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19.告げないけれど、さようなら

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「あ、これ可愛いかも!」

 女将から改めて釘を刺された私は、気分転換がてら仕事の始まる夜まで買い物でもしようかと市井まで来ていた。
 
“今日の私はお財布が温かいからね”

 もちろんその理由は仕事をこなした私にちゃんとお給金が入ったからである。
 出所を考えれば全て公爵家からのお金ではあるが。

 
 ぶらぶらと歩きながら露店の商品を眺めていると、ふと可愛いレースのショールが目に留まる。
 そのショールはレースで出来ているのに裏側は別の布が貼ってあるのか透け感はなく、だが重なって見えている淡い緑の布が美しかった。

「これは何ですか?」 
「あぁ、これはショールなんだけど、なんと裏側に合わせてある布は水を弾くようになっていてね」
「水を!?」
「そうなんだよ。だからテーブルクロスにも使えるんだ」
「テーブルクロスに!? 雨が降ってきたら雨避けにするんじゃなくて!?」
「ふむ、その使い方でもいいね!」

“て、適当ね”

 だがそんな雑なやりとりこそ市井での買い物の楽しいところでもある。
 それに本来の目的以外の使い方がある商品も多い。
 このショールもそうだし、以前見た置物だってそうだ。

 何通りも使い方があると、わざわざ別のものをふたつ買わないといけないところがひとつで済むのでお得感があるのだ。
 
“ルミール様はそういった『お得感』がわからなさそうだったけれど”

 終始怪訝な顔をして首を傾げる彼が可愛かったことを思い出す。そして同時にツキリと胸が痛んだ。

「買うわ!」

 そんな胸の痛みを誤魔化すように宣言すると、店主がパチンお手を叩く。

「いいねぇ! まいど!」

 景気よくそう言った店主にお金を支払い、早速ショールを羽織った私は更に露店街を真っ直ぐ歩く。
 ガラス玉で出来たイミテーションのカフスボタンに藁で編んだ帽子。
 リボンで出来たバレッタは、端切れで出来ているので私たち庶民でも気軽に買えるお手頃価格だ。

 それでも、これは見た、あれはあの時なかった――なんて頭の片隅にルミール様が何度もちらつき集中出来ない。

「気分転換に来たのにな……」

 このまま真っ直ぐ進むとルミール様と一緒に入った酒屋がある。

“自然と足が向かっちゃうなんて”

 はぁ、とため息を吐いた私は、酒屋がある路地に背を向け反対側にある中央地区にある噴水広場へと足を進めた時だった。

 輝くような黒髪にがっしりとした体躯。
 質の悪い服すらまるで高級な服に見えるほどの着こなしをし、庶民に馴染むどころかある意味完璧な『お忍びルック』の青年。

“る、ルミール様!?”

 まさかそんな、と動揺しつつ視界の端に見えたその姿を振り返ると、本当に彼の姿があって驚く。
 少し距離が離れていたことと、買ったばかりのショールを日よけがてら頭から被っていたため私には気付かなかったようだ。
 
 まさかこんな場所で彼を見かけるとは、と思わず目が釘付けになっていると、彼の隣に誰かがいることに気付く。

「あれって」

 スラリと高い背に細い腰。
 栗色のストレートの髪を高い位置でひとつに結んだその女性は、女性にしては珍しく乗馬服のような脚にフィットしたパンツスタイルで、ルミール様と同じく庶民服を着ているにも関わらず美しく格好良かった。
 
“あの人がお見合いをした相手ってこと?”

