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第一章
追う影
しおりを挟む終わりの見えない暗闇。作動しない天井のライト。
白い王子役の衣装に身を包んだ麗奈を背中に抱いた鴨川新九郎は、夜の学校の三階を目指して歩いていた。一歩進むごとに軋んだ音を立てる廊下。夜闇が校舎の色を隠している。新九郎の後に続く李憂炎こと田中太郎は背後を警戒していた。
ゆっくりと階段を上がっていく三人。三階の校舎に足を踏み入れた新九郎は暗い廊下の先にジッと目を凝らした。新九郎の背後で二階の廊下を見下ろしていた太郎の全身の毛が逆立つ。黒一色の階下に女生徒の顔が浮かび上がっていたのだ。
ク、クソが……。
黒い手足。短い髪。三階を見上げる女生徒の歯ばかりが異様に白い光を放っている。横に広がった女生徒の薄い唇を見つめていた太郎は胃が押し潰されそうな悪寒に吐き気を覚えた。
「し、新九郎、急げって!」
「うん、ちょっと待って」
意識のない麗奈の背中を押しながら、太郎は新九郎を急かした。そんな親友の焦りなど気にも止めず、新九郎は夜の廊下にジッと目を凝らし続ける。何処か異様な三階の空気。廊下に散らばるガラスの破片が微かな光に反射すると、新九郎の警戒心が高まった。
「おい、急げっつの!」
「待って、なんかガラスが散らばってるんだ」
「さっきの音だろ、どうせあのイカれ女が……」
「アンタ、ほんとにぶん殴られたいようね」
暗い教室からヌウッと細目の女生徒が現れると、新九郎と太郎の絶叫が夜の校舎を木霊した。2年C組のプレートがカタカタと音を立てる。新九郎の背中に担がれた麗奈の青白い頬を見上げた花子は「はん」と鼻で息を吐いた。
「だらしない奴ね」
「いやその……部長、その、彼女も何か大変な目に遭ってるようでして……」
「なによ? まさか幽霊に取り憑かれたとでも言いたいの?」
「らしいです」
「ええっ!?」
「いえ、田中くんが言うにはですけど……」
「ど、どういうことよ、憂炎!」
花子の息が乱れる。そのギラつく瞳に圧倒された太郎は両手を前に出すとゆっくりと後退を始めた。
「ええ? 憂炎、どういうことよ、憂炎、どういうことなのよ?」
「ぶ、部長、ちょっと落ち着いて下さいって、マジで、今はそんな場合じゃないんで……」
「はあん? アンタ、ナメてんの? いいこと、私たち超研メンバーわね、どんな過酷な状況に置いても、真実を追求するために前に進まなくちゃならないのよ」
「いやいや、マジ冗談とかじゃなくって、ほんとヤバイんすってば!」
花子の真後ろを黒いセーラー服の女生徒がスッと走り去る。ピタリと体を硬直させた太郎が言葉を失うと、訝しげに後ろを振り向いた花子は、意識のない麗奈を背負った新九郎と目を合わせた。
「なによ?」
「え、何がですか?」
「アンタ今、何か言わなかった?」
「いえ、別に」
太い眉をへの字に曲げた新九郎は首を横に傾げると、壁に背中を預けてしまった太郎を不安げに見つめた。暗い廊下を覆う影に花子はジッと耳を澄ませる。
異様な静寂。自分の心音と四人の息遣い。暗闇の奥底で何かが蠢くような僅かな気配を感じ取った花子は、廊下に転がる理科室のドアの位置を確認した。
「ああ、クソ……。何でだよ……ちくしょう」
「田中くん、大丈夫かい?」
新九郎の心配そうな声に太郎は何の反応も示さない。鉛筆で作った木剣を握り締めた太郎はぶつぶつと中国語で何かを唱え始めた。額に脂汗を光らせる親友に近づいた新九郎は、彼を正気に戻してやろうとその広い肩に右手を伸ばした。
「熱っ!」
手に走る衝撃。焼けた石に触れたような痛みに新九郎は肩を弾かせた。中国語で何かを叫んだ太郎は鉛筆の木剣で新九郎の背後の暗闇を切り付ける。
「走れ、新九郎!」
「え?」
「こっちだ!」
右手の痛みに呻く新九郎の腕を掴んだ太郎は来た道とは反対の廊下に向かって駆け出した。新九郎の背中で意識のない麗奈の体が大きく揺れる。そのアッシュブラウンの髪に黒い指を伸ばした女生徒に向かって太郎は短い木剣の先を突き出した。
「ぬんっ」
タンッと暗い廊下を駆けながら理科室のドアを掴み上げた花子は、前方を走る新九郎たちの背中を追いかけると、新九郎と太郎の間の暗闇にドアを思いっきり振り下ろした。理科室のドアに叩き落とされる鉛筆の木剣。激しい打撃音と共に木造の廊下が砕け散る。
足を止めた太郎は舞い落ちる木の破片に絶句した。麗奈を背負ったままヘナヘナと廊下にへたり込んだ新九郎は、花子を見上げながら精一杯の怒りの声を上げた。
「あ、あ、あ! あ、危ないじゃないですかぁ! じょ、じょ、じょ、冗談じゃ済まされませんよ!」
「なんか変なのがいたから叩き潰してやったのよ、感謝なさい」
「あ、あ、当たってたら、し、死んでましたよ、僕たち!」
「当てるわけないでしょ、アンタ馬鹿なの?」
やれやれと花子は肩をすくめる。真っ二つに折れた木剣を拾い上げた太郎は息を呑んだ。全身を震わせながら冷たい汗を流した新九郎は恐る恐る背中の麗奈の安否を確認した。
爆発音が校舎に響き渡る。突然燃え始めた理科室のドアの破片に、新九郎は廊下に片膝を付いたまま後ずさった。サッと身を翻した花子は、2年E組のドアを引き剥がして構える。
