯爵家宛に届くはずです」
「分かりました。……でも、驚きましたわ。婚約者にまで褒賞金が出るだなんて」
しかも『一週間城に滞在』できた時の褒賞金に比べ、ひとつ桁が違っていた。父からの借金を一度で返してもお釣りがくるような大金で、つい何か裏があるのではと勘繰ってしまう。
うまい話は徹底的に疑ってかかれ。それが領地の経営者たる父の教えだ。
「それだけ陛下がお喜びになっている、ということですよ。何しろ殿下には今まで一度も浮いた話がなく、このままでは生涯独身で通されるかもしれないと、本気で心配なさってましたから」
「しょ……生涯独身って、まさかそんな」
マシェリの背中に、嫌な汗が伝った。
「本当です。今までに何人か公女様が妃候補になられたんですが、殿下はその誰ともお会いにならず、釣書すらもご覧にならない有り様でしたから……マシェリ様がフランジアへ来られて、殿下と婚約してくださったこと、陛下も、私達もとても感謝しているのですよ」
「ルドルフ様……」
(だからあんなに嬉しそうだったのね)
マシェリは、『おめでとうございます』と言ってくれた若い近衛たちの笑顔を思い出した。
次期皇帝が女嫌いで妃が決まらない。
マシェリにとっては他国の事情で、お茶会の話題にのぼる程度の話でも、帝国で暮らす彼らにとっては深刻な問題だったのだろう。
ビビアンや大臣たちとは違い、国益より生活の安定の方が大切なのだ。
(つまりこちらが国民の声)
けれどグレンが背負っているのは、きっとその両方だ。
国民の生活も国益も守っていける皇帝になるべく、努力を重ねていかなければならない。ーーしかも、たったひとりだけで。
「殿下のお母様は……皇妃様はいつお亡くなりになられたんですの?」
「今から七年ほど前、殿下が七歳の時です。皇妃様は殿下と同じ黒髪に漆黒の瞳をお持ちの……それは美しく、優しい方でした」
そういえば皇帝の髪は鳶色だった。優しいかどうかは別にして、グレンの外見はどうやら亡くなった母親似らしい。
「そう……なんですのね。ルドルフ様は、その頃にはもう騎士に?」
「ええ。陛下に忠誠を誓い、城にお仕えしておりました」
「では、その頃の殿下の好みはご存知ですか? たとえば、寝る前によく読んでた絵本だとか」
「本?」
正面のルドルフが目をまばたく。
テーブルの紅茶を端によけると、マシェリは手をついて身を乗り出した。
「実は、殿下に寝かしつけを頼まれてしまって。どんな絵本を読もうか悩んでたんですの。ですから、もし知っていたら教えてくださいませ、ルドルフ様」
「ね、寝かしつけですか? でも、殿下はもう十四歳でしょう。言葉通りに受け取るのは……その」
「いいえ。わたくしが頼まれたのはあくまでも、絶対に、『寝かしつけ』です。それ以上でも、それ以下でもありません」
そうきっぱりと言い切り、マシェリが淑女の笑みを浮かべる。ルドルフは頰を引きつらせてマシェリを見た。
「……それならちょうど良いものがあります。少々、お待ちいただけますか?」
軍服の襟を正しつつ立ち上がったルドルフが奥の部屋に消えると、マシェリは椅子に座り直し、残った紅茶を飲み干した。
(わたくしが今守るべきは、お父様との約束と自分の貞操)
だけど、祝いの言葉を裏切る代償くらいは払っていく。責任はちゃんととる。
ようは、皇太子に新しいお相手ができれば良いのだ。
マシェリに好意を持ったということは、グレンは決して女嫌いなわけではない。その事実はマシェリを窮地に追い込んだ原因であるとともに、ひとかけらの希望でもあった。
グレンは公国の公女すべてを拒絶したわけではない。婚約者候補に選ばれたことのない、年頃の公女がまだ数人いるはずだ。
その中から、皇太子妃に相応しいお姫様を見つけ出せれば。
(きっと皆、しあわせになれる)
昨日は気づかなかったが、ここは護衛のための控え室に隣接しており、普段は近衛や騎士たちが休憩に利用しているらしい。
そのため、時間をずらせば誰とも顔を合わせずに済む。加えて皇太子や皇帝が来ることもほとんどないため、内緒話にはもってこいなのだとか。
なるほど、と感心しつつ、休憩室には不似合いなチェストについ目がいってしまう。
「どうぞ」
