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【第六部:終わりと始まり】第六章
火事
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それは信じられない光景だった。
リューイ一座のテントが、大きな火柱をたてて燃えていた。
真っ黒い煙を大量に吐き出し、白いテントの半分以上が炎に包まれている。楽屋代わりの中テントと寝泊まり用テントの周りに、見知った仲間たちが集まっている。大道具の男たちが代わる代わる樽に水を汲んでテントに掛けようとしているが、熱さで近づけない。掛けたところで、火の勢いは全く弱まらない。
リューイが何か叫びながら大きな身振りで座員に指示している。座員はテントを振り返りながらも敷地の外へ移動を始めた。
「こりゃひどいね」
「あのテント、もうダメだね」
「最近興行を始めた一団だろ? 結構評判よかったのにね、これじゃ興行中止だね」
「中に人がいないといいけど……」
野次馬が敷地の外から遠巻きに話している。
ナイシェは人混みを押し分けて中へ入ろうとした。しかし、熱気で近づけない。裏手に回り、人混みを抜けて小テントのほうへ近づこうとして、足を止めた。
路地を曲がったところに、あの男たちがいる。
「おい、ガキは出てきたか?」
「いや、まだだ。戻ってなかったんじゃないのか?」
「それはそれで構わねえよ。よそ者のあいつらをかくまう奴はいねえ。女子供が町を出るには足が必要だ。町中の馬屋を張ってれば、すぐ見つかるさ」
「それならもうほかの奴らがやってる」
「ひょっとしたら、中で焼け死んでるんじゃねえか?」
男が笑い声をあげた。
「そりゃあ火つけた甲斐があったってもんだな」
体中が震えた。熱くたぎった血が全身を巡り、頭が火照る。これほどまでに、怒りを自覚したのは初めてだった。
男たちがこちらへ向かってきたので、ナイシェは慌てて野次馬の中に紛れ込んだ。
「出入りできる道は全部見張っとけよ」
そういって三人が散る。背後から男の気配が消えても、まだナイシェは動けずにいた。
全身が小刻みに震え、自信の熱でくらくらする。知らずのうちに、涙が流れていた。悲しみではない涙を流すのも、初めてだった。
やがて町の火消しが集まり、消火活動が始まった。遠くで、踊り子たちの声が聞こえる。
――舞台が全部やられた。
――衣装だけじゃないよ、小道具も舞台装置も。
――これからどうすればいいの?
――リューイは!? リューイが出てこない。
――中に残ってる子がいないか戻ったんだよ。
――無茶だよ! 死んじゃう!
そのとき、燃え盛るテントからリューイが姿を現した。煤で体中真っ黒だ。肩にカルヴァの腕をかけ、引きずるように歩いてくる。仲間の元までたどり着くと、その場に倒れ込んだ。そこに町人が駆け寄って手当を始める。
リューイとカルヴァのもとに行きたかったが、見張りの男が目を光らせていて無理だった。
「あの子で最後みたいだよ」
「いや、あと三人見つかってないってよ。子供がもうひとりと、女が二人だって」
まだ仲間が炎の中に取り残されているのかと思ったが、すぐに、その三人が自分たちであることに気づいた。
テントは燃えたが、仲間は全員無事ということだ。それだけが救いだった。そうでなければ、怒りのあまり叫び出すところだった。
生まれて初めて芽生えた激しい怒りと憎しみをどうにか制御しようと、血が滲むほど唇を噛み締める。
何とか理性を保たなければならない。こんな負の感情に支配されてはダメだ。
とにかくそれだけを、自分にいい聞かせ続けた。
それから酒場に戻るまでの道のりは、自分でも記憶になかった。酒場の扉を開けたときのディオネの表情で、自分が今どんな顔をしているのか気づいた。
「ナイシェ……」
言葉を失ったディオネが、苦渋のまなざしで自分を見ている。目が合った途端、張り詰めていた何かが切れたように、ぼろぼろと両目から涙が溢れた。
「姉さん……姉さん! あいつらがやったの……! あいつらが、リューイのテントに火を……! 全部燃やして……私たちを捕まえるために、あんなことを……!」
うまく言葉にならない。ディオネはナイシェを強く抱きしめた。
「みんなは無事なの!?」
かろうじてうなずく。
「でも、もう……舞台は、無理……。この先どうなるのか……私は何もできなくて……。リューイがみんなを必死に守ろうとしてて、なのに私は……近づくこともできなくて……」
唇を噛む。涙が止まらない。どうしようもない怒りが、姉の顔を見てからは悔しさに変わった。
