アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第三章 第十話

100 機嫌のいい蒼

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  嫌だ、離せ、そんな抵抗の言葉を言おうとしても背中の傷に触れられると痛みが走って呻き声しか出てこない。それが蒼を愉しませるハーモニーになると分かっているのに、聖月は悲鳴をあげることでしか今この狂いそうなる痛みを気を紛らわせられない。
 もし今が性行為中だったらよかったのに、と思う。
 そうだったら感覚がなくなって、こんな痛みなんて感じないのに。
「い、ッぅうッ」
 悲痛な聖月の痛みを訴えるが、逆に蒼は楽しそうに笑っている。人を嘲る下品な笑みだった。
「ずいぶん痛がるな? 鞭で打たれるより痛そうじゃねぇか」
「ッあっ」
 指摘され演技である悲鳴とホンモノの痛みの悲鳴が違うことを知り聖月は顔を青ざめる。だが蒼は聖月が思っていた最悪の事態―――いつも聖月が演技をしていることに気づいたわけではないようで、蒼にとって都合のいい解釈をした。
「鞭より、俺の手が痛いんだなぁ?」
「…ッぅぐっ!」
 嬉しそうに言った蒼は、さらに爪を立てた。
「グっ!あっぅ!」
 傷口が開いていく感覚がした。痛すぎて目の前が真っ赤に染まる。奥歯を噛み締め、なんとか背中の激痛に耐える。蒼の容赦のない傷口を抉る行為に冷や汗が止まらない。
 聖月が痛みに耐え、悶絶していると蒼が何か面白いことに気づいたようで聖月にクスクスと笑いながら囁く。
「…お前、マジで変態だな。硬くなってる」
「ッ」
 蒼の指摘に思わず視線を落とす。しかし見ようとした視界はすぐに暗く覆われる。
「――ッ」
「…馬鹿か。引っかかってやんの」
 聖月が動揺した隙をついて蒼は聖月を抱き寄せた。瞬間背中に力をこめられ声にならない悲鳴をあげる。激痛が、衝撃が、身体を巡った。瞬間、蒼が嘘をついていたのだと気づく。聖月が痛みを堪えながらなんとか温かい身体から逃れようとする。
 だが、逃げようとすると、背中に爪を立てられ身体に耐えようもない痛みが走る。
 古傷を抉る行為は、新しく鞭で傷を作られるよりも辛い苦痛だった。
 行為中は何も感じなくても、のちのちその傷はじくじくと痛む辛さは何度も味わってきた。だがそういうときは痛み止めの薬を飲み、薬を塗れば収まった。だがその癒したはずの傷が一斉に痛み始めれば、鞭で打たれるよりもっと苦しい痛みを味わう。
 その痛みは、今まで感じた中で一番の激痛で、聖月の精神と身体は酷く消耗していた。
 背中が発熱したように熱い。聖月は自然に流れる涙をこらえることはできなかった。
「大人しく俺の部屋に来いよ。そしたら背中から手を離してやる。悪くない提案だと思わないか? セイ」
 いつもだったら、抵抗し隙を見て逃げ出していただろう。だが今の聖月には、そんな考えは浮かぶほど余裕もなかったし、逃げ出すほどの体力も残ってはいなかった。あるのは痛みからの解放の望みと、今の状況から助けてほしい―――そんな切実な想いだけだ。
 くすくすと鈴のように笑いながら聖月の源氏名を呼び、救済策を出す蒼はまるで助けてやるから心臓を差し出せという理不尽な悪魔に他ならなかった。
 聖月は奈落の底に落ちると分かっているのに、悪魔に縋りつくしか痛みからの解放はないと身体を弛緩し項垂れ抵抗をやめた――――。
 
 
 
