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#26 ヨコシマ様
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馬鍬う番たちの居る大部屋を尻目に、更に奥へ進む。
そして、長い廊下の突き当り。ここが最後の部屋だ。
明らかに他の部屋とは一線を画す佇まいの装飾された大きな扉だ。
「おそらく、ここに居るはずです」
「ヨコシマ様、ですか……?」
「もしくは村長か、その両方か――」
どちらにせよ、ここが本丸だ。
また同じように亡者の司祭が現れるかもしれない。腰に差したナイフに手を添えて警戒しつつ、扉に手をかける。
やはりこの部屋もまた施錠はされていない。軽い力で簡単に開いた。
「なんだか、不用心ですね。本当にここで合っているんでしょうか?」
「誰かが寝首を掻きに来るなんて考えもしてないんでしょう」
村の民を皆洗脳して狂信者として、その上であの恐ろしい亡者の司祭を何人も従えているのだから、用心なんてする必要が無いのだろう。
ともかく、部屋の中の気配を窺う。
「どうですか?」
「何か――居る」
部屋の奥。松明に火が見える。
そしてそのかがり火の揺らめきに照らされて、大きな塊の様何かが居る。
呼吸をしているのか、その体躯を上下させている様で、浮かび上がった影が大きく動いている。
俺とナキはゆっくりと、部屋の中へと足を踏み入れて行く。
一歩、また一歩。そうして近づいて行けば、鼻を突く異臭と共に、おのずと“何か”の全貌は明らかになった。
「これは――」
「――っ!」
ナキは俺の隣で、口元を手で覆って声にならない悲鳴を上げた。
――それは、獣だ。異形の獣。
四肢は在る。しかし各所の肉は溶け、骨が剥き出しになっている。
頭部に至ってはもはや肉が溶解と凝固を繰り返したのか、ぶよぶよと膨張していて、元がどんな形の生き物だったのかすら認識出来ない歪な形。
四つん這いで這う様に畳の上に敷かれた布団に座っている、異形の獣。
「これが、ヨコシマ様……?」
では、村長はどこに? この神殿内にはほかにあの大部屋の番たちしか居なかった。なら、村長はこの部屋に居るはずだ。
腕で口元を覆って悪臭に耐えつつ、部屋の中を回し見る。
しかし、この異形の獣以外の存在は無い。
ただ広い部屋に松明の火と悪臭を放つ異形だけだ。
(――もしかして……。いや、でも――)
俺は思い当たった嫌な予感に追い立てられるままに、異形の獣の姿を改めて見る。
異形の獣の表皮はところどころ崩れ落ちて見るに堪えない。
しかし、それでも松明の灯りに映し出されて見て取れるその表皮の色は――“人間の肌の色”と酷似していた。
そして、それに隣で同様に見ていたナキも気づいた様だ。
「ねえ、空間さん。これ――いいえ、この方って、もしかしてなんですけど――」
と、言い淀む。
それも無理もない事だ。目の前に存在する異形、その“もしかして”の可能性にすぐに思い至ったとしても、自分でも信じられない。
しかし、これはやはり――、
「――人間、ではないでしょうか」
そうだ。初めは一見して怪物だと、獣の様だと、そう思った。
何故ならあまりにも異質な姿で、四つん這いで這う様にしてそこに居たからだ。
しかしその様をよく見てみれば、肌の色も、関節の数も、指の本数も、それらの要素全てが目の前の異形が人間である事を示していた。
この溶け落ちた肉がきちんと剥き出しの骨を覆っていれば、そしてぶよぶよとした頭部が膨張していなければ、四つん這いではなく二足の足で立っていれば――、これは、人間なのではないだろうか。そう思えてならないのだ。
この異形は今布団の上に居る。布団とは座るものではなく、横になるものだ。
仮に元は二足の足で立つ人間であるのなら――、こいつは四足の足で座っているのではなく、横になって寝ているのだ。
その溶解し悪臭を放つ身体を、動かすことが出来ない。自重を支えられず、二足の足で立つ事が出来ないのだ。
俺はナキの言葉に、ゆっくりと首肯する。
「これが、村長……なのかもしれない」
俺の村長という言葉に反応を示したのか、目の前の異形の獣は身悶えさせて、
