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第一章
38 マルクスという男
しおりを挟む「グラニエ公爵家の庇護下にあるルナリア嬢に対し、暴行未遂を行った。これは、許されざる事です」
裁判官の言葉にそうだそうだと野次が飛ぶ。
「まま待ってください!それならば、私達だけではなく、ルナリア嬢も同罪でしょう!ならず者をアメリーにけしかけ暴行未遂を行ったのですから」
エゾン様が苦し紛れにそう言い放つ。
それに対して裁判官はあからさまに深い溜息を落とした。
「貴様っ!さっきから何だその態度は!私は公爵家の次期当主だぞ!」
「その肩書きも今日でおしまいだけどね……」
エゾン様が喚くと、嫌悪した目を向けてアネット様が小さく呟いた。
「何度も申し上げますがルナリア嬢には冤罪がかけられております。その一つが、エゾン殿が言われたアメリー嬢を襲ったという暴行未遂です。そしてもう一つはルナリア嬢がアメリー嬢を階段から突き落としたという傷害罪です」
「ルナリアが冤罪なんて有り得ません!私は本当に襲われて階段から突き落とされたのですよ!?あぁっ、今思い出しても恐ろしいです」
「アメリー、大丈夫か!?」
「心配するな。アメリーは俺が命に変えても守る」
「見ての通り、アメリーはこう証言しております。それに、ルナリア嬢の罪に関しては全て証拠があります!」
アメリーはパトリス殿下に怯えた様子で縋り付く。
それを抱き留め、宥める殿下と側近達。
エゾン様のいう証拠とは、婚約破棄で突き付けられた罪状の事だろう。
確かに、私が本当にその罪を犯していたならば弁明の余地もない証拠であっただろう。
だが、私は暴行未遂と傷害罪は犯していない。
冤罪であるということは、必ずその証拠には綻びが出来るということ。
「その証拠と言うのは、パトリスが儂に提出してきた書類の事か?」
「そうです父上。父上もあの書類に目を通されましたよね?」
パトリス殿下は陛下の介入に渡りに船とばかりに問い掛ける。
「ああ、目を通したとも。確かに、証拠としては十分だった」
「では!」
「だが!それが真実であればの話だ。」
陛下の介入が突破口になると信じて華やいだ表情から一転。
否定の言葉にパトリス殿下達は顔を曇らせた。
「それは……どういう事ですか」
「此処から先は私が説明致しましょう。殿下方が提出された書類は証拠としては十分でした。私達もこの証拠だけならば、ルナリア嬢に有罪判決を出していたことでしょう」
裁判官が滔々と述べる。
証拠は十分であるのに何故私が冤罪なのかと傍聴席にも波紋が広がる。
「殿下達が上げられた証拠を覆す証拠を提出された方がいたのです」
「そんな馬鹿な。私達の証拠は証人もいれば犯人からの証言だって取ってあるのだぞ!それを覆すだと?一体誰がっ」
「ディオン殿です」
殿下の問いに、裁判官が口にした答えに一斉にディオン様へと視線が集まる。
「どういう事だ……ディオン、貴様。何の相談も無しに。私を裏切ったのか」
「何を仰る。私は言ったはずです、ルナリア嬢にきちんと目を向けて下さいと。アメリー嬢がならず者に襲われた時、貴方はアメリー嬢や現行犯で捕まった犯人の証言を鵜呑みにして否定するルナリアの言葉に一切耳を貸さなかった」
「犯人は自分がやったとは言わんだろう。聞いたところで無駄だ。それに、犯人達がルナリアが黒幕だと言ったのだぞ」
「犯人達はアングラード家の令嬢と名乗る者に買収されたと証言されたのですよね?」
「そうだ。アングラード家の令嬢はルナリアしかいないだろう」
彼等のやり取りに思わず私は唖然としてしまった。
殿下は本当に犯人達の言葉を鵜呑みにしたのだろうか。
こんなにも、稚拙な罠に引っ掛かったというのか。
私の言葉よりも犯人達の証言を信じたという事実のショックよりも、少し考えれば誰でも分かるような穴だらけの証言に驚きを隠せなかった。
「捕まればバラされる可能性があるのに、本名を名乗るメリットが何処にありますか?普通、名前は隠すものでしょう」
「それは……ルナリアの頭が足りなかっただけだろう」
「頭が足りないのは貴方の方ですよ」
殿下の苦しい言い訳にディオン様が一蹴する。
仮にも、一国の王子に対して謗る言葉に一同唖然とする。
アネット様だけは、扇子で口元を隠し肩口が揺れていることから笑いを耐えているのが伺えた。
「なっ……何だと貴様っ!」
パトリス殿下が憤って立ち上がる。
「それに、真犯人は大きな過ちを犯していたんですよ」
「此方をご覧下さい。ある人物の肖像画です」
そう言って、裁判官が掲げたのは一人の男性の肖像画だった。
「ルナリア嬢に問います。貴女はこの人物をご存知ですか?はいかいいえで答えてください」
「……はい」
「次にアメリー嬢に問います。貴女はこの人物をご存知ですか?同じく、はいかいいえで答えてください」
「いいえ」
「ありがとうございます」
裁判官はそれだけ言うとその肖像画を机の上に下ろした。
描かれていたのは凶悪そうな強面の男性。
右眉部分には切傷痕があり左頬にも深い傷痕がある。
私はこの男を知っている。
「この人物はある人物にとある令嬢を襲ってくれと頼まれたと言っています。その依頼をして来たのはアングラード家の令嬢と名乗ったそうです」
傍聴席がざわめき出す。
向かいに座るアメリーの口角が上がり私を見つめる。
「その証言により、ルナリア嬢が犯人ではない事が確定致しました」
