52 / 371
【第一部:王位継承者】第十二章
幼いころの記憶
しおりを挟む
静まり返った宮殿の廊下を、ひとりの少年があたりをうかがうように歩いている。まっすぐな濃い茶の髪と、同じ色の瞳をした少年は、大きな扉の前で立ち止まると、そっとノックして囁いた。
「ジュベール、起きてるか?」
しばらくの静寂のあと、重たい扉がゆっくりと開き、黒髪の幼い少年が姿を現した。
「エルシャ!」
少年が玉のような声を転がす。エルシャと呼ばれた少年は、いたずらっぽく笑った。
「行こうよ、あそこに」
二人は冷たい大理石の廊下を駆けていった。そのまま外に出て、衛兵の目を避けながら黄昏宮の中門をすり抜ける。そして、南西の方角――エルシャとジュベール、そしてリキュスの三人だけの秘密の裏庭へ向かう。
背の高い草の合間に、リキュスが顔をのぞかせていた。二人の姿を認めて手を振っている。
「早く早く! こっちだよ!」
「しっ、静かにしろよ、衛兵や母様たちに聞こえちゃったらどうするんだよ」
エルシャが弟をたしなめる。
「じゃあ次は、南の原っぱで遊ぶ?」
リキュスが屈託のない笑みを浮かべていう。
「あそこなら、黄昏宮からも水晶宮からも遠いから、絶対誰にも見つからないよ。それに、ここより広いし」
「南の原っぱって、あの、正門の近くの? あそこは遠すぎるよ、馬がないと行けないし」
エルシャがいう。すると、ジュベールが小さな声で呟いた。
「南の原っぱ……僕は、あんまり好きじゃないな」
「え?」
二人が訊き返す。ジュベールは揺れる草々を見つめながらいった。
「僕が悪いことをするとね、お母様が、あの下に僕を閉じこめるんだ」
「下? 下って、原っぱの?」
エルシャが不思議そうにいう。
「そう。原っぱの下には、お部屋があるんだ。ちっちゃなお部屋で、お母様は、僕に目隠ししてそこに閉じこめるんだ。黄昏宮からも遠くて、大声で泣いても誰にも聞こえないような場所で、しばらく反省しなさいって、僕を置いていくんだ」
「そんなお部屋があるの? でも、入り口を見たこともないよ?」
「わからない、僕も目隠しされているから。お母様だけの、秘密のお部屋なんだ。……でもね、僕、知ってるんだ。あのお部屋は、抜け道があるんだ。そこを通ると、東の建物のすぐ脇に出られるんだよ。どうしても怖くなったら、そこから抜け出すんだ。お母様に、ばれないように」
それを聞いて、リキュスが笑顔でいった。
「じゃあ、何も怖がることはないね」
「うん……そうだね」
驚いたような顔をしてジュベールが応じる。
「じゃあ、隠れるよ! 今日は兄上の番だよね!」
リキュスはそういって走り出した。ジュベールも笑顔になってあとに続く。エルシャは目を閉じて数を数え始めた。草をかき分ける音が消え、あたりに静寂が漂う。十五数えて、エルシャは目を開けた。月明かりがうっすらと草の輪郭を浮かび上がらせる。それ以外は、何も見えない。
「行くよ!」
エルシャはそう叫ぶと、草の中を走り出した。この広く深い草にうずもれて、二人は隠れている。
しばらく走り回ったあと、エルシャは青い草の間に垣間見える黒髪を見つけた。
「ジュベール見ーっけ!」
そういうと、エルシャは草をかき分けた。そこには、ぎゅっと目を閉じて丸くなっている幼い少年がいた。
エルシャがジュベールに触れようとしたときだった。突然、ジュベールの下の地面が、ぱっくりと口を開けた。穴は、地獄まで続いているかのようだった――底は真っ暗で、何も見えない。ただ、すべてを飲みこみ、消化してしまいそうな恐怖感。
ジュベールは足場を失い、深い深い闇の中へと落下していった。
「エルシャ!」
ジュベールが叫んで手を伸ばす。
「ジュベール!」
エルシャはかがんでその手を懸命につかもうとした。が、二人の指先はかすかに触れただけで、ジュベールは奈落の底へ落ちていった。こだまする悲鳴だけを残して、ジュベールは暗く恐ろしい淵の底へと消えていった。
「ジュベール――!」
エルシャは声の限りに叫んだ。しかし、あたりにはただ、もう見えなくなった少年の悲痛な叫びが残るだけだった。
「助けて! 助けて――!!」
助ケテ――助ケテ。私ヲ助ケテ。誰カ、私ヲ助ケテクレ。誰カ――エルシャ――エルシャ!!