ティーダや自分たちを捕らえるためだけに、一座に火を放った奴らが許せない。それを見ているだけで何もできない自分が許せない。何の関係もない人間が巻き込まれても何ひとつ止められない自分の無力さが悔しかった。
「リューイ一座は……なくなっちゃったの……?」
呆然と、ティーダが問う。
「大テントが、燃え堕ちたわ。あとの二つは無事だと思う。みんな命は助かったみたいだけど、興行はしばらく、無理ね……」
嗚咽を堪えて話す。ティーダがいるのだ、泣いている場合ではない。
離れたところで話を聞いていたマリッサが、腕組みをしたまま呟いた。
「子供ひとり捕まえるために放火、か……とんでもない奴らだね」
面倒ごとは嫌いだといいつつも、さすがに腹立たしいようだ。コクトーがため息をついた。
「つまり奴らは、ティーダの逃げ場所を潰したいわけだ。こうなったら、見つかる前に一刻も早く町から出ないと」
「あいつら、町から出さないために馬屋を見張ってるっていってた」
ナイシェの言葉にコクトーが舌打ちをする。
「町から出られないと、見つかるのは時間の問題だ」
「悪いけど、うちではかくまってやれないよ。こっちまで火をつけられたらたまったもんじゃない」
マリッサが付け足す。ティーダが不安そうにナイシェを見た。安心させてやりたいが、言葉が見つからない。
コクトーが時計を見た。
「開店までまだ時間はあるな……」
独り言のように呟くと、マリッサに声をかけた。
「ちょっと出てくる。開店までには戻る。それまでなら、この子たちを置いておいてもいいだろう?」
マリッサがあからさまに嫌な顔をする。
「なんだよ、あんたまで首を突っ込むのかい? あんたはここの花形なんだよ、いなくなるようなことになったら困るんだけどね」
「だから、客が来る前には戻るっていってるだろう。危ないことはしない。馬屋の様子を見てくるだけだ。エルスライには何か所かあるからな、この子たちをうまく逃がしてあげられれば、おまえも面倒が減っていいだろう」
マリッサは肩をすくめた。
「開店までに決着がつかなかったら放り出すよ」
コクトーはそれには答えずに戸口へ向かった。
「コクトー……!」
呼び止めるナイシェに向かって、コクトーはいった。
「大丈夫、見てくるだけだ。俺なら誰も警戒しないからな。君たちはとにかく、これからどうすべきか考えるんだ」
リューイ一座のテントが、大きな火柱をたてて燃えていた。
真っ黒い煙を大量に吐き出し、白いテントの半分以上が炎に包まれている。楽屋代わりの中テントと寝泊まり用テントの周りに、見知った仲間たちが集まっている。大道具の男たちが代わる代わる樽に水を汲んでテントに掛けようとしているが、熱さで近づけない。掛けたところで、火の勢いは全く弱まらない。
リューイが何か叫びながら大きな身振りで座員に指示している。座員はテントを振り返りながらも敷地の外へ移動を始めた。
「こりゃひどいね」
「あのテント、もうダメだね」
「最近興行を始めた一団だろ? 結構評判よかったのにね、これじゃ興行中止だね」
「中に人がいないといいけど……」
野次馬が敷地の外から遠巻きに話している。
ナイシェは人混みを押し分けて中へ入ろうとした。しかし、熱気で近づけない。裏手に回り、人混みを抜けて小テントのほうへ近づこうとして、足を止めた。
路地を曲がったところに、あの男たちがいる。
「おい、ガキは出てきたか?」
「いや、まだだ。戻ってなかったんじゃないのか?」
「それはそれで構わねえよ。よそ者のあいつらをかくまう奴はいねえ。女子供が町を出るには足が必要だ。町中の馬屋を張ってれば、すぐ見つかるさ」
「それならもうほかの奴らがやってる」
「ひょっとしたら、中で焼け死んでるんじゃねえか?」
男が笑い声をあげた。
「そりゃあ火つけた甲斐があったってもんだな」
体中が震えた。熱くたぎった血が全身を巡り、頭が火照る。これほどまでに、怒りを自覚したのは初めてだった。
男たちがこちらへ向かってきたので、ナイシェは慌てて野次馬の中に紛れ込んだ。
「出入りできる道は全部見張っとけよ」
そういって三人が散る。背後から男の気配が消えても、まだナイシェは動けずにいた。
全身が小刻みに震え、自信の熱でくらくらする。知らずのうちに、涙が流れていた。悲しみではない涙を流すのも、初めてだった。
やがて町の火消しが集まり、消火活動が始まった。遠くで、踊り子たちの声が聞こえる。
――舞台が全部やられた。
――衣装だけじゃないよ、小道具も舞台装置も。
――これからどうすればいいの?
