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#12 首飾り
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俺はいつもの様に海へと入水して、意識を失った。
目が覚めると、もう見慣れた暗い闇に包まれた海の底だ。灯りは薄ぼんやりと淡い光を放つクラゲたちだけ。
急いた気持ちのまま周囲の様子を窺えば、ナキは待ち侘びたとでも言うかの様に俺の元へ駆け寄って来て、迎えてくれた。
「ナキさ――」
「いらっしゃい、空間さん」
穏やかに微笑むナキ笑顔に当てられて、一瞬現実を忘れかけてしまう。
「あー、えっと――お邪魔します。いつもここへ来るときは、挨拶をおはようにするか、こんばんはにするか、悩みます」
「わたしは起きたばかりなので、おはようございます、です」
ナキは昼間に寝て、俺が来る夜に起きると言う生活をしているらしい。
この深海において時間感覚なんて無くなりそうなものだが、優秀な体内時計だ。
「じゃあ、おはようございます」
そんな自分の現状にそぐわない呑気なやり取りをした後、俺は早く“お願い”をしたいという急く気持ちを抑えながらも、いつものナキの家――と言うには些か心許ない岩の空間へと向かった。
話はいつもの様に卓について、それからでいいだろう。
そうして共に海底を歩いていると、ふとナキの様子が普段と少し異なる事に気が付いた。
足取りが軽いというか、心が躍っている様な、そんな印象を受ける。
しかし何が違うのだろう、何か良い事でも有っただろうかとしばらく思案した後、ナキの長い髪の隙間から首筋に覗く何かを見つけて、やっと思い当たる。
「ナキさん、今日はお洒落してるんですね」
俺がそう言うと、ナキはくるりと舞を踊る様に回って振り返って、
「あ、気付いてくれました? そうなんです、空間さんに見せたくって、おめかししてみました」
と、そう言ってにこりと微笑んだ。
ナキは普段、飾り気のない真っ白な着物を身に纏い、長い白銀の髪を下ろしたままで、かんざし一つ付けてはいない。
しかし、今日のナキは一味違う。
着物はいつもの飾り気のない白の着物だが、ワンポイントとして首に石で出来た首飾りをかけて――、
「――え?」
ナキの首筋から覗かせていた“お洒落”。それは、“石で出来た首飾り”だった。
俺は衝撃の光景に、少しの間硬直してしまう。
「あ、あの、空間さん? どうしまし……た?」
ナキは手を胸の前で組んで頬を染めて照れ臭そうにしている。
非常に可愛らしいが、今はそうではない。
「ナキさん! それ……!!」
俺は目の前の光景に、探していた物に、その存在に、胸の内に溜まっていた感情が溢れ出して、つい衝動的にナキの腕を掴んでしまう。
「きゃっ……」
ナキは目を見開き、身を捩る。
その抵抗は弱々しいものだったが、それはナキの身体的な弱さ、筋力の無さ故だろう。
「あ、ごめん、なさい……」
俺は慌てて手を離し、両手を上げて危害を加える意思はないとアピールをする。ナキの瞳の奥に浮かんでいたのが恐怖の色だったからだ。
確かに突然男に力強く捕まれれば恐ろしいだろう。
俺とナキとでは体格差も歴然で、無理やり俺が力ずくで押さえつければ、ナキは抵抗できない。
浅はかだった。自分の気持ちが前に出るあまりに、彼女の事を慮ってやれなかった。
しかし、だからと言って俺は追求する事を止められはしなかった。
