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~1 舞姫との出会い~
しおりを挟むリウェン侯爵家の長子として生まれたエリックは、剣が何より苦手であった。
自身が跡取りだという事については嫌という程、何度も何度も教師から言われ続けたので、その上で勉強をしなければならないのは何となく理解できた。
そして剣についても、今は落ち着いているが何時戦争という話が出るかなんて分からない。
それこそ王様が、はい戦争します、と言えば戦争が始まるのだ。
「でも絶対俺には向いてないと思う……」
剣の稽古を逃げ出したりはしないが、上達する速度が遅いのは嫌でも分かる。
これでも真剣に稽古に打ち込んでいるつもりだが、剣を振り落とすだけでもしんどい。
木剣でこれなのだから、真剣なんか振り上げる事さえ難しいと思う。
アカデミーの同級生が授業中に軽々しく剣を振るっている姿を見て、驚愕した。
「ねぇ、稽古終わったなら剣、借りてもいい?」
稽古終わりで汗だくで立つのもしんどく、稽古場で座り込んでいたエリックに話しかけてきたのは、剣の稽古場には不釣り合いな女の子。
だがドレスは身に纏わず、男のような恰好をしている。いつも女の子はドレスを着ているものだと思っていたエリックは衝撃を受けた。
「聞いてる?」
「あ、あぁ……。ごめん、聞いてる。だけど木剣だけど、重いよ?」
男のエリックでさえこんなに苦戦しているのだ。一応木剣を女の子に差し出すが、伸びてくる腕はエリックより当然細い。だがきちんと木剣を受け取った。
それだけでも女の子としては上等じゃないか、と思ったが、その女の子は木剣を持って稽古場の端で座り込んでいるエリックから離れて、稽古場の中心に立って、綺麗に木剣を構えた。
そしてまるで踊るように剣を振り下ろしたり、横切ったり、自在に動かしていく。
傍から見ていたら分かる。物凄く良い剣筋だと。男と違ってやはり力強さは感じれないが、代わりにスピードが全然違う。とても早く、一つ一つの動作への移り変わりが早い。
あの木剣はエリックが先ほどまで稽古で使っていたから分かる。軽くない。なのに、不思議なことに女の子が舞うように軽々しく木剣を振り回しているのだ。
驚きと同時に、あまりにも綺麗な剣裁きとその姿に目を奪われていた。
「ふぅ、やっぱりちょっと鈍ったかな。でも勘は取り戻せそう。ありがと。って、あ、名前聞いてなかった。リサ・ローランドよ。貴方は?」
何時から眺めていたのか忘れるほど眺めていたエリックは、はっとして剣を舞うように振るったリサから木剣を受け取った。
「エリック・リウェン」
受け取った木剣はやはり重く、重さが変わったわけではなかったのだと理解する。
やはりこの重さの木剣で舞っていたのだ。
「エリック、ね。あんたさ、剣、嫌い?」
「嫌いというか苦手だ」
「そう。でも手にはいっぱいマメが出来てる。剣だことも言うらしいけど、苦手でも何で剣を握るの?」
「なんでって……いつか出兵するかもしれないだろ」
「あぁ。そっか。確かに男の子はそうよね。じゃあ好きなことは?」
ぐいぐい聞いてくる子だなと思いつつ、好きな事は何かと思い浮かべる。
「市政を学ぶのは好きだ。なんというかな、色んな考え方があるんだと思い知らされるのと、だから今の世があるんだと分かる」
「ある意味真逆だね。私は市政じゃないけど、社交界とか学ばされるけど、遠回しな言い方が嫌い。はっきり言われた方が、言う方も言われる方も分かるのにって思ってしまうもん」
「ま、一理ある。だがあえてはっきり言わないメリットがそこにあることもあるから市政は面白い」
「やっぱり好きな事話しているときの方が人は楽しそうだわ。確かに貴方は男の子ね。だから出兵も考えなきゃいけない。でもさ、だから嫌いな事を続けるのって無意味じゃない?」
「それでもしなきゃならない時があるんだよ。苦手でも、ね。でも好きなこともするんだ。苦手なことから得られることもあるし、好きなことも諦めない。だから無意味じゃない」
「へぇ~、うん。良い顔になった」
ニコっとリサが笑う。