「あ゛ぁ……」
と、声とも鳴き声とも取れない唸りを上げた。
そしてその身悶えと共に、異形の腹の辺りからぼとりと水音をさせて無数の何かが落ちてきた。
それはあの大部屋で見た、そしてミイラ化した司祭たちの身体の内にも巣食っていた、黒いヒルだった。
「ひゃっ……」
ナキは驚き小さな悲鳴を上げ、俺の後ろへと一歩下がる。
産まれたばかりのヒルはもぞもぞと畳の上を這い、部屋の隅の闇へと消えて行く。
その方向は――おそらく、あの大部屋が有った方だ。
この黒いヒルは大部屋で重なり合う番たちの身体にも這っていた。
それの意味する所とは、つまり――“苗床”だ。
番のお役目に任命された村民は、この異形の獣から排出される黒いヒルに犯され、苗床とされていたのだ。
おそらく、産まれてくる子も、また――。
あまりの醜悪さに、吐き気を催す。
いったい誰がこんな事を。村長が? ヨコシマ様が? ――いや、その両方だろう。
きっと、この異形の獣こそが村長であり、ヨコシマ様なのだ。でなければ、こんな異様な光景の説明がつかない。
しかし――、
「こいつ、弱っているみたいだ」
異形の獣は、村長は、ヨコシマ様は――明らかに衰弱していた。
それこそ、俺たちが侵入してきたというのに、布団の上から一歩も動けずにいる程に。
「村自体が貧しいのですから。こんなにも大きな体躯となった依り代の器に、必要なだけの食事を取れるはずも有りません。それに、内に住まう神もまた、“あんなやり方”で民の心を歪めてまで得た信仰からは、力など得られぬでしょう」
ナキは憐れむ様に、そう言った。
タテシマ様という神を内に宿したナキと、ヨコシマ様という神を内に宿したジュウオウ村の村長。重なる部分も有るのかもしれない。
「神は飢え、器は患い、もはやその命も風前の灯火です。このまま放っておいても、いずれ息絶えていたでしょう。
わたしたちを縛る呪いは、時の流れに身を任せているだけでも解決していたのかもしれませんね」
ナキはそう言って、自嘲気味に笑って見せた。
もはや息絶える寸前のヨコシマ様。その命が尽きれば、きっとタテシマ様を縛る呪いは解かれることだろう。
俺たちがこうやって動きださなくても神は死に、ジュウオウ村はその庇護下から外れ、そして――。
あの黒いヒルに犯され支配下となっている村人たちは、その後どうなるだろうか。分からない。
「どうだろう。もしかすると、死ねないのかも……」
「こんなになっても、ですか?」
「分からないけれど、多分――神だから。こんなになっても死ぬ事も出来ずに、あの司祭たちに生かされていた。ただ村を細く長く延命する為に、黒いヒルを輩出するだけの装置になり果てた――」
元はどんな人間だったのか、もう分らない。今はただ腐り果てた異形の獣だ。
獣はゆっくりと緩慢な動作で首だけを動かしてこちらを向いて、そのまま唸り声を上げて喉の奥から血反吐の様な吐瀉物を吐きだした。
吐瀉物には黒いヒルも混じっていて、引き上げたばかりの魚のようにピチピチと畳の上を跳ねている。
そして喉につっかえていた異物が取れたのか、今度は先ほどの低い唸り声とは違った、“高い女の声の様な鳴き声”を上げた。
あまりの酷く腐敗した姿だったから気付かなかったが、ここでやっと村長が女性だったのだと気づいいた。
そして、異形の獣、ヨコシマ様――いや、村長だった女性は鳴いた。
その高い声で、鳴いた。その鳴き声は、まるで歌声の様。
そんな歌声に似た鳴き声を響かせ続ける彼女のぎょろりとした眼が、俺の方をじっと見ている様な気がした。
ナキはぎゅっと俺の服の袖を握り締めている。
俺には、村長が何を訴えようとしているのか、分かる気がした。
――その歌声――もしかして、お前が俺をこの地に導いたのか? でも、どうして……。
いや、そうだ。殺してほしかったのか。お前は、死にたかったのか。全く、勝手な奴だ。
タテシマ様の村を奪い、その癖村をこんなにも見すぼらしい状態に成れ果てるまで搾取し、そして衰弱してしまえば、村とその民を放棄して、自分は死して楽になろうと望む。
タテシマ様が、ナキが、そしてその母が、どんな気持ちで、どんな想いで、これまで生きてきたのかを考えると、俺はこの化け物に怒りの感情しか湧いて来なかった。
