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第二章
ビジネスパートナー
しおりを挟む週末の午後のファミレスは人で賑わっていた。
彼らはそれぞれが想い想いの時間を過ごしており、店内中央のボックス席に集まった荒くれ者たちに意識を向けるものは少なかった。
「ガキじゃねーか」
そう呟いたのは“紋天”のリーダーである早瀬竜司だ。長髪にタンクトップ姿の竜司は苺パフェを頬張りながら退屈そうな表情をしていた。
「お前だって、まだまだガキだろ」
黒のつなぎを着た長身の男が腕を組む。暴走チーム“苦露蛆蚓”を率いる山田春雄の瞳は先ほどからキョロキョロと落ち着きがない。その視線には強い警戒心が宿っており、春雄は、斜め前に座ったキザキという男を信用していないようだった。
吉田障子は厚口の白いマグカップを口元に運んだ。だが、苦過ぎるコーヒーの雑味が舌に合わなかったのか、顔を顰めた彼はすぐにそれをテーブルに下ろしてしまう。キザキの目の前には四つのマグカップが並んでおり、吉田障子のコーヒーと合わせて五つのマグカップから立ち昇る白い湯気に恍惚の表情をしていた。
「その頰の傷はどうした?」
吉田障子は自分の左頬に薬指を当てた。その視線は正面に座った白い特攻服の男に向けられている。
“正獰会”の総長、野洲孝之助は何も答えなかった。その厳格そうな薄い唇は固く結ばれており、シミ一つない純白の特攻服が他の干渉を拒絶する威圧感を放っていた。
「喧嘩に負けたのか? それとも、そういう仕様なのか? お前ら三人とも怪我してるじゃねーか。まさか三人で殴り合ったのか?」
「うぜぇよ」
早瀬竜司の声が一段低くなる。声帯を潰したような濁った声だ。暴走族のリーダーだけあってか、人を脅す行為には慣れているようだった。
「てめぇ、いったい何様だよ。そのムカつく顔面グチャグチャに潰して、二度と外歩けなくしてやろうかぁ、おい?」
「俺はお前らのパトロンだ。今日はビジネスの話をしに来たのさ」
「パトロンだと?」
野洲孝之助が薄い唇を開く。少し驚いた表情をしていた。
「ああ、いや、ビジネスパートナーという言い方が正しいのかもしれない」
「お前は一体何なんだ?」
「そうだな、モチヅキと呼んでくれ」
「モチヅキ? いや、名前なんぞどうでもいい。お前が何なのかを聞いてるんだ」
「だからビジネスパートナーだっつってんだろ」
「そのビジネスとやらは一体何だ?」
「富の再分配さ。非合法だがな」
「富の再分配? 非合法だと? まさかお前、銀行強盗でも企ててるんじゃないだろうな?」
「はは、今どき銀行強盗なんて誰がやるかよ。もっと平和で効率の良いビジネスさ」
「なんだ、なんの話だ?」
つなぎのポケットに手を突っ込んだ山田春雄は困惑に眉を顰めた。“苦露蛆蚓”の総長である春雄は、先日のライブ会場襲撃失敗の反省会という名目でここに呼ばれていたのだった。
「くだらねぇ」
そうテーブルの上に唾を吐いた早瀬竜司は立ち上がろうとした。それを野洲孝之助が制止する。
「竜司、待て」
「いやだね。おらぁ、ビジネスなんぞに興味ねぇ。おれはただ“火龍炎”をぶっ潰してぇだけだ」
「何だ、その“火龍炎”って?」
吉田障子がそう口を挟むと、「てめぇは黙ってろ」と竜司がドスの効いた低い声を出した。
「“火龍炎”は一時期この街を支配してた暴走族だ。お前の学校にいる鴨川新九郎という男がリーダーだった」
揺らめくコーヒーの白い煙に目を細めていたキザキの唇が動いた。思わず吹き出しそうになった吉田障子は懸命にそれを堪える。
「だったって何だよ?」
プラスチックのカップに入った氷がカランと音を立てる。その水で舌を潤した吉田障子は左頬に薬指を当てた。キザキに代わって野洲孝之助が説明を始める。
「“火龍炎”が既に解散したチームだからだ。だから鴨川新九郎はもう総長ではない。だが、解散はすれどバラバラにはならず、奴らは“緑の天使”というバンドを組んで未だ活動を続けている」
「へぇ、じゃあそのバンドを潰せばいいじゃねーか」
「潰そうと動いたさ。だが、邪魔が入ったんだ」
「ああ、はは、その頰の傷はそれか」
吉田障子の口元に薄ら笑いが浮かび上がる。同時に、早瀬竜司の拳が吉田障子の頬を捉えた。孝之助が止める間も無い出来事だった。一瞬、ファミレスの空気が凍り付く。だがすぐに、週末の喧騒が不穏な空気を呑み込んでしまうと、孝之助はほっと息を吐いた。
「てめぇ、ぶっ殺してやる」
「落ち着け、竜司」
「いってぇ……。やってくれたな、おい……」
吉田障子の瞳に冷たい光が宿る。ただそれは一瞬の事で、すぐに顰めっ面を作った吉田障子は幼げな顔に不満げな表情を浮かべると、早瀬竜司をギロリと睨み付けた。
「何も殴ることねーじゃん」
「うぜぇんだよ、ガキが」
「“火龍炎”をぶっ潰してぇんだろ?」
「てめぇには関係ねぇんだよ」