弁明はしつつも、その首飾りについて問わねばならない。
「違うんだ、ナキさん。でも、聞いてほしい。その首飾りについてなんだけれど――」
と言うと、ナキも俺の意図を察してくれた様で、害意も悪意も無いと理解してくれれば、その瞳からも恐怖の色は少しずつ退いて行った。
俺は罪悪感で胸を締め付けられるも、それを無理やり押し殺す。
そうして落ち着いたナキは、自分の首元に意識を移し、
「首飾り、ですか……? これがどうかしました?」
“これ”と言って、片手で自身の下げられた石の首飾りを持ち上げる。
幾つもの石を紐で繋げただけの首飾り。
それらの石は宝石の様に透き通って輝く綺麗な物では決して無く、表面が磨かれただけで形も不揃いな白い普通の石の連なりだ。
おそらく、話に聞く程の高価な代物ではなさそうだったが、特徴も一致している。
それは間違いなく“石の首飾り”と呼称できる物であった。
俺は一度深く息を吸って、努めて平静を保ちつつ、ナキに問う。
「――その首飾り、どうしたんですか? 昨日までは、付けていなかった、ですよね……?」
もしかすると、これは元々ナキの持ち物で、今日は偶々似たようなアクセサリーを身に着けていたというだけかもしれない。
これはただの偶然の一致かもしれないのだ。それならば何の問題も無い。俺の抱えている問題は解決しないが、それだけだ。
しかし、これがもし俺の想像通りだとすれば、それは――。
俺の問いに、「その、少しお恥ずかしいんですが」と前置きをしてから、ナキは答えてくれた。
「タテシマ様に、お願いしたんです。空間さんとお会いするのに、可愛いって思って貰いたいな、と思って……」
と、自分の長い髪の先を指先で弄びつつ、頬を染めて言った。
俺に会う為にお洒落をしようと神に願った、と。
彼女からの回答の内容はとても可愛らしく俺の心を擽る物だったが、今はとてもそれを享受して喜べる様な心境ではなかった。
――“タテシマ様にお願いした”。その結果、手に入れた首飾り。
(――ああ……)
俺はもう一度、ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着けた後、彼女に話すことにした。
そうしないと、また怖がらせてしまいそうだったからだ。
「実は、ですね――」
俺は石の首飾りについてと、自分の現状をナキにも伝えた。
村人の一人が、奥さんの持ち物である石の首飾りを何者かに盗まれたのだと言う事。
それはその奥さんにとって祭りの日に身に着ける様な貴重な物で有り、無くなって困っている事。
俺はその取り巻きたちから、首飾りの窃盗犯ではないかと疑われているという事。
それだけでなく、今ジュウオウ村では同様の盗みが多発しているらしいという事。
そして、それらと同タイミングで、ナキの手元に件の“石の首飾り”が有るという事。
ナキは俺の話を黙って聞いてくれていた。
そして聞いた後も、しばらく口を噤んでいた。
勿論、全ては俺の思い違いであり、ナキの持つ首飾りが俺の探している石の首飾りと同一だとは限らない。
しかし、俺はこれまでの事を思い出していた。
それは、これまで俺がナキにしてきた“お願い”の数々だ。
それらはその日の内に叶えてくれるお願いも有れば、日をまたいで翌日またここへ来た時に叶えてくれるお願いも有った。
それらの違いは何だろうか? 何故お願いによっては、叶えてくれるまでにタイムラグが有ったのだろうか?
