アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第二章 第七話

74 悪夢 スコール

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 ◇◇
 
 それから一週間たった平日。じわじわと侵食する夏の天気が恨めしくなっていく。大学の冷房から離れると、こんなにも暑いのだと聖月は思い知る。午後15時ほどだっていうのに、なんでこんなに暑いのだろうと悪態をつきたくなる。
 シャツにうっすらとくっつく自分の汗が嫌になってくる。
 聖月は大学を出たところで、十夜に会った。
 いつも通りの艶やかな笑みを浮かべ、こちらに向かってくる。夏の暑さなんてどうでもよくなっていくような笑みだ。手を挙げながらの笑みは、爽やかさと十夜の色香が引き立って見える。偶然会ったというには、どこかドラマチックに思える。
 彼もシャツにジーパンといった格好だったが、爽やかさが聖月とは段違いに違うのが目に見えてわかる。
「よお、元気か?」
 色っぽい容姿の十夜に聖月はため息をつきたくなる。
 なんでこんなにも、神様は不公平なんだろう。
 聖月はあまりにも自分の容姿がちっぽけなものに思えて、ついぶっきらぼうに答えてしまう。
「ん…まあ」
 だが、十夜はふとすれば不機嫌に見える聖月の言葉をすらりと交わす。
「聖月も、今終わった?」
 天は二物を与えたのかと思えるぐらいに、十夜はカッコいい。
 十夜の問いに、聖月は首を振る。
「講師がこなくなって休みになった」
「マジかよ」
「うん、マジ」
 聖月がいうと、十夜はあははと笑った。
「じゃあ一緒に帰ろうぜ。なんなら、俺んちくる?」
「行っていいんだ?」
「いーよ。ほら、行こう」
「うん」
 十夜との気兼ねない話に、聖月はほっとする。この頃は色んなことがあった。寮にもあまり早く帰りたくなかったし、十夜の言葉に聖月は甘えることにした。十夜は聖月の言葉に、嬉しそうに笑って肩を引き寄せる。
 十夜の手は大きい。それをぼんやりと感じながら、聖月は身を任せた。
 十夜の家に向かっていたら、空の雲行きが怪しくなってきた。先ほどまで明るかった空が、暗くなっていく。
 二人で訝っていたら、案の定ポツリと雨が降ってきた。はじめは少なかった雨も、時間が立つにつれてバケツがひっくり返ったような暴雨になっていった。
「うわあ、ヤベえ。聖月、走れ!」
「うんっ」
 十夜にせかされて、聖月は走る。走るたびにばしゃばしゃと水がはじける音が聞こえる。歩いていた通行人も慌てて走って屋根のほうに向かっていった。
 スコールにも思える雨は、周りの音をかき消していく。
 降水確率30パーセント。
 そんな今日のテレビのアナウンサーの声が思い出される。やっぱり天気予報は猛暑においては、あてにならない。聖月は、十夜の大きな背中を追いかけた。傘なんて持ってきてなかったので、ずぶ濡れに濡れてしまっている。
 轟音の雨が降りしきるなか、二人は走って十夜の家に向かった。
 着いたころには、二人は濡れたネズミのようになっていた。
「うわーー、すっげえびしょびしょ」
「これ、十夜んちに入ったらいっぱい濡れちゃうよ」
 屋根のある十夜の家の玄関で、二人は息を乱しながら呼吸を整える。
 十夜を見ると髪も風呂に入ったのかと思うほど、びっしょりと濡れている。黒いシャツはぴっちりと水に濡れて、くっついていた。ジーパンは水を吸い込み、色が変わっている。鞄も何もかもがびっしょりと濡れてしまっていた。
 それは聖月も同様で、肌にくっつく衣服の感触が気持ち悪い。
「…っ」
 背中は、熱を持ったように熱く痛む。何年も前にやられた鞭の傷跡が、じんわりとしみるように痛む。聖月はじんじんと痛むその痛みに耐えた。
「俺、タオル持ってくるから。聖月は玄関に入って待ってて」
「え…でも、びしょびしょだよ、俺…」
「外で待ってんのも寒いだろ。風邪ひいたら俺がいやだから中入って」
 十夜が玄関のドアを開けて、聖月にいう。
 彼の目が射抜き、聖月はおずおずと中にはいった。このまま入ったら、玄関まで濡らしそうだ。十夜がドアを閉めると、雨音が遮られて、どこか異世界にいるような気分になっていく。濡れたまま聖月は、十夜が戻ってくるのを待った。
 十夜の家はむせ返るような薔薇の香りがする。
 それがどこか、脳内をどこか埋没させた。
 しばらくたって、上半身裸の十夜がタオルを持って現れた。
「は、裸…」
 聖月はびっくりして目を見開かせる。
「いやだって、すんげーくっついて嫌だったし。ほらタオル」
 それもそうかと思う。
