赫然と ~カクゼント

茅の樹

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6, 街区公園

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「青野くん、ここの道って、暗くてちょっと怖いよね」
 薄暗い公園の脇の道を、自転車のペダルを漕ぎながら、御木本良太が呟く。
 住宅街の隅に、滑り台とブランコだけの小さな公園。宅地公園不足から都市計画に組み込まれたいわゆる街区公園の、大部分を覆っているカシの木のせいで、申し訳ない程度の街路灯の灯りもこちら側には届かない。
「あー、お墓あるしね。でも、こっちの方が近いじゃん」さも、満悦で青野春彦が笑う。
 いつもならバス通りから商店街を抜けて帰るのだけれど、春彦の家を回って行くのには近道なので、寺の裏の道から公園へ抜けた。
 変えたばかりの夏服では、夜ともなるとまだ肌寒く感じるのは、気温のせいだけだろうか。

「いやー、御木本くんと会えてラッキーだったよ、もう、駅から歩いて帰るのダルくってダルくって、乗せて貰って助かっちゃったよ」
 二人分の体重を踏みこんでペダルを回す。自転車がキコキコと軋みながら、緩い斜面を進む。
「で、でも、青野くんと、ほとんど話した事なかったから、驚いたよ。こっ、声かけられて。隣のクラスだから、体育とかで、一緒になるけど、あ、青野くん、あんまり、いっ、居ないから」
「御木本くん大丈夫?息上がってるけど。代わるか?」
「だ、大丈夫」力が入ったせいで、御木本良太の声が大きくなる。「僕なんて目立たないから、青野くんが知ってるなんて思わなかったよ」
「はは、知ってるよ、名前くらいは。まあ、俺は転校生だから、小学校からの一緒組ほどは知らんけどね、もう川名来て二年近く経つのに、未だ名前も分からない人もいるけどね、ははっ」

 御木本は、春彦のように目立つ連中とはあんまり接点が無かった。と、言っても、川名中の学区は川名小学校だけなので、エスカレータ―式の様に上がるだけで、九割以上が同じ顔ぶれなのだ。それこそ幼稚園も一緒の者もいて、まったく知らない生徒などほとんどいなかった。
隣の中学が四つの小学校からなる学区で十クラスもあるって知った時は驚愕だった。自分たちが造成地に囲まれた、とても狭いコミュニティの中にいるのだと知ったのは、部活で他校に行く様になってからだった。

 それでも、同じ顔触れの方が気楽でよかった。中学に上がると、関係性が顕著になり、次第にポジションが決まっていく。転校早々に一軍の席を不動の物にするような春彦の様には振舞えないが、そこまでも目立たないまでも、人気と裏腹に近寄り難い春彦たちに比べれば、しっかりとクラスに溶け込んでいる自負はあった。

 接点が無いからこそ、春彦のような存在に密かな憧れを抱く事もあったので、塾の帰り道に駅前で、お願い乗せてって、なんて手を合わせて拝まれた時には、驚きもあったけれど嬉しかった。多少は人見知りだけれど、二人乗りで帰り道は、緊張しながらも楽しかった。

「でもさ、目立たないなんて言うけど、御木本くん、綺麗な顔してるから女子にモテるんじゃない?」
「え、まさか、そんな訳ないよ。か、からかわないでよ」
「またまた、照れちゃって、華奢で可愛いなんて言われてるんじゃないの、ニクイねこの」
 春彦が御木本の脇腹をくすぐる。
「ちょっと、青野くん、アブナイよ」
 笑い声が暗い路地に響く。ふらふらしながらも先の灯りに向かって自転車を進める。
「御木本くん、お姉さんいる?」
「は?」
 春彦の唐突な質問の、冗談めかした意図に気づいた時に、暗い道の先で人影が動いて、頼りない自転車のライトの中に飛び込んできた。
「うわっ」
 驚いて、慌てて自転車のブレーキを握り、軋んだ音を立てて止まる。後ろの荷台に跨った春彦が足を出して抑えた。