そこまで考えれば、ある結論に思い至るだろう。
俺は自分の推理を話す。
「――多分なんですけど、タテシマ様の叶えてくれる願いって、何も不思議な力で叶えてくれていた訳では無いと思うんです」
ナキは言っていた、“タテシマ様の力は弱っている”と。
ナキの歌や、海の幸が出て来た時は即日だった。
逆にお金を求めれば、それは翌日に用意されていた。
あの碁盤と碁石も、タテシマ様が“持ってきた”物だったという。
タテシマ様はどこかから物を運んで来ていた。だから、時間が掛かった。
――“盗人”の正体は迷い人Bなどでは無かった。
物を盗って来ていたのは、首飾りを盗んだのは――タテシマ様だ。
「タテシマ様がしていた事――ナキさんは、それを知っていたんですか?」
ナキは静かに首を横に振った。
「まさか、タテシマ様が人様の物に手を出していたとは、思いませんでした」
ナキは俯き目は伏せられている。
前髪の奥から覗くその表情は悲し気で、消え入りそうなほどだ。
「――タテシマ様。本当に、村の人から物を盗って来ていたのですか? この首飾りも、お金も、玩具も、全部、全部……?」
ナキは自分首から石の首飾りを外して手の内に握りこみ、胸に押し当てて問う。
そこに神が居るのだろうか。答えは返って来るのだろうか。
しかし例え神が答えてはくれなくても、ナキは言葉を紡ぐ。
「――駄目です。それは駄目です。そんな事をしても、わたしは喜びません。人様に迷惑をかけてまで、わたしは生き永らえようとは思いません」
ナキの声は震えている。今にも泣きだしてしまいそうだ。
重い空気に耐えられず、俺は口を開いた。
「――でも、きっとタテシマ様に悪気は無かったと思います」
俺は思っていた事を話す。悲し気な彼女を慰める様に。
「どうして、そう思われるのですか……?」
「ナキさん、言っていましたよね。タテシマ様は力が弱っているって」
「はい。わたしに命を与えて下さった所為なのか、タテシマ様はとても弱く、儚い存在なのです。ずっとわたしの内側に居て、お姿を現す事もありません」
「それでも、必死にナキさんの願いを叶えようとしてくれていたんだと思います」
俺は辺りに視線をやる。
そこには、これまでタテシマ様が運んできたであろう様々な物が積まれている。
俺はゆっくりと歩いて行って、その内に一つを拾い上げた。欠けた湯飲みだ。
それだけではない。辺りに転がるそのどれもが壊れているか、何か欠けているか。
つまり、どれもが一見してガラクタやゴミの様に見えるのだ。
「見てください。これまでタテシマ様が集めてきた物は、どれもこれもが――きっとゴミとして捨てられた物や、そうでなくても、無くなっても困らない物を選んで運んできたんだと思います」
でも、そうじゃなくなった。
「それが急に、突然村の人たちが困る様な物まで持って来るようになってしまった」
これまでとは違い、ここ数日のタテシマ様は不用品では無い物にまで手を出していたのだろう。
その所為で、ジュウオウ村では盗人が問題となっていた。
“去年まではこんな事はなかった”と村民が違和感を覚えるほどに、タテシマ様の行いは表面化してしまっていた。
何故か。去年までと今年の違いはなんなのか。
それはきっと、ここ数日以内で起こった事が起因しているだろう。
なら、結論も自ずと見えて来る。
「どうして、タテシマ様はそんな事を……?」
簡単だ。
しかし――いや、言いたくは無いが、言わねばなるまい。
渋々と、俺は口を開く。
「……それは、きっと俺の所為です。俺が現れて、一度に沢山の願いを求めたからだと思います」
俺はこの世界へと来てから、ナキとの関係を繋ぐために何度もこの深海の世界を訪れて、幾つもの願いを言っていった。
それら一つ一つは大した事の無い物だったはずだ。しかし、それは俺の視点での話だ。
あの貧しいジュウオウ村から物が一つ消えれば、それだけで一大事だ。
勿論捨てたゴミが無くなろが、誰も気にしないだろう。しかし、それがまだ使える物だったのなら、何より特別な価値のある物だったのなら尚更だ。
「きっと、ナキさんは普段それ程何かを求める事は無いのだと思います」
欲が無いというよりは、何を欲していいのか分からないのだろう。
だから、普段村民たちは気づかない。
タテシマ様がゴミを漁って持って行っても、気付かない。
「でも、俺は違った」