その言葉で、あ、多分稽古後の事を言われているんだと分かった。
そうだ。苦手なものから得られることもある。苦手だと言って放り投げてどうする。市政をするという事は、出兵も考えられるが、同時に自分が命を出す側になるときもある。
その時に剣を握っている者の気持ちが分かっていない奴が、命を出せるだろうか。命は出せたとしても、命を出された方は従いたいと思うだろうか。
人は理論だけでは本当には動かない。理論と情の二つがあって初めて本当の意味で動く。
例えば今みたいに、考え方を変えれば、明日の稽古もやることは同じでもやる気が違う。そして結果も変わるだろう。
だって自分の剣が上達するように学ぶだけだった事が、同時に命令を出されて剣を握った時の事を考えて握る気持ちも学ぶのだから。
ある意味自分の好きな事を学ぶことになる。
考え方をあっという間に変えてくれた女の子に興味が出て、エリックは考えるより先に言葉が出た。
「リサって呼んでもいい?」
「うん? さっきから私はエリックって呼んでるから構わないわよ。変な事、聞くのね」
「変じゃないと思うけど。普通、お嬢様とか呼ぶべきなんだと思うよ」
「あ~。それね。うん、私、変わってるって言われるけど、その呼び方、嫌いなの。もちろん、我慢しなきゃなんないかもだけど、エリックはさ、リサって呼んでよ」
特別に許された気がしてエリックは嬉しかった。
リサ・ローランドと名乗った彼女は多分ローランド侯爵家の御令嬢だ。何せエリックの家に付いてきているという時点で、それなりの身分だと想像できる。
エリックの家も侯爵家だからだ。そして父からローランド侯爵と事業の話を進めている事も聞いているので、間違いがない、と言ってもいいかもしれない。
だがまだ各家の家格は頭に入れたが、家系図まで入ってはいない。市政をする上では必要なので叩き込むつもりだが、後でローランド家から叩き込むか、とエリックは思った。
「じゃあ、リサ。リサは剣が好きなの?」
「もちろん。きっと馬鹿らしいと思うかもしれないけど、夢はね、騎士になることなの。皆はキレイなドレスを着ろと言うわ。でもね、剣に魅入られたのよ」
騎士になりたいまでいくとは思わず、エリックは驚いたが、リサのその瞳は本気だと語っていた。
女騎士はいなくはない。王女様の護衛とかなどには逆に女の騎士は重宝されたりもする。
だが侯爵家の御令嬢で騎士はかなり珍しいだろう。貴族で下位の兄弟が多く、働くしか道がなくなった者の道だとしか思っていなかった。
こんなにも目を輝かせて、騎士を目指している高位貴族がいるとは思っていなかった。
「凄いな、リサは」
茨の道だろう。まず女の身で騎士になることが第一関門。いやそれよりも家族を説得することが第一関門か。
だがあの綺麗な剣は、埋もれさせるのはもったいないと思う。と、同時にふと出兵の事が頭に浮かぶ。
騎士になれば女である前に騎士として出兵させられるかもしれない。そうしたらリサは死んでしまうかもしれない。
そう思うと、不思議だ。今日会って、まだ間もない女の子であるリサなのに、死んでほしくない、一緒にいたいって変な感情が湧いてくる。
「凄くないよ。だって我儘だもん。貴族のお嬢様なのに、騎士になりたいっていうの。本当は結婚して、家の役に立たないといけないのに、騎士になるっていうのよ」
「騎士も結婚も両方取ればいいじゃないか。どっちかしか選べないなんて事はない」
「うん。やっぱり逆にエリックが凄いよ。だって諦めないじゃん」
「確かにどちらかしか選べないものはあるだろう。だけど騎士と結婚はそれに当てはまると思えない」
「騎士の女と結婚したいって奇特な男の人がいたらいいんだけどね。基本、淑やかな女性が好まれるでしょ?」
「別に俺は淑やかさを求めない。うん。両方取れる方法を今、思いついた」
「え! 本当に?」
「ああ。だからリサは騎士になればいい」
エリックがそう言うとリサは本当に花が綻んだ様に嬉しそうに笑った。
きっと今まで周囲から反対しか受けていなかったのだと思う。条件から言えば、賛成はされにくいのは良く分かる。
