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6 箱庭の異物
しおりを挟む高級ホテルのような煌びやかなトイレに駆け込み、樹は顔をバシャバシャ荒々しく水で洗う。少し涙が浮かんでいた顔が、びしょびしょになって涙が流れていた事実はどこにも見えない。
「ふ—…っ」
備え付けられていた紙で顔を軽く拭くと、樹は息を吐き出す。鏡で濡れた顔を見ると、いつもより白い自分の顔が鏡に映っていた。二重になったり一重になったり毎日変わってしまう平凡な配置にある黒い眼。高くも低くもない鼻。カサついている唇。凡庸すぎる顔を見ると、ため息を吐く。
昔の樹は本当に可愛かったんだけどねぇ———…。
母がたまに言い出す言葉を思い出して、もっと気分が重くなる。樹の小さい頃は、少女に間違われる程目が大きくて、肌ももちもち、ぷりぷりとしていたらしいのだ。樹にとっては過去の栄光すぎて、毎回母にキラキラとした目で言われるたびに「うるさい」としか言えない。
外に出かけるたびに声をかけられたとか、可愛い可愛いと病院でもアイドルだったのよ、などなど。たしかに写真を見せてもらった時、赤ちゃんの時の自分はホントに自分か?と思う程目が大きかったし、幼稚園は赤い頬や丸っこい顔や華奢な身体が女の子でも通ずるものがあった。
だが樹の栄光は長くは続かなかった。成長するたび目は小さくなり、顔も昔の可愛さが見る影もなくなり。モチモチの肌は、カサカサの肌になって今では普通の男になっているわけだ。成長というものは、いつだって残酷なものだ。
———俺もあのまま育っていたら、あ—ちゃんみたいにカッコよくなれたのかな…。そこまで考え首を振る。そもそも明日は土台が違うじゃないか。明日の小学生の時はもっと…——。
『あっ、クソ日本人』
「っ」
思考を途切れさせたのは、突然の来訪者の登場だった。樹の身体をやすやすと超える程の身体。黒の革ジャンをこんなに格好いい着こなしが出来る人なんて限られている。荒々しいネイティブの発音で、樹の後ろに立ったのはリアスのメンバ—であるジャックだった。思わず振り向くと、ジャックは圧倒的なオ—ラでそこに存在していた。近くで見ると、男の色気というものを全部取り込んだ顔をしていることが分かり、樹は呆けてしまう。挑発的な目線に、彫りの深い顔立ち、逆立った赤髪。眉毛も赤く、目の色は深い色をしたグリ—ンで一度見ると目が離せなくなってしまう。
『さっきからアスがお前にピッタリくっついてるけど変な勘違いすんなよな。アイツはスキンシップが激しいヤツなんだから』
野獣のようなオ—ラと容姿で、荒っぽいことを言われると様になり樹は何も言えない。むしろ、カッコいいなんて思ってしまった。フン、と鼻で笑われたが、カッコいいので何だか自分に対して言っているようではないような気がした。
『おい聞いてんのかよ、お前英語分かるんじゃねぇの』
「あっ…」
新緑の瞳に睨まれて樹はビクつく。思わず見つめてしまって、反応が出来なかった。流れるように自然な手つきで顎を手で上げられる。突然の触れ合いに、身体が硬直する。背中に洗面台がぶつかり、シンクに後ろ手で触れた感触がした。スタ—にじっと見られ、樹はどうしていいのか分からず目をうろうろとさせた。厚い唇が、低い声を呟いた。
『さっきのことアスに言ってねえよな?』
『えっ…ぁ…言ってないです…』
何とか答えられたが、先程の言葉が蘇り、もやっとしてしまった。
———調子乗んなよ。…アスに気に入られてるからって。
『…ふぅん。だったらいいけどよぉ。ま、お前にそんな度胸があるとは思えないしな』
樹に対する嫌悪を隠そうともしないジャックに、ある意味カリスマ性を感じた。ここまで初対面の人に、悪態をつき、罵声を浴びせられるのはある種の才能なのかもしれない。…自分のことがただ気に食わないだけだろうが、考えないでおこうと思った。ぱっと手を離され、ほっとする。
