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【第五部:聖なる村】第十二章
守りたい笑顔
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寝台の上で、医者に付き添われてディオネと同じように腕へ何かの液体が繋がれたエルシャを見るなり、ナイシェは叫んだ。
「どうして教えてくれなかったの!?」
ナイシェのすぐ隣で、フェランが申し訳なさそうにこうべを垂れる。
「すみません……隠しきれませんでした……」
エルシャは慌てて身を起こすと、努めて明るくナイシェに説明しようとした。
「いや、大したことじゃないから、余計な心配をかけるだけだし」
しかしナイシェは怒ったような涙目でエルシャに詰め寄った。
「大したことだから、こうして治療しながら安静にしているんでしょう? 私、全然気づかなくて……エルシャだってあんな大怪我したあとなのに、辛くないわけないのに、私、自分のことで精いっぱいで、全然気づいてあげられなくて……」
みるみる声に勢いがなくなってくる。
「だから、これは本当に大げさなことで……。ちょっとめまいがしてふらついただけで――」
すると、それまで黙っていた白髪まじりの白装束の医師が口を開いた。
「大げさではありませんよ。エルシャ様、あなたのその栄養状態では、アリクレスからの不休の長旅など耐えられるわけがありません。失った血液も、まだ充分回復していませんよ。少なくともこの薬液は明日まで必要ですし、そのあとも最低一か月間は、療養が必要です」
エルシャはため息をついた。
「確かに、多少無理はしたが……放っておけば、元に戻る。何の心配もいらない」
医師は肩をすくめた。
「そうやって無理をしているから、回復が遅れてこんなことになるんです。宮殿に戻られたからには、きちんと休んでいただきますよ」
エルシャは諦めたようにうなずいた。
「ああ、わかっている」
医師が部屋から出ていくと、エルシャは改めてナイシェに語りかけた。
「すまなかったな……。だが昨夜は、皆極限の状態だった。ナイシェに、これ以上心配をかけたくなかったんだ」
ナイシェは唇を引き結んでうつむいた。ぎゅっと閉じた目から一雫の涙が落ちる。
「……ごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば、エルシャにばかり負担をかけずに済んだのに」
うなだれるナイシェを見て、エルシャは慌ててその手を取った。
「頼むよナイシェ、泣かないでくれ。君はもう、充分泣いた。これ以上、悲しまないでくれ……」
フェランがそっとナイシェの頭を撫でる。
「あなたが自分を責める必要はないんですよ。みんなが、ディオネを助けたい一心で行動した。それだけです」
「そう。それに、これはちょうどいい機会だったかもしれない。一か月前……あの日から、いろいろありすぎた。いつ敵が来るかわからない街中では、夜もゆっくり休めないからな。宮殿でしばらく休息をとらないと、どちらにしろあのままでは立ち行かなくなっていただろう。いろいろと考えたいこともあるし、な……」
不意に、エルシャの目が鋭くなった。
記憶のかけらを埋めてから、まだそれを制御しきれていない。記憶と夢の境界はまだ不明瞭なままだし、ゼムズの持ち帰った情報もしっかり検討しなくてはならない。それには、誰にも邪魔されないまとまった時間が必要だ。
ナイシェも、一筋の涙をぬぐって前を向いた。
「そうよね……泣いてばかりじゃだめよね。私も、いつ姉さんが目覚めてもいいように、前を向かなきゃ」
フェランが微笑んだ。
「その意気です。ナイシェ、あなたには笑顔のほうがお似合いなんですから」
まただ。
ナイシェは思った。
フェランの笑顔には、何か魔法がかかっているに違いない。どんなに荒れた心も、その笑顔を見ると途端に穏やかになる。
「……今朝ね、テュリスさんが来てくれたのよ。ジュノレも、忙しい中お花を届けてくれた」
優しい口調でナイシェはエルシャに伝えた。
「テュリスが……? 見舞いにか……?」
信じがたいとでもいうようにエルシャが返す。ナイシェは笑っていった。
「そう。すごくわかりにくかったけど、たぶん……姉さんと私を、元気づけに来てくれたんだと思う。エルシャやフェラン、みんなに励まされて、それがとてもうれしくて」
ナイシェが微笑んだ。
「……ありがとう、エルシャ、フェラン。怒ったりしないで、最初からそういえばよかったのね……」
ナイシェは決まりが悪そうに立ち上がった。
「姉さんが目覚めるかもしれないから、そろそろ行くわね。エルシャ、ゆっくり休んで。……私はもう、大丈夫だから」
そういい残すと、ナイシェは静かに出ていった。
閉まった扉を、二人はしばらくの間見つめていた。ちらりとフェランの横顔を見やると、エルシャが呟いた。
「守ってやりたい、か……?」
ぎくりとした顔でフェランが振り返る。
「違うのか? そんな顔だと思ったが」
淡々というエルシャに、フェランはうっすらと頬を赤らめた。それを見て、エルシャが小さく笑う。
「恥ずかしがることはないさ――俺も、同じ気持ちだよ」
「エルシャも……?」
訊き返すフェランに、エルシャはうなずいた。
「この二日間……泣いているナイシェしか、見なかった。あんなに泣いて、ぼろぼろになって……。あと少しで、粉々に壊れてしまいそうな――あんなナイシェは、もう見たくない。あの子には、笑顔が似合う。あの笑顔を、守ってやりたい」