 ドアの閉まる音と、カギがかかる音が自分の部屋と同じ間取りの部屋に響いた。
 まるで死刑宣告を受けた気持ちになる。結局聖月は蒼に着いていき、彼の部屋に連れていかれた。背中の傷を盾に蒼は聖月を脅した。そして無理やり聖月は、蒼の部屋に入れられてしまったというわけだ。
 蒼の部屋に来るのはとても久しぶりだった。聖月にとっては好き好んでいく場所じゃないからそれは当たり前のことだった。
 暗い部屋の電気がつけられ、廊下を二人で進むと、聖月の目にモノトーンの色で整えられた無機質な蒼の部屋が映った。最低限の物しか置いていない部屋は妙に綺麗で、蒼の見た目によらず(そう言ってしまうのは失礼だが)綺麗好きだという蒼の性格が表れている。
 前に来た時と同じ完璧な配置の家具たちにどうしてか怖くなり聖月の背筋が凍る。
「は、離せよ…」
 聖月は全身に汗をかきながら、いまだに背中に触れている蒼の手の感触に怯えていた。
 だがそんなことを悟られたくなくて、声に棘を含ませる。蒼はこの部屋に向かうまでも、時折聖月の反応を見るためだけに爪を立てた。聖月はそのたび身体を強ばらせ、痛みに耐えたのである。その時のちらりと見えた蒼の悪魔のような笑みは思い出したくもない。
「そんなに怒んなって。あーすっげ、血ィついてる」
「っ、」
「ごめんって。ほらお詫びに薬塗ってやるからさ」
 蒼の手に少しついていた自分の血を見せられ、蒼の行動に反応が遅れた。ベットに無理やり押し倒されたのだ。瞬間的にマズイ、と本能が感じたがベットに背中が触れ身体が悲鳴をあげるのが先だった。
「う、わっ」
 本来なら怪我をしている人にするべきじゃない荒々しさで、蒼は乱暴に聖月の意思を関係なく、うつ伏せにさせられ蒼が馬乗りに乗った。身体が逃げようと動いても蒼が乗っているので、ビクともしない。彼の腕はベットの引き出しに伸ばされ、薬を見つけると聖月に見せつけた。
「じ、自分でできるからいいっ」
「謝りたくてやってるんだから、野暮なこと言うなよ」
「俺の気持ちは無視かよ…ッ」
 無理な体勢で蒼を睨みつけると、蒼は目を細めた。それがどうした?―――そう目が彼の心を表している。そして言った言葉は、あまりに聖月にとっては残忍なモノだった。
「何嫌がってんだよ。大人しくしてないと、手が滑って傷が増えるかもよ?」
「……脅しかよ」
 聖月は目の前の男のその言葉で大人しくすることに決めた。冗談めいた蒼の言葉は、彼だったらやりかねない、いや平気でやることだと判断したからだ。これは忠告でもなんでもなく、ただの暴力を持った脅しだ。
 だが聖月もやられっぱなしじゃやってられない。聖月は小さく悪態をついて心を落ち着かせようとした。
「そうだよ。やっとわかったか?」
 その悪態は蒼にも聞こえていたようで、耳元にぞくっとするほどの甘い声で囁かれる。背中に痛みとともに、ぞくっと震えが走った。
「うるさい。さっさとやれ」
「…活きがイイお客さんだな」
「誰が客になったんだ」
 蒼が体重をかけながらの言葉に聖月はムッと眉を顰めた。
「俺が奉仕するんだ。立派な客だ。金をとりたい位だよ」
 ふふんと得意げに話す蒼に聖月はため息をつく。本当に蒼は機嫌がいいらしい。
「…背中に薬を塗るだけなのにずいぶん偉そうだ…」
「…今日は流してやるけど。今度そういうこと言ったらフェラチオさせるぞ」
「………」
 それは勘弁してほしい、聖月は降参だと意思表示をするため両手をあげると蒼は楽しそうに音を立て笑い、聖月のシャツを捲りあげた。窓の外に見える月はとても大きく丸くて、聖月はついそちらを見てしまっていたのだった―――。

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