そう都合よく求められている物がゴミとして転がっているはずも無い。
俺の価値基準で大した事無いと思って軽い気持ちで言った願いの数々も、短期間に重なっていけばいつか無理が出て来る。
例えば、以前に願った結果用意された僅かな硬貨も、その一つだ。あれも超常的な力で無から生み出された訳では無い。
あのほんの僅かだった金額も村民に悟られないギリギリだったのだろう。
それだけで無く、俺の知らぬ所でナキが今回の様にアクセサリーや俺を持て成すための茶や菓子など、何かしらを求める事も増えていたのかもしれない。
であれば、尚更無理は出て来る。
その結果として、タテシマ様は手を着ける物に対しての基準の線引きを下げてしまった。村人たちが必要な物にまで手を着けてしまった。
そして、ジュウオウ村では盗人が問題となったのだ。
そう話した俺に対して、ナキは大きく頭を振る。
「――違います。違いますよ、空間さん。わたしが、わたしが悪いんです!」
ナキは目尻に雫を貯め、それが頭を振る事で海に溶けて行く。
「わたしが、あなたにお願いを叶えると言いました。この首飾りだって、わたしが願ったものです。わたしが、タテシマ様に甘えていたんです……」
「甘えていたのは俺の方だ。だって――」
その先の言葉を、ナキは頭を振って遮る。
「どうして、わたしが“願いを叶える”だなんて、言ったと思いますか?」
「どうしてって、それは――」
どうしてだろうか。ナキは何故俺の願いまでもを叶えてくれようとしたのだろうか。
そうする利点とは、何だったのだろうか。
以前に同じ事を考えた気がする。でも、今の散らかった頭の中からは、すぐには出てこなかった。
俺の沈黙を見て、ナキは答える。
「それは、わたしが空間さんをここに繋ぎとめる為です。わたしはただ、寂しかったんですよ」
そう言って、ナキは儚げに微笑んで見せた。
俺は、何も言えなかった。ただ胸の奥がぎゅっと締め付けられる様な気がして、彼女を抱き締めたい衝動に駆られる。
でも、そんな事は出来なくて、まだそんな勇気も無くて。
ただ、そっと彼女の首飾りを握ったままの手を取って、その上から優しく添える様に重ねるに留めた。
目が覚めると、もう見慣れた暗い闇に包まれた海の底だ。灯りは薄ぼんやりと淡い光を放つクラゲたちだけ。
急いた気持ちのまま周囲の様子を窺えば、ナキは待ち侘びたとでも言うかの様に俺の元へ駆け寄って来て、迎えてくれた。
「ナキさ――」
「いらっしゃい、空間さん」
穏やかに微笑むナキ笑顔に当てられて、一瞬現実を忘れかけてしまう。
「あー、えっと――お邪魔します。いつもここへ来るときは、挨拶をおはようにするか、こんばんはにするか、悩みます」
「わたしは起きたばかりなので、おはようございます、です」
ナキは昼間に寝て、俺が来る夜に起きると言う生活をしているらしい。
この深海において時間感覚なんて無くなりそうなものだが、優秀な体内時計だ。
「じゃあ、おはようございます」
そんな自分の現状にそぐわない呑気なやり取りをした後、俺は早く“お願い”をしたいという急く気持ちを抑えながらも、いつものナキの家――と言うには些か心許ない岩の空間へと向かった。
話はいつもの様に卓について、それからでいいだろう。
そうして共に海底を歩いていると、ふとナキの様子が普段と少し異なる事に気が付いた。
足取りが軽いというか、心が躍っている様な、そんな印象を受ける。
しかし何が違うのだろう、何か良い事でも有っただろうかとしばらく思案した後、ナキの長い髪の隙間から首筋に覗く何かを見つけて、やっと思い当たる。
「ナキさん、今日はお洒落してるんですね」
俺がそう言うと、ナキはくるりと舞を踊る様に回って振り返って、
「あ、気付いてくれました? そうなんです、空間さんに見せたくって、おめかししてみました」
と、そう言ってにこりと微笑んだ。
ナキは普段、飾り気のない真っ白な着物を身に纏い、長い白銀の髪を下ろしたままで、かんざし一つ付けてはいない。
しかし、今日のナキは一味違う。
着物はいつもの飾り気のない白の着物だが、ワンポイントとして首に石で出来た首飾りをかけて――、
「――え?」
ナキの首筋から覗かせていた“お洒落”。それは、“石で出来た首飾り”だった。
俺は衝撃の光景に、少しの間硬直してしまう。
「あ、あの、空間さん? どうしまし……た?」
ナキは手を胸の前で組んで頬を染めて照れ臭そうにしている。
