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第四章
錯綜する影
しおりを挟む白く波立つ海辺に沿うように、緩やかな半円を描く国道を三台のバイクが走り抜けていく。
先頭の大男が曇り空を穿った。“火龍炎”の特攻服が殺風景な岩場に靡くと、鴨川新九郎の腰に必死にしがみ付いていた徳山吾郎は、広い広い水平線の彼方に大切な黒縁メガネが飛ばされていくという錯覚に、本日数十回目の悲鳴を上げる。二人の影を追うは大野蓮也と未だ病院服姿の長谷部幸平。最後尾では“苦獰天”総長である野洲孝之助の純白の特攻服を見下ろすようにして、後部シートで仁王立ちとなった睦月花子の頬が、潮風を正面から切り裂いていった。
「座らんかああぁ!」
野洲孝之助の怒鳴り声が延々と岩を削る潮騒と拮抗する。花子は視線を落とすことなく、彼の真後ろで腕を組んだまま、薄墨色の空と重なる青藍の海に目を細めた。
「このクソアマああぁ! せめて肩を掴めええぇ!」
花子は思った。たとえ暗い雲にその宝玉の輝きが奪われたとて、視界に収まらぬ雄大さには一切の負い目が感じられない、と。まさに心は錦の境地。波飛沫が荒々しく岩場に打ち上がり、白く濁った泡沫が大地に覆い被さる。その隙間を抜けるようにして、花子の熱い視線が波浪を置き去りにする。風を切っているのではない、風となっているのだ。この高揚感。心地良さ。陰鬱な空模様もまた大自然の導きであった。地球という一個の生命の息吹を、花子はその全身で感じてとっていた。
ああ、バイクが欲しい──。
「振り落とされても知らんぞおおぉ!」
「うっるさいっつのよこのクソドアホ! 今まさに地球の息吹感じてんだから黙ってなさいよ!」
「そもそもどうやって立っとるんだ貴様ああぁ!」
怒鳴り声が波の音を呑み込む。やがて廃れた漁村には不釣り合いな白いビルが視界に現れようとも、まさに打ち寄せる波のように、二人の声が途切れることはなかった。
意識を取り戻して先ず、早瀬竜司は焼けるような全身の痛みに呻いた。
目に映るのは黒く腐り湿った木屑の山と、凸凹に劣化したコンクリートの床ばかり。視線を上げるのも億劫で、すぐに脈打つ痛みとは無関係に身体が動かせないことに気が付いた竜司は、諦めたように口から息を吐き出した。張り詰めていた糸が切れ、ゆらりと身体が横に倒れる。すると、ふわりと、竜司の頬に柔らかな何かが当たる。優しげな匂いに呼吸が和らでいく。それが女性の身体である事に気が付くと、竜司は力なく視線を上げた。そうして彼は、その張りのある胸の下で、血に濡れた唇を横に広げてみせた。
「アンタ、いい匂いだな……」
三原麗奈は言葉を返さない。ただ優しげに、ただ虚ろな表情で、竜司の傷だらけの身体を抱き続ける。
「なぁ、俺ぁ生きてんのか……?」
三原麗奈の細い首がコクリと前に倒れる。竜司は深く息を吸い込むと、彼女の赤黒く焼け爛れた頬に気が付き、頬を引き締めた。
「おい、静かにしろ」
不快な男の声が耳に届く。視線を真横に落とした竜司は、ブラック&グレーの髑髏のタトゥーを腕に入れた男の姿に、露骨に眉を顰めた。
「オメェはいったい何をやってんだ……?」
「見て分かれ。捕まってるんだ」
「随分と元気そうだな! 舐めてんのかおいぃ!」
三原麗奈の細い腕に支えられながら、なんとか体を起こした竜司は歯を剥き出しにした。だが、後ろ手を結束バンドで固定されている為にバランスが取れず、すぐにまたコテンと麗奈の胸に倒れ込んでしまう。
「口の周りを見ろ。殴り倒されたんだ」
清水狂介の表情は真剣である。確かに唇は切れているようで、ほんのりと溢れ出しただろう血が口の周りに塗りたくられている。まるで激しい戦闘の後、集団リンチにでもあったかのように足先から頭のてっぺんまで木屑がびっしりとこびり付いており、そのわざとらしい装いが竜司には腹立たしい。
「チッ」と舌打ちした竜司は体制を立て直すと、麗奈の柔らかな胸に抱かれつつ、廃工場を見渡した。相変わらず“苦獰天”のメンバーたちが中央の炎の周囲でオロオロと立ち竦んでいる。壁際に集められた五人は放って置かれているようで、清水狂介のすぐ側では、意識のない大場亜香里を看病するように、竜司の女友達である吉野梨杏がタオルの水をバケツに絞っていた。
「おい梨杏」
「りゅ、竜司くん……?」
「アイツらに何された」
吉野梨杏の体は見るも無惨に汚れていた。ただ、その服装と顔の傷のわりに、大場亜香里を介抱する彼女の動きは機敏としたものだった。