ルドルフが慣れた手つきで紅茶をテーブルに置く。
カップを傾けると、ふわりと湯気から柑橘の香りがした。口に含むとお茶の味しかしないのに……ちょっと不思議な紅茶である。
「褒賞金の方は滞りなく手続きが完了しました。先にご説明していた通り、数日後には小切手がテラナ公国のクロフォード伯爵家宛に届くはずです」
「分かりました。……でも、驚きましたわ。婚約者にまで褒賞金が出るだなんて」
しかも『一週間城に滞在』できた時の褒賞金に比べ、ひとつ桁が違っていた。父からの借金を一度で返してもお釣りがくるような大金で、つい何か裏があるのではと勘繰ってしまう。
うまい話は徹底的に疑ってかかれ。それが領地の経営者たる父の教えだ。
「それだけ陛下がお喜びになっている、ということですよ。何しろ殿下には今まで一度も浮いた話がなく、このままでは生涯独身で通されるかもしれないと、本気で心配なさってましたから」
「しょ……生涯独身って、まさかそんな」
マシェリの背中に、嫌な汗が伝った。
「本当です。今までに何人か公女様が妃候補になられたんですが、殿下はその誰ともお会いにならず、釣書すらもご覧にならない有り様でしたから……マシェリ様がフランジアへ来られて、殿下と婚約してくださったこと、陛下も、私達もとても感謝しているのですよ」
「ルドルフ様……」
(だからあんなに嬉しそうだったのね)
マシェリは、『おめでとうございます』と言ってくれた若い近衛たちの笑顔を思い出した。
次期皇帝が女嫌いで妃が決まらない。
マシェリにとっては他国の事情で、お茶会の話題にのぼる程度の話でも、帝国で暮らす彼らにとっては深刻な問題だったのだろう。
ビビアンや大臣たちとは違い、国益より生活の安定の方が大切なのだ。
(つまりこちらが国民の声)
けれどグレンが背負っているのは、きっとその両方だ。
国民の生活も国益も守っていける皇帝になるべく、努力を重ねていかなければならない。ーーしかも、たったひとりだけで。
「殿下のお母様は……皇妃様はいつお亡くなりになられたんですの?」
「今から七年ほど前、殿下が七歳の時です。皇妃様は殿下と同じ黒髪に漆黒の瞳をお持ちの……それは美しく、優しい方でした」
そういえば皇帝の髪は鳶色だった。優しいかどうかは別にして、グレンの外見はどうやら亡くなった母親似らしい。
「そう……なんですのね。ルドルフ様は、その頃にはもう騎士に?」
「ええ。陛下に忠誠を誓い、城にお仕えしておりました」
「では、その頃の殿下の好みはご存知ですか? たとえば、寝る前によく読んでた絵本だとか」
「本?」
正面のルドルフが目をまばたく。
テーブルの紅茶を端によけると、マシェリは手をついて身を乗り出した。
「実は、殿下に寝かしつけを頼まれてしまって。どんな絵本を読もうか悩んでたんですの。ですから、もし知っていたら教えてくださいませ、ルドルフ様」
「ね、寝かしつけですか? でも、殿下はもう十四歳でしょう。言葉通りに受け取るのは……その」
「いいえ。わたくしが頼まれたのはあくまでも、絶対に、『寝かしつけ』です。それ以上でも、それ以下でもありません」
そうきっぱりと言い切り、マシェリが淑女の笑みを浮かべる。ルドルフは頰を引きつらせてマシェリを見た。
「……それならちょうど良いものがあります。少々、お待ちいただけますか?」
軍服の襟を正しつつ立ち上がったルドルフが奥の部屋に消えると、マシェリは椅子に座り直し、残った紅茶を飲み干した。
(わたくしが今守るべきは、お父様との約束と自分の貞操)
だけど、祝いの言葉を裏切る代償くらいは払っていく。責任はちゃんととる。
ようは、皇太子に新しいお相手ができれば良いのだ。
マシェリに好意を持ったということは、グレンは決して女嫌いなわけではない。その事実はマシェリを窮地に追い込んだ原因であるとともに、ひとかけらの希望でもあった。
グレンは公国の公女すべてを拒絶したわけではない。婚約者候補に選ばれたことのない、年頃の公女がまだ数人いるはずだ。
その中から、皇太子妃に相応しいお姫様を見つけ出せれば。
(きっと皆、しあわせになれる)
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