非常に可愛らしいが、今はそうではない。
「ナキさん! それ……!!」
俺は目の前の光景に、探していた物に、その存在に、胸の内に溜まっていた感情が溢れ出して、つい衝動的にナキの腕を掴んでしまう。
「きゃっ……」
ナキは目を見開き、身を捩る。
その抵抗は弱々しいものだったが、それはナキの身体的な弱さ、筋力の無さ故だろう。
「あ、ごめん、なさい……」
俺は慌てて手を離し、両手を上げて危害を加える意思はないとアピールをする。ナキの瞳の奥に浮かんでいたのが恐怖の色だったからだ。
確かに突然男に力強く捕まれれば恐ろしいだろう。
俺とナキとでは体格差も歴然で、無理やり俺が力ずくで押さえつければ、ナキは抵抗できない。
浅はかだった。自分の気持ちが前に出るあまりに、彼女の事を慮ってやれなかった。
しかし、だからと言って俺は追求する事を止められはしなかった。
弁明はしつつも、その首飾りについて問わねばならない。
「違うんだ、ナキさん。でも、聞いてほしい。その首飾りについてなんだけれど――」
と言うと、ナキも俺の意図を察してくれた様で、害意も悪意も無いと理解してくれれば、その瞳からも恐怖の色は少しずつ退いて行った。
俺は罪悪感で胸を締め付けられるも、それを無理やり押し殺す。
そうして落ち着いたナキは、自分の首元に意識を移し、
「首飾り、ですか……? これがどうかしました?」
“これ”と言って、片手で自身の下げられた石の首飾りを持ち上げる。
幾つもの石を紐で繋げただけの首飾り。
それらの石は宝石の様に透き通って輝く綺麗な物では決して無く、表面が磨かれただけで形も不揃いな白い普通の石の連なりだ。
おそらく、話に聞く程の高価な代物ではなさそうだったが、特徴も一致している。
それは間違いなく“石の首飾り”と呼称できる物であった。
俺は一度深く息を吸って、努めて平静を保ちつつ、ナキに問う。
「――その首飾り、どうしたんですか? 昨日までは、付けていなかった、ですよね……?」
もしかすると、これは元々ナキの持ち物で、今日は偶々似たようなアクセサリーを身に着けていたというだけかもしれない。
これはただの偶然の一致かもしれないのだ。それならば何の問題も無い。俺の抱えている問題は解決しないが、それだけだ。
しかし、これがもし俺の想像通りだとすれば、それは――。
俺の問いに、「その、少しお恥ずかしいんですが」と前置きをしてから、ナキは答えてくれた。
「タテシマ様に、お願いしたんです。空間さんとお会いするのに、可愛いって思って貰いたいな、と思って……」
と、自分の長い髪の先を指先で弄びつつ、頬を染めて言った。
俺に会う為にお洒落をしようと神に願った、と。
彼女からの回答の内容はとても可愛らしく俺の心を擽る物だったが、今はとてもそれを享受して喜べる様な心境ではなかった。
――“タテシマ様にお願いした”。その結果、手に入れた首飾り。
(――ああ……)
俺はもう一度、ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着けた後、彼女に話すことにした。
そうしないと、また怖がらせてしまいそうだったからだ。
「実は、ですね――」
俺は石の首飾りについてと、自分の現状をナキにも伝えた。
村人の一人が、奥さんの持ち物である石の首飾りを何者かに盗まれたのだと言う事。
それはその奥さんにとって祭りの日に身に着ける様な貴重な物で有り、無くなって困っている事。
俺はその取り巻きたちから、首飾りの窃盗犯ではないかと疑われているという事。
それだけでなく、今ジュウオウ村では同様の盗みが多発しているらしいという事。
そして、それらと同タイミングで、ナキの手元に件の“石の首飾り”が有るという事。
ナキは俺の話を黙って聞いてくれていた。
そして聞いた後も、しばらく口を噤んでいた。
勿論、全ては俺の思い違いであり、ナキの持つ首飾りが俺の探している石の首飾りと同一だとは限らない。
しかし、俺はこれまでの事を思い出していた。
それは、これまで俺がナキにしてきた“お願い”の数々だ。
それらはその日の内に叶えてくれるお願いも有れば、日をまたいで翌日またここへ来た時に叶えてくれるお願いも有った。
それらの違いは何だろうか? 何故お願いによっては、叶えてくれるまでにタイムラグが有ったのだろうか?