「コンバンハ」「コンバンハッス」「コンバーッス」「コンチャーッス」
 暗闇から飛び出てきた人影が、大声をあげて、電話ボックスの灯りの下に出てくる。挨拶なのだとすぐに気づかなかった。
「てめー、びっくりしたじゃねーかよ、脅かすんじゃねーよ」
 春彦が吠えるけれど、怒りは感じないので内心ほっとする。
「ス、スイマセンッス」
 自転車の目の前まで出て頭を下げてくるので、まるで御木本に頭を下げてるようで、居心地が悪い。暗闇から急に出てきた時は怖かったけれど、灯りの下に近くで見ると、なるほど、まだ、幼さを残している。一年生だろうか、四人もいたのは見えなかった。
「だいたい、コンバースって言った奴いるだろ、バッシュがどうしたよ、俺はバスケ部じゃねえぞ」
「スイマセン」
「サーセン。話し声から青野先輩の名前が聞こえたもので、はい」御木本の自転車の前に直立で、声高に申し述べる。
「うるせーよ!」春彦が更に大きな声で一喝するので、皆の肩が、ビクッと上がる。
「人ん家の近所で、デカイ声出してんじゃねえよ」
「ス、スイマセンス」少しだけ遠慮した声が応える。
「つうか、ウチの制服みたいだけど、お前ら誰だよ」
 春彦が灯りに照らされた、まだ、あどけない面々をのぞき込んで訝しむ。
「はい、自分らは1年で、市村です。何度か2年の高階先輩と一緒にマックで」
「あーあーあー」
 春彦の空返事で、覚えていないんだなと理解して、よくも御木本の事を、名前まで覚えてたものだなどと思い見る。
 
改めて面子を見ると、顔を見た事ある程度だが知った顔が多い。市村は小学校の時に妹と同じクラスだった事があったはずで、確かお兄さんが僕らの一つ上にいたはず。で、あと後ろの・・・。
「御木本くん、知ってるの?」御木本の反応にきづいて春彦が訊く。
「まあ、うん。妹が1年生にいるから」
「御木本先輩、自分、同じクラスです」市村がグイと前に出て主張する。
「あぁ?」春彦が御木本の肩越しから割って入る。
「ひゃい」市村が変な返事で一歩下がる。
「何よ、御木本くん妹いるの?絶対美形じゃん」
 市村に「おい、美形だろ?」
市村が大きく頷いて「はい、マジでカワイイっす」
「あぁ、色気出してんじゃねーぞテメー、コラ」
「ス、スイマセン」
「妹か~、一年生か~、お姉さんいないの?」一人で盛り上がっている。肩越しに迫る春彦を「ちょっと」と肩で戻す。

「姉はいないよお。て言うか、青野くんと同じクラスの奥山いるでしょ」
「奥山、ああ、ベンか」もちろん知ってるというように小刻みに頷く。
 そう、勉蔵さんに似ているからベン。小さい時からそう呼ばれているから、本名は覚えていない。昌なんとかだったか。
「君、ベンちゃんの弟だよね」
御木本が市村の後ろにいた茶髪に尋ねると、茶髪の少年が照れくさそうに頭を下げて、チラリと春彦を見た。
「嘘、マジで」
 春彦が驚いて自転車を降りて近づく。市村がすっと下がる。奥山の弟が春彦を目の前にして緊張しているのか、華奢な御木本よりも、もう少し小さい体を固めて、気恥ずかしそうに眼を泳がせている。
「おおっ、本当だ。えっと、なんだっけ?」
「あっ、真次郎です」短い襟足を触りながら、ぼそりと答える。
「そうそう、次郎だ、次郎」真次郎の頭をくしゃくしゃっと撫でる。春彦がニヤニヤとしながら「なんだよ、茶髪になんてしやがってよ、分からなかったぞ」
「スイマセン」慌てて真次郎が謝る。
「なに謝ってんだよ、カッコイイじゃん」両手で更に頭をぐしゃぐしゃにする。
「ありがとうございます」真次郎の緊張がほぐれて笑顔が見える。やっぱり春彦に怒られると思っていたのだろうか。
「次郎が敬語って、気持ち悪いな~」
「か、勘弁してください」逃れようとする真次郎を、春彦が更に脇をくすぐって攻めていくので、ちょうど御木本が助け舟になった。