――いいよ、そのつもりで来たんだ。望み通り、殺してやる。
そして、長い廊下の突き当り。ここが最後の部屋だ。
明らかに他の部屋とは一線を画す佇まいの装飾された大きな扉だ。
「おそらく、ここに居るはずです」
「ヨコシマ様、ですか……?」
「もしくは村長か、その両方か――」
どちらにせよ、ここが本丸だ。
また同じように亡者の司祭が現れるかもしれない。腰に差したナイフに手を添えて警戒しつつ、扉に手をかける。
やはりこの部屋もまた施錠はされていない。軽い力で簡単に開いた。
「なんだか、不用心ですね。本当にここで合っているんでしょうか?」
「誰かが寝首を掻きに来るなんて考えもしてないんでしょう」
村の民を皆洗脳して狂信者として、その上であの恐ろしい亡者の司祭を何人も従えているのだから、用心なんてする必要が無いのだろう。
ともかく、部屋の中の気配を窺う。
「どうですか?」
「何か――居る」
部屋の奥。松明に火が見える。
そしてそのかがり火の揺らめきに照らされて、大きな塊の様何かが居る。
呼吸をしているのか、その体躯を上下させている様で、浮かび上がった影が大きく動いている。
俺とナキはゆっくりと、部屋の中へと足を踏み入れて行く。
一歩、また一歩。そうして近づいて行けば、鼻を突く異臭と共に、おのずと“何か”の全貌は明らかになった。
「これは――」
「――っ!」
ナキは俺の隣で、口元を手で覆って声にならない悲鳴を上げた。
――それは、獣だ。異形の獣。
四肢は在る。しかし各所の肉は溶け、骨が剥き出しになっている。
頭部に至ってはもはや肉が溶解と凝固を繰り返したのか、ぶよぶよと膨張していて、元がどんな形の生き物だったのかすら認識出来ない歪な形。
四つん這いで這う様に畳の上に敷かれた布団に座っている、異形の獣。
「これが、ヨコシマ様……?」
では、村長はどこに? この神殿内にはほかにあの大部屋の番たちしか居なかった。なら、村長はこの部屋に居るはずだ。
腕で口元を覆って悪臭に耐えつつ、部屋の中を回し見る。
しかし、この異形の獣以外の存在は無い。
ただ広い部屋に松明の火と悪臭を放つ異形だけだ。
(――もしかして……。いや、でも――)
俺は思い当たった嫌な予感に追い立てられるままに、異形の獣の姿を改めて見る。
異形の獣の表皮はところどころ崩れ落ちて見るに堪えない。
しかし、それでも松明の灯りに映し出されて見て取れるその表皮の色は――“人間の肌の色”と酷似していた。
そして、それに隣で同様に見ていたナキも気づいた様だ。
「ねえ、空間さん。これ――いいえ、この方って、もしかしてなんですけど――」
と、言い淀む。
それも無理もない事だ。目の前に存在する異形、その“もしかして”の可能性にすぐに思い至ったとしても、自分でも信じられない。
しかし、これはやはり――、
「――人間、ではないでしょうか」
そうだ。初めは一見して怪物だと、獣の様だと、そう思った。
何故ならあまりにも異質な姿で、四つん這いで這う様にしてそこに居たからだ。
しかしその様をよく見てみれば、肌の色も、関節の数も、指の本数も、それらの要素全てが目の前の異形が人間である事を示していた。
この溶け落ちた肉がきちんと剥き出しの骨を覆っていれば、そしてぶよぶよとした頭部が膨張していなければ、四つん這いではなく二足の足で立っていれば――、これは、人間なのではないだろうか。そう思えてならないのだ。
この異形は今布団の上に居る。布団とは座るものではなく、横になるものだ。
仮に元は二足の足で立つ人間であるのなら――、こいつは四足の足で座っているのではなく、横になって寝ているのだ。
その溶解し悪臭を放つ身体を、動かすことが出来ない。自重を支えられず、二足の足で立つ事が出来ないのだ。
俺はナキの言葉に、ゆっくりと首肯する。
「これが、村長……なのかもしれない」
俺の村長という言葉に反応を示したのか、目の前の異形の獣は身悶えさせて、
「あ゛ぁ……」
と、声とも鳴き声とも取れない唸りを上げた。
そしてその身悶えと共に、異形の腹の辺りからぼとりと水音をさせて無数の何かが落ちてきた。
