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【第六部:終わりと始まり】第二章

ミルドの訪問

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 その日、フェランが宿に戻ったのは夕方近くだった。

 いつも、夕食が自分が作っている。今ごろエルシャたちはやきもきしているのではないだろうか。

 足早に階段を上ると、フェランは恐る恐る宿の扉を開いた。いたのはエルシャだけだった。

「おかえり。収穫はあったか?」

 フェランは室内を見回した。

「……ラミとゼムズは?」

 エルシャは失笑しながら答えた。

「二人とも、ちょうど買い物に出ているよ。夕飯を食べ損ねるかもしれないと心配し始めてね、夕市に行って出来上がりの物を買ってきてくれるそうだ。そろそろ戻るころだぞ」

 フェランは慌てて着替え始めた。化粧を落とし髪を整えるのと、二人が帰ってくるのはほとんど同時だった。

「フェラン! 戻ってきたのね。寂しかったのよ」

 ラミが抱きついてくる。

「遅くなってごめん、ラミ。買い物ありがとう」

 しゃがんで頭を撫でてやる。ゼムズが食料をテーブルに置いていった。

「おう、フェラン、おまえも今帰ったのか?」
「はい、一日ありがとうございました」

 するとゼムズが珍しく目を輝かせて近づいてきた。

「じゃあおまえ、見なかったか!? ついさっき、すごい美人が目の前の通りを歩いていてよ、この辺の建物に入ったように見えたんだが」

 フェランは首を傾げた。正直にいって、自分のことで精いっぱいで周りを見ている余裕はなかった。

「気づきませんでしたが……。珍しいですね、ゼムズが女性の話をするなんて」
「確かによ、俺はずっと女子供とは縁遠い世界で生きてきたけどよ。あれは、ちょっと目を引くくらいの美人だったぜ。白か桃色だかの服を着て、長い髪の毛が……そう、ちょうどおまえみたいな栗色で……」

 途中から、みるみるフェランの顔が紅潮し始め、隣でエルシャが背中を震わせながら笑いを堪えている。その様子に、しばしゼムズは言葉を失った。

「……え? まさか……あれ、おまえかよ!?」

 エルシャが声をあげて笑い出した。

「確かにな、宮殿にいたころは、おまえ以上に着飾った貴婦人ばかりだったからそれほど目立たなかったが、こういう町では、おまえほどの美人はなかなかいないな。ゼムズが色めき立つのももっともだ」
「い、色めき立ってなんかいねえよ! 驚いただけだ!」

 むきになるゼムズとエルシャとの間に、フェランが割って入る。

「二人ともやめてください! ラミの前ですよ!?」

 その一言で二人ともやや落ち着きを取り戻す。

「え、何? その女の子、フェランだったの? ずるいよゼムズ、あたしも見たいっていったのに、全然抱っこしてくれないんだもん」

 むくれるラミをゼムズが抱え上げる。

「すまなかったな、お姫様。ま、急がなくても、そのうち見られるぜ。どうせ明日も行くんだろ?」

 フェランはため息をつきつつ答えた。

「そうですね……。約束をしてしまいましたし……。もう少しで、何かわかるかもしれないんです」

 フェランは、その日の会話を説明した。

「せめて、その形見が何なのかわかればいいのですが」

 悩むフェランに、ゼムズが軽い調子でいった。

「形見なんてわからなくても、女として幸せになったと伝えればいいんだろ? 簡単じゃねえか、エルシャとラミを連れていけばいいんだ。素敵な男と結婚して、可愛い娘も生まれました、私は幸せです、ってね」

 フェランはとんでもないとでもいうように首を振った。

「そんな大嘘はつけませんよ! エルシャやラミまで巻き込んで、あの人を騙すなんて僕にはできません!」

 しかしラミは楽しいいたずらを計画している子供のように目を輝かせた。

「エルシャがパパで、フェランがママ? 面白そう、ラミやりたい!」

 フェランは困った顔でラミを制した。

「だめだよ、いくら人助けのためでも、そんな面白半分に人を騙してはいけない」

 ラミはむくれている。フェランはエルシャの反応をうかがった。

「そうだな……。ゼムズのやり方にも一理あるが、俺は……おまえの夫役は、ちょっと自信がないな」

 そして小さく笑いを漏らした。

「そのおじいさんの目の前で、吹き出してしまいそうだ」

 そういう問題なのかと少し頭に来たが、とりあえずゼムズの案は却下になり安堵する。

「せめて……ミルドさんが、もう少し何か知っていれば……」

 そのとき、宿の扉を叩く音がした。

 旅人に来客とは珍しい。

 そう思っていると、扉の向こうから男の声がした。

「フェランさん、いらっしゃいますか? ミルドです」

 扉を開けると、ミルドがひとりで立っていた。

 先ほど別れたばかりなのに、どうしたというのだろう。まさか、またバスコが家を出ていったのか。

 そんなことを考えたが、そのわりにはミルドは落ち着いた様子だ。一堂に会した四人の姿を見て、ミルドは何度も頭を下げた。

「このたびは、本当にすみません、いや、ありがとうございます」

 どうやら、わざわざ礼をいいに来たらしい。フェランは落ち着かないミルドをとりあえず中に入れ、温かい茶を出した。ミルドはしきりに恐縮したまま、座ってからも何度も頭を下げた。

「本当に、フェランさんのおかげで、父もだいぶ落ち着きました。明日も来てくださると約束してもらって、父もすっかり安心しきって、以前のようにアデリアさんを探しに勝手に出ていくこともなくなって。本当に、ありがとうございます」

 フェランはほっとした。自分も、少しは力になれているようだ。
 そこで、ずっと気になっていた質問をしてみた。

「あの……バスコさんは、昔からあんなに……その、怒りっぽいというか、頑固な方だったんですか?」

 バスコもミルドも、昔は幸せだったというが、この二人が仲よさそうにしているところを、フェランはまだ見たことがない。フェランの疑問を察して、ミルドが答えた。

「今よりは穏やかでしたよ。確かに、多少頑固で譲らないところはありましたが、それも娘のモナへの愛情から来るものだと、見ていてよくわかりましたから、気にはなりませんでした。とにかく、愛情の深い人です。今のあんな様子しか知らないと信じられないかもしれませんがね……。三人で暮らしていたときは、本当にうまく行っていたんです。でも……だからなのかもしれませんね。愛情を注ぎこんだ最後の家族に先立たれ、いよいよ、アデリアさんへの未練が募ったのかもしれません。モナが亡くなってからは……あんなふうに、頑固なところだけが残ってしまい、私もつい、売り言葉に買い言葉で……喧嘩ばかりしてしまいます。本当にお世話になったので、どんな状況になっても、私が最後の家族として、責任を持って父を見ようと、そう心に決めたのですが。そんな気持ちも、ときどき、もうどうでもよくなってしまって……」

 苦しそうに眉をひそめながら語るその様子は、ミルド自身へ向けられた怒りのようにも見えた。
 フェランは、昼間のバスコの言葉を思い出していた。

「バスコさんが、僕にいっていましたよ。ミルドさんは、堅物だけど誠実な人で、だからモナさんは幸せになれた、と。あれだけ気難しいバスコさんがそうおっしゃるんですから、ミルドさん、とても信頼されているんですね」

 ミルドはひどく驚いていた。見開かれたその目に、みるみる涙が浮かぶ。

「そんなことは……私には、一言も……」

 たまった涙をけしてこぼすまいと、歯を食いしばっている。

 この家族は、どこかで掛け違えたボタンを直して、もう一度、もとある姿に戻してあげなければならない。
 フェランは心からそう思った。
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