「青野くん、ベンちゃんの弟くんの事知ってるの?」
随分と親し気に見えたけれど、どちらかというとオタク系のベンと、いわゆる不良の春彦に接点がなさそうなので驚いた。とはいえ、御木本と春彦の組み合わせも、また希有だけれど。
「そりゃあ知ってるよ。俺が転校してきたばっかりの頃だから、次郎はまだ小学生だったよな、生意気でさ~」
 真次郎がまた襟足をいじる。小学生の時の話をされるのは、こそばゆいのだろう。
「奥山ん家は近所だったから、あいつの部屋に夜な夜な入り浸ってゲームとかしててさ、ベンはそういうめちゃくちゃ詳しいじゃん。次郎が時々遊び来て、なっ」
 同意を求めるけれど、真次郎が遠慮がちに口を開く。
「いや、違いますよ、先輩がうちのお姉ちゃんに会いに来たけど、ちょうど離婚した母親の方に行ったから、居なくって不貞腐れてましたよね」
「は?違うだろ次郎、勘違いしてんじゃねーよ」
「い、いや、なんだよ、お姉さんいねーのかよ、って言ってましたよ」
 春彦が自転車の御木本に振り返って、慌てて弁明する。
「違うんだよ御木本くん、こいつが勘違いしてるだけで、お姉さんなら誰でもいいみたいに言ってるけど」
「い、言ってないです」
「だから、姉はいないってば」
 春彦が転校してきたのは一年の時だから、もう、その頃からもう、そんな事を言っていたんだと思うと、関心する反面に、何とかして妹には会わせない様にしなければと、妹の名前何て言うの?という春彦の問いを躱しながら、御木本は強く誓った。


 広がるニュータウンの造成地と住宅地の境に、旧い町並みがあり、そこに小さな里山というより丘がある。
 その里山に遥か昔に城があって、今もその名残を残した寺がある。あの源義経の郎党の居城だったらしい。
 それもあってか、下野の国を抜けて白河関を越して行く、古道、鎌倉街道の中道が通っていたし、鶴見川を使った水運もあり、交通の要所だったという。
 各地から商人が集まり100店を連ねる市が立つほどに、たいへんな賑わいだったそうだ。そこまで栄えるには、地元でも有名な、江戸時代から代々続くという豪商の力が働いたのだろう、その豪商が昔から行っていた菊花の栽培が有名で、かつては皇族も訪れる程の名所になっていたという。
 もはや、この町のどこに、その繁栄の名残があるのか、と言う程に、今では想像もできないけれど、古道・鎌倉街道と重なる、今のバス通りに、何々公会堂前とか、何々法務局とか、こんな所になんで、と言いたくなる停留場が、そういえばある。確かに通りの奥に、いくつか古びた建物があったけれど、それが、どの、何という建物かなんて考えた事もなかった。
 
テナントにコンビニでも入っていれば覚えもいいのだろうけど、そんな気の利いた店はこの町にはなくて、その7時に開店して夜の11時に閉まるという何とも有難い店も、隣町まで行く必要があったが、自転車で15分くらいなので、結局は駅前まで行ってしまう事も多い。
 
そんな古い建物から、川沿いに広がる平地のエリアに、いくつか工場がある。そのエリアから、バス通りを挟んで緩やかな丘陵になっていて、丘の斜面に工場と向かい合うように古い団地が建っている。かつての公共施設や工場の隙間に建った住宅と、その古い団地の、川とバス通りの間で街道沿いに開けた町。いわゆる、何々郡川名町時代からの旧い町が、西地区だ。
 
 川から緩やかに伸びる丘を削って切り開いた住宅団地、そこを中心に広がったのが東地区だ。
学校と小さな商店街くらいしかなく、丘の斜面を削って無理に造成したのか、道は狭く入り組んでいて、同じような大きさの住宅が、丘の斜面に沿って、緩やかに段々と階段状に建っている。
この東地区が行政区に編入して、郡から区に変わった頃の新しい地区だ。新しいといっても、二、三十年は経っている。住宅はこの町の一番高いところまで続いていて、その先は、今まさに造成中のニュータウンだ。
 
 その東と西を分断するように道路を通すらしく、丘をえぐり取った様な造成中の谷が丘の先まで伸びていて、その脇にある、本来の細い道の周辺が、この町の地主が多く住んでいて、田畑もある。
 手広く事業を広げている名士というべき地主もいれば、相続はしたものの、もうすっかり、昔から住んでいる家くらいしか土地も無い地主もいる。
 どちらかといえば、後者のほうが奥山の実家だった。奥山の家は、その地主エリアの、車もすれ違いにくいほどの細道の坂を登って行った東地区との境辺りで、その東地区の外れにある街区公園の近くに青野家があった。
 奥山の家に行くようになったきっかけは覚えていない。単純に、エリアが違うから気付かなかったけど、実は近所だったのと、あとは、まあ、転校してきたばかりの頃、家に居たくなかったんだと思う。

 昼間に、誰かに連れられて行ったのが最初なんだろうけど、夜遅くにいきなり行った時には奥山も「な、何、何の用?」と、何だか警戒していたが、まあまあまあ、と済し崩しに上がり込んだ。
 しばらくは「何しに来たんだよ」と、敵意むき出しで鼻息荒くしていた奥山だが、何か面白いもんないの?と、机の上を漁るろうとすると「そこ、弄るなよ」とか言いながらも、自慢のPCを褒めると、ちょっと機嫌が良くなる。

「何だよ、すげーじゃん。コンピューターってやつ?」
 机の上をほとんど占領している、無機質な生成色の箱と、無数のコードで繋がった小さなテレビの様な画面に、興味を向ける。
「パソコンだよ。いいから、触んなよ」
「何これ、何に使うの」
「まあ、ゲームとか、通信とか」もじゃもじゃの天然パーマをぽりぽり搔きながら、面倒臭そうに答える。
「何それ、ちょっと、やってよ」
「えー、やるのー」とか、言いながらも、オタク根性に火がついて、後は聞きもしないのに説明してくる。
 PCキュウハチがどうとか、DOSがどうとか、ウチにはファミコンも無いくらいだから、もう何を言ってるのかさっぱり分からない。電話機を引っ張ってきて受話器をモデムとやらに繋げる、カセットテープを回すけど、音楽が流れる訳でもなく、ロードするとかなんとか。一つ一つは使い込んでいるんだか、汚れているんだか、イマイチぼろいけれど、ほとんど初めて見るので興味も沸いたし、それを、同じ年の奥山がやっているのは凄いと思った。けれど、まあパソコンゲームも一通りやったら飽きたし、ファミコンの方がやり易いし、そもそもゲームがそこまで好きでもないけど、暇つぶしに、時々は通った。

 奥山は子供の頃からずっと「ベン」と呼ばれているらしいけど、その風貌が勉三さんぽいからで、そこまで見た目が似ている訳ではないし、眼鏡をかけてもいない。  
『いかにも勉三さん』だ、と言う事で『勉三さん』と呼ばれていたが、見た目が似ていた訳でもないので次第に簡略化されて『ベン』だけが残ったんだと、誰だかに「諸説あるけど」と、歴史的人物の逸話のように締め括って聞かされた。
 
 そのベンの家は、旧町の地主エリアのはずれにある。土地がどのくらいあるのかは知らないけれど、他の姓の有力地主とは、相当の差があるのは端からでも分かるほどで、その象徴たる家屋がそれを物語っていた。
 敷地はさすがに広いけれど、2/3は背の高い植木に覆われていて鬱蒼としている。腐食して開き放しの門扉から入ると、玄関まで結構離れている。優に、学校の教室がすっぽり入る程の庭があるのだけれど、伸び放題に繁った庭木でその広さを感じられない。
 その間を玄関までの細い通路が伸びているけど、昼間でも日が届きにくく、夜にここを通るのは気持ちの良いものではない。 
 建物は古い平屋造りで、結構な大きさのようだけど、玄関を開けると奥がどうなっているのか想像出来ない程に、荷物で溢れていた。本来は広い玄関の真横が奥山の部屋だったので、その先の部屋を知らないが、あまり入りたいとは思えない。
 
 奥山の部屋もとにかく物が多い薄汚れた布団は万年床になってるし、机というか、こたつのテーブルの上はPCが大半を占領し雑誌が散乱、食べ物のゴミもそのまま置いてある。積んである服は洗濯済みかどうかも分からない。どこに座ればいいのかも分からないし、あまり居心地が良いとは言えない。
 春彦も特別きれい好きという訳でもないけれど、最初は流石に戸惑った。
こういった片付いていない部屋の住人って言うのは、大抵が自分だけは何処に何があるか分かっているもので、奥山も同じで、その辺りを闇雲に動かしたり、邪魔なので片付けようとすると「やめろよ、分からなくなっちゃうよ」と、吠える。
「分からなくなる前に何とかしろよ」とは言い返すのだけど。
 
 いつだか、缶ジュースか何か、飲み物を溢したことがあった。
「お前、何やってんだよ」
「俺じゃ、ないよ」だなんて言い合っているうちに布団にも床のカーペットにも染みてしまう。慌ててティッシュで拭くが間に合わない。
「ちょっと雑巾持ってこいよ」
「え、いいよ、面倒くさい」
 
 前々から思っていたけれど、奥山は必要以上に部屋を出たがらない。と言うよりも、この家の奥に入りたがらない。親と仲が悪いのだろう、くらいには思っていたけどちょっと異常なほどだ。通りで部屋にゴミが溜まる訳だと頷ける。
「いいから、ちょっと何か拭くもの持ってこいよ」
 渋りながらも、流石に今回はと、雑巾を取りに部屋を出た。
 
 奥山がいない間に水没被害にあったテーブルの上の物を片付け、もともと染みだらけだが、濡れてジュースが染みている布団を捲った。
「うわっ、何だよこれっ」
 思わず声をあげた。奥山が慌てて戻ってくる。
「なに、なに、うるさいなあ」大きい声出すなと、顔を顰めるが、捲られた布団の下を見て「うっ」短く唸る。
 
 布団の裏には黒く黴が生え広がっている。床のカーペットは更にどす黒い黴が、何の液体がしみ込んだのか、もはや判別もつかない異様な色の大きなシミになっている。思わず嘔吐きそうになる。さすがに奥山もこの上で寝ていたのかと思うと信じられないといった顔だ。

「お前、こんなになるまで放っておいたのかよ」
「汚れているとは思ってたけど、ここまでとは・・・」奥山は意気消沈だ。
「これ流石にダメだろー」と、布団をどかして、カーペットの端を摘まむ。
「いいか、捲るぞ」気合を入れはするが、怖じ怖じと慎重にカーペットを捲っていく。
「うわ、下の畳までいってんじゃん」
「でも、畳はそこまでじゃないんじゃない」
「あほか、十分いってるわ」
 奥山は何とか現実逃避したいらしい。古い和風の建物だから、和室の畳も古くなるとササクレたりほつれたりするので、畳の上にカーペットを敷いたのだろうけど、そこそこ厚みがあったおかげで、畳の被害が少なかったのだろう。ウチにある物よりも高価なものだと分かる。どれもこれも汚いんだけど、この家にはまあまあ良い物が揃っている。

「とりあえず、バケツに水とマイペットだな」
「えー、ホントにー、いま?」
 まずは布団カバーを剥がして洗濯へ、敷き布団のカバーはダメだな、布団も洗剤で拭いてみて一応干してみるけど、もう煎餅布団だし変えた方がいいだろう。物が多くて床がよく見えてなかったけど、こたつテーブルをどけてみると、この部屋にはどうにも不釣り合いな柄のカーペットが現れた。カーペット、というより絨毯の、布団を敷いていた辺り、黴が広がった半畳ほどを切り取った。畳はマイペットで擦りまくって、ドライヤーをあてて乾かした。
 奥山は「そこまでするの?」と愚図ったが、せっかく荷物をどけて絨毯まで剥がしたので、掃除機をかけた。

「おい、なにやってんだ、夜によお」
 掃除機の音に負けない声量で不意に掛けられ、部屋の戸口を見ると大柄の男が立っていて、目が合ったので会釈をした。奥山の父親と会うのは初めてだった。てっきり家にはいないのだと思っていたけど、奥山をチラリと見ると、どことなく委縮した表情だった。なるほど、奥山が部屋を出たがらない理由は親父さんか。
「そ、掃除だよ」
「は、掃除?」怪訝に言いながら、部屋を覗き込んで畳の染みを見る「あちゃー、ちゃんと綺麗にしとけよ」
 そう言って、廊下に出したテーブルを押し退けて玄関へ出ていく父親に「わ、わかってるよ」と返した。

 どうにも奥山が、遠慮して話すのが気になったけれど、確かに変な威圧感は感じた。見た目でいったら、宇田川の親父の方がよほど恐ろしい。
 宇田川の家の前でとケンカしていたら「うえうせえぞガキ、他所でやれ」と、怒鳴られて、二人して意気消沈でケンカする気も失せてウヤムヤになった事があった。

「なに、親父さんこれから出掛けたのかよ」
「うん、機嫌よかったから、飲みにでも出掛けたんじゃないかな」
 あれで機嫌いいのかとも思ったけど、奥山が安堵しているのがよくわかった。
「さっさとやっちまおうぜ、お前は机の上を片付けろよ」
「え、机もやるの?」
 奥山の明るい声が帰って来る。

 断捨離するのに、いちいち愚図るか時間は掛かったけれど、大分荷物も減り、数日かけて部屋は見違えるほど綺麗になって快適に過ごせるようになった。
 日によって奥山のテンションは違っていたけれど、荷物で塞がれていた窓も開く様になり部屋が明るくなったので、心なしか本人まで明るく清潔になったように見える。
 
部屋が快適になったからか、その頃から時々奥山の弟が顔を出した。
「すげー、部屋が生まれ変わってるよ」
興味津々といった顔の小学生が、ランドセルを入口に放り投げて入って来る。
「あっち行ってろよ、真次郎」奥山は、そんな弟を煙たがるが、弟は意に介さず中に入って来る。
「ねえ、あんた誰?」物おじしないで距離を詰めて訊いて来る。
「真次郎」奥山がスーパーマリオをやりながら声を荒げるけど「まあいいじゃん」と、青野と名乗る。

「青野、何年生」
「兄ちゃんと一緒だよ、中一。お前は何年だよ」
「おれ5年生。青野は彼女いるの?」と、隣りに割り込んで来る。
「あぁ、マセガキめ、どっかにいるんじゃねーの?会った事ねえけど」
「なあんだ、いないのか」
「真次郎、いい加減にしないとぶっとばされるぞ、ごめんね青野」奥山が気を遣い、ちょうどマリオを交代する。
「青野、ぶっとばすの?」
「ぶっ飛ばさねえよ」と、言うそばから、土管から出てきたパックンフラワーにぶっ飛ばされて画面から消える。

「てゆうか、青野マリオ下手じゃん」
「くそっ、じゃあ、何たら次郎、お前やってみろよ」
「真次郎だよ、おれ、青野よりは上手いよ」
「へっ、何がシンだ、次郎でじゅうぶんだねー」
「次郎じゃないよ」
「次郎ですーう」
「なんか小学生相手に大人気ない事言い出したよ、まあ、大人じゃないんだけど」
 真次郎が気の抜けるジャンプ音を鳴らしながら、マリオを上手く操りステージクリアして見せる。
「見て見て、青野」真次郎が得意げな顔でじゃれつく。確かに上手いものだ。

 奥山の部屋へは、毎日行っていた訳ではなかったけど、行く度にどこからか真次郎はやってきて、奥山とは似ても似つかない、可愛らしい笑顔を見せていた。
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