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【第四部:神の記憶】第三章
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宿はメリナの家からやや離れており、主人はこの騒ぎを知ってか知らずか、ラミに起こされたあと再びすぐ寝に行ったようだ。誰にも知られずに二人を部屋へ連れて入ることができ、一行は初めて緊張を解くことができた。
「……あんたたちに、助けてもらうとはね」
だいぶ楽になったらしく、メリナが寝台に腰を下ろしたままかすれた声を出した。
「ラミが助けたんだよ。家を抜け出したあと、ひとりでここまで来たんだ」
フェランの言葉に、ラミが得意げにいう。
「フェランたちなら、絶対ママを助けてくれると思ったもん」
メリナはラミを膝に抱え上げると、包むように抱きしめた。
「ありがとうね、ラミ」
ナイシェがお湯を張った桶を持ってきた。
「ラミ、足の裏を見せて。ここまで裸足で来たんだもの、たくさん傷ができてるわ。洗って消毒しなくちゃ」
ラミは恐る恐る足を持ち上げた。泥と血でまみれて、どこを怪我しているのかもわからない状態だ。
「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してね」
ラミを机の上に座らせ、桶を椅子に置いて足をその中へそっと入れる。
「痛い!」
引っ込めようとするラミの足を無理やりお湯につけ、ナイシェは丁寧に泥を洗い落とした。そのあと、石鹸で綺麗にする。皮膚の何か所かには小石や何かの鋭い破片などが食い込んでいて、ナイシェはなるべく痛くないように丁寧にそれを取り除いていった。
「よくがんばったわね。さ、あとは傷を塞ぐだけよ」
ラミの足を布で押さえるように拭くと、エルシャがその傷口を覗き込んだ。
「これじゃ痛くて歩けないな。すぐ治るからじっとして」
エルシャはラミの小さな両足に、覆うようにして手を触れた。ラミは触られた痛みにまた足を動かそうとしたが、その次にやってきた不思議な感覚に動きを止めた。しばらくして、エルシャは手を離した。
「さ、これでもう歩けるぞ」
ラミは自分の足の裏を覗き込んだ。先ほどまであったいくつもの傷が消え去っている。喜んで部屋を歩き回るラミを見て、メリナがいった。
「今のは……神の力じゃないわよね?」
「白魔術だよ。俺はサラマ・アンギュースじゃないからね」
エルシャがそう答えた。
「驚いたことに、サラマ・アンギュースじゃないのは、ここには俺とラミしかいないけれど。ラミは、将来のサラマ・アンギュースかな」
「ラミは、神の民にはならないわ」
メリナがいった。
「ならせない。こんな思いを、もう二度とさせたくないからね」
ラミがメリナの足元に走ってきたので、メリナは娘を膝の上に抱き上げた。
「今まで穏やかに暮らしてきたのに、どうしてこんなことになったのか……」
「昼の話を、誰かに聞かれていたのかもしれない。悪かった、軽はずみに口にして」
フェランの言葉に、メリナが首を振る。
「あんたのせいじゃないよ。いつかはわかることだったんだ、きっと。……もう、この町では暮らせないけど」
「ここの主人が気づくのも、時間の問題かもしれないよ。まだ暗いうちに、何とかしないと」
メリナがため息をつく。
「……この町を、出るってことね」
しばらくの間、重たい沈黙が流れる。やがて、エルシャが口を開いた。
「俺たちと一緒に、来る気はないか?」
メリナはちらりとエルシャの目を見ると、すぐ背けた。
「少しフェランから聞いたけど……サラマ・アンギュースを探しに行くんだって? いったい何のために?」
「それはまだ、わからないんだ。ただ、神が……探せといった」
メリナはしばらく考え込んだ。
「……まあ、この町にいられなくなった今となっては、あたしに断る理由はないけどね。でも、辛い旅になるのなら……この子には、行かせたくない」
そして、そっと娘の髪を撫でた。ラミは黙って母親の顔を見つめている。
「その気持ちはわかる。しかし……二人で違う町に移っても、また似たような暮らしが待っているんじゃないのか? だったら、俺たちと一緒に来たほうが、まだましだと思うぞ。その……」
「売春しなくても済むってこと?」
いいよどむエルシャに向かって、メリナがはっきりといった。
「でも、旅の目的もわからずに、何を保証できるの?」
メリナの強い口調に、エルシャは何もいえなかった。そんな彼らを見て、メリナが大きくひとつ、ため息をつく。
「これだけ神の民が揃っていれば、旅の目的なんて、本当は見当がついてるんでしょ」
「……俺たちを邪魔する、巨大な力が働いている。それはおそらく、神と相対する存在……つまり、悪魔だと思っている。そうだとすれば、この先の保証は……」
メリナはさして驚く様子もなくうなずいた。
「たぶん、あんたのいうとおりね。あたしだって神の民だから、この頃よく夢を見て、そしてあんたたちが現れて……予想がつかないはずはないわ。……あの戦いから一万年が経ち、今こそ神が、ご自分の民をすべて取り戻そうとしている……きっと、そうなんだ」
メリナが独り言のように呟いた。ラミを抱く腕に力が入る。
「夢……僕が行ったときも、夢を見ていたね。あれは、何の夢だったの? 君はナリューン語で、確かに『神よ、どうかこの地に平和を』と、そういっていた」
