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第三章 原初の破壊編
#96 追放
しおりを挟む天野来人の人生において、挫折や失敗、敗北と呼べる事柄は数える程も無い。
半神半人――つまり、半分が神である来人にとって、人の世で生きること自体は容易な事だっただろう。
それでも起こった来人の人生の挫折。
一つ目は、『赫』の鬼だ。
親友である木島秋斗が『赫』の鬼に殺された。
大切な物を、奪われたのだ。
当時の来人は無力な子供であり、抵抗の余地など無かった。
二つ目は、此度の一件。原初の三柱が一柱、『破壊』の神アークだ。
義理の妹の世良――正確には、来人の神の力の“バグ”によって産み出された幻想だが、それでも来人にとっては、親友を失い傷心した来人を優しく包み込み立ち直らせてくれた、大切な妹だ。
その世良が、奪われた。
(――二度目だ)
二度も、他者の手によって大切な存在が奪われた。
敗北、絶望、目の前が真っ暗になった。
二度と親友や、大切な人たちを失わない為に、来人は神としてこれまで努力を重ねて来た。
(なのに、世良を守れなかった――)
来人自身、無意識下では世良が幻想だと気づいていたのかもしれない。
思い返して見れば、これまで誰かの前で世良について触れたことは無かった。
いつも二人きりで会話をし、二人きりで同じ物を食べた。
でも、来人はその事実から目を背け続けた。正面から向き合うことが出来なかった。
(僕のせいで、世良が……。でも――)
でも、まだ終わった訳では無い。
アークは“同調が完全ではない”と言っていた。そして、事実として戦いの最中その身体は崩れ落ちた。
不完全であるのなら、まだ世良を救い出せる。
「――挫けている場合じゃない、よな……」
来人は立ち上がり、そして周囲を見やる。
瓦礫の中に倒れる、神王補佐アナと、その傍に刺さる王の証の剣。
それを横目に、ゆっくりと歩いて行く。
王の間の跡地を後にして、しばらく歩けば、開けた大通り。
そこには、彼らは先程の戦いで負傷した何人もの神が横に寝かされていた。
動ける者たちは負傷者の治療に当たっている様だが、無事な物の人数に対して、横たわる人数の方がはるかに多い。
やがて、見慣れた後ろ姿が目に入った。
向こうも来人の存在に気付いた様で、声を掛けて来る。
「らいたん!!」
「王様! ご無事だったんですね!」
ガイア族の契約者たち、犬のガーネとジュゴンのジューゴだった。
しかし、もう一人居るはずだ。
「イリスさんは――」
と言いながら近づいて、気付いた。
二人の傍に、横たわるメイド服をボロボロにしたイリスの姿が有った。
来人は傍に駆けて寄る。
「イリスさん!? 大丈夫!?」
イリスは薄く目を開けると、優しく微笑み、何とか身体を起こそうとする。
その背中をジューゴがぐいぐいと鼻先で押して手助けする。
「ええ、坊ちゃまもご無事で、なによりですわ。あのアークと対峙してもなお生きて戻られる――流石、わたくしの主ですわ」
それほど、イリスが一目見て分かってしまうほどに、来人の表情は曇っていたのだろう。
自分だってボロボロだというのに、真っ先に来人を慮って、来人を励まそうとする。
もしするとまだ泣いていたのだろうか、と来人は焦って腕で顔を擦ってから答える。
「……いいや。ごめん、世良を取り返せなかった。そっちは?」
「わたくしたちは、神ポセイドンと対峙しました。――そして、負けましたわ」
イリスは静かに首を振る。
「いいえ! あいつは勝敗が着く前に逃げ出したので、まだ負けていません! 次会った時は、必ず倒すのです!」
「ふふっ、そうですわね。次は、必ず――」
ジューゴが明るく励ませば、イリスも微笑みを返す。
そうしていると、
「ティル様!!」
周囲の神々の声がした。
どうやらティルが戻ったらしい。
「イリスさん、立てる?」
「ええ、問題ありませんわ」
来人の肩を借りつつ、イリスは立ち上がる。
そして、三人の契約者と共に来人はティルの元へ。
ティルは来人の顔を見るなり、怒りを露わに踏み込んで来た。
「――お前!!」
「……なんだよ」
ティルが来人の胸倉を掴む。
「どういうつもりだ。アナ様の命令は“あの女を殺す”だ」
「僕はアナ様の部下じゃあない。僕は、妹を救う」
「目を覚ませ! あれは存在していない! あの女――幻想を殺すだけで、他の全てが救われるんだぞ!」
「なら、ティルはそうするといいよ。――でも、僕はそれを許さなない」
来人はティルの手を振りほどき、剣を抜く。
「混血が……」
「お前の慕うお師匠様も、同じような事を言ってアークに下ったぞ」
「すぅ――」
ティルはもう言葉は要らないとでも言う様に、静かに怒り小さく息を吐く――と同時に、素早い動作で矢を放つ。
光速で放たれた『光』の矢、本来であれば視認する間もなく、回避不可能だ。
ましてや、ティルが対峙ていた来人は“髪色が明るい茶”だった。
それは人間の側面が表へと現れ出ている事の証であり、戦闘体勢がまだ整い切っていないという事。
最初の一矢が来人を射抜き、それで終わり。そのはずだった。
キィィィィンーー、甲高い音が、天界に響き渡る。
「何ッーー」
来人の三十字の剣の切先が、ぴったりとティルの放った『光』の矢とぶつかり合い、そして弾いた。
ティルは二の矢を放とうとする。
その時――、
「ティル様!」