 十夜の上半身は、ほどよく筋肉があって、男らしい。これが男の色気なのかと疲れ切った頭でぼんやりと思う。
「ありがとう…」
 聖月は渡されたタオルで、髪を拭いた。タオルまでも薔薇の香りがして、頭がぼうっとした。鞄を持ったまま拭いていたら、十夜が手を差し出した。それ貸してと言われて、鞄を渡す。十夜はガシガシと頭を拭きながら、リビングのほうへ向かっていった。
 全身を拭いていたら、十夜が戻ってきた。
「靴脱いであがって。靴下も濡れてるだろ?」
「え…うん」
 はっきりいって足を動かすたびにぐちゅぐちゅと聞こえる程、びっしょりとしている。聖月は有無も言わさぬ十夜の目線に耐えきれず、玄関に座り、靴と靴下を脱いだ。
「それ乾かすから、貸して」
「ごめん…なんかすごい迷惑かけてる…」
 至れり尽くせりの状態で、聖月は申し訳なくなって十夜に謝る。
 十夜はからっと笑って、口を動かす。
「いいって。それにしても急に降り出したな。スコールみたいだ」
 十夜の言葉に、聖月は頷く。
「異常気象だ、ほんと」
「だな。じゃあ乾かしてくるから、リビングに入ってて」
「うん、わかった」
 十夜にありがとうと言って、聖月は洗面所に向かった十夜を見つめた。聖月はできるだけ濡らさないように、完璧に身体を拭いてからリビングに向かった。裸足で歩く廊下は冷たくて、ぴったりとつく衣服の感覚が奇妙だった。
 遊ぼうと言ってくれたが、これじゃあそれ以前の問題だ。
 拭いて濡れて重くなったタオルを、リビングにあった机に置く。いつも通り、十夜の家のリビングはとても広い。やっぱり豪邸だなと、何度も思った。
 ぼんやりとリビングで立っていたら、息をのむ声がどこからか聞こえた。
「聖月…?」
 自分を呼ぶ声がとても不安そうで、聖月は心臓がドクンと跳ね上がる。その声は、どう聴いても十夜で、その震えた声からは、一種の示唆が含まれていた。
 後ろに振り向くのが恐ろしくなって、聖月は動けなかった。どうして、十夜はそんな声をあげるのだろう。泣いているような、怒っているような、哀しんでいるような、全ての不安が混じり合った声だった。ざあざあと遠くから聞こえる雨音が、静寂を切り抜いていく。
「な、んだ…これ? どう…したんだ、その傷…」
 パリンと、日常が壊された音が聞こえた。
「…っぁ」
 聖月は一瞬にして、目の前が真っ暗になった。
 奈落の底に落ちた感覚。
 十夜の言葉は、掠れていた。聖月はあまりのことで、固まって動けない。
「な…んで…。なんで、何も言わないんだ…聖月…」
 言えるわけないじゃないか。
 聖月は、十夜の声に耳を塞ぎたかった。だが、それすらもできないほど動揺していた。何か話さなければいけないとわかっていても、出てくるのは浅く息する死にそうな自身の呼吸だけ。足音が近づき、声も近づいてくる。
 だも、聖月は口が震えて何も言えなかった。
「なぁ…何があったんだ…、そんな傷…いつ…」
 十夜の震えた声は、動揺していた。
 その聞いたこともないような十夜の声が、これが現実だと思い知らされた。
「…っぁあ゛…」
 聖月は、触れてくる暖かさに、どうしようもなく震えた。言葉は声にならず、掠れた呻き声が漏れた。
 十夜が聖月を後ろから抱きしめる。十夜の体温は温かくて、現実味がない。触れた背中の傷跡が、じくじくと毒が回っていくように痛む。絶望が、侵食しているようだ。
 夢だったら、どれだけいいのだろう。
「聖月、みつき……みつき…」
 十夜があやすように、聖月の名前を呼ぶ。
 確かめるような、信じられないような、そんな不安げな―――子供のような声だった。
「何されたんだ、みつき…? なあ、言ってくれよぉ…。聖月……」
 十夜も泣いていた。十夜の涙ははらはらと、聖月の首元に落ちる。
 ぎゅうっと、しがみつく十夜の腕が痛い。だが、もう聖月は自分の置かれた状況に打ちひしがれていた。
 大切な友人の顔は見えない。だが、十夜はきっと聖月のために泣いているのだ。
「…あ、ぁ、っ、ひっく、…あぁ゛…」
 ―――もう戻れない。
 聖月は何も語ることもできず、ただ十夜の温かさを感じながらしゃくりをあげて泣いた。泣いても泣いても、時間は戻らない。神様は自分を許してくださらなかった。それだけが、わかった。聖月は今すぐにも消えてしまいたかった。もう生きていても、しょうがない。もう、だめだ。
 嗚咽を繰り返し、聖月は十夜にごめんなさいと何度も心の中で叫ぶ。何度も、何度も、何度も。
 そんなことをしても、もう戻れないとわかっていたけれど、何度も十夜に謝った。
 ―――確実に、歯車が狂っていくのを、聖月は感じていた。
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