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第一章
神隠しの旧校舎
しおりを挟む昭和三十八年七月十日。とある怪奇事件が平穏な町に不吉な影をもたらした。県立高校に通う学生数名が突如として失踪したのだ。
行方不明となったのは県立富士峰高校天文学部部長八田弘、副部長鈴木英子、同三年松本一郎の三名だった。地元住民と警察による必死の捜索も虚しく、生徒たちが発見されることはついぞ無かったという。
拉致か、殺人か。まさか神隠しではなかろうと騒がれた行方不明事件。超自然現象同好会発足の前年の出来事である。
響き渡る絶叫は一つではなかった。だが、人の気配はない。
不審そうに辺りを見渡した睦月花子は、ツカツカと目の前の教室に歩み寄ると、左手でドアの縁を掴んだ。田中太郎は慌てて花子の元に駆け寄る。
「待てよ、アンタ、また学校破壊するつもりか!」
「失敬ね、取り外すだけよ」
「どうせ取り外したドア振り回す気なんだろ!」
「はあん?」
「マジでやめろって……これ以上学校破壊したら、玲華さんに殺されるぞ」
「あんなレズ女どーだっていいでしょーが!」
花子はふんっと左手でドアを引き剥がした。
「右腕が無いから武器が必要なのよ。たく、とっととアホ三人探すわよ」
「左腕だけで十分だろ……」
太郎はため息をついた。
いつの間にか叫び声は消えている。静寂の漂う校舎。重なり合っていた声は誰のものだったのか、太郎は窓の向こうの夕陽に目を細めた。
廊下の端に位置する生徒会室。豪奢な扉の前で立ち止まった花子は、引き摺っていたドアを宙に放るような勢いで持ち上げた。
「これ、一度ぶっ壊したかったのよね」
「うおいっ! ダメだってば!」
太郎は慌てて花子の腕に飛び付いた。チッと舌打ちした花子は、太郎ごとドアを振り下ろしてやろうと腕に力を込める。すると、その握力に耐えきれなくなったドアの縁が潰れて砕けた。バタンと床に落ちるドア。花子の額に血管が浮かび上がる。
「……憂炎、アンタ、ちょっと腹に力入れなさい」
「ま、待てってば! 流石にこの扉の破壊は不味いって! どんな影響が出るか分かんねーぞ!」
「はん、面白そーじゃないの。つーかね、ここは健全な部活動を営む生徒たちを苦しめる悪党どもの巣窟なのよ、ぶっ壊しておいた方が平和に繋がるわ」
「学校破壊しまくる部活動の何処が健全だ」
コトリ、と何かが落ちたような微かな音が響いた。太郎の心臓が飛び跳ねる。彼はヤナギの幽霊を恐れていたのだ。
「……まぁ、取り敢えず入るわよ」
「あ、ああ」
ロートアイアンの長い取っ手を掴んだ花子は扉を手前に引いた。花子の後ろで身構える背の高い男。だが、予想に反して生徒会室は無人だった。記憶のものよりも鮮やかな白い壁。新品に近い紅い絨毯。黒い両袖デスクの上には書類が山積みとなっている。
「ヤナギの幽霊は何処よ」
「……さぁ?」
「はあ……? まさかあのレズ女、また私を騙したの……? あのクソアマ! 今度という今度は絶対に許さないわ!」
「ま、待てって、ヤナギの幽霊は確かにこの階にいるはずだから……」
「なーんでアンタにそんな事が分かんのよ、コラ!」
ドンッと鈍い音が花子の鼓膜を震わせた。サッと身構える二人。数秒の静寂の後にまたドンッという音が生徒会室に響いた。
「あの扉って何だっけ?」
音のした方向に視線を送った花子は左手を腰に当てた。太郎は恐々と首を横に振る。トロフィー等が陳列された棚の隣に木製の簡素な扉が備え付けられていたのだ。
ドンッとまた内側から壁を殴るような音が生徒会室に響いた。左手を上げて太郎に下がるように指示した花子は、スッと扉の前に歩み寄ると、そっと扉を押して中を覗き込んだ。