そこまで考えれば、ある結論に思い至るだろう。
俺は自分の推理を話す。
「――多分なんですけど、タテシマ様の叶えてくれる願いって、何も不思議な力で叶えてくれていた訳では無いと思うんです」
ナキは言っていた、“タテシマ様の力は弱っている”と。
ナキの歌や、海の幸が出て来た時は即日だった。
逆にお金を求めれば、それは翌日に用意されていた。
あの碁盤と碁石も、タテシマ様が“持ってきた”物だったという。
タテシマ様はどこかから物を運んで来ていた。だから、時間が掛かった。
――“盗人”の正体は迷い人Bなどでは無かった。
物を盗って来ていたのは、首飾りを盗んだのは――タテシマ様だ。
「タテシマ様がしていた事――ナキさんは、それを知っていたんですか?」
ナキは静かに首を横に振った。
「まさか、タテシマ様が人様の物に手を出していたとは、思いませんでした」
ナキは俯き目は伏せられている。
前髪の奥から覗くその表情は悲し気で、消え入りそうなほどだ。
「――タテシマ様。本当に、村の人から物を盗って来ていたのですか? この首飾りも、お金も、玩具も、全部、全部……?」
ナキは自分首から石の首飾りを外して手の内に握りこみ、胸に押し当てて問う。
そこに神が居るのだろうか。答えは返って来るのだろうか。
しかし例え神が答えてはくれなくても、ナキは言葉を紡ぐ。
「――駄目です。それは駄目です。そんな事をしても、わたしは喜びません。人様に迷惑をかけてまで、わたしは生き永らえようとは思いません」
ナキの声は震えている。今にも泣きだしてしまいそうだ。
重い空気に耐えられず、俺は口を開いた。
「――でも、きっとタテシマ様に悪気は無かったと思います」
俺は思っていた事を話す。悲し気な彼女を慰める様に。
「どうして、そう思われるのですか……?」
「ナキさん、言っていましたよね。タテシマ様は力が弱っているって」
「はい。わたしに命を与えて下さった所為なのか、タテシマ様はとても弱く、儚い存在なのです。ずっとわたしの内側に居て、お姿を現す事もありません」
「それでも、必死にナキさんの願いを叶えようとしてくれていたんだと思います」
俺は辺りに視線をやる。
そこには、これまでタテシマ様が運んできたであろう様々な物が積まれている。
俺はゆっくりと歩いて行って、その内に一つを拾い上げた。欠けた湯飲みだ。
それだけではない。辺りに転がるそのどれもが壊れているか、何か欠けているか。
つまり、どれもが一見してガラクタやゴミの様に見えるのだ。
「見てください。これまでタテシマ様が集めてきた物は、どれもこれもが――きっとゴミとして捨てられた物や、そうでなくても、無くなっても困らない物を選んで運んできたんだと思います」
でも、そうじゃなくなった。
「それが急に、突然村の人たちが困る様な物まで持って来るようになってしまった」
これまでとは違い、ここ数日のタテシマ様は不用品では無い物にまで手を出していたのだろう。
その所為で、ジュウオウ村では盗人が問題となっていた。
“去年まではこんな事はなかった”と村民が違和感を覚えるほどに、タテシマ様の行いは表面化してしまっていた。
何故か。去年までと今年の違いはなんなのか。
それはきっと、ここ数日以内で起こった事が起因しているだろう。
なら、結論も自ずと見えて来る。
