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【第五部:聖なる村】第七章

戒めの傷跡

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 ゼムズは息を呑んだ。

「それは……かけらを、埋めたときの傷か」

「そうだ」
 キーロイはいった。
「心臓を狙ったおまえの胸の傷より、深くてひでぇもんだろ」

「だが……かけらを埋めるためだけに、何もそこまで傷つけなくても――」
「だから、俺は神に歓迎されていないんだよ」

 ゼムズの言葉を遮るように、キーロイは吐き捨てた。

「俺はな……。母親がサラマ・アンギュース、父親は強盗や人殺しを何とも思わない極悪人だった。母親も男を見る目がなかったんだな。あんなろくでなしを好きになって、俺が生まれた。父親はあんなだったから、どこかで恨みでも買ったんだろうな、俺がガキのころに殺された。俺は父親の血を継いで、悪さばかりしていた。いつも母親に心配ばかりかけていたな。やっちゃだめだ、って頭ではわかっていても、やめられなかった。母親に迷惑ばかりかけて、申し訳ない……一瞬は本気でそう思っても、次の日にはもう忘れて、毎日同じことの繰り返しだった。だから……母親が死んだときは、それまでの自分が許せなくて……かけらを埋めたのは、そんな自分への戒めだった」
「戒め……」

 キーロイは自嘲の笑みを浮かべた。

「これは、神のかけらっていうんだろ? 母親はその力を俺の前で使ったことはなかったが、そりゃあ絵に描いたような善人だった。これを埋めれば、神の力が働いて、俺も多少は善人になれるかな、ってね……。ガキなりに、考えたのさ。そして、埋めるためにナイフで太ももを一刺しした。結果は、見てのとおり。かけらをねじ込んだ瞬間、恐ろしい痛みが右足を襲った。あのときのことは、よく覚えていない……。とにかく、ナイフで傷をつけたときとは比にならない、死ぬかと思うような痛みだ。ひたすらに痛くて、わけもわからずのたうち回って……。痛みが落ち着いてから足を見たら、膝にまで達するような、でかい傷跡になっていた。神の民になるっていうのはこういうもんなのかと思っていたが……おまえの話を聞いて納得したよ。俺は、神に選ばれるには、ちょっと悪すぎたんだ。かけらは、明らかに俺を拒絶していた。だから、こんなにでかい傷跡を残したんだな。俺に流れる父親の血が……神のかけらと、反発した」

 ゼムズはにわかには信じられなかった。

「そんなことが……あるのか……」

 確かに、今まで見てきたフェランやディオネの傷は、小指の爪ほどのかけらを埋めるには充分な程度の痕しかなかった。自分の胸の傷だって、覚悟を持って大きく切り裂きはしたものの、それ以上の傷にはなっていない。埋めるときに、転げ回るほどの新たな痛みに襲われた覚えもない。

「かけらが人間を選ぶというのは、本当だったんだな……」

 ゼムズは呟いた。

「ああそうさ。そして、かけらに、埋めた人間を善良にする力があるのかどうかは……どうなんだろうな」
 キーロイは笑っていった。
「そんな力は、ないのかもしれないな。あるいは……かけらを埋めていなかったら、俺は今ごろ人殺しになっていたのかもしれない。どっちにしろ、俺にとっちゃ……このかけらは、埋めても何の役にも立たなかった。それどころか、善い人間になれという母親の想いにずっと憑りつかれているようで……重荷ですらあった」

「馬鹿いうな。操作の力だぞ!? これさえあれば、敵なしじゃねえか。わざわざ窃盗団に入らなくても、いくらでも金を稼げるだろ」

 ゼムズの反論に、キーロイはもっともだというようにうなずいた。

「そこまで割り切れないほど、俺は中途半端な悪人だった、ってことだ。俺にとって、子のかけらは……母親の、つまり善人の象徴だった。その力を、悪事に使う気にはなれなかった。きれいごとじゃねぇ、実際、使ったら……しばらく、母親の記憶が離れなくてな……なんていうか、とにかく俺には重荷だったんだ」

 キーロイは、それ以上説明する気はないようだった。説明することすら、辛いのかもしれない――そんな表情だった。

 確かに。

 ゼムズは考えた。

 子供のころのキーロイですら、かけらにここまで拒絶されたんだ。神のかけらを悪事に使うような人間だったら、かけらを埋めようとしても傷口が塞がらないに違いない。

「だから」

 キーロイが顔を上げた。いつもの調子に戻っていた。

「俺は、おまえとは違う。善人になろうとして、なれなかった人間だ。神の民がうじゃうじゃ集まる中に入って、神のために何かしようなんて気は、さらさらない。まっぴらごめんだね」
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