上 下
10 / 371
【第一部:王位継承者】第三章

意外な客

しおりを挟む
 開始の鐘が鳴り、舞台はいつものように進んだ。演目も後半に入り、舞台裏では出番を控える者たちが緊張した面持ちで体を動かしている。
 ナイシェは舞台の裾で火の踊りを見ていた。それは踊りというより手品だった。口から火を吐いたり、松明をくるくると回したり。技が決まるたびに、観客から大きな歓声と拍手がわき起こる。しかし、それらはナイシェの目にはただ映るだけだった。彼女の頭の中は、月の精の踊りでいっぱいだ。六分間の短い時間に凝縮された緻密な踊りが、脳裏を駆け巡る。知らないうちに、ナイシェはぶつぶつと何か呟きながら小さく足先を動かしていた。

「ナイシェ」

 耳元でリューイの声がして、ナイシェは我に返った。

「大丈夫? そろそろ準備して。天井へはそこの階段でいけるから」

 『天井』。そう、自分は月の精なのだ。あそこから跳び降りなければならない。
 ナイシェは息を呑んだ。鼓動が聞こえる。
 深呼吸二回。
 ……大丈夫、きっとできる。

 ぽん、とリューイが肩を叩いた。

「このあたしが保証したげる。あんた、踊れるわ。びびんなくてもいいの。あんたの思うように踊っといで。役を、自分のもんにするのよ」
「……はい」

 ナイシェはゆっくりとうなずくと、階段に向かった。途端に、足と手につけた大きな鈴ががらんと鳴る。

「……っと」

 ナイシェは全身に神経を集中させた。そして、階段を駆けあがる。鈴はしゃらんしゃらんと心地よい音色を響かせながら揺れていた。
 見えなくなるナイシェを見つめながら、リューイは苦笑した。

「これは、あたしもうかうかしてられないね……」





 ナイシェは天井で待機していた。あと一分ほどで暗転だ。うまくタイミングを合わせて跳ばないと、照明とずれてなんとも無様になってしまう。ナイシェは舞台に神経を集中した。前の演技が終わり、ふっと舞台が暗くなる。

 ナイシェは数えた。

 一、二、三、ジャンプ!

 彼女は三メートルを越える高さにある天井の足場から、ふわりと舞い降りた。光が、その姿を映しだす。出だしは上々だ。そしてナイシェは第一の難関、着地へと入った。足の先まで神経を張り巡らし、足首だけは柔らかくする。そして、月の精になる――。

 とんっ。

 軽やかな、小さな足音。

 観客は息を呑んだ。

 手足につけられた、微動だにしない、鈴。

 流れるような曲に合わせて、少女はくるくると踊り始めた。ナイシェは体いっぱいに喜びを表した。
 満月の夜、初めて地に足を触れた、この喜び!
 しゃらん、しゃらん。人々を夢の中へといざなうような鈴の音は、誰をも魅了した。
 舞台に初めて上がれた喜びが、初めて地上に降りることを許された月の精の喜びと重なる。人々は瞬きするのも忘れて月の妖精の踊りに見入っていた。複雑なリズムを刻む足。滑らかに動く指先。そして揺れる鈴。

 ニーニャ一座に、新しい花形が生まれた夜だった。





 幕が下りたあとも、拍手は鳴り止まなかった。衣装室でその音を遠くに聞きながら、ナイシェは力が抜けたように座りこんでいた。

 この拍手は、私に向けられているものなんだ……。

 実感のわかない中で、それでもどこか奥のほうから少しずつ生まれてくる喜びを、ナイシェは感じていた。そのとき、入り口の幕が持ち上がり、何の予告もなしに突然リューイが息を切らして入ってきた。

「最高だったよ、ナイシェ! このあたしが惚れ惚れしちゃった」

 ナイシェはあわてて立ち上がった。

「ありがとうリューイ。でも私、その……やっぱり裏方のほうがいいような気が……」
「なにいってんの!」
 リューイは勢いよくナイシェの背中を叩くと、目配せしていった。
「今更遅いわよ。今日からあんたはあたしのライバルなんだから。いいね」
「え……」

 リューイに認められたのはうれしかったが、ふと頭の隅をよぎったのはニーニャの顔だった。

「あ、そうそう」

 リューイは思い出したようにいった。

「そこの入り口んとこでね、すっごい美形の殿方二人、見かけたわよ。あんたのこと知ってるみたいだったけど」

 ナイシェはぽかんと口を開けると、反射的に駆け出した。

「ナイシェ、どこ行くの」

 ナイシェは満面の笑みでリューイに礼をいうと、急いで幕屋の入り口へ向かった。





 エルシャとフェランは、帰る人々の流れに押されながら出入り口に立っていた。

「しかし……ここで待っていて、出てくるのでしょうか」

 フェランが呟く。

「やっぱり専用の出口とかあるのか? こういう場所には来たことがないから、どうもわからん」

 そのとき、踊り子の衣装のままで、長い髪の少女が手を振りながら駆けてきた。

「エルシャさん! フェランさん!」

 ナイシェは息を切らしながら走り寄った。

「い……いらしてたんですね」

 息切れのせいか、恥ずかしさのせいか、顔が紅潮している。

「ああ。裏方どころか、主役だったじゃないか。とてもすばらしかったよ」

 エルシャの賛辞にナイシェは首を振りながらうつむいた。

「あの、代役だったんです、私」
「代役? もったいないですね」

 フェランが驚いたようにいう。そのとき、天幕の中からナイシェを呼ぶ声がした。

「ナイシェ! ニーニャが呼んでるよ」

 ナイシェははぁいと返事をすると、二人に頭を下げていった。

「来ていただいてありがとうございました。お礼をしないと……」
「月の踊りが、最高のお礼だよ」

 ナイシェの言葉を遮って、エルシャが微笑んだ。ナイシェはうれし恥ずかしそうに笑うと、「じゃあ、さようなら!」と、幕屋の中へ消えていった。声をかけてくれた少女が、通り過ぎざまにナイシェの肩を軽く叩いた。

「よかったよ、あんたの踊り。きっとニーニャも誉めてくれるよ」
「うん!」

 ナイシェは喜び勇んでニーニャの元へと向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

結婚して四年、夫は私を裏切った。

杉本凪咲
恋愛
パーティー会場を静かに去った夫。 後をつけてみると、彼は見知らぬ女性と不倫をしていた。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

処理中です...