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第6話 八王子先輩と私の匂い問題

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 私――村崎薫子(二十五歳女性)には恋人がいる。八王子秀一(二十七歳男性)、所属している部署は違うものの私の先輩にあたる人物だ。爽やかな笑顔と人当たりの良い接し方で『営業部の王子様』の名をほしいままにしている、本来ならば付き合えることに光栄を感じるべきイケメンである。
 しかし、この男、私に対しては意地悪な笑顔と欲をぶつけてくる接し方で匂いフェチのド変態。私の匂い目当てに私を酔い潰しホテルへ連れ込んだというとんでもない経歴の持ち主である。現在も暇さえあれば私の匂いを堪能するためにあの手この手で私を喘がせようとする、相手を間違えればセクハラの域を超えている犯罪者予備軍である。顔と声だけは私の好みという屈辱。ちなみに私は声フェチである。
 私は目下の悩みの種である八王子先輩を回避したくて様々な対策を考えているのだが、まずは先輩の理想だという私の匂いをなんとかしなければなるまい。一度、自分の身体に香水をひと吹きしてみたこともあるのだが、その日の夜にホテルでシャワーを浴びせられ香水を洗い流されてそのままいただかれた。というか一緒にお風呂に入ってしまったという事実を思い出しただけで恥ずかしい。
 だが、今度こそは負けない。私は新兵器を購入したのだ。ドラッグストアのロゴがついたビニール袋から取り出したるは、チューイングキャンディ。なんと食べるだけで身体から薔薇の匂いが漂ってくるという。よく考えたらどういう仕組みでそうなるのか分からなくて怖いのだが、八王子先輩を遠ざけられるならやむを得ない。私は早速ひと粒口に入れてみた。
 ……うん、なかなか美味しい。ローズヒップティーのような味がする。普通にお菓子として食べてもいける。薔薇の匂いなら悪臭というわけでもないし、このキャンディを袋いっぱい食べてもほのかに香る程度らしい。正直これで八王子先輩を撃退できるかは分からないが、要は普段の私の匂いから遠ざければ先輩の理想の匂いからも遠ざかるはず。明日、先輩の驚いた顔が楽しみだ。
 私はワクワクしながら歯磨きを済ませて布団に入った。

 翌日。
 久しぶりに機嫌よく会社に向かっていた私は、八王子先輩の背中を見つけた。
「八王子先輩、おはようございます」
 と声をかけると、八王子先輩は「おはよう」と猫かぶりの爽やかな笑顔を向ける。
「……」
 しかし、笑みを貼り付けたままの先輩は私を見て不思議そうに首を傾げる。
「……あ、薫子さんかぁ。匂いが違うから気付かなかった」
「いやいやいや、私のこと匂いで識別してたんですか?」
 私は驚愕しながらツッコミを入れるが、八王子先輩は真顔で「うん」と頷く。犬かな?
「何この薔薇の匂い、また香水でもぶっかけたの?」
「フフーン、今回はシャワーでも落ちませんからね」
 私は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ふぅーん……」
 そんな私に、目を細めて微笑む八王子先輩。何か嫌な予感がするのは気のせいであってほしい。
「ちょっと会社に行く前に寄り道しようか。まだ時間はあるし」
 そう言って、先輩は私の手を取る。
「え、あの、どこへ?」
「いいからいいから」
 私は行き先も知らされないまま、先輩に手を引かれてどこかへ連れていかれるのであった。

 ――朝の公園は、清浄な空気に包まれている。
 しかし私は、その空気を楽しむ余裕さえ与えられなかった。
「ちょ、ちょっと先輩!? なんで朝からさかってるんですか!」
「薫子さんが悪いんでしょ、朝からそんな匂いさせてるから……」
 私と八王子先輩は公園の奥まった場所、木が密集していて外からは、いや公園の中にいてもなかなか気付かれないようなところにいる。
 私の両手首は八王子先輩の左手で木の幹に押し付けられ、先輩の自由な右手で頬を撫でられている。私は助けを求められない危機的状況に顔面蒼白だ。
「ちょっとやめっ、んぐっ!?」
 八王子先輩は私に顔を近づけたと思うと、貪るように唇を奪う。角度を変えながら、舌まで入れてくるものだから、私は息継ぎもままならない。
「んっ……んん……っ」
 先輩の舌が私の口の中、上顎を撫でると、身体に力が入らなくなって腰が抜けたようにへたりこんでしまった。そこでやっと唇が離される。
「はっ……、はぁ……っ」
 やっと落ち着いて呼吸ができるようになり、私は肩を上下させて息を吸った。
「なるほど、薬局とかに売ってる、食べると体臭が変わるお菓子か。口の中まで薔薇の味がする」
 八王子先輩はペロリと舌で自らの唇を舐めながら独りごちる。そんなことまでわかるものなのか?
「――もう、なんでいつもこんな無理やりなんですか! 強引すぎます!」
 キスされただけが原因ではない、目が潤んでいるのを感じる。
「薫子さんこそ、なんで自分の匂い変えようとするの? せっかくいい匂いなのに」
「先輩がこうやって毎回襲ってくるからでしょうがっ!」
 いい加減ホテルの従業員に顔を覚えられているのではと思ってしまうほど、私たちは常連と化していた。しかも一度入ると一回では済まない。こいつもしや絶倫か?
「俺と一緒にいるの、嫌になった?」
「うっ……」
 八王子先輩は地べたに座り込んだ私と目線を合わせるように屈んで、捨てられた子犬のような上目遣いでこちらを見てくる。今にも「クゥーン……」とか言いそう。
「い、嫌じゃない……ですけど……」
「そっかぁ、良かった」
 私が俯いて赤面すると、先輩はニッコリと笑う。
「あと俺、花の匂いわりと嫌いじゃないから逆効果だよ。薫子さんの匂いと混ざって余計興奮しちゃった」
「――ッ!」
 私が潤んだ目で睨みつけても、先輩には通用しないのはわかっているのだが。
「先輩の馬鹿! 馬鹿っ!」
「はいはい、じゃあ一緒に会社行こうね」
 先輩が私の腰を支えて立たせながら、手に指を絡めてくる。
 そのまま一緒に出勤した私たちが、「やっぱり二人付き合ってるんじゃん!」と噂になったのは言うまでもない。

〈続く〉
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