〖完結〗インディアン・サマー -spring-

月波結

文字の大きさ
上 下
25 / 31

第25話 理想と現実

しおりを挟む
 もしかしたら、逢いたいのはわたしなのかもしれない。
 だからこんなにパニックになるのかも。
 わたしのアキが、わたしを呼んでる。
 ――ちょっと待て。って、なに?
 なんで所有格?
 それって、本物のアキ?
 わたしの中の思い込みや、勝手な理想を押し付けてない? 
 ⋯⋯そんなことってあるかな? だって考えたこともない。
 アキは、いつだってわたしのために⋯⋯。
 困惑する。
 本物のアキは、どこにいったの? 凧を飛ばして泣きそうだった、あのアキ。字が下手くそで、計算も字の汚さでバツもらったこともあるアキ。
 そういうお互いの欠点を知ってるのもわたしたちの強みだ。
 でも、今はどうだろう?
 アキってスーパーカッコいい彼氏じゃない? 外見も、頭脳も、やさしいところも、頼もしいところも、⋯⋯キスが上手なところも。呼べばなにがあっても駆けつけてくれるところも――。

 どのアキが本物なんだろう?
  
「なんだ立ち止まって。ハルらしくないな。行くんじゃないのか? 自分のバカさ加減に気が付いたのか?」
「うん⋯⋯バカだからなのかな? ちょっと混乱して」
「なにを? 行くべきか、行かないべきか?」
「そういうのじゃなくて。あの、上手く言えそうにない」
 恭司はまた顎をさする。
 顎には名探偵になるためのなにかいい成分があるのかもしれない。
 そして恭司は実は名カウンセラーなのかも。
「無理に言葉にしなくてもいい」
 あ、そうなんだ、とホッとする。わたしはカウンセリングしてもらうつもりではなかったけど、とにかく一生懸命喋り続けなきゃいけないのかと思ってた。
 でも、上手く言えないことは上手く言わなくても別にいいんじゃん、ともうひとりのわたしが囁く。

 エアコンから涼しい風。
 確かに少し寒いくらいかもしれない。
 恭司の毛布をもう少し自分に引き寄せる。
 恭司は文句を言わず、ゴロンと転がって肘をついて手で自分の頭を支えた。
「わたし、勝手にアキのこと、王子様みたいに思ってたかも。都合のいい王子様」
「でも助けに行くんだろう? 姫が王子を」
「ん⋯⋯子供の頃はアキは手下みたいなものだったからなぁ、その名残り?」
「それでなにか都合が悪いの?」
 自分の中の自分に訊く。
 わたしはなにを不都合だと感じてるんだろう?
「別に姫が王子を助けても問題ないし、ハルがアキくんに理想を重ねていても、恋愛ってそんなものだろう? 若い頃なら尚更。自分の理想を相手に投写する。ブレる。『思ってたのと違う』。現実を受け止めて愛し続けるか、切り捨てるか」
「⋯⋯恭司にも経験ある?」
 しゃがんでるわたしの方に、恭司は少し首を伸ばしたような気がした。大きな目でわたしを見る。

「それ訊く?」
「え、大人の体験談って役に立つでしょう? 先人の知恵? でもプライベートなことだから、答えたくてもいいよ、ごめん」
 恭司は今度は顔を下げた。
 わたしの足下を見ている、いや見ていない。
「俺は⋯⋯」
 なんだか教会の懺悔室のようだ。苦しい経験を告白させている。
 そう思わせるような語り口で恭司の話は始まった。
「俺は、話した通り元々口下手で人付き合いが苦手だった。だから、心理学を専攻したもうひとつの理由は、人の心を知りたかったっていうことだ。神社に願いを持って参拝に来るたくさんの人たち、他人を排斥する人たち、人の心はいろんな色で染まっている。
 そんな中で知り合ったのが千嘉だ。千嘉はにっこり微笑んで俺に近付いてきた。もちろん俺だけじゃなくてな。でも俺にとって、アイツが平等な視線の持ち主に見えたんだ」

「少しして、普通に話すようになって、時にはランチを一緒にするようになって、それでその度にアイツを好ましいと思うようになって、だから、その、告白したわけだ」
 そこで恭司はさらにガクッと首を落とした。
 これは拷問なのでは、と思い始めて「もういいよ」と横に手を振る。
「いや、大丈夫。いつも微笑んで変わらない穏やかなトーンで話をする彼女は俺の理想になって、いつも一緒にいたいと思うようになったんだ。
 だが、付き合い始めて、深い関係になっていくにつれて、彼女がその時、瞬間的に見せる本当の顔。それは疲れた顔だったり、不満を持っていたり、別のことを考えていたり、怒っていたり⋯⋯思えば当たり前のことなんだけどその時はそのひとつひとつに裏切られたような気持ちになったんだよ。今までのは作ってたのかって」
「それはさぁ」
「そうだよ、俺の勝手な思い込みだ。押し付けてたんだよな、理想を。
 それに気が付いたから別れた。千嘉はそれほど動揺しなかったよ。俺との関係に疲れてたのかもしれない。すっぱり別れた。ジ・エンドだ」

「理想を押し付けたら、別れなくちゃいけない?」
「そんなことはない、虚像をお互いに見つめ合いながら幸か不幸か付き合いを続けることもできる」
 わたしたちは、どうなんだろう?
 お互いに、お互いしか見てなかった⋯⋯。
 お互い、ほかの異性との接触がなかったわけじゃないけど、それでも不思議な力で引き付けられて、やっぱりアキといるのが一番心地よくて。⋯⋯だって、なにも説明しなくてもわかり合える部分が多かったから。
 なにも言わなくても手を繋いでいれば、心が補完されていく。
「⋯⋯変かな? わたしたち、恋してる?」
「悪い、それは他人にはわからないし、決めることはできない」
「じゃあ恭司は佐伯さんのこと、すきじゃなかったってことになったの?」
「それは違うな。すきだったけど、千嘉のことを自分に都合のいいように見てたことに気付いたんだ。俺がすきだったのは自分に都合のいい幻だった。千嘉をすきだったけど、俺の見てた千嘉は千嘉とブレてたんだ」
「⋯⋯難しいね」