『アスもなんでお前のことそんなに気に入ってんのか知らないけど、ニコニコしやがって』
樹を一瞥し、ちっと舌打ちする。
『あぁ、お前からも言ってくれよ。日本じゃなくて、オ—ストラリアに戻ろうぜって』
『え…っ』
それはどういう意味だろうか、と聞こうとした時だった。綺麗な声が聞こえてきたのは。
『あれっ、ジャックもいたんだね』
目の前に現れたのは、リアスのリ—ダ—、ト—マスだった。彫りの深い顔立ちにさらさらとした金色の髪、青い綺麗な目。優しそうな顔立ちだが、気品が溢れる風貌で王子らしい。Yシャツに黒いスラックスというスタイルの際立つ格好で、私服でさえ洗練されていると感じた。樹は突然の大物スタ—の登場に固まる。キラキラとしたものが彼の周りに浮いている気がする。
個人的に樹はト—マスのファンだったので、顔が赤らんで、恥ずかしさで身体がそわそわと落ち着かなくなってしまう。
『…と、イツキくん?』
『は、はいっ』
思わず大声で返事してしまい、樹はかあっと赤くなる。ト—マスはにっこりと嬉しそうにクスクス笑っている。するとジャックが舌打ちをして、踵を鳴らした。
『ト—マスが来やがった。退散退散』
『え—、トイレはいいの?』
『他のとこでするわ、じゃ—な』
手をひらひらさせて、ジャックは去っていった。樹はぼうっとその颯爽と去る背中を追ってしまう。なんというか、嵐のような人だなと思う。いなくなってしまったジャックの場所をじっと見ていると、肩を叩かれた。身体をビクつかせ、視線を上げるとト—マスが笑っていた。
『イツキくん、一緒に喋らない?』
『えっ、トイレはいいんですか』
先程のト—マスと同じような発言をしてしまい、目の前の顔が破顔した。声をたててクスクスと笑われ、樹は顔をゆでだこのように真っ赤にさせる。
『いいのいいの、ジャックの様子が気になって追いかけただけだから』
『え…?』
不思議に思っていると、ト—マスは樹にこっそりと耳打ちする。
『ジャックさ、イツキくんを追ってたみたいに見えたから』
「ええっウソ!」
思わず驚きすぎて日本語が飛び出てしまった。ト—マスはニコニコと笑って、少しカタコトな日本語を話す。
「ビックリでしょ?」
「えっ」
日本語喋れるんですね、と言いたくなる。次々驚くことが起こってどうしていいのか分からない。明日と会ってから、驚くことばかり起こっている。ジャックが俺のことを追っていた? なんで?
「日本のことは好きだからね。チョット喋れるよ。ジャックは、アスのことホント大好きだからね~、イツキくんと仲良くしたかったんじゃないかな? ああ見えて可愛いよね。仲良くしてやってあげてよ」
「か、かわいい…? 仲良く…なりたい?」
ちょっと喋れると言うが相当喋れている。樹も思わず日本語で話してしまう。あはは~、と笑っているト—マスがちょっと抜けていると思ってしまう。
ジャックの明日が大好きだとか、自分と仲良くしたくて追いかけたとか。絶対にそうじゃないような気がする。こんな王子様みたいな容姿に反して、天然ぎみのト—マスに少し親近感が湧いた樹だったが、あることを思い出す。
「話って…?」
「アスのこといっぱい聞きたいなって。私もイツキくんのこと知りたいからさ」
フフ、と笑う姿は明日にそっくりだった。
——目の前で、大好きな人が笑っている。
樹はドキドキしながらト—マスと向かい合って座っていた。ト—マスに連れられて先程居た場所に戻ったが、明日はあの場所にはいなかった。きっと人気者だから、どこかで誰かと話しているんだろう。ト—マスに案内されて、テ—ブルに連れてこられて椅子で向かいあって座っている。ト—マスがいるからか、2人の席は妙に目立っていた。今日は目立ってばっかりだな、と樹は思う。
キラキラしたト—マスに、服にサインをしてもらって樹の気分は有頂天だった。こうやって目の前に座っているのがト—マスだとは、にわかに信じられなくて夢を見ているみたいだ。日本語で話すト—マスに英語でいいですよ、と言ったが私が話したいから、と言われ優しんだろうと思う。
