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第一章:選び、選ばれるように

2.はじめる決意を固めたわ

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「お嬢様の宮へご案内致します」
“お嬢様……!?”
 
 アルド殿下の執務室を後にした私に一人のメイドが声をかける。

 メイド長ではなく、見るからに若いメイドが来ただけでも私のこの国での待遇を表しているというものだろう。

 もちろんそれだけではない。

 人質だとしても、一応は正妃で嫁いだ私を王子妃や王太子妃ではなくお嬢様呼び。
 それは『どうせすぐに追い返されるのだから』という蔑みを含んだ言い回し……なのだが。

 
“い、家ではそんな呼び方されなかったわ……!”

 望まれなかった三人目の姫である私を冷遇する家族のせいで、王宮の使用人たちも私を構うことなんてしなかった。

 私を姫様と呼んでくれたのも、お嬢様扱いをしてくれたのも専属護衛のジークだけで――


「貴女、名前は?」
「ッ」

 私が声をかけると、その若いメイドがビクリと肩を跳ねさせる。

“怒られると思っているのね”

 正妻という肩書もやはりただの人質という印象には勝てないようで、だからこそ彼女自身も不敬だとわかっていて口にしたのだろう。

 いや、もしかしたら彼女を私の出迎えに指名した者から唆されてそう呼んだのかもしれない。

 だからこそ人質という弱い立場の私がまさか名前を聞いてくるだなんて想定外だったはずだ。
 

 どこか猫のような彼女が私を警戒し、なんて返答するべきか迷っている姿を私がただただじっと見つめていると、観念したのか渋々名前を教えてくれた。

「……ミィナと申します」
「ミィナね!」


 パンッと両手を叩くと驚いてギュッと両目を瞑るミィナ。

「私、貴女を叩いたりしないわよ?」

 一応そう伝えてみるが、その言葉すらどう受け取ればいいのかわからず戸惑っているようだったので、勢いに任せて彼女と手を繋ぐように右手を握った。

「ね? こうして手を繋いでおけば安心でしょ。ほら、早く案内して頂戴」
「え……、あ、はい」

“女の子の手って、こんなに柔らかいのね”

 残念ながら私の手は剣だこのせいで柔らかさはあまりないので、彼女のその女性らしい手が少し不思議でついむにむにと感触を確かめてしまう。


 そしてだからこそ、彼女のその柔らかい手が少しかさつき荒れていることにも気が付いて。


「私の持ってきた荷物はミィナが宮まで運んでくれたの?」
「あ、はい。トランク一つしかありませんでしたので」
「そうなんだ、ありがとう」
 
 ちなみに持参金もなしだ。
 人質として身を差し出すのだから不要だと体裁すら整えて貰えず、それもここでの冷遇のキッカケになっているのかもしれない。

 出来れば愛用していた剣くらいは持込みたいところだったが、輿入れで剣を片手に単身乗り込むのはあまりにも物騒すぎると青い顔になったジークに諭され断念した。 

“まぁ、確かに暗殺容疑とかかけられてもやっかいだしね”

 それに愛用だったが、特別思い入れがあった訳ではなかったので剣自体に未練がなかったのは不幸中の幸いだろう。


“出来れば木剣でもいいから欲しいわね、鍛練しないと鈍っちゃうわ”

 
 ――なんて考えていると、あっさりと目的地へとたどり着いた。

「王子妃宮って、思ったよりも近いところにあるのね」
 
 思わずそう呟いて、すぐにハッとし口を閉じる。
 ミィナには聞こえていなかったようでほっとした。

“近いなんて当たり前よ、本当なら夫となった王子が通う場所だもの”

 そんな当たり前のことにも気付かなかったのはアルド殿下に通う気が全くないからだわ、なんて責任転嫁しつつミィナに続いて部屋へと入る。

 通された部屋は落ち着いた色で全体がまとめられており、想像よりもずっと居心地が良さそうだった。
 

 遠目でも品質の良さがわかる家具に、ふかふかしていると断言できるベッドにソファ。
 クッションも何故こんなにあるのかわからないが積まれていて、その上で寝転ぶだけで眠れそうなほど。