でもリサはこんなにも関係もない奴からたった一言言われただけでこんなにも喜んでいる。
周囲の方が優しいと思う。茨の道だと思うから反対するのだ。なのに進めたほうを喜んでいるのだ。
「今日から俺と友達になろう」
「……唐突ね」
「友達の家になら遊びに来れる。一緒に稽古するのも、悪くないと思う」
「エリック、あんた、優しいのね。うん。友達になるわ」
「早速、遊ぶ日程を教えよう」
「遊びに、教えるって変な響きね。でも、好きだわ。うん、教えて」
稽古の日程を教えて、その日にちょうどよく遊びに来れるかはリサに予定を組んでもらう事になった。
リサの剣は必ず誰かに師事してもらっていることは分かる。型が綺麗だからだ。だが何らかで師事を仰げなくなったと予想して提案した事に食いついた、という事はきっと予想は外れではない。
まだ深く聞ける間柄ではないからもうちょっと仲良くなってから聞こう、と思った。剣で舞った後に言っていた、鈍ってなかった、がずっと引っかかていたのだ。
「リサ、こんなところにいたのか」
後ろから聞こえた声に振り返ると恐らくリサを呼び捨てることから、ローランド侯爵と思われる男性が歩いてきた。隣を歩くのはエリックの父のリウェン侯爵だ。
「お父様。ごめんなさい。ちょっと散歩と思ってたら長引いちゃった」
「長引いちゃった、じゃない。まったく……。お、隣の子は」
目線を感じてエリックはきちんとローランド侯爵を見て礼をして、目を見る。
「初めまして。エリック・リウェンと申します」
「聡明な子だな。レヴィ」
「愚息だがね」
ローランド侯爵と父はどうやら仲が良いらしく、父を愛称で呼ぶ他人を初めて見て驚いた。
だが顔には出さずににこやかにやり過ごしつつ、ローランド侯爵を観察する。
「リサと一緒にいてくれて、ありがとう」
「いえ。逆に素敵な舞を見せていただきましたので、良い時間でした」
「ほう、舞なんか踊れたかな。今度、父にも見せてほしいな、リサ」
「舞じゃないけど、はい」
ローランド侯爵とリサには一定の距離感が見えた。だがローランド侯爵自体がそこまで厳格そうにも見えないが、初めから踏み込み過ぎると警戒されそうなので、エリックは笑って何も言わないことにした。
そしてリサとローランド侯爵を父と一緒に見送り、父の書斎にエリックは立っていた。
「お前なら、ローランド侯爵令嬢と分かっただろう」
「ええ。友達になりましたよ。今後もやり取りしようと約束もしました」
「高位貴族が手紙や互いの家を行き交う意味は分かっているな」
「分かっていて、そうしました」
リサは分かってないだろうけど、と心の中で呟いて答えると、父は口角を上げて軽く笑う。
父は人相が悪人のようでその顔だけで怖がられていると言う。そして笑えばさらに他人から見たら怖いらしい。
見慣れているエリックからしたら別にそうでもないのだが、母に似て良かったね、と何度言われたことか。
だが宰相補佐官をしていて頭が回る父。決断は早いし、感触は悪くない、と感じた。
「よろしい。伴侶くらいはお前の意向も組むべきだと思っていたが、悪くない相手だ」
「勘違いしないでください」
「ん?」
「我儘です」
リサはきっとエリックが自分の伴侶に、と思ったことなんてきっと微塵も感じていない。
なのに勝手に話を進めようとしている。
貴族には良くあることと言えど、エリックの我儘。それだけだ。
あの剣の舞を見たときに、あの舞姫と共にいたい、そう思ったのはきっとエリックだけだからだ。
「我儘、か。それすら分かっていて、私の前で言う意味を理解している。私は相手と不足なしと判断した。だから話を進める。後はお前が為すべきこと」
父の言葉にエリックは頷く。
きっとリサはこの話を断れないだろう。だから後はエリックの努力の問題。
理論だけでは本当の意味でリサを隣に置くことは叶わないだろう。本当の意味でリサと共に入れるように、この我儘をただの我儘で終わらせない覚悟をした。
そしてすぐに、エリック・リウェンとリサ・ローランドの婚約は結ばれた。
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