それはあの大部屋で見た、そしてミイラ化した司祭たちの身体の内にも巣食っていた、黒いヒルだった。
「ひゃっ……」
ナキは驚き小さな悲鳴を上げ、俺の後ろへと一歩下がる。
産まれたばかりのヒルはもぞもぞと畳の上を這い、部屋の隅の闇へと消えて行く。
その方向は――おそらく、あの大部屋が有った方だ。
この黒いヒルは大部屋で重なり合う番たちの身体にも這っていた。
それの意味する所とは、つまり――“苗床”だ。
番のお役目に任命された村民は、この異形の獣から排出される黒いヒルに犯され、苗床とされていたのだ。
おそらく、産まれてくる子も、また――。
あまりの醜悪さに、吐き気を催す。
いったい誰がこんな事を。村長が? ヨコシマ様が? ――いや、その両方だろう。
きっと、この異形の獣こそが村長であり、ヨコシマ様なのだ。でなければ、こんな異様な光景の説明がつかない。
しかし――、
「こいつ、弱っているみたいだ」
異形の獣は、村長は、ヨコシマ様は――明らかに衰弱していた。
それこそ、俺たちが侵入してきたというのに、布団の上から一歩も動けずにいる程に。
「村自体が貧しいのですから。こんなにも大きな体躯となった依り代の器に、必要なだけの食事を取れるはずも有りません。それに、内に住まう神もまた、“あんなやり方”で民の心を歪めてまで得た信仰からは、力など得られぬでしょう」
ナキは憐れむ様に、そう言った。
タテシマ様という神を内に宿したナキと、ヨコシマ様という神を内に宿したジュウオウ村の村長。重なる部分も有るのかもしれない。
「神は飢え、器は患い、もはやその命も風前の灯火です。このまま放っておいても、いずれ息絶えていたでしょう。
わたしたちを縛る呪いは、時の流れに身を任せているだけでも解決していたのかもしれませんね」
ナキはそう言って、自嘲気味に笑って見せた。
もはや息絶える寸前のヨコシマ様。その命が尽きれば、きっとタテシマ様を縛る呪いは解かれることだろう。
俺たちがこうやって動きださなくても神は死に、ジュウオウ村はその庇護下から外れ、そして――。
あの黒いヒルに犯され支配下となっている村人たちは、その後どうなるだろうか。分からない。
「どうだろう。もしかすると、死ねないのかも……」
「こんなになっても、ですか?」
「分からないけれど、多分――神だから。こんなになっても死ぬ事も出来ずに、あの司祭たちに生かされていた。ただ村を細く長く延命する為に、黒いヒルを輩出するだけの装置になり果てた――」
元はどんな人間だったのか、もう分らない。今はただ腐り果てた異形の獣だ。
獣はゆっくりと緩慢な動作で首だけを動かしてこちらを向いて、そのまま唸り声を上げて喉の奥から血反吐の様な吐瀉物を吐きだした。
吐瀉物には黒いヒルも混じっていて、引き上げたばかりの魚のようにピチピチと畳の上を跳ねている。
そして喉につっかえていた異物が取れたのか、今度は先ほどの低い唸り声とは違った、“高い女の声の様な鳴き声”を上げた。
あまりの酷く腐敗した姿だったから気付かなかったが、ここでやっと村長が女性だったのだと気づいいた。
そして、異形の獣、ヨコシマ様――いや、村長だった女性は鳴いた。
その高い声で、鳴いた。その鳴き声は、まるで歌声の様。
そんな歌声に似た鳴き声を響かせ続ける彼女のぎょろりとした眼が、俺の方をじっと見ている様な気がした。
ナキはぎゅっと俺の服の袖を握り締めている。
俺には、村長が何を訴えようとしているのか、分かる気がした。
――その歌声――もしかして、お前が俺をこの地に導いたのか? でも、どうして……。
いや、そうだ。殺してほしかったのか。お前は、死にたかったのか。全く、勝手な奴だ。
タテシマ様の村を奪い、その癖村をこんなにも見すぼらしい状態に成れ果てるまで搾取し、そして衰弱してしまえば、村とその民を放棄して、自分は死して楽になろうと望む。
タテシマ様が、ナキが、そしてその母が、どんな気持ちで、どんな想いで、これまで生きてきたのかを考えると、俺はこの化け物に怒りの感情しか湧いて来なかった。
――いいよ、そのつもりで来たんだ。望み通り、殺してやる。
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