「……は?はあぁぁ?ちょ、ちょっと待ってください!今ので如何してルナリアが犯人じゃないってなるんですか!ルナリアが犯人だと証言してるじゃないですか!」
「ルナリア嬢、先程の人物がどういった人物であるか説明出来ますか?」
「はい」
裁判官はアメリーの言葉を無視して私に問う。
私は一つ頷いて、立ち上がった。
「彼は元盗賊にして凶悪犯。金銭さえ積めばどんな仕事も請け負っていた人物です。」
「名前はご存知ですか」
「名前はマルクス様です」
「彼が今何をされているのかご存知ですか?」
「はい。今は騎士団二番隊副隊長として最前線にて御活躍されております」
「その通りです。今此処にいる方々の中でアメリー嬢以外彼の事を知らぬ者はいないと思います。彼は有名人ですからね」
「凶悪犯が騎士ってどういう事!?」
「彼は三年前に騎士団に捕まった。しかし、彼は人外とも思える剛腕で牢を破って脱獄を試みました。ですが、騎士団二番隊隊長の前に彼は敗北し監獄に戻されるところを二番隊隊長殿に騎士団に入らないかとスカウトされたのです」
「何それ。そんなのシナリオになかったんだけど!ハッ……だからあいつ……」
アメリーがブツブツと何かを呟く。
元盗賊のマルクス様は有名な凶悪犯。
ゲームのシナリオでは脱獄に成功し、ルナリアと接触する。
そこで、暗殺依頼を受けてアメリーを襲うのだが、長らく女を絶たれていたマルクスはアメリーを殺す前にと手を出そうとする。
そこに、市内視察を行っていた騎士団に混ざってついてきていたジェルマン様に間一髪のところ発見されて騎士団に再度捕縛されるという内容だ。
しかし、彼はこの世界では盗賊から足を洗い、騎士団に入隊し二番隊副隊長にまでのし上がっている。
それに、一番隊と二番隊は昨今大きな戦に駆り出されていた。
そこで、マルクス様は自慢の剛腕を戦場で大いに活躍させ一躍英雄となった。
「その二番隊副隊長である事を知っているルナリア嬢が彼に暗殺依頼をするとは到底思えません」
「だ、だけど、依頼した後に知った可能性だってあるでしょう?」
「その可能性はゼロに近いです。ルナリア嬢は次期王子妃として騎士団にも顔を出されていました。翌日には戦場に向かうと知っていて騎士達に労いの言葉をかけているのに、その相手に暗殺を依頼するなど万が一にも有り得ないことです。それに、今や騎士として活躍する彼に依頼するには大博打過ぎる」
そう、私は一ヶ月と少し前。
騎士団二番隊が小競り合いを起こしている戦場に助っ人として派遣される事を知り、本来はパトリス殿下と共に労いの言葉をかけに行くところ、彼はアメリー嬢達と王都へと出向いてしまった為一人で向かった。
その翌々日にアメリー嬢にならず者を送ったとして私が疑われた。
その時は、私も一応否定はした。
初めは犯人も黒幕を匂わせていただけで私が黒幕だとは証言していなかった。
だけど、パトリス殿下達は私がアメリーに嫉妬してならず者を送り込んだのだと決め付けた。
アメリーを囲む四人の男性から犯人だと決め付けられ、罵声を浴びせられれば怖くて言い返す事も出来ない。
聞いてくれないのならば、私の言葉に耳を傾けてくれないのならば言っても一緒。
言っても無駄だと諦めた。
逆らわずいい子でいる事が、私の存在意義。
そう、育てられた。
言い訳をしようものならば容赦無く打たれる。
自分が悪く無くても、強者が黒というのならばそれを受け入れるしかない。
ほとぼりが冷めるまでじっと耐えるしかない。
そうやって、全てを諦めてしまっていた。
「裁判官、マルクスが騎士団である事をルナリアが知っていたからと言って別のならず者を送り込んだ事には変わりないだろう!事実、犯人達もルナリアが黒幕だと吐いたんだ」
「パトリス殿下、本当にルナリア嬢が犯人だと思うのですか?マルクス殿とならず者達に接触したのは同一人物です。マルクス殿に依頼したのがルナリア嬢では無いという時点でルナリア嬢は黒幕の犯人から外されています」
「じゃあ、誰が黒幕だと言うんだ」
「黒幕は今あなた方と一緒にいるご令嬢ですよ。ならず者に依頼したのは、アメリー嬢です」
「何を馬鹿なことをっ!」
「何故アメリーがならず者に自分を襲わせるんですか!少し考えれば有り得ないことだと分かるでしょう!」
「嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ!アメリーは襲われていたんだぞ!俺は襲われているところをしっかりとこの目で見た!」
パトリス殿下、エゾン様、ジェルマン様が怒りに震えて声を上げる。
しかし、裁判官は意に介さず言葉を続けた。
「マルクス殿と犯人達に依頼主について詳しく調査しました。その記録をとったのはディオン殿とクリストフ殿下です。此処に記載されている依頼主の特徴はヒールを履いて160センチ前後。声の質は可愛らしい声、マルクス殿によると甘ったるい耳にしつこい声とのことです。」
「ルナリアの身長は164センチ。ヒールを履くと170近くなります。十センチの差は大きい。それに、ルナリアの声は透き通るような涼やかな声をしています。今までルナリアが証言した声から皆さんにも理解して頂ける思います」
ディオン様が言うと、傍聴席の貴族達は近くの者達と顔を見合わせて、確かにというふうに頷いた。
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