フェランがいった。
「そもそも君は、何の民なんだ?」
メリナが深呼吸をする。
「あたしは、クラマネ――記憶の民よ」
「……あんたたちに、助けてもらうとはね」
だいぶ楽になったらしく、メリナが寝台に腰を下ろしたままかすれた声を出した。
「ラミが助けたんだよ。家を抜け出したあと、ひとりでここまで来たんだ」
フェランの言葉に、ラミが得意げにいう。
「フェランたちなら、絶対ママを助けてくれると思ったもん」
メリナはラミを膝に抱え上げると、包むように抱きしめた。
「ありがとうね、ラミ」
ナイシェがお湯を張った桶を持ってきた。
「ラミ、足の裏を見せて。ここまで裸足で来たんだもの、たくさん傷ができてるわ。洗って消毒しなくちゃ」
ラミは恐る恐る足を持ち上げた。泥と血でまみれて、どこを怪我しているのかもわからない状態だ。
「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してね」
ラミを机の上に座らせ、桶を椅子に置いて足をその中へそっと入れる。
「痛い!」
引っ込めようとするラミの足を無理やりお湯につけ、ナイシェは丁寧に泥を洗い落とした。そのあと、石鹸で綺麗にする。皮膚の何か所かには小石や何かの鋭い破片などが食い込んでいて、ナイシェはなるべく痛くないように丁寧にそれを取り除いていった。
「よくがんばったわね。さ、あとは傷を塞ぐだけよ」
ラミの足を布で押さえるように拭くと、エルシャがその傷口を覗き込んだ。
「これじゃ痛くて歩けないな。すぐ治るからじっとして」
エルシャはラミの小さな両足に、覆うようにして手を触れた。ラミは触られた痛みにまた足を動かそうとしたが、その次にやってきた不思議な感覚に動きを止めた。しばらくして、エルシャは手を離した。
「さ、これでもう歩けるぞ」
ラミは自分の足の裏を覗き込んだ。先ほどまであったいくつもの傷が消え去っている。喜んで部屋を歩き回るラミを見て、メリナがいった。
「今のは……神の力じゃないわよね?」
「白魔術だよ。俺はサラマ・アンギュースじゃないからね」
エルシャがそう答えた。
「驚いたことに、サラマ・アンギュースじゃないのは、ここには俺とラミしかいないけれど。ラミは、将来のサラマ・アンギュースかな」
「ラミは、神の民にはならないわ」
メリナがいった。
「ならせない。こんな思いを、もう二度とさせたくないからね」
ラミがメリナの足元に走ってきたので、メリナは娘を膝の上に抱き上げた。
「今まで穏やかに暮らしてきたのに、どうしてこんなことになったのか……」
「昼の話を、誰かに聞かれていたのかもしれない。悪かった、軽はずみに口にして」
フェランの言葉に、メリナが首を振る。
「あんたのせいじゃないよ。いつかはわかることだったんだ、きっと。……もう、この町では暮らせないけど」
「ここの主人が気づくのも、時間の問題かもしれないよ。まだ暗いうちに、何とかしないと」
メリナがため息をつく。
「……この町を、出るってことね」
しばらくの間、重たい沈黙が流れる。やがて、エルシャが口を開いた。
「俺たちと一緒に、来る気はないか?」
メリナはちらりとエルシャの目を見ると、すぐ背けた。
「少しフェランから聞いたけど……サラマ・アンギュースを探しに行くんだって? いったい何のために?」
「それはまだ、わからないんだ。ただ、神が……探せといった」
メリナはしばらく考え込んだ。
「……まあ、この町にいられなくなった今となっては、あたしに断る理由はないけどね。でも、辛い旅になるのなら……この子には、行かせたくない」
そして、そっと娘の髪を撫でた。ラミは黙って母親の顔を見つめている。
「その気持ちはわかる。しかし……二人で違う町に移っても、また似たような暮らしが待っているんじゃないのか? だったら、俺たちと一緒に来たほうが、まだましだと思うぞ。その……」
「売春しなくても済むってこと?」
いいよどむエルシャに向かって、メリナがはっきりといった。
「でも、旅の目的もわからずに、何を保証できるの?」
メリナの強い口調に、エルシャは何もいえなかった。そんな彼らを見て、メリナが大きくひとつ、ため息をつく。
「これだけ神の民が揃っていれば、旅の目的なんて、本当は見当がついてるんでしょ」
「……俺たちを邪魔する、巨大な力が働いている。それはおそらく、神と相対する存在……つまり、悪魔だと思っている。そうだとすれば、この先の保証は……」
メリナはさして驚く様子もなくうなずいた。
「たぶん、あんたのいうとおりね。あたしだって神の民だから、この頃よく夢を見て、そしてあんたたちが現れて……予想がつかないはずはないわ。……あの戦いから一万年が経ち、今こそ神が、ご自分の民をすべて取り戻そうとしている……きっと、そうなんだ」
メリナが独り言のように呟いた。ラミを抱く腕に力が入る。
「夢……僕が行ったときも、夢を見ていたね。あれは、何の夢だったの? 君はナリューン語で、確かに『神よ、どうかこの地に平和を』と、そういっていた」
フェランがいった。
「そもそも君は、何の民なんだ?」
メリナが深呼吸をする。
「あたしは、クラマネ――記憶の民よ」
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