「どうして、タテシマ様はそんな事を……?」
簡単だ。
しかし――いや、言いたくは無いが、言わねばなるまい。
渋々と、俺は口を開く。
「……それは、きっと俺の所為です。俺が現れて、一度に沢山の願いを求めたからだと思います」
俺はこの世界へと来てから、ナキとの関係を繋ぐために何度もこの深海の世界を訪れて、幾つもの願いを言っていった。
それら一つ一つは大した事の無い物だったはずだ。しかし、それは俺の視点での話だ。
あの貧しいジュウオウ村から物が一つ消えれば、それだけで一大事だ。
勿論捨てたゴミが無くなろが、誰も気にしないだろう。しかし、それがまだ使える物だったのなら、何より特別な価値のある物だったのなら尚更だ。
「きっと、ナキさんは普段それ程何かを求める事は無いのだと思います」
欲が無いというよりは、何を欲していいのか分からないのだろう。
だから、普段村民たちは気づかない。
タテシマ様がゴミを漁って持って行っても、気付かない。
「でも、俺は違った」
そう都合よく求められている物がゴミとして転がっているはずも無い。
俺の価値基準で大した事無いと思って軽い気持ちで言った願いの数々も、短期間に重なっていけばいつか無理が出て来る。
例えば、以前に願った結果用意された僅かな硬貨も、その一つだ。あれも超常的な力で無から生み出された訳では無い。
あのほんの僅かだった金額も村民に悟られないギリギリだったのだろう。
それだけで無く、俺の知らぬ所でナキが今回の様にアクセサリーや俺を持て成すための茶や菓子など、何かしらを求める事も増えていたのかもしれない。
であれば、尚更無理は出て来る。
その結果として、タテシマ様は手を着ける物に対しての基準の線引きを下げてしまった。村人たちが必要な物にまで手を着けてしまった。
そして、ジュウオウ村では盗人が問題となったのだ。
そう話した俺に対して、ナキは大きく頭を振る。
「――違います。違いますよ、空間さん。わたしが、わたしが悪いんです!」
ナキは目尻に雫を貯め、それが頭を振る事で海に溶けて行く。
「わたしが、あなたにお願いを叶えると言いました。この首飾りだって、わたしが願ったものです。わたしが、タテシマ様に甘えていたんです……」
「甘えていたのは俺の方だ。だって――」
その先の言葉を、ナキは頭を振って遮る。
「どうして、わたしが“願いを叶える”だなんて、言ったと思いますか?」
「どうしてって、それは――」
どうしてだろうか。ナキは何故俺の願いまでもを叶えてくれようとしたのだろうか。
そうする利点とは、何だったのだろうか。
以前に同じ事を考えた気がする。でも、今の散らかった頭の中からは、すぐには出てこなかった。
俺の沈黙を見て、ナキは答える。
「それは、わたしが空間さんをここに繋ぎとめる為です。わたしはただ、寂しかったんですよ」
そう言って、ナキは儚げに微笑んで見せた。
俺は、何も言えなかった。ただ胸の奥がぎゅっと締め付けられる様な気がして、彼女を抱き締めたい衝動に駆られる。
でも、そんな事は出来なくて、まだそんな勇気も無くて。
ただ、そっと彼女の首飾りを握ったままの手を取って、その上から優しく添える様に重ねるに留めた。
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