「立てるか新九郎」
「あ、うん……」
「行くぞ」
気絶したまま目を覚さない麗奈を含む四人は階段を目指して走り出した。
一歩走る毎に飛び跳ねる2年E組のドア。花子は特に気にした様子もない。横に跳ねたドアが壁を擦ると、我慢出来なくなった太郎は花子を睨んだ。
「部長、頼むからこれ以上、学校を壊さないでくれよ!」
「緊急事態なんだからしょうがないでしょーが!」
「マジでヤバいかもしれないんですってば!」
「何がよ? アンタ、まさか、怒られるのが怖いとか言うんじゃないでしょーね?」
「ち、ちが……」
四階に駆け上がる三人。突如襲いかかってきた眩しい陽光に太郎はうっと目を瞑った。ゆっくりと目を開いていった太郎は暫し呆然となって辺りを見渡した。明るい陽の差し込む廊下。見覚えのない木造の校舎。黒いセーラー服の女生徒たちの笑い声。
一人の女生徒が訝しげに花子を見つめた。左右にピッと分けられた黒髪。そのツインテールの頭は何処か古臭い。
「……は?」
流石の花子も言葉を失ってしまっていた。左手に握られたままのドアがカタリと音を鳴らす。音のない声でひそひそと顔を顰めた女生徒たちが花子たちの前を通り過ぎていった。
「ヤ、ヤバいって! マ、マジでヤバ過ぎんぞ!」
「アンタさっきからヤバいしか言ってないじゃないの!」
花子の右手が太郎の頭に振り下ろされる。ドアを投げ捨てた花子は、廊下に倒れた太郎に歩み寄ると、その胸ぐらを掴んで引き起こした。
「どういう事なのか、ちゃんと説明なさい!」
花子の目尻がググッと吊り上がる。その怒気に気圧された太郎は激しい恐怖心と共に多少の冷静さを取り戻した。
「その、たぶんここ過去の世界っす……」
「はあ? カコノセカイ?」
「俺たち、恐らくっすけど、昔の学校に迷い込んじゃってるんすよ」
「い、意味が分からないわ! 何でそんな事に……」
「あ、あの、さっきのガキ……。アイツが原因っす」
「ガキ? ガキって、私が呼び出した吉田何某の事かしら?」
「たぶん、そいつです」
「たぶんたぶんって、ハッキリしない男ね! 憂炎、分かってることを端的に説明なさいよ!」
眉を顰めた花子はグイッと太郎の体を宙に持ち上げる。ブラブラと空中で足を揺らした太郎はゴホッと咳をすると、新九郎と麗奈にチラリと視線を送った。
「わ、分かってるのは、その吉田ってガキを見つけ出さなきゃならないってことだけっす。じゃ、じゃねーと、俺たち、ここで死んじまうかもしんねぇ……」
「見つけ出してどーすんのよ?」
「アイツを外に出せば、たぶん、元の世界に戻れます」
「まーた、たぶんか。まぁいいわ、よく分からないけど、面白そうじゃない」
太郎の体を投げ捨てた花子はニヤリと笑うと、指の骨をボキボキと鳴らし始めた。フラフラと体を起こした太郎は不安げに階段下を覗き込む。麗奈を背負ったままに、新九郎は流れるように通り過ぎていく女生徒たちを呆然と眺め続けた。
「ただ、少し問題があって……」
太郎は昼休みに作った最後の木剣を強く握り締めた。もっとしっかりと準備して置けば良かったと、彼は今更になって後悔していた。
「なによ?」
「その、いわゆる、ヤナギの幽霊が、麗奈さんを狙ってるんすよ」
「な、な、なんですって!」
花子は飛び上がった。通り過ぎる数人の女生徒がその声に驚いて振り返る。
「な、な、なんでよ?」
「いえ、それがよく分からなくって……」
「ありえないわ! そのモブ女が特別だとでも言うの!」
「ええ……?」
決して花子の前には姿を現さないヤナギの幽霊。そんな亡霊に執着されているという麗奈に対して強い嫉妬心を覚えた花子は地団駄を踏んだ。呆れたようにため息をついた太郎は、廊下の向こうからこちらに近づいてくる丸メガネの男に気が付くと、未だに固まったままの新九郎の腕を慌てて引っ張った。
「と、ともかくだ! 部長、早くしねーと!」
「はぁ……分かったわよ、じゃあ吉田何某の行方でも探すとしますか」
メガネの男の怒りの形相。教師らしき堅苦しい服装をしたその男は強く警戒したような目付きで花子たちをギロリと睨み付けると、音のない怒鳴り声を上げた。とにかく逃げなければ、と太郎と新九郎の体が後ろに下がる。そんな彼らを尻目に、フッと左足で廊下を踏み締めた花子は腰を捻って右腕を横に振った。
「ぶ、部長! マジでそれはヤベェってば!」
花子の拳を受けたメガネの男が白目を剥いて倒れると、太郎は焦ったような声を上げた。
「なんでよ? ここって今じゃないんでしょ?」
「だから不味いんすって! 未来に何らかの影響が残るかもしれないでしょ?」
「そんなSFチックなことが、起こるとは思えないわね」
「可能性の話をしてるんすよ!」
「はん」
化学的な話が嫌いな花子はふんっと息を吐くと腕を組んだ。
取り敢えず、あの吉田ってガキが気になるわね……。
この不可思議な現象を引き起こしたという一年の存在。とにかく捕まえて正体を確かめなければと意気込んだ花子は、既に居なくなっていた丸メガネの男の事など気にもかけず、明るい四階の校舎を進み始めた。
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