段ボールの山。棚に重ねられた書類の束。蹲る人が数名。
「んんっ!」
鴨川新九郎の太い腕に抑えられた一年の小田信長が手足をバタつかせる。ドンッ、ドンッとリズミカルな音が静かな生徒会室に木霊した。
「なんだ、新九郎と秀吉じゃないの。たく、なーに遊んでんのよ、アンタら」
花子の顔を見た新九郎が安堵の表情を見せる。腕を振って立ち上がった信長は勢いよく花子に飛び付いた。
「ぶ、部長!」
「アンタは憂炎と遊んでなさい」
安心したように泣き笑うおかっぱ頭の一年生を扉の向こうに放り投げた花子は、背の高い新九郎の影に隠れるようにして身を縮こめる三人の男女に視線を向けた。
「誰よ、ソイツら」
「あ、ああ、えっと……」
「君も、巻き込まれたのかい?」
「アンタ、誰よ?」
「僕は三年の八田弘。君は、君たちは、いったい誰なんだい?」
もっさりとした前髪を横に撫で付けた丸いメガネの男子生徒がゆっくりと立ち上がった。花子は首を傾げる。すると八田弘と名乗る男の後ろで蹲っていた女生徒が悲鳴を上げた。
「う、う、う、腕が……いやぁ!」
女生徒もまたもっさりとした髪型である。花子の焼失した腕に強いショックを受けた女生徒は、ふらりと、後ろで片膝を付くもっさりとした短い髪の男に倒れ込んだ。「英子ぉ!」という男の絶叫が狭い空間に響き渡る。
「何だ、どうした?」
太郎が扉の内部を覗き込むと、花子は首を横に振った。
「取り敢えず、アンタら外に出なさい。ここ、狭いわ」
「だ、だめだ、外はヤバい!」
八田弘の厚い唇がプルプルと震える。新九郎はそれに同意するように首を縦に動かした。
「ぶ、部長、そ、外に、あの、いませんでしたか……?」
「何がよ?」
「み、宮田さんです……」
「居ないわよ、アンタら、もう見つけたの?」
「見つけたっていうか、ヤ、ヤバいんです……」
「ヤバい?」
「み、宮田さんが……」
突然、ドンッと扉が叩き開けられるような音が生徒会室を揺らした。同時に鋭い悲鳴が花子のうなじを叩く。コンマ数秒。狭い扉の前に立つ太郎を突き飛ばした花子は生徒会室の紅い絨毯を踏み締めた。悲鳴はすぐに浅い呼吸音へと変わる。へたり込んだまま体を震わせるおかっぱ頭の一年生。その視線は扉の前に立つ女生徒に向けられていた。
「な……」
花子は言葉を失った。開け放たれた豪奢な扉の前で微笑む短い黒髪の女生徒。細い顎から滴り落ちる血。横に開かれた小さな唇。メガネは無い。両目の潰れた生徒会副会長、宮田風花は誰かを探すかのようにキョロキョロと細い首を左右に動かしていた。
「あ……」
花子の後ろに立った田中太郎もまた言葉を失う。激しい動揺に足を震わせた太郎は二歩後ろに下がった。
両目から血を滴らせる宮田風花が一歩踏み出すと、床に蹲る信長はまた絶叫した。その声に導かれるようにして風花は一歩一歩前に進んでいく。
「待ちなさい」
恐怖に震える信長の前に立った花子は、目の潰れた副会長を哀れむかのように口を紡ぐと、そっとその肩に左手を置いた。
「アンタ、あたしの声、分かる?」
返事は無い。風花は小さな口元に微笑みを浮かべたまま首を横に倒した。うっと花子の表情が変わる。脇腹に違和感を感じたのだ。
「……はあ?」
視線を下げた花子は自分の脇腹に刺さったカッターナイフを見た。じわりと広がっていく赤い模様。絶叫した太郎が二人に駆け寄る。
チッと舌を鳴らした花子は、カッターナイフを持つ風花の腕を片手でへし折ると、その細い首を掴み上げた。
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