「ううん。あの、これ、メイクで……」
「メイク?」
「ごめん、ごめんね……。私にも訳分かんなくって……。こんなことになるなんて思わなくって……」
吉野梨杏はそう言って、シクシクと涙を流し始めた。金にがめつい彼女の図太さを知っていた竜司は、その涙が偽りのものだろうと察するも、それ以上彼女に対しては何も言わなかった。
「おい清水狂介、お前はこれからどうするつもりだ」
狂介はのそりと視線を持ち上げ、小さく首を振る。
「まだ分からん」
「状況が不利ならすぐ逃げ出すような奴が、どうして大人しく捕まってやがる」
「逃げることで更に不利になるパターンを想定した」
「あん?」
「先ずは見極めようと、あえて捕まったんだ。最悪自分たちには不利益が及ばぬようにと、しっかり殴らせておいてな」
「いや、ほぼ無傷じゃねーか! つーかオメェその体たらくでいくら状況見極めようと、結局何も出来ねぇだろうが!」
竜司は声を抑えて怒鳴った。ズキズキと鈍い痛みが鼓動に合わせて全身を巡り、腕が焼けるように熱くなる。竜司の呼吸が乱れると、彼を胸に抱いていた麗奈は、その額の汗をハンカチで拭ってあげた。
「いや、拘束は解いてある」
清水狂介は周囲を警戒しつつ、後ろに回していた手を前に動かして見せた。
「はあ……? どういうことだ……?」
「縛られていては不測の事態に対処できないだろ」
「そうじゃねぇだろ! どうやって拘束バンド外しやがった!」
「焼いて解いた」
黒い炭がコンクリートの床を転がる。唖然として目を丸めた竜司はモゾモゾと動かせない肩に力を込めた。
「ん、んなもん何処に隠し持ってやがった……?」
「逃げる選択肢がないなら、捕まることを想定し、その後の脱出を考慮しなければならない。俺は真っ先に工場中央の焚き木に向かって走り、喧騒の中で大きめの炭を掠めた。そうして焼け炭を身に隠し、大人しく捕まったというわけだ」
「ざけんな! んな熱いもん隠し持てるか!」
「当然素手では触らん。木屑で包んだんだ。都合よくここら辺は湿った木屑に溢れている」
そう言った狂介の指の隙間から木屑がこぼれ落ちていく。
「あー、だからお前はそんな木屑塗れなのか……」
「これは単に転んだだけだ」
竜司は疲れたようにため息をついた。狂介が砂を掘る猫の仕草で焼け炭に木屑を被せ始めると、足を曲げた竜司は「俺の拘束も解け」と痛む体を前に倒した。
ちょうどその時、深い森に迷い込んできたようなバイクの音が竜司の耳に届いた。その排気音には聞き覚えがあり、竜司が顔を上げると、狂介は何事もなかったかのような態度で腕を後ろに回してしまう。忍び寄る影が気がつけば竜司の足元の木屑を踏み締めていた。
「立て」
吉田障子の冷たい声に三原麗奈の肩が震える。麗奈がゆっくりとした動作で立ち上がると、それを遮ろうと、竜司は低い声を出した。
「おいクソガキぃ、オメェ、覚悟は出来てんだろうな……」
「竜司クンこそ死ぬ覚悟は出来たか?」
「たりめぇだ! とっとと俺を殺しやがれ!」
「あとで相手してやるから、今はそこで大人しく寝転がってな」
「今殺れやクソガキッ! このクソ暑ぃ真夏にクソ暑苦しい格好しやがって……! あとその女を返しやがれ! そら俺の女だ!」
「コイツは俺の女だ。……いいや、この女は俺だ。おいテメェら、この女の発言は俺の発言だという事をしっかりと覚えておけ」
「どういう意味だ?」
清水狂介が視線を上げる。吉田障子は僅かに口を紡ぐと、使い捨ての駒である暴走族集団の中で、ただ一人得体の知れない長身の男に向かって冷たい声を落とした。
「そういう意味さ」
そう言って麗奈の細い腕を引っ張る。麗奈はさして抵抗することなく、吉田障子の後についていった。
「おい女! ぜってぇ助け出してやるから、待ってろよ!」
「この人は悪くないの──。私が悪いから──」
麗奈の声が漏れ落ちる。二人が影が離れていくと、痛む体を引きずりながら何とか壁にもたれ掛かった竜司は深く息を吐いた。
焼け炭が足元を転がる。
「もう動けんだろうが」
「へっ、這いずってでもあのクソガキに蹴り入れてやるぜ。……それにしてもあの女、クソ親父に殴られた後のお袋みてぇなこと言いやがって」
竜司は舌打ちをすると、足を使って器用に焼け炭を腰元に引き寄せた。
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