ト—マスが頼んでくれたふたつのオレンジジュ—スのコップが置かれたテ—ブルで、2人はそれぞれ話す明日の話で盛り上がっていた。
「へぇ~、アスと会ったのは小学生の時だったんだね」
頬杖をついて聞く、ト—マスは仕草までも紳士のようだった。樹は楽しくて先程から笑ってばかりだった。明日といるより、ト—マスと話しているとあまり緊張しなかった。それはト—マスが至極優しく、想い人じゃないからだろう。
「…はいっ、そうなんです」
うんうん、と樹のたどたどしい会話に頷いてくれるト—マスに嬉しくなって元気よく喋る。
ト—マスとの会話で明日と初めて会った日々のことを思い出し、樹はその時のことを思い出すためゆっくりと記憶の回廊を巡った———。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
都会でもない田舎でもない平凡な小学校に突然やってきた転校生は、綺麗な青い淡い瞳を持った綺麗すぎる少年だった。若い女の先生に連れられた小さな少年は、淡いミルクティ—のようなさらさらとした髪に、日本人ではないと分かる彫りの深い繊細な顔立ちだった。白い陶器のような肌と触ると壊れてしまいそうな華奢な身体は、ランドセルがとても大きなものに思え、クラスにいた2年3組の生徒は樹を含めてまるで宇宙人がやってきたみたいな顔になった。
背が小さいのに関わらずスタイルもよく、コンパスみたいな足を披露していて樹は思わず筆箱に入っていたコンパスと彼を見比べた。子供らしくチャイムが鳴り響いても騒いでいたクラスは、知らない彼と先生の登場で静まり返ってしまった。それが恐ろしく気味が悪い光景だったことを、はっきりと樹は覚えている。5月の中旬にやってきた季節外れの転校生は、あまりに綺麗すぎる男の子だった。綺麗すぎて、皆はどうしていいのか分かっていなかった。樹も分からなかった。ただ知らない色素の薄い男の子を、見つめることしか出来ない。
先生の白いチョ—クで書く黒板の字と、見たこともない甘い砂糖菓子のような美少年にクラス中が注目する。
先生が綺麗なひらがなで「いがらし あす」と書きおわり、皆が「あす?」「がいじん?」と口々に囁きあっていた。それは好奇の感情だったのか、物珍しいものを見る感情だったのか。
『今日から、このクラスの新しいお友達になる、五十嵐 明日くんです。おじいさんがオ—ストラリア人で、クォ—タ—なんだって。ずっとオ—ストラリアに住んでいて、日本語があんまり喋れないから、みんなで日本語を教えてあげましょうね。五十嵐くん、挨拶出来るかな?』
先生の言っていることは、あんまりクラスの皆には分かっていなかった。先生の言っていることは、小学2年生には難しく、すぐには理解出来ないものだった。でも、樹にはなんとなく意味が分かった。クォ—タ—。4分の1が外国の血。だけど、目の前の少年は日本人の容姿の要素は一切なかった。完全にこの小さな箱庭の『異物』として、皆に認識されていた。
明日はもじもじと、恥ずかしそうにしながら上ずった声を出した。
『いがらし、あす…デス。ヨ…ロシク…お、ねがい…します…』
英語なまりのとてもたどたどしい日本語がクラスに響き渡ると、先生が小さな拍手をした。すると、パチパチとまわりのクラスメイトも小さな拍手をした。それは、完全な歓迎の拍手ではなかった。先生がやったから真似した、おざなりな拍手が教室に響き渡った。
隣の女の子が拍手もせずに『きれい…』と呟いた声が、今でも樹の記憶に残っている。
だけど、今思えば皆は天使のような容姿の明日のことを様々な形の想いで『綺麗』だと思っていたに違いない。だが、小さすぎた子供たちは、その感情をうまく形容出来ずにいた。樹も、ただ突然現れた転校生を見つめ、後ろの席から30人から31人になったクラスを眺めていた。
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