「ジュベール、起きてるか?」
しばらくの静寂のあと、重たい扉がゆっくりと開き、黒髪の幼い少年が姿を現した。
「エルシャ!」
少年が玉のような声を転がす。エルシャと呼ばれた少年は、いたずらっぽく笑った。
「行こうよ、あそこに」
二人は冷たい大理石の廊下を駆けていった。そのまま外に出て、衛兵の目を避けながら黄昏宮の中門をすり抜ける。そして、南西の方角――エルシャとジュベール、そしてリキュスの三人だけの秘密の裏庭へ向かう。
背の高い草の合間に、リキュスが顔をのぞかせていた。二人の姿を認めて手を振っている。
「早く早く! こっちだよ!」
「しっ、静かにしろよ、衛兵や母様たちに聞こえちゃったらどうするんだよ」
エルシャが弟をたしなめる。
「じゃあ次は、南の原っぱで遊ぶ?」
リキュスが屈託のない笑みを浮かべていう。
「あそこなら、黄昏宮からも水晶宮からも遠いから、絶対誰にも見つからないよ。それに、ここより広いし」
「南の原っぱって、あの、正門の近くの? あそこは遠すぎるよ、馬がないと行けないし」
エルシャがいう。すると、ジュベールが小さな声で呟いた。
「南の原っぱ……僕は、あんまり好きじゃないな」
「え?」
二人が訊き返す。ジュベールは揺れる草々を見つめながらいった。
「僕が悪いことをするとね、お母様が、あの下に僕を閉じこめるんだ」
「下? 下って、原っぱの?」
エルシャが不思議そうにいう。
「そう。原っぱの下には、お部屋があるんだ。ちっちゃなお部屋で、お母様は、僕に目隠ししてそこに閉じこめるんだ。黄昏宮からも遠くて、大声で泣いても誰にも聞こえないような場所で、しばらく反省しなさいって、僕を置いていくんだ」
「そんなお部屋があるの? でも、入り口を見たこともないよ?」
「わからない、僕も目隠しされているから。お母様だけの、秘密のお部屋なんだ。……でもね、僕、知ってるんだ。あのお部屋は、抜け道があるんだ。そこを通ると、東の建物のすぐ脇に出られるんだよ。どうしても怖くなったら、そこから抜け出すんだ。お母様に、ばれないように」
それを聞いて、リキュスが笑顔でいった。
「じゃあ、何も怖がることはないね」
「うん……そうだね」
驚いたような顔をしてジュベールが応じる。
「じゃあ、隠れるよ! 今日は兄上の番だよね!」
リキュスはそういって走り出した。ジュベールも笑顔になってあとに続く。エルシャは目を閉じて数を数え始めた。草をかき分ける音が消え、あたりに静寂が漂う。十五数えて、エルシャは目を開けた。月明かりがうっすらと草の輪郭を浮かび上がらせる。それ以外は、何も見えない。
「行くよ!」
エルシャはそう叫ぶと、草の中を走り出した。この広く深い草にうずもれて、二人は隠れている。
しばらく走り回ったあと、エルシャは青い草の間に垣間見える黒髪を見つけた。
「ジュベール見ーっけ!」
そういうと、エルシャは草をかき分けた。そこには、ぎゅっと目を閉じて丸くなっている幼い少年がいた。
エルシャがジュベールに触れようとしたときだった。突然、ジュベールの下の地面が、ぱっくりと口を開けた。穴は、地獄まで続いているかのようだった――底は真っ暗で、何も見えない。ただ、すべてを飲みこみ、消化してしまいそうな恐怖感。
ジュベールは足場を失い、深い深い闇の中へと落下していった。
「エルシャ!」
ジュベールが叫んで手を伸ばす。
「ジュベール!」
エルシャはかがんでその手を懸命につかもうとした。が、二人の指先はかすかに触れただけで、ジュベールは奈落の底へ落ちていった。こだまする悲鳴だけを残して、ジュベールは暗く恐ろしい淵の底へと消えていった。
「ジュベール――!」
エルシャは声の限りに叫んだ。しかし、あたりにはただ、もう見えなくなった少年の悲痛な叫びが残るだけだった。
「助けて! 助けて――!!」
助ケテ――助ケテ。私ヲ助ケテ。誰カ、私ヲ助ケテクレ。誰カ――エルシャ――エルシャ!!
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
婚約破棄された私と、仲の良い友人達のお茶会
もふっとしたクリームパン
ファンタジー
国名や主人公たちの名前も決まってないふわっとした世界観です。書きたいとこだけ書きました。一応、ざまぁものですが、厳しいざまぁではないです。誰も不幸にはなりませんのであしからず。本編は女主人公視点です。*前編+中編+後編の三話と、メモ書き+おまけ、で完結。*カクヨム様にも投稿してます。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる