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22.確信を持って

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「恋、か」

 その言葉を噛みしめるように呟いたルミール様。
 振り向かれないその背中をただ眺めていた私は、小さく息をついて彼に背中を向け扉の無くなった部屋へと戻る。

 流石にこれでは今日の仕事は出来そうにない。
 それどころか、勝手にお客様へ懸想してこんな騒ぎを起こす娼婦を買おうと思う客なんてもういないかもしれない。
 娼婦とは夢を与える存在なのだ。

 一夜の夢で儚く散るからこそいいのであって、夢が現実に浸食してくるなど恐怖しかないだろう。
 だから――

「サシャ」

 優しく名を呼ばれ、背中からぎゅっと回って来たたくましい腕にドキリとする。
 彼の体が私を包み、耳元でもう一度名を呼ばれると、ゾクリとした快感が私の体を駆け巡った。

「サシャには何度もいろんなことを教わったな」
「そ、れが、私の仕事でしたから」

 何故抱きしめられているのかわからず、混乱する私はしどろもどろになりながらなんとかそれだけを返した。

「……身請けは嫌だと言っていたな」
「ッ」

 彼の言葉に息を呑む。
 言った。私は彼に身請けなんてされたくない。一生好きな人の『練習相手』をする人生なんて耐えられないから。

「ならば身請けはしない」

 嫌だと言ったのは自分なのに、そうはっきりと告げられ傷付く自分に自嘲する。

“本当、私って馬鹿なんだから”

 じわりと視界が滲んだが、彼は私の願いを叶えただけだと言い聞かせグッと堪えた時だった。

「代わりに、この娼館を買おう」
「……、…………?」

 一瞬脳内でハテナが飛び、もう一度言われた言葉を心の中で復唱して再度ハテナを飛ばす。
 滲んだ視界が一瞬で乾き、むしろ乾きすぎて目をしばたたかせた。

「えーっ、と?」
「聞こえなかったか。この娼館を買うと言った」
「それは聞こえましたけど」

 だが何度聞いても意味がわからず、ぽかんとしていると、私を後ろから抱き締めていた腕を緩め女将の方へと振り返る。

「ここの権利を買いたい。言い値で構わん」
「な、何を」
「そうですよ!? 一体何を言ってるんですか!?」

 私と同じく呆然とした表情の女将に、これが普通の反応だと内心ちょっと安心した。

「経営はこのまま女将に任せる。他の嬢たちの雇用条件も変えなくていい」

 けど、と一度言葉を区切ったルミール様が私の腰へ手を回しぐいっと抱き寄せる。
 さっきまでと違い、今度は向かい合って抱き合うような形になり私の胸がドキリと跳ねた。

 じっと私を見下ろす彼の瞳が僅かに不安そうに揺れていることに気付き、自然と私は彼の頬へと手を伸ばす。
 避けられることなく触れた彼の頬は、緊張からなのかいつもより強張っている気がした。

「サシャはここの娼婦だ。そしてここを俺が買い取ったとなれば、サシャの雇用主も俺になる」
「雇用主が、ルミール様になる?」
「そうだ。サシャは公爵家で永久雇用だ」
「永久雇用……」

 その言葉が指す意味とは、まさか。

「ここではなく、公爵家に来てくれないか」
「公爵家に?」
「そうだ。ここのオーナーが俺になったんだ、つまりオーナーの所有物である公爵家も勤務地のひとつになり得るだろう」
 
“ならないわよ!”

 繰り出されたとんでも理論は何一つ理論的ではなく、むしろ横暴。
 
 それなのに、どうしてだろう。
 ロマンチックな要素がひとつもないこの彼らしい言葉が、何故か私には甘く聞こえる気がした。
 
「愛人なんかじゃない。ひとりで待たせるようなこともしない。待つ辛さなら俺にもわかるから」
「ルミール、様」
「だから妻として、側にいてくれないか」
「でも、それじゃ」

 平民が貴族、それも公爵家という高位貴族の妻になるだなんてあり得ない。
 しかも私は娼婦なのだ。世間からの冷たい視線はより厳しいものになるだろう。

“そんなのダメよ!”

「悪女に家を乗っ取られたって思われますよ!?」
「サシャは悪女なのか?」
「悪女……かは、わかりませんが、でもっ」

 焦る私に冷や汗が滲む。
 だってこのままでは、公爵家に、何よりルミール様に……!
「悪評が立ってしまいます!!」

 訴えるようにそう口にすると、一瞬きょとんとした彼が思い切り吹き出した。

「なっ、なんで笑って……!」
「いや、だって悪評って……、『悪徳公爵』に、か?」
「え……、あっ」

 そうだ。彼は悪徳公爵。
 数多の悪評が積み重なってついたあだ名がまさにそれなのだ。

「ひとつくらい増えても構わない」
「で、でもその、血統……とか……」
「命の価値は血で決まるものではないだろう」

 あっさりとそう断言され戸惑った私が後退りしようとするが、彼に腰をがっしりと掴まれていて動けない。

「ふむ、これもひとつの拘束プレイか?」
「違いますっ!」
「そうか? だが、嫌そうには見えないが」

 くすりと笑いながらそんなことを言われ、いつの間にこんなにたちが悪く成長したのかと頭が痛くなる。

「それに、六度目の結婚を失敗し跡継ぎがまた生まれないより、恋した相手と結婚して跡継ぎが生まれる方が圧倒的に喜ばれるのは間違いない」
「私が産めなかったらどうするんですか」
「その時は養子を貰うか。既婚なら養子が貰えるしな、拐ったなんて悪評が立ちそうだが」

 なんでもないことのように私の不安をひとつずつ消して、ニッと口角をあげる彼が一周回って憎たらしくすらも見えた。

「嫌か?」

 なのに、少し不安そうに見つめられると胸がきゅうっと締め付けられるのだ。

“本当に困るわ”

 だって全然、嫌じゃない。
 私なんて釣り合わないとわかっていたはずなのに、こんなの、頷いてしまうに決まってる。

「嫌だったら、逃げ出してますよ」

 そう言って彼の胸元に顔を埋めると、逃がさないと言わんばかりに腰に回されていた彼の手がそっと私の頭を撫でる。

「悪徳公爵が夫ですまないな」
「そんなルミール様が好きなんです。それに、私こそ娼婦で……ごめんなさい」
「そのままのサシャを愛してる」

 まさか自分にこんな未来が来るなんて思わなかった。
 昨日、スラッと格好いい令嬢と並ぶ彼を見てあんなに泣いたのに……、とそこまで考えハッとする。

「き、昨日の令嬢はどうするんですか!?」

“まさかここにきて第二夫人だ、なんてオチはないと思うけどこれだけはハッキリさせなくては!”

 いい雰囲気をぶち壊す私のその言葉に、驚きつつも僅かに首を傾げるルミール様。

「そんな顔しても流されません! 説明してください!」
「説明って……、ふはっ」
「なっ」

 ふんす、と鼻をならしギロッと彼を見上げた私に対し、何故か思い切り彼が吹き出し破顔する。

「昨日の令嬢とは、彼女のことか?」
「え……」

 彼が合図のようにコツンと足を鳴らすと、階段を上がってくる女性がひとり。
 彼女は騎士服、それも一度見たことのある、ユクル公爵家の騎士服を着ていた。

 状況が理解できず、ぽかんとしながらその令嬢とルミール様を交互に見る。
 そんな私にくすりと笑った令嬢は、騎士の礼をして私の前に立った。

「未来の奥様にご挨拶いたします。奥様の専属護衛、エリンと申します」
「専属、護衛? というか奥様って……!」
「流石に抱き合いながら閣下を振るとは思えませんでしたので」
「!」

 当たり前のように説明されたその言葉で、女将だって見ているのにまだ抱き合っていたことに気付き、私の顔が茹るかと思うほど熱くなった。

「は、離してください!」
「どうして?」
「ど、どうしてって」
「嫉妬しているサシャが愛おしいんだ、離せそうにない」

“と、突然上級者みたいな口説き文句言わないでよ……!”