「なぁ早瀬クン、お前は本当にただその“火龍炎”潰すだけで満足なのか?」
「ああ?」
「俺の話には興味が無いって言ってたけどよ、俺とのビジネスが成功した暁には“火龍炎”なんて小指で捻り潰せるほど力が手に入るんだぜ? 奴らを奴隷に出来る程の莫大な力さ」
「だから興味ねぇっつってんだろ! 奴らを黙らせるのに拳以外必要ねぇんだよ!」
「待て」
野洲孝之助の手が竜司の肩に乗っかる。その白い特攻服を横目に見た竜司は「チッ」と舌打ちをすると腕を組んだ。孝之助は吉田障子の話に興味を抱いているようであり、シワの無い純白の服が彼の野心の大きさを表していた。
「そのビジネスとやらは何だ?」
「だから富の再分配だってば、心道霊法学会の富を俺たちで分け合うんだよ」
そう吉田障子が冷たい笑みを浮かべる。野洲幸之助は息を呑んだ。
「なんだ、そのシントウってのは?」
山田春雄は首を捻った。黒のつなぎ服は所々がペンキで汚れており、およそ野心とは無縁の男のようだった。
「心霊学会さ。まさか知らねーのか?」
「ああ、いや、知ってるが……。その、富を分け合うってのは何だ?」
「言葉通りの意味だよ。奴らの金と女と地位を俺らで仲良く分け合うんだ」
「無理だ」
野洲孝之助は首を振った。その瞳はキザキの腫れぼったい瞼に向けられている。チラリと孝之助を見返したキザキはすぐに白い湯気に視線を戻した。
「無理に決まってる。銀行強盗の方がまだ現実味がある」
「まぁ確かに銀行強盗の方が手軽だわな。成功する見込みは限りなくゼロに近いけどよ」
「奴らは巨大な宗教団体だ、族を潰すのとは訳が違う。そもそも暴力や脅しが通じる相手ではないし、もし手を出そうものなら、必ず此方が地獄を見ることになる。なぁキザキさん、貴方もそう思うでしょ?」
キザキは答えなかった。答えられなかったからではなく、答えたくなかったからだ。心霊学会という巨大な組織に立ち向かう五名の行く末。それのみが今の彼の楽しみであり、成功の有無が分からないからこそ興味をそそられていたのだ。
五本の湯気が宙で揺れる。恍惚の表情をしたキザキはその白い煙の先に視線を送った。コーヒーはまだ熱い。
「潰すつもりなんてねーよ、奴らとは仲良く手を取り合うんだ」
「手を取り合うだと? 意味が分からん。お前、確かモチヅキだったか、俺たちをビジネスパートナーだというのであれば、もっと具体的に説明してくれ」
「お前らにはいずれ心道霊法学会の幹部になってもらう」
「な、なに?」
「紛争の先には和平が訪れるものさ。ほら、雨降って地固まるっていうだろ。だがその為に、先ずは奴らを混乱させなきゃならねぇ」
「どうやってだ?」
「小さな火種を起こしたい。なぁ孝之助クン、役者を六人集められるか?」
「役者?」
「小心者で物覚えのいい奴らさ。陰気で臆病なガリ勉くんがいい。決して逆らわず、言われた通りの役を演じられる、そんな奴隷くんを六人揃えて欲しいんだ」
「その程度の奴らならいくらでも揃えられるが……」
孝之助は首を傾げた。吉田障子の言葉の意図が掴めなかったからだ。そもそも彼は心霊学会を相手に勝負が出来るなどと考えてはいない。この話は断ろう、と孝之助が口を開きかけたその時、孝之助の隣で腕を組んでいた早瀬竜司が声を上げた。
「いいぜぃ、面白そうじゃねーか」
早瀬竜司は血の気の多い若者だった。巨大な組織に挑むという吉田障子の話が彼の血を沸騰させたのだ。
「なぁ春雄ちゃん、いいだろ?」
竜司の視線が山田春雄に向けられる。黒いつなぎ服に手を突っ込んだまま、春雄は、流されるままに顎を縦に動かした。
「いや、ちょっと待て、お前ら」
孝之助は頬を強張らせた。ここが人生の瀬戸際だと考えたからだ。チームを纏めてバイクを走らせるのとは訳が違う。やってしまえばもう後には引けない。運命の分かれ目。生と死の境界線。心道霊法学会に挑むか否か。このモチヅキという男は果たして信用たり得るのか。キザキという悪魔から距離を取るべきではないのか。挑んだ先は地獄か。逃げた先は天国か。
「やろうぜ」
吉田障子の口元に不敵な笑みが浮かび上がる。一見すると何処までも無邪気な子供の笑顔だった。
「男だろ?」
吉田障子は目を細めた。すると口元に浮かんだ笑みが冷たいものへと変わっていく。まるで人形のような、作り物の笑顔。
孝之助はゾッと背中の毛を逆立たせた。初めから断らせるつもりなど無かったのだろう。そうでなければ大事な計画の一端を声に出して伝える訳がない。
野洲孝之助は覚悟を決めた。白い特攻服に身を包んだ男。純白の模様は彼の意地の表れであり、“正獰会”というチーム名は勇猛な男の証なのだ。
「分かった」
そう孝之助が息を吐くと、吉田障子は満足げに頷いた。その瞳の奥には冬の夜空のような冷え切った影が差していた。
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