上 下
343 / 371
【第六部:終わりと始まり】第七章

イシュマ・ニエヴァの役割

しおりを挟む
 エルシャの言葉に、全員が息を呑んだ。

「神がこの世界を創り上げたとき、イシュマ・ニエヴァが指示を受けてこの世の自然を構築した。山、川、海、砂漠、草原――神の描いた設計図に沿って、イシュマ・ニエヴァが、従える無数の精霊たちとともに、これらを創り上げた。やがて人間が誕生し、彼らが自らの意志で動き出してからは、自然の営みは神のご意志により人間との関わりの中での変化に委ねられた。精霊たちは積極的に介入することはせず、ただ静かに見守るだけだった。そうした中で、大昔は人間にとって身近だった精霊の存在も、やがて忘れられていくことになった」

 ナイシェは、サラマ・エステでの出来事を思い出していた。
 鏡のように静かな、カマル湖。そこに棲む水の精が、自分たちをサラマ・エステの内部へと導き、頂上から投げ出されたときには救ってくれた。精霊とは本来、あのように人間と関わる存在だったのかもしれない。

「そして、人間の営みの中で、悪魔が生まれた。光のあるところには必ず、影がある。その光が強ければ強いほど、その影は濃くなる。この世にたくさんの自然や生き物、人工物が創られていくに従い、闇は深くなり、やがて悪魔が生まれた――つまり、いってみれば、悪魔ですら、神自身が創り出した産物なんだ」
「悪魔は……神が、創った……?」
「そう――図らずも、ね。その結果、タラ・ム・テールが起きた」
「『すべてを意味する戦い』……?」

 ティーダが繰り返す。

「そう。神と悪魔の戦争だ。それでどちらも重傷を負ったとき――実はあのとき、イシュマ・ニエヴァも関わっていた。神の力の源が破壊され、ばらばらになったとき、イシュマ・ニエヴァの力がかけらを覆ったんだ。時が来て、十二個のかけらがひとつの場所に集まったとき――イシュマ・ニエヴァがすべてのかけらを融合し、神に還元する。それこそがすなわち、真の神の復活なんだ」
「悪魔の復活の前にそれが果たされれば、神が勝利する――!」

 エルシャがうなずいた。

「そういうことだったんだ。ずっと、理解できない神の記憶の断片があった。ナイシェの中の少年がイシュマ・ニエヴァだとわかったことで、すべてが繋がった。タラ・ム・テールでの、神と悪魔以外の存在の気配を、ずっと感じていた。よく知っている、懐かしい気配――あれは、イシュマ・ニエヴァだったんだな……」
「イシュマ・ニエヴァは、宮殿に住む悪魔の手先に、私の夢に閉じ込められたといっていた。それは、神を復活させないためだったのね」
「そう。そして、サラマ・アンギュースの中の誰かが、自分を解放してくれるといっていた。それはつまり、封印の民オルセノのことではないだろうか」

 エルシャの発言の真意が、皆わからないようだった。

「ここにいる者は誰も、彼を解放するすべを知らない。残るは、封印の民だけだ。俺の中にある神の記憶の解釈が正しければ、神は過去に何度か、封印の力を使ったことがある。昔、次第に神の意に反して悪行を行うようになった人間に対して、その悪しき心を封印しようとした。だが最終的に神は、封じるのではなく人間の選択に任せることにした。そこから闇が生まれ、世界が滅びる道へ進もうとも、それが自分の生み出したものの選んだ結果なのだ、と。いったん封じたものを、また解放したんだ――つまり、封印の民は、封印だけでなく解放もつかさどるのかもしれない。もっとも、その力をイシュマ・ニエヴァに対して使えるのかは、俺にもわからないが……」

 エルシャの話は筋が通っているような気がした。神の民の誰かがイシュマ・ニエヴァを解放できるのだとしたら、それは封印の民以外にはあり得ないように思えてくる。
 つまり、最後のひとりであり封印の民であるアデリアの孫を探し出すことができれば、神の勝利だ。万が一にでも、その人物を悪魔の手先に知られるわけにはいかない。そして、あとひとりで、神の民が全員揃うということも、決して悟られてはいけない――。

 エルシャはティーダのほうを向いた。

「ティーダ。もう一度訊くよ。君は本当に、かけらを手放す気はないのかい?」

 ティーダはしばらく黙ってから、口を開いた。

「僕ね、ナイシェに、ここが僕の居場所になると思う、っていわれて来たんだ」

 意志を持った口調に、全員がティーダを見つめる。

「ここはさ、びっくりするくらい広くて、豪華で、きれいに着飾った人ばかりで、何だか変な感じがするけど。でも、ナイシェが引き合わせてくれた人たちはさ、みんな、僕のことを、受け入れてくれるんだよね。僕がサラマ・アンギュースでも、嫌がらないどころか、まるで普通のことのように、気にせず接してくれる。エルシャたちだけじゃない。かけらを持っていないジュノレだってそうなんだ。それがさ……すごく、落ち着くんだ。ナイシェがいってたことの意味が、やっとわかったよ。隠したり嘘をついたりしなくていいのって、すごく楽だ。今の僕を受け入れてくれる場所がここしかないのなら、僕は、ここを守るために戦うよ。戦うほうが、逃げるよりましだ」

 はっきりと、そういった。それが、かけらの力に頼りながらも、その存在をひた隠しにして懸命に生きてきた少年の、出した答えだった。
 エルシャはその言葉を噛みしめるようにゆっくりうなずいた。

「わかった。ならば、君がこの宮殿にいることを、絶対的に気づかれてはいけない。大変だろうが、引き続きマリア付きの侍女として振舞う必要がありそうだ。それも、最後のひとりが見つかるまでの辛抱だ」

 ラミも大きな目を一層輝かせる。

「あなたがいたらとっても助かるわ! だって、創造の民でしょ? 予見の民とか記憶の民とかより、よっぽど戦えるわよね」

 再びラミの顔がティーダに迫り、ティーダの頬が赤に染まる。

「えっと、そ、そうなの……かな?」

 打って変わって、声が弱々しくなる。一方のゼムズは声を荒げている。

「おいラミ、そのいい方はねえだろ? 俺たちだって剣の腕じゃ負けねぇぜ」

 その横で、ディオネがこっそりナイシェに耳打ちした。

「ちょっと! ティーダの奴、ひょっとして……」

 ナイシェは笑みを噛み殺した。

「気づかないふりしてあげましょ、姉さん」

 エルシャたちと出会うことで、ティーダが新しい居場所を見つけられるのか、不安があった。しかしティーダは、自分の置かれた状況を受け入れ、前向きになれているようだ。
 ティーダだけではない。全員が、自分の奥底から湧き出る不思議な力のようなものを感じていた。

 あと少しで、神の民が全員揃う。多くの友を失ったこの戦いに、終止符を打つことができるのだ。

 体が震えた。これは、決して負けることのできない戦いだ。この宮殿の中に、フェランやイシュマ・ニエヴァを苦しめ続けた悪魔の手先と、最後のサラマ・アンギュースが、同時に存在しているのだ。慎重に動かなければ、取り返しのつかないことになる。

 希望と同時に沸き上がる不安を無理やり押さえつけて、ナイシェは前を向いた。

 一度逃げ出して、再び戻ることを決意したのだ。もう何が起きても、逃げるつもりはなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

結婚して四年、夫は私を裏切った。

杉本凪咲
恋愛
パーティー会場を静かに去った夫。 後をつけてみると、彼は見知らぬ女性と不倫をしていた。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

処理中です...