 令嬢とだとこのデートは参考にならないかも、なんて思いながら楽しんだデート。
 相手が私だから楽しめたのかもなんて思った自分が恥ずかしい。

「だから、勘違いしちゃいけないってわかってたのに」

 女将にも釘を刺されたばかりだったのに。

 可愛い令嬢とは違う、どこか自立した格好いい令嬢。
 今までの初夜で逃げ帰り泣いて何も言わなかった花嫁たちとはイメージの違う次の彼の相手に驚きつつも、似合いだとそう思った。

“私とは違う、身分のある女性……”

 最初からわかっていた。
 私は『練習』だってことを。

 ただ、彼が『本番』を迎えるだけ。

「私はただの娼婦なのよ」

 立場も、身分も、全てが違う相手に心を動かされるなんてあまりにも愚かだ。

 未来だって違う。
 彼は幸せな家族を作り、私は知らない相手に体を暴かれる日々なのだ。
 それが仕事だから。

 ――この仕事は嫌いじゃなかった。
 いいことばかりの仕事ではないけれど、お姉様たちの部屋を出るお客様たちはみんな満足そうな顔をしていて、時には母のように、時には恋人のように振る舞い相手を悦ばせるお姉様たちが誇りだった。

 いつか私も、そんなお姉様たちのようになりたいと思っていたはずなのに。

 ハタハタと足元に水滴が落ちて地面に滲み消えていく。
 まさか自分がこんなことで泣くだなんて思わなかった。

 涙が止まらないことに戸惑いつつ、泣いているだなんて気付かれなくてごしごしと乱暴に買ったばかりのショールで拭いたけれど、防水仕様になっているせいで頬と足元を濡らすだけ。

「水を弾くから涙を吸い取ってくれないじゃない……」

 それはまるで、嘲笑われているような錯覚を起こす。
 最初から許されなかったし、最初から全てわかっていたのだから。

 ズキズキと痛むこの心が、いつの間にか育っていた恋心を私に実感させる。
 そしてもちろん、その恋が始まる前から終わっていたということも。


「……お客様を、取ろう」

 彼だって言っていたじゃないか。
『私しか知らないから、私にしか勃たない』のだと。

 私だって彼しか知らないのだ。
 他の人と閨を過ごせば、この胸の痛みだって和らぐかもしれない。
 そうやって時間をかけて慣らせば、いつかは「そんなこともあったわね」と笑い飛ばせる日が来るのだろう。

 淡い初恋だったと、愚かな初恋だったと笑い飛ばせる日が、きっと――……

「もし今日もルミール様が来たら、断って貰うように女将に言おう」

 部屋に入る前ならば娼婦側から断ることが出来る。
 表向きは、他の客が入っているからや体調が悪いからなど様々な理由をつけ、相手が特別悪質な客でなければ別の娼婦が相手をするのだ。

 彼が悪徳と呼ばれていることはみんな知っているが、私が怪我ひとつなく大事に抱かれていることは知っているので代わりの立候補者は沢山いるだろう。

 それに私たちは高貴な貴族令嬢ではない。
 元から彼の相手を嫌がる者はいなかったはずだ。

“だから、大丈夫”

 そう言い聞かせた私は、そのまま顔を隠すようにして噴水広場の方へ小走りで向かった。
 多少遠回りにはなるが、噴水広場を経由してぐるりと迂回すればルミール様たちが散策しているところを見ることなく娼館へと帰れるからだ。

 ノースィルへ戻る頃には涙はなんとか止まったけれど、酷い顔になっていたのだろう。
 「ルミール様が来られても通さないで欲しい」と女将に頼み、私は夜をお客様と過ごす部屋ではなく、普段寝泊まりしている方の部屋へと帰る。

「気を遣わせちゃったわね」

 顔色を理由に今晩休みを貰った私は、女将の好意に甘えることにしたのだ。
 私室の方は元々住んでいただけあり、何度もルミール様が通ってくれたあの部屋とは違って家具も装飾も揃っている。

 けれどこの部屋には彼がいつも手土産で持ってきてくれた公爵家で育てた花たちはなく、それだけで部屋全体が色褪せて見えた。

 ――ここでなら、泣いてもいい。

 誰も見ていない、この色褪せた世界で私は何故泣いているのかもわからずベッドに潜り込みただ涙を流した。

 テーブルクロスにも雨避けにもなるあのショールとは違い、真っ白なシーツが私の涙を受け止め滲んでいく。


「さようなら」

 私の初恋。
 今だけはこのシーツのように私の恋を受け止め、明日からはあのショールのように涙なんて最初から流してなかったように振る舞うから。

 今だけは、娼婦ではなくただのサシャとして――
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