 恭司はわたしの頭に手を伸ばした。そして後ろ頭をその手ですっぽり覆った。
 その目がなにを語ってるのかわからない。
 わたしを見つめている。
「⋯⋯ハルはアキをすきでいいんだよ。立ち止まらなくてもいいんだよ」
「アキの弱さをわかってあげられないの、心のどこかで、アキにはそんなところはないって、逢いたくなるのはわたしの役目だって」
「なるほど、それを慰める大人の役目が俺の役割か」
「そうなの?」
「たぶんな」
 抱き寄せられる前に、その腕の中に隠れるように沈む。
 甘やかされるのは気持ちいい。
 悪いことも忘れられそうになる。
「ハル、もう自分の家に帰る頃なんじゃないか? そうしたらアキくんとの関係ももっとシンプルになるし、⋯⋯俺も大人でいられるし」
「⋯⋯ねぇ、わたし、恭司にも理想を重ねてる?」
「どうかな。俺はハルにフィルターをかけてないよ」
「そうなんだ」
「大人だからな」

 その腕の中で深呼吸する。
 ここはセーフティゾーン。
 恭司はわたしをわたしのまま許してくれる。
「もう少し、ここにいてもいい?」
「アキくんはよく思わないと思うけど」
 それは確かだ。
 泣いているアキをススキ野原の向こうに見てる。
 わたしはなぜか足を動かさない。
 アキはひとりぼっちで、途方に暮れてる⋯⋯。
 あの子をひとりにしていいの?
「狡いと思う。でもわたしは、あの子と離れてみて、わからなくなったことがあるの。この十九年間、わたしとアキはお互いしか見てなくて、でも本当は外の世界があるんだよね。わたし、それを無視してずっと生きてきたみたい」
「それもひとつの形じゃないのか?」
「それがいいことなのかわからなくなった」
「⋯⋯そうか、ひとつの気付きかもな」
 難しいことはよくわかんないよ、とそのままタオルケットの中に潜った。恭司はそれを止めなかったし、わたしは安心だった。

 手を伸ばしてスマホを取る。
 バックライトが眩しい。
 ごめん、心の中で謝る。
『ごめんね、冷静になって考えたけど、すぐには行けない』
 既読も付かなかった。寝てしまったのかもしれない。
 気が付くと、朝が地平線の向こう側から出てくるのを窺ってる時間だった。
 今はここにいたい。
 答えはまだ出ない。
 本当のアキが揺らいで見えない。
 ――離れなければよかったのかもしれない。間違えたのかもしれない。
 凧を落としたアキと、この前久しぶりに会ったアキが重ならない。
 わたしがずっと手を繋いでたのは、誰?
 凧を落として泣いていたあの子じゃなかったの?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

心の中に白くて四角い部屋がありまして。

篠原愛紀
青春
その日、私は自分の白い心の部屋に鍵をかけた。 その日、私は自分の白い心の部屋に鍵をかけた。  もう二度と、誰にも侵入させないように。  大きな音を立てて、鍵をかけた。 何色にも染めないように、二度と誰にも見せないように。 一メートルと七十センチと少し。 これ以上近づくと、他人に自分の心が読まれてしまう香澄。  病気と偽りフリースクールに通うも、高校受験でどこに行けばいいか悩んでいた。 そんなある日、いつもフリースクールをさぼるときに観に行っていたプラネタリウムで、高校生の真中に出会う。彼に心が読まれてしまう秘密を知られてしまうが、そんな香澄を描きたいと近づいてきた。  一メートル七十センチと少し。 その身長の真中は、運命だねと香澄の心に入ってきた。 けれど絵が完成する前に真中は香澄の目の前で交通事故で亡くなってしまう。 香澄を描いた絵は、どこにあるのかもわからないまま。 兄の死は香澄のせいだと、真中の妹に責められ、 真中の親友を探すうちに、大切なものが見えていく。 青春の中で渦巻く、甘酸っぱく切なく、叫びたいほどの衝動と心の痛み。 もう二度と誰にも自分の心は見せない。 真っ白で綺麗だと真中に褒められた白い心に、香澄は鍵をかけた。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

【本編完結】繚乱ロンド

由宇ノ木
ライト文芸
番外編は時系列順ではありません。 更新日 2/12 『受け継ぐ者』 更新日 2/4 『秘密を持って生まれた子 3』(全3話) 02/01『秘密を持って生まれた子 2』 01/23『秘密を持って生まれた子 1』 01/18『美之の黒歴史 5』(全5話) 12/30『とわずがたり~思い出を辿れば~2,3』 12/25『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』 本編は完結。番外編を不定期で更新。 11/11~11/19『夫の疑問、妻の確信1~3』  10/12 『いつもあなたの幸せを。』 9/14  『伝統行事』 8/24  『ひとりがたり~人生を振り返る~』 お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで 『日常のひとこま』は公開終了しました。 7/31 『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。 6/18 『ある時代の出来事』 -本編大まかなあらすじ- *青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。 林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。 そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。 みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。 令和5年11/11更新内容(最終回) *199. (2) *200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6) *エピローグ ロンド~廻る命~ 本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。  ※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。 現在の関連作品 『邪眼の娘』更新 令和7年1/25 『月光に咲く花』(ショートショート) 以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。 『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結) 『繚乱ロンド』の元になった2作品 『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

処理中です...