 まさか彼にこんなポテンシャルがあったとは。いや、もしかしたらただ素直な気持ちを言っているだけかもしれない。
 その考えに思い至ると、もうそうとしか思えず、彼の腕から逃れようと突っ張った私の腕の力が抜けた。
 
「昨日はサシャの好む店を説明がてら案内していたんだ」

“だからあの露店街の方にいたのね”

 彼の説明に少し納得した私だが、まだ聞かなくてはならないことが沢山あった。
 
「専属護衛、というのは?」
「俺の評判は知っての通りだ。俺の妻になれば悪意ある相手も近づいてくる」
「ちなみに私が選ばれたのは、もちろん実力があるからですけど、女性だってのも大きいんですよ。男って拗らせると面倒くさいですね」
「余計なことを口にするな」

 クスリと小さく笑いを溢したエリンは、私たちにお辞儀し再び階段の下へと降りて行った。
 もう挨拶は済んだということなのだろう。

「昨日は、どうして来てくださらなかったんですか?」

 彼女がただの護衛で案内をしていただけだったのなら、夜は来れたはずだ。
 それなのに昨日彼の訪れはない。
 娼館まで私のために買うと言い出したのだ、ここで今更彼の気持ちを疑うなんてことはしないが、気になったので聞いてみる。
 
 だが私のその疑問に答えたのはルミール様ではなく女将だった。

「サシャの顔色が悪かったからね。それに連日お相手をしていたお客様がなかなか無茶な回数をこなしたようで丁度休みを与えるつもりだったんだよ」
「そ、れはっ」

 一晩中離してくれない夜が五日も続いたことを暗に指摘され、私とルミール様が同時に目を反らす。
 どうやら彼にも僅かに羞恥心というものは残っていたらしい。
 
「あと」
「ま、まだあるのか?」

 更に質問しようと口を開くと、流石に驚いたのかルミール様が両目を見開く。
 その顔がなんだか可笑しくて私はつい笑ってしまった。

「これが最後です。どうして突然護衛をつけようと思いついたのですか?」

 彼がエリンと街歩きしていたのは、私たちが想いを通じ合わせる前だった。
 そして彼が『恋』という言葉の意味を知ったのは今日だろう。

 それなのに、彼が私に護衛をつけようと思い至った理由が気になったのだ。

「ずっと考えていたんだ。俺は誰に勃つのだろう、と」
「勃……っ」

“で、でも言われてみれば私と初めて夜を過ごそうと即尺チャレンジした時も、勃起はしていなかったわね”

 勃っていない状態で既にビックマグナムだったため忘れていたが、確かにあの時の彼は勃ってはいなかった。
 そして私と閨を共に出来るようになってからしたお見合い相手にも勃たなかったのだと言っていたことを思い出す。

「そこでやっと気付いたんだ。俺にはサシャしかいないと」
「それ、私以外に跡継ぎを産めないとかいう話ですか?」

 話の流れからそう推察した私が、若干呆れつつそう言うと、小さく彼が首を左右に振る。

「俺にとって、特別な女性がサシャしかいないことに気付いたんだ」
“特別?”

 結局元を辿ると同じなのだが、彼の口から『特別』と言われると私の胸が高鳴ってしまう。
 案外私も彼のようにチョロイ女だったらしい。
 
「護衛まで用意して、振られるなんて微塵も思ってなかったんですね」

 これはただの出た私の言葉だったのだが、この言葉を聞いたルミール様がニヤリと口角をあげる。
 
「何しろ俺は悪徳だからな。手段は選ばないつもりだった」
「! もうっ、もしかして案外そのあだ名、気に入ってるんですか?」
「今となっては悪くないな」

 まるで悪戯が成功したように楽しそうにそう告げられ、私からも笑顔が溢れる。
 あんなに何度も『悪徳になんて見えない』と思っていたくせに、どうやら彼は本当に悪徳公爵だったらしい。

 そして私は、そんな彼の元に喜んで嫁ぐのだ。

“嫁いだ私は、きっと誰よりも幸せになれるわ”

 私はそう確信を持ったのだった。
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