重症のアナを背に乗せたライオンのガイア族、ダンデが遅れてやって来た。
その様子を見るに、どうやら来人が放置してきたアナを救助してきたようだ。
周囲の神々から声が上がる。
「アナ様……、アナ様だ!」
「ウルス様は……?」
「ソル様の姿も見えない」
その周囲からのどよめきに紛れた疑問に、アナが近くに居た神に肩を借りつつ起き上がり、そして答える。
「王の力を失っていたウルスは『破壊』への耐性が無かった。故に、その身体はもう――。だが、魂の欠片だけは何とか保護した。時間はかかるが、私の『維持』の力で元に戻すことも可能だろう。だが――」
アナはちらりと、ティルの方を見る。
ティルは静かに構えていた弓を降ろし、
「ソル様――父は、戦死しました。私とダンデを庇って、ゼウスの手によって、殺されました……」
ソル、ティル、ダンデの三人はアークという闇に染まったゼウスと対峙し、敗北した。
その戦いの結果、前衛をしていたソルが二人を庇い、死んだ。
そしてアークが来人の前を去ったのと同じタイミングで、ゼウスもまた天界を去った。
「そして、ゼウスは、去り際にこう言っていました『――次は、地球だ。神を拐かせ、血を濁らせる人間を滅ぼすのだ』と」
その言葉に、来人は咄嗟に走り出そうとする。
地球には、家族が、友人が、恋人が、沢山の“大切なもの”が有る。
傍に居た三人の契約者たちも、それに続こうとする。
しかし、その足をアナの声が止めた。
「――待て、ライト」
来人は静かに、声に振り返る。
「命令したはずだ、“あの女を殺せ”と。お前は、それが出来る場所に居た。あの女を――たった一つを犠牲にすれば、他の全てを救う事が出来た。だというのに、お前はその命を無視して、そしてこの有様だ」
この有様――アークと十二波動神によって天界はボロボロだ。
多くの神が死に、天界の戦力は半減した。
「話によれば、あの女はお前の幻想だと言う。それに間違いはないか?」
「世良は、僕の妹です」
アナの問いに、来人は首を横に振る。
「本来アークは決して復活しえなかった。そんな事、起こりようもなかった」
しかし、実際にアークは復活した。
何故か?
アナは言葉を続ける。
「王の血を持つライトの作り出した強い幻想が、アークの一部と交じり合い、魂を得た。
それによって、アークは外界で動く為の駒を手に入れてしまった。
そして、ガイア界での行いもそうだ。
お前の干渉によって氷の大地が開かれ、ゼノムが復活し、それがアーク復活の一助となった。
お前の勝手な行いの数々が、この結果を産んだ」
そんな事、分かる訳がないだろう。そう思ったが、口にしたところで何も変わりはしない。
来人自身、結局こういう状況なるだろうと思っていた。
だから、王の証を突き返すなんて真似をした。
勢い任せの行動では有ったが、結局来人の意志と天界の方針は噛み合わないのだ。
彼らは、来人にとっての世良という存在を理解出来ないのだから。
世良諸共アークを殺すとする天界側と、世良を救い出そうとする来人。
一生平行線だ。
アナは、最後の言葉を言い放つ。
「――三代目神王候補者、天野来人。アーク復活の一助となり、三柱の命に背きし者。お前を、罪人として捕縛する」
その言葉に、周囲の神々に動揺のどよめきが波及する。
「ライト様が……」
「あの鎖使いが、そんな……」
狼狽える神々。
その中で、ティルだけが強く声を上げた。
「聞いていただろう! こいつは、今この時をもって、我々の敵だ! 私に続け!」
その言葉に、数人の神がティルの周りに集まって来た。
来人を捕えるための包囲網。
しかし、その数はこれまでの天界軍に比べれば、ほんの僅かだ。
主力級であったゼウス含む十二波動神はアーク側へと堕ち、王族も殆どが殺されたか機能不全。
動ける者は、ティルとごく僅かな兵士のみ。
「みんな、まだやれる?」
来人は三人の契約者たち――唯一この場に居る、自分の仲間たちを見る。
「もちろん。ネは大丈夫だネ!」
「神様と戦うのはちょっと怖いけど――僕も、いけます!」
「わたくしは、万全とは言えませんが――この程度の数、何てこと有りません」
来人は頷く。
『憑依混沌・完全体』――その秘技が、今なら使える。
相手は数人の神と、ティルだけ。
アークにやられたアナは戦えるような状態じゃないし、ティルの相棒のダンデはアナの傍に居て、戦力外だ。
(――それなら、勝てる)
たった二か月ほど、ただの人間の人生を送っていた来人が神に成ってから、その程度の時間しか経っていない。
それでも来人はその短期間で努力し、強くなった。
来人一人なら、分からないかもしれない。
でも、ここには仲間が居る。
仲間たちと力を合わせれば、遥か先を歩いてたはずの純血の王子ティルすらも、追い抜ける。
来人はそう確信していた。
(でも――)
でも、先程のティルの言葉。
ゼウスたち十二波動神が、地球へと向かったのだ。
地球に居る大切な人達の元へ、今すぐにでも向かわなくてはならない。
しかし、来人の前にはティルが立ち塞がる。
こうしている間にも、もしかすると誰かにその魔の手が及んでいるかもしれない。
この場でティルと戦い勝利したとしても、大切な物が零れ落ちてしまえばそれは来人にとっての敗北だ。
何が最善手か。
逡巡していると、その時――。
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