 壁にはリヒテンベルンに似た風景の絵画が飾られており、そしてその広々とした部屋の中心にポツンと置かれているのが私の荷物だった。


「では、私はこれで」
「あ、ミィナ待って」

 案内を終えたミィナがそそくさと部屋から出ようとしているところへ声をかける。

 そして自身のトランクから小さな小瓶を取り出した。
 

「これ、私がずっと愛用している保湿液なの。手荒れにも効くから使ってみて」
「え……」

 そのまま小瓶をグイと押し付けるように手渡すと、ミィナがその小瓶と私の顔を交互に見る。

 戸惑う彼女が可愛くてにこりと微笑むと、じわりと彼女の頬が赤く染まった。
 根は素直な子なのだろう。
 

「そんなに高いものじゃなくてごめんね」
「いえ。その、ありがとうございます」
「どういたしまして」


 ぺこりと頭を下げた彼女を今度こそ見送ろうとした私は、ふとあることを思い出す。

「そうだわ、私のことはこれからもお嬢様って呼んでいいわよ」

 出ていこうとしている彼女の背中にそう声をかけると、あからさまにビクリと肩が跳ねた。

“本当に可愛いんだから!”

 今度こそ叱られるのかと思ったのか、それとも保湿液を渡したことで彼女の中で罪悪感が芽生えたのか顔色を悪くして振り向くミィナ。
 そんな彼女にくすりと笑った私は再びにこりと微笑みを向けた。

「お嬢様って呼ばないと周りのメイドから、乗り替えたのか、なんて言い掛かりを付けられるんじゃない?」
「そ、れは……っ」
「それに私、『お嬢様』なんて呼ばれたことがなかったの。だから少しその呼び方に憧れていたのよ。もちろん蔑み目的で言われるのは悲しいけど……ミィナはもう、そんな意味では呼ばないでしょう?」
「ッ、は、はい。もちろんでございます……、お嬢、様」

 少し辿々しく呼ばれた『お嬢様』は、最初に呼ばれた時よりもくすぐったくて心地よくて。

“やっぱり悪くはないわね”

 なんて私に思わせたのだった。

 
 
「そういえばこの部屋って誰が準備してくれたの?」

 それはふと気になって何気なく聞いた言葉。

“わざわざリヒテンベルンに似た風景画を飾ってくれているのだもの、きっとこの絵画は人質である私の心が少しでも晴れるようにという配慮なのよね”

 嫁いで来たばかりだというのにもうどこか懐かしいこの風景が飾られているのは、きっと偶然ではなく、単身嫁いで来た私の心を少しでも慰めるため。

 だからこそ機会があるかはわからないが、もし可能なら一言お礼を言いたいと思ったのだが――

 
「こちらは王太子殿下がご指示されたと聞いております」
「そうなの?」

 その想定外の人物に思わず目をパチクリさせた。

“アルド殿下が私のために?”

 そう思うと、私の心がじわりと温かくなる。


『貴方を指名します』なんて言ったくせに、本当は少し自信がなかった。
 好きになって貰えるか、ではなく私自身が好きになれるかどうか。


 彼からされた提案も、あまりにも失礼ではあったものの、それらは私にとって不利益になるものはひとつもなかった。

 むしろ人質である私が王子妃だからとでしゃばる方が危険が多い。


「なによ、いいとこだってちゃんとあるじゃない」

 ふふ、と思わず笑みが溢れ口角が上がる。


 ――きっと大丈夫。
 私は彼を好きになれる。

 そしてその気持ちが、この国で私を支える柱になるから。

“これからやりたいことがいっぱいあるわ”

 王女らしいことはあまりしてこなかった私は、きっと失敗することも多いだろう。

 上手くいかないことばかりで、旦那となったアルド殿下は現状味方とは言いきれないけれど。


「まずはこの国のマナーを学ばなくちゃ。社交だってしなきゃだし、視察にだって行きたいわ」

 まだお互い好きではない旦那様と一緒に。


「私の方は、はじめる決意をしたんだから覚悟なさい。誰と恋してもいいって約束したのはアルド殿下なんだから」

 私はそう小さく、だがハッキリと声に出し今日から暮らすこの部屋を再び見回したのだった。
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