――リューイは!? リューイが出てこない。
――中に残ってる子がいないか戻ったんだよ。
――無茶だよ! 死んじゃう!
そのとき、燃え盛るテントからリューイが姿を現した。煤で体中真っ黒だ。肩にカルヴァの腕をかけ、引きずるように歩いてくる。仲間の元までたどり着くと、その場に倒れ込んだ。そこに町人が駆け寄って手当を始める。
リューイとカルヴァのもとに行きたかったが、見張りの男が目を光らせていて無理だった。
「あの子で最後みたいだよ」
「いや、あと三人見つかってないってよ。子供がもうひとりと、女が二人だって」
まだ仲間が炎の中に取り残されているのかと思ったが、すぐに、その三人が自分たちであることに気づいた。
テントは燃えたが、仲間は全員無事ということだ。それだけが救いだった。そうでなければ、怒りのあまり叫び出すところだった。
生まれて初めて芽生えた激しい怒りと憎しみをどうにか制御しようと、血が滲むほど唇を噛み締める。
何とか理性を保たなければならない。こんな負の感情に支配されてはダメだ。
とにかくそれだけを、自分にいい聞かせ続けた。
それから酒場に戻るまでの道のりは、自分でも記憶になかった。酒場の扉を開けたときのディオネの表情で、自分が今どんな顔をしているのか気づいた。
「ナイシェ……」
言葉を失ったディオネが、苦渋のまなざしで自分を見ている。目が合った途端、張り詰めていた何かが切れたように、ぼろぼろと両目から涙が溢れた。
「姉さん……姉さん! あいつらがやったの……! あいつらが、リューイのテントに火を……! 全部燃やして……私たちを捕まえるために、あんなことを……!」
うまく言葉にならない。ディオネはナイシェを強く抱きしめた。
「みんなは無事なの!?」
かろうじてうなずく。
「でも、もう……舞台は、無理……。この先どうなるのか……私は何もできなくて……。リューイがみんなを必死に守ろうとしてて、なのに私は……近づくこともできなくて……」
唇を噛む。涙が止まらない。どうしようもない怒りが、姉の顔を見てからは悔しさに変わった。
ティーダや自分たちを捕らえるためだけに、一座に火を放った奴らが許せない。それを見ているだけで何もできない自分が許せない。何の関係もない人間が巻き込まれても何ひとつ止められない自分の無力さが悔しかった。
「リューイ一座は……なくなっちゃったの……?」
呆然と、ティーダが問う。
「大テントが、燃え堕ちたわ。あとの二つは無事だと思う。みんな命は助かったみたいだけど、興行はしばらく、無理ね……」
嗚咽を堪えて話す。ティーダがいるのだ、泣いている場合ではない。
離れたところで話を聞いていたマリッサが、腕組みをしたまま呟いた。
「子供ひとり捕まえるために放火、か……とんでもない奴らだね」
面倒ごとは嫌いだといいつつも、さすがに腹立たしいようだ。コクトーがため息をついた。
「つまり奴らは、ティーダの逃げ場所を潰したいわけだ。こうなったら、見つかる前に一刻も早く町から出ないと」
「あいつら、町から出さないために馬屋を見張ってるっていってた」
ナイシェの言葉にコクトーが舌打ちをする。
「町から出られないと、見つかるのは時間の問題だ」
「悪いけど、うちではかくまってやれないよ。こっちまで火をつけられたらたまったもんじゃない」
マリッサが付け足す。ティーダが不安そうにナイシェを見た。安心させてやりたいが、言葉が見つからない。
コクトーが時計を見た。
「開店までまだ時間はあるな……」
独り言のように呟くと、マリッサに声をかけた。
「ちょっと出てくる。開店までには戻る。それまでなら、この子たちを置いておいてもいいだろう?」
マリッサがあからさまに嫌な顔をする。
「なんだよ、あんたまで首を突っ込むのかい? あんたはここの花形なんだよ、いなくなるようなことになったら困るんだけどね」
「だから、客が来る前には戻るっていってるだろう。危ないことはしない。馬屋の様子を見てくるだけだ。エルスライには何か所かあるからな、この子たちをうまく逃がしてあげられれば、おまえも面倒が減っていいだろう」
マリッサは肩をすくめた。
「開店までに決着がつかなかったら放り出すよ」
コクトーはそれには答えずに戸口へ向かった。
「コクトー……!」
呼び止めるナイシェに向かって、コクトーはいった。
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