アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第一章

第四話 40 ファーストキス

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 思わず、息を止めた。蒸し暑い部屋の温度が、すうっと下がるような感覚が聖月に襲い掛かる。
「なんなんだよ…」
 聖月は信じられない気持ちで、小さく呟いた。意味が分からない。どうして、ここに蒼がいるのか。どうして、目の前で聖月に向かって、妖艶に微笑んでいるのか。意味も分かりたくなかった。
「なんでここにいんだよっ……」
 頭がシャッフルされているみたいだ。叫んだ声も、掠れた。迫力はあまりないのかもしれない。だけど、でも――それでも聖月に与えた衝撃は大きかった。
 まず、ここに蒼がいることが許されない。いてはいけない存在だ。―――なのに、なんでいるんだ?
 聖月は、ぼんやりとした頭で考える。だが、どう思考回路しても答えは出てこない。知っているのは、小向か、その当の本人である蒼だけだろう。
 ここに――施設に来てから、驚いてばっかりだ。もしや、今までのことも質の悪い冗談だというのだろうか。聖月を驚ろかそうとしているだけの遊びか。それか、冗談のきついドッキリだろうか。頭がくらくらしてきた。
「なんでって、仕事だから」
 しごと。
 仕事…――。また、仕事か。
 蒼が言った言葉が、聖月の脳内で、夜の外灯に群がる蛾のように、ぐるぐるそこだけが回っている。ああ、本当になんなんだろう仕事って。兄の働いているような誇らしいものではないのか。どうして、こんな頭がおかしいんじゃないかと思ってしまうモノをこの人たちは仕事なんていうんだろう。聖月は、呻くように蒼を見詰めた。
「そんなのを仕事っていうのかって言う目してんね」
「……」
 何も言わず聖月は俯いた。かっと、頭に血がのばる。図星だったからだ。蒼の言う通り、聖月はこんなのが仕事なんて思わない。こんな、こんな…人の尊厳が踏みじられる行為を受けるのが、さっきの青年や蒼の仕事だとはどうしても考えたくなかった。
「……」
 口を開こうとしても、うまく言葉が出てこない。
 喉に声が張り付いて、声がでないといったほうが正しいのか。恐怖がどんどんと支配していく。沈黙が怖かった。いや、こんな状態ではどんなことをされても、恐怖に感じるに違いない。聖月は、蒼がどんな顔をしているのか気になって恐る恐る顔を上げた。
「なに、そんな顔をして誘ってんの?」
「さ、さそッ」
 蒼が驚くようなことを俺に向かって言った。さっきまでの恐怖心が、別の感情で支配されていく。驚き、だ。
 こんな馬鹿みたいな冗談を言うのは、十夜ぐらいだ。十夜も、たまにこんなことをいって聖月をびっくりさせる。だけど、十夜と今の蒼で違うのは、その目だろう。十夜が軽く言った言葉とその瞳には、からかいの感情が映っていた。が、蒼の瞳は明らかに違う。
 今の言葉を、本気に思っている熱い妬けそうな視線。熱っぽいまなざしに、その気がない聖月でもころっと蒼に落ちてしまいそうだ。その気ってなんだ、その気って…――なんて自分に心の底でどこかつっこみながらも、驚きを隠せなかった。
「誘うって何だよ…」
「そんな、目をしてたらさ」
「いっ、意味わかんねえ…!」
「だって、泣きそうな目でこっち見られたら…男だったらそう思うだろ」
「からかうのも、いい加減にしろっ」
 耳を塞ぎたかった。蒼はいったいなにを馬鹿なことをいっているんだろう。十夜も、ときたまこんなことを言う。この前も言われた。だけど、蒼の言葉は重みが違う。本当にそう思っているといっているような表情で。
 ―――そんな顔で、俺の顔を見ないでくれ。
 蒼の言葉に、振り回されている自分が恥ずかしくって仕方がなかった。まわりの大人たちが、くすくすとどこからともなく笑っている。誰かも分からない大人に、見られてるのを心臓が痛くなる思いでいっぱいになる。
「からかってないんだけどな。信じられねえの?」
 グイッ、と髪をおもむろに引っ張られた。先ほどの男のような乱暴な行為をされて聖月は驚いた。この人は本当に昨日お腹の空いていた聖月におやつをくれた人なのだろうか。
「い、イタイイタイ! やめろっ」
 あまりの痛さに、大声で叫ぶと一緒に涙まで出てきた。聖月はこの涙と同じように、ここの部屋から流されるようにして出て行きたいと思い始めていた。そんな痛みに喘いでいる聖月に、蒼はまるで子供みたいに笑う。
「あーあ、やっぱり最高だな、おめぇって」
「何いってんだよ…っ」
 聖月を痛めつけているのに、彼の言葉は、彼の表情は明るいものだった。この聖月が痛がっている姿を見て、まるでゲームをして楽しんでいるみたいだ。まるで今の蒼が無邪気な子供みたいで、聖月は身体の底からぞわぞわとした悪寒が走る。蒼はこの状態を楽しんでいるのだ。
 どうしよう、やばい。
 そう、何度思っていたことが、だんだんと洒落にならないぐらい明確に思うようになってきた。早く逃げよう、逃げないとだめだ――と思っても髪は相変わらず蒼の手のなかだ。これでは逃げられない。
 しかも、逃げたところで捕まるのがオチだろう。だけど、逃げないと明らかに危険な状況に陥るのは明確だ。
「こっちに集中しろ」
 考え事をしていた聖月の耳朶に、蒼の冷たい囁きが入る。びくっと、急にトーンが落ちたことに肩を震わすと、すべてを見透かすような瞳で、目の前の男が聖月のことを欲望を感じている熱っぽい視線で凝視していた。
 まるで、スローモーション画像を見ているみたいに、ゆっくりと蒼が聖月の頬を優しくなでる。射抜くような、眼差しに聖月は動くことが出来なかった。
 だから――聖月は、彼の次にした行動に気づくまで時間がかかった。
「んっぐっ…ッ!」
 急に目の前が真っ白になる。いや、違う。聖月は、自分の唇に触れているものが信じられなかったのだ。
 美しく弧を結んでいた蒼の唇が、自分の唇を貪るように塞いでいる。そんな倒錯的な光景に、聖月は驚き、かたまってしまった。また、夢を見ているんだろうか。じゃなきゃ、こんなことはありえないのに。聖月が呆然としていると、無理やり口の中に舌が進入してきた。
「んぐうっ…! ぅうっ、や、やめっ」
 ぬめりとしか感覚に、聖月は慄いた。蹂躙している舌は、本当にこれは現実かと聖月は思いたくなるほど、甘かった。知らない感覚に、声が漏れる。自分の声じゃないみたいで、聖月はほろほろと泣きながら呻いた。
 口の中に感じた涙のしょっぱい味で、聖月ははっとなり蒼を突き飛ばした。
「は、はぁ、はぁ…っ、な、なにすんだよっ」
 息も絶え絶えになりながら、聖月は叫んだ。最悪だ。最悪どころじゃない。男にディープキスをされたことがショックで、聖月は呆然としていた。意味が、分からない。どうして、自分がこんな目に合わなきゃならないんだろう。
 どうしようもできない聖月はただ涙を流し続けていた。はらはらと、滴が頬を流れ落ちる。
 蒼に今さっきキスをされた。しかも深いほうだ。キスの経験は、まったくもって未経験だった。つまり、聖月は男にディープキスをされたのが初めてということになる。なんということだ。最悪、最悪すぎる。しかも、されたのは蒼だ。なんで彼は、こんなことをしたのだろうか。
 なんで、されたのかも分からないし、まったくこの部屋にきてから分からないことだらけだった。泣きたくなる。どうして、こんな目に俺はなっているんだろう。
 ―――ああ、どうして。もう嫌だ。
「キダ」
 小向がふいに、声を青年にかける。
 はっとして、その青年を見ると、20代ぐらいの爽やかなスポーツマンといった風貌だった。ほどほどに顔も整っていて、スタイルもいいし、身長も高い。ここには、似合わない容姿でこの異質な空間にいることが信じられない。
 少し狐っぽい顔をしたキダは、優しく微笑んだ。
「はい。わかりました」
 そう言って、キダは聖月に近づき手を伸ばした。
 その手を聖月は、無意識にとっていた。拒絶すればいいのに、なぜか聖月には出来なかった。もしかしたら、期待しているのかもしれない。この青年がこの異質な空間から、自分をそのまま連れ出してくれる――と。
 が、そんなはかない希望は簡単に崩れた。
 ゆっくりと手を引いて、連れて来られた停止した場所にはロープが一本天井からぶら下がっていた。恋人にでもなったかのように、優しい手で聖月の手を包んでいる。
 だが、キダの手にロープが持たれたと思うと、慣れた手さばきで聖月のキツく両手を縛った。
「えっ、なんで…」
 聖月は、突然のことにびっくりして、ろくな抵抗も出来なかった。これでは、動けない。一歩も歩けず、何も…出来なくなってしまった。引っ張ろうとしても、上のロープがゆらゆら揺れるだけで、びくともしない。
 やられた、と悟った。いや、違う。勝手に聖月がだまされただけだった。
 縋るような視線を送ると、キダは笑みを浮かべる。
「君はもう逃げられないね…。残念…可哀想に…」
 キダは、熱い目線で聖月を見ながら舐めるような囁きを聖月に静かに落とした。
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