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【第六部:終わりと始まり】第二章

エルシャの葛藤

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 その日の夜は、雲ひとつなく星の瞬きが美しい満月だった。あのあと、望みどおり噴水のある公園を見つけたラミは、ゼムズやフェランを相手にたっぷり遊び、大満足のうちに寝床に入った。同部屋で寝るのは、これもラミの希望でいつもフェランだ。寝台は二つあるのに、ひとりでは寂しいといって、いつもフェランを同じ布団の中に引きずりこむ。この日の夜も例にたがわず、フェランの腕枕でラミは穏やかな寝息を立てていた。

 こうしていると、旅の目的を忘れてしまいそうになってしまう……。

 ラミの柔らかな髪をやさしく撫でながら、フェランはそんなことを思った。
 旅に合流したころには、フェランにばかりなついていたラミだったが、今では力持ちのゼムズが格好の遊び相手になっている。ゼムズも、小さな子供に好かれてまんざらでもなさそうだ。
 唯一の肉親だった母親が死に、母親代わりのような存在だったナイシェが旅を離れたことは心配の種だったが、フェランから見ても、ラミはよく順応しているようだった。ナイシェの役割を自分がこなそうと背伸びすることで、居場所を得ているのかもしれない。

 ……早く旅を終わらせて、子供らしい生活を取り戻してあげたい。

 そんなことを思っていると、不意に隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。エルシャとゼムズの寝室だ。もう夜中だが、何やら物音がする。
 フェランはラミの頭の下からそっと腕を引き抜くと、寝台から下りた。部屋を出ると、エルシャが食卓の椅子に座って水を飲んでいるところだった。

「眠れないのですか?」

 フェランはエルシャの斜向かいに腰を下ろした。

「また……悪い夢でも……?」

 エルシャはかすかに微笑んだ。

「ん……大した夢じゃないよ。ちょっと喉が渇いただけだ」

 フェランがいぶかし気にエルシャの顔を覗き込む。それを見て、エルシャは続けた。

「本当だ、おまえが心配するほどじゃない。実際、以前より調子はいいと思う。アルマニア宮殿でしっかり体を休めたからだろうな。あそこでは、夜も気をはらずに眠れたし、体力に余裕が出てくると、精神的にも楽になるものだ」

 そこまで聞いて、やっとフェランの顔に笑みが浮かんだ。

「それならよかったです。あなたはいつも、何でもひとりで背負い込もうとするから……。辛いことは、吐き出してくださいね。そのために、僕がいるんですから」

 エルシャは苦笑して首を振った。

「そうじゃないだろう、おまえもサラマ・アンギュースなんだから」

 しかしフェランは強いまなざしで否定した。

「いいえ。僕はサラマ・アンギュースである前に、あなたに命を救われ、五歳からともに時を過ごしてきた、ひとりの人間です。あなたが苦しんでいるときには、僕が支えになりたいんです」

 フェランのまっすぐな視線に、エルシャの口元から笑みが消えた。そのまま手元のコップに視線を落とし、ややあってからエルシャはコップの水を一口含んだ。

「……おまえは、強いな」

 コップをテーブルに置き、エルシャが呟いた。

「え……?」

 思わず訊き返す。エルシャはひとつため息をついてから天を仰いだ。

「旅に出るまでは、俺の友人はおまえだけだった。宮殿の連中は皆、本音を話さない。上辺だけの付き合いや、腹の探り合いばかりだ。でも俺は、おまえさえそばにいればそれで満足だった。なのに……。サラマ・アンギュースを探す旅に出て、たくさんの仲間と出会い、いつの間にか……俺は、弱くなった。ナイシェとディオネが去るとき、俺は……本当は、行かせたくないと思った。今でも、おまえだけじゃなく、ゼムズやラミがいてくれるのに、な。それでも満足できない俺は、昔より自分勝手で弱い人間になってしまったのかもしれない……」

 黙って聞いていたフェランは、しばらくしてから口を開いた。

「大切な仲間を失いたくない、離れたくないという気持ちは、弱さではないと思いますよ。むしろ、それが強さに繋がるのではないですか?」
「強さに……?」

 フェランはうなずいた。

「本当は離れたくないほどの大切な人だからこそ、引き留めずに見送った。その結果、ナイシェとディオネは守られたんです。ジュノレ様を救ったときだって、身を投げ出してラミを助けたときだって、あなたは失いたくない仲間のためにいつだって自分を犠牲にしてきたじゃないですか。あなたは自分を弱いというけれど、その想いを元にあなたが選んできた道は、本当に弱い人間には選べないものばかりです。エルシャ、あなたは、自分が思っているよりずっと、強いですよ」

 エルシャはしばらくフェランを見つめ、やがて視線を落とした。

「……おまえは、平気なのか?」
「何がです?」
「その……ナイシェとディオネが、いなくなって」

 いいにくそうにエルシャがいう。フェランは、その言葉を反芻するようにしばらく黙り込んだ。

「……もちろん、寂しくないわけではありません。エルシャと同じ気持ちだと思いますよ」
「だが……おまえもゼムズも、いつもと変わらないように見える」

 そういわれ、フェランは微笑んだ。

「それはたぶん、迷いがないから……でしょうか」
「迷いがない?」

 フェランはうなずいた。

「どの状況でも、僕のすべきことはただひとつ。エルシャ、あなたを支えて、神の使命を全うする助けとなることです。あなたを信頼しているから、僕は迷わずにいられるんです」

 エルシャがため息をついた。

「弱音ばかり吐いているこの俺を、信頼しているというのか」

 フェランは笑い声を漏らした。

「前にもいったかもしれませんが……。僕は、すべては神のお考えによるものだと思っているんです。ナイシェたちが去ったのも、あなたがそれを引き留めなかったのも。だって、神はこの大事な使命を、ほかの誰でもないエルシャ、あなたに託したんですよ。ときには弱音を吐き、ときには迷い、使命を背負うには少し気がやさしすぎるかもしれないあなたを、あえて神は選ばれたんです。そこには必ず理由がある。だから、僕に不安はありませんよ」

 屈託のない笑顔で自分を見つめるフェランに、思わずエルシャも笑い声を漏らした。

「なかなか辛辣な評価だが、一応、励ましてくれているんだよな。……ありがとう。おまえに話してよかったよ」
「お力になれてうれしいです」

 先ほどよりやや軽くなった笑顔で、エルシャは腰をあげた。

「さて、もう一度寝るとするか……。フェラン、おまえの部屋、借りていいか?」
「大丈夫ですが……?」

 エルシャは肩をすくめていった。

「夢を見て目が覚めたのは本当だが……実は、ゼムズのいびきがうるさくて寝つけなくてね」

 フェランは笑った。

「僕はラミの布団で寝ますから、遠慮なくどうぞ」

 ラミの眠る部屋へ入ろうとして、エルシャが振り返った。

「……今夜の話、ゼムズにはいうなよ」

 フェランは笑いを噛み殺した。

「もちろんですよ」
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