エルシャはため息をついた。
「俺はね、心底そう思ったよ」
呟くようにいうエルシャの顔は、わずかに憂戚をはらんでいた。
「どうして教えてくれなかったの!?」
ナイシェのすぐ隣で、フェランが申し訳なさそうにこうべを垂れる。
「すみません……隠しきれませんでした……」
エルシャは慌てて身を起こすと、努めて明るくナイシェに説明しようとした。
「いや、大したことじゃないから、余計な心配をかけるだけだし」
しかしナイシェは怒ったような涙目でエルシャに詰め寄った。
「大したことだから、こうして治療しながら安静にしているんでしょう? 私、全然気づかなくて……エルシャだってあんな大怪我したあとなのに、辛くないわけないのに、私、自分のことで精いっぱいで、全然気づいてあげられなくて……」
みるみる声に勢いがなくなってくる。
「だから、これは本当に大げさなことで……。ちょっとめまいがしてふらついただけで――」
すると、それまで黙っていた白髪まじりの白装束の医師が口を開いた。
「大げさではありませんよ。エルシャ様、あなたのその栄養状態では、アリクレスからの不休の長旅など耐えられるわけがありません。失った血液も、まだ充分回復していませんよ。少なくともこの薬液は明日まで必要ですし、そのあとも最低一か月間は、療養が必要です」
エルシャはため息をついた。
「確かに、多少無理はしたが……放っておけば、元に戻る。何の心配もいらない」
医師は肩をすくめた。
「そうやって無理をしているから、回復が遅れてこんなことになるんです。宮殿に戻られたからには、きちんと休んでいただきますよ」
エルシャは諦めたようにうなずいた。
「ああ、わかっている」
医師が部屋から出ていくと、エルシャは改めてナイシェに語りかけた。
「すまなかったな……。だが昨夜は、皆極限の状態だった。ナイシェに、これ以上心配をかけたくなかったんだ」
ナイシェは唇を引き結んでうつむいた。ぎゅっと閉じた目から一雫の涙が落ちる。
「……ごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば、エルシャにばかり負担をかけずに済んだのに」
うなだれるナイシェを見て、エルシャは慌ててその手を取った。
「頼むよナイシェ、泣かないでくれ。君はもう、充分泣いた。これ以上、悲しまないでくれ……」
フェランがそっとナイシェの頭を撫でる。
「あなたが自分を責める必要はないんですよ。みんなが、ディオネを助けたい一心で行動した。それだけです」
「そう。それに、これはちょうどいい機会だったかもしれない。一か月前……あの日から、いろいろありすぎた。いつ敵が来るかわからない街中では、夜もゆっくり休めないからな。宮殿でしばらく休息をとらないと、どちらにしろあのままでは立ち行かなくなっていただろう。いろいろと考えたいこともあるし、な……」
不意に、エルシャの目が鋭くなった。
記憶のかけらを埋めてから、まだそれを制御しきれていない。記憶と夢の境界はまだ不明瞭なままだし、ゼムズの持ち帰った情報もしっかり検討しなくてはならない。それには、誰にも邪魔されないまとまった時間が必要だ。
ナイシェも、一筋の涙をぬぐって前を向いた。
「そうよね……泣いてばかりじゃだめよね。私も、いつ姉さんが目覚めてもいいように、前を向かなきゃ」
フェランが微笑んだ。
「その意気です。ナイシェ、あなたには笑顔のほうがお似合いなんですから」
まただ。
ナイシェは思った。
フェランの笑顔には、何か魔法がかかっているに違いない。どんなに荒れた心も、その笑顔を見ると途端に穏やかになる。
「……今朝ね、テュリスさんが来てくれたのよ。ジュノレも、忙しい中お花を届けてくれた」
優しい口調でナイシェはエルシャに伝えた。
「テュリスが……? 見舞いにか……?」
信じがたいとでもいうようにエルシャが返す。ナイシェは笑っていった。
「そう。すごくわかりにくかったけど、たぶん……姉さんと私を、元気づけに来てくれたんだと思う。エルシャやフェラン、みんなに励まされて、それがとてもうれしくて」
ナイシェが微笑んだ。
「……ありがとう、エルシャ、フェラン。怒ったりしないで、最初からそういえばよかったのね……」
ナイシェは決まりが悪そうに立ち上がった。
「姉さんが目覚めるかもしれないから、そろそろ行くわね。エルシャ、ゆっくり休んで。……私はもう、大丈夫だから」
そういい残すと、ナイシェは静かに出ていった。
閉まった扉を、二人はしばらくの間見つめていた。ちらりとフェランの横顔を見やると、エルシャが呟いた。
「守ってやりたい、か……?」
ぎくりとした顔でフェランが振り返る。
「違うのか? そんな顔だと思ったが」
淡々というエルシャに、フェランはうっすらと頬を赤らめた。それを見て、エルシャが小さく笑う。
「恥ずかしがることはないさ――俺も、同じ気持ちだよ」
「エルシャも……?」
訊き返すフェランに、エルシャはうなずいた。
「この二日間……泣いているナイシェしか、見なかった。あんなに泣いて、ぼろぼろになって……。あと少しで、粉々に壊れてしまいそうな――あんなナイシェは、もう見たくない。あの子には、笑顔が似合う。あの笑顔を、守ってやりたい」
エルシャはため息をついた。
「俺はね、心底そう思ったよ」
呟くようにいうエルシャの顔は